マリア・ルス号
この年になっても、小学生の時に見たテレビのニュ−スを覚えているものである。それはその年齢の子供には何を意味したのか分からない赤線廃止を伝える報道でした。映像で写っていた子供がなぜか塀ごしに中をのぞき見しているものでした。
人間の最古の職業といわれるお仕事ですので、今もその遊郭の雰囲気を残して自由恋愛と称して営業している店が関西にあるという。
面白いことに、芸娼妓解放令は、明治5年(1872年)に日本の横浜港に停泊中のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の清国人苦力を奴隷であるとして、大江卓を裁判長とする特設裁判所は解放を命じた事件を契機としていた。
ペル−政府はこの事件に関して謝罪と賠償を要求した。この紛争解決のために仲裁契約が結ばれて、ロシアにおいて国際仲裁裁判が行われた。全権公使として榎本武揚が選ばれ、その法廷で、明治8年(1875年)日本側の措置は国際法にも条約にも違反せずとの判決が下された。
明治の体制がまだ整わない中で、よくできた維新政府の英断である。しかしその中で日本の芸娼妓の問題はどうなのか?と追及された。政府は明治5年(1872年)太政官布告・芸娼妓解放令を発した。それは人身売買は禁止だが、売春そのものは禁止でなかったため、昭和32年の売春防止法・赤線廃止まで続くことになる。
吉原遊郭
最近では児童買春の報道がやたらと多いように思います。オランダやドイツでは飾り窓で堂々と営業しているところもあります。国が変われば価値観が違うようです。
話が前後するが、第1次大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で、日本は人種差別撤廃を明記すべきと提案した。マリア・ルス号事件ともども日本は国際的に主張して発展させることができなかったのは、その後に大きな災いを避けられたかもと思います。後付けの言い方ですね。残念なことではあるが。
2017-10-11
幕末開国まとめ