2018年01月26日

イビザ物語 4回 佐野

 ヴィッキ− その3

イビザとの出会い

 ヴィッキーも他の客と同様、定期的に、彼女の場合は給料日の次の日にツケを払ってくれた。元々、ヴィッキーの場合はここで食事を摂ることがなく、朝のコーヒーにエンサイマダ(Ensaimada:甘くやわらかいバレアレス諸島名物の菓子パン)、 夜更けてからのコニャックやリキュール類だけの利用だったからたいした額にはならなかった。
でもそれは春先の6月くらいまでのことで、ウォッカやジンをお持ち帰りよろしくボトルで売ってくれくれないか…と始まったのだ。初めてスミルノフ(Smirnoff:ウォッカ)を一本譲ってくれと頼まれた時はかなり躊躇した。というのは、ワインなら大量に仕入れる価格は店頭売りよりかなり低いし、さらに2倍、3倍掛けでもレストランの価格として通るのだが、リキュール類はグラス一杯売りだから、一瓶を幾らで売ったものか見当が付かなかったのだ。酒屋で売っている値段よりあまり高くすると、あそこはガメツイと言われる心配もあったからだ。
ヴィッキーは私を見透かすように、「いくらでもいいいよ」と言ったのだが、私は自分の弱さから、仕入れた値段で一瓶売ってしまったのだ。それが町の酒屋で買うより安いと知ってからは、ヴィッキーは頻繁にスミルノフだ、ゴードン(Gordon:ジンの銘柄)だ、マグノ(Magno::スペイン製ブランディ)だと買いに来るようになってしまったのだ。その都度、その分だけは現金で払ってくれていたのだが…。
結果、私は重いリキュールを何本もベェスパ(Vespa:スクーター)の後ろに縛り付けた箱で頻繁に運ばなければならい羽目に陥ったのだった。
どうにも、こうして一人称でモノを書くことの難しさを思い知らされている。“私”といちいち文頭につけるのも煩わしいし、果たしてその時点で本当に自分がどう思い、どう考えていたかも、至極アヤフヤで見極めが付かないのだ。事実関係だけを書くというのは一種の虚構で、書いている本人が“私”である以上、私情が必ず入ってくるのは避けられないからだ。
私がヴィッキーのはち切れんばかりの肉体に興味がなかったとは言い切れないにしろ、彼女に惚れてはいなかったと断言してもよいと思う。ヴィッキーは多い時には日に3、4回も我が『カサ・デ・バンブー』に足運んできたし、店が暇な時にはカウンターに陣取って長話、主にイビサのニュース、常連たちのゴシップ的情報を提供してくれていた。拙い私のスペイン語をハスキーなタバコ焼けしたガラガラ声で丁寧に直してくれてもいた。

カウンターに置きっぱなしにしてある私のシガリーリョ・ネグロ(Cigarillo Negro)と呼ばれているタバコの葉がタールの塊のように真っ黒な“ドウカドス(Ducados)”を一本抜き、「やっぱり、これが本当のタバコね…」とか言いながら吹かすのだった。この“ドウカドス”は嫌煙家が近くにいたら、バケツ一杯水を頭から浴びせられたくらい強烈で重苦しい臭気を撒き散らすのだが、一度このムッとくるような臭い知ると、軽い香気溢れるヴァージニアの葉っぱなど物足りなくなる中毒性があった。もちろん、価格も天と地ほどに差があり、“ヴァージニア葉使用”と断り書きがしてあるスペイン製の“フォルトゥナ(Fortuna)”の4分の1、5分の1で、もっぱら労働者のためのタバコとみなされていた。
ヴィッキーが常習的にタバコ・ネグロ“ドウカドス”を吸っていたのか、ただ手持ち無沙汰でカウンターの上に置きっぱなしにしてある私のタバコに手を出しただけなのか分からない。どこから、どう手に入れたのかフランスの“ジタン(Gitan)”とかイギリスの“ダンヒル(Dunhill)”、そしてアメリカタバコを「これ吸ってみない?」と置いていってくれたりした。当時のスペインではそのような外国タバコはとても高価だっただけでなく、なかなか手に入らない貴重品だった。
少しでも客が立て混んでくると、ヴィッキーはスーッと身を引いて帰るし、夜遅くテーブルに汚れた皿などがそのままになっているのを目にしたら、ササッと洗い場まで運んでくれたりするのだった。酔っていない時のヴィッキーには、なかなか空気の読める、気の付くところがあったと思う。

ibiza 103.jpg
アパートのテラスから美しい夕陽が眺められるロスモリーノスの丘


ヴィッキーの様子が変わり出したのは、シーズン最盛期の8月頃からだった。一緒にバルセロナ時代の友達を連れてくるようになったのだが、揃いも揃ってマリファナかアルコール、その両方にとっぷりと漬かり切っている風が見て取れる輩ばかりだった。その頃のスペインでは、徐々に解禁されつつあったとは言え、マリファナは禁止されており、5グラム以上持っているのを見つかれば(具体的に5グラムという数字もチマタの風評で、法規に照らし合わせたものでない)、実刑を喰らう…と言われていた。
私自身、閉店後にマリファナを一服やるのを楽しみにしていたし、ヴィッキーからの差し入れを平然と受け入れ、“上物”を時々貰っていたし、私のカフェ『カサ・デ・バンブー』は、ましてや星空の下の戸外だから、客がマリファナを持ち込み、それをさり気なく吸うことに関しては黙認していた。
しかし、ヴィッキーは度が過ぎた。青白く痩せた彼女のボーイフレンドたちが無限にもたらす…と想像しているのだが、“極めつけの上物のマリファナ“に溺れていった。
ヴィッキーと友達グループは、我がカフェテリアにとって迷惑な客になりつつあった。他のドイツ人、イギリス人、北欧人の常連は、静かなひと時を過ごすためにここにくるのだが、ヴィッキー・グループは大声で叫びあうように話し、酔っ払って、我が物顔で『カサ・デ・バンブー』を占領するのだ。ヴィッキーたちはラリって嬌態、醜態を晒しながら、長時間テラスを占有するようになってしまったのだ。これでは他の常連の足が遠のくは当然で、「オッ、今日はカタラン軍団がいなくて寂しいな〜」と皮肉り、常連のドイツ人、イギリス人たちは羽を伸ばすのだった。
4、5人の友達とヤンヤと賑やかに騒いだ後、帰りしなに、私の不機嫌な顔を見てか、ヴィッキーは、「サーノ、今夜は少し騒ぎすぎたかしら、ごめんね」と声を掛けてくれるうちはよかったが、じきにそれもしなくなっていった。
夏の終わり頃だったと思う。ヴィッキーが自分の誕生パーティーを『カサ・デ・バンブー』でやりたい。少しは豪華にシャンペンや特別料理を用意して欲しい、総勢16〜17人は呼ぶから貸切でやりたいと持ち掛けてきたのだ。
-…つづく

  2018-1-26

 
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posted by 速魚 at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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