2017年12月21日

江田島 旧海軍兵学校を訪ねて

 
 江田島には「のうみ海の駅」があります。ヨットの停泊地として海の駅をよく利用しています。 しかしこの駅は近くに暗礁があり、乗揚げ事故が多発しています。それに対しての事故艇から「標識も無く分かりにくい」と苦情をサイトで目にします。 このような理由から、自分のヨットでそこへ訪ねることを断念して、呉からフェリ−に乗りバスに乗って、陸から海軍兵学校跡を行くことになりました。

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 呉の乗船タ−ミナル

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 呉−小用 フェリ−

 軍の施設などで見学時間は1日に3-4回ほどに限られており、その時間に合わせて、門で受付をし、ツア−で案内者と見学することになります。 小生が言った時には、見学までに時間があり受け付けてもらえない時であった。前の人が食堂で食事をするという理由で入場許可を受けたのをマネして入ることができた。食堂で今はやりの海軍カレ-を食しました。そこは社内食堂みたいなもので隊員も他のテ−ブルで食べています。 味は普通で値段が少し安いといったところです。

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 食堂のある赤い建物の前に集結して見学に出ます
 
 2時間をかけて徒歩でグル−プを組み、ボランテイアガイドさんのユ−モラスな説明で見て回りました。

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 卒業式でいっせいに帽子を振り投げる講堂です

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 旧海軍兵学校生徒館・現自衛隊幹部学校庁舎

 海上自衛隊の第1述科学校もここにあります。機関及び潜水を除く砲術、水雷、航海、通信など比喩ような専門知識及び技能を教育する、

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 第1術科学校学生館

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 教育参考館 水曜日は休みで展示品はみられなかった


また、校内には様々な兵器が校内展示されている。

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戦艦陸奥40cm主砲

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特殊潜航艇 開戦時に9軍神が乗り参戦

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特殊潜航艇海竜 本土決戦用に製造され使われなかった

 ガイドさんの説明によると200人が海軍兵学校に入学し東大はすべり止めで受験したという日本でトップの秀才が参集したという。それでも敗戦して学校は閉鎖となった。結果的には、秀才の選別方法に誤りがあったのか、それとも学校教育の内容に誤りがあったのかいずれかでしょう。 秋山真之はトップ卒業であったとか、日露戦争までは確かに日本の国運を支配し成功した学校であったのは事実とはいうものの。

 2017-12-20

   海軍大戦略



posted by 速魚 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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