2018年01月28日

薩土盟約と御手洗薩長芸土4藩軍事同盟密約


 薩長同盟が成立、第2次長州征討に長州が勝利、大政奉還、王政復古、鳥羽伏見の戦い、江戸無血開城の流れで明治維新が成立したと理解してはいる。
 薩度盟約、薩長芸3藩盟約、御手洗条約などの最近知ったものとの続がりが、小生にはよく分からないので整理してみました。

 幕末年表

1866年 慶応2    1/21     薩長同盟
           6/7     第2次長州征討
          7/20 将軍家茂死去
          8/20 徳川慶喜将軍就任
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                     徳川慶喜

           8/21    孝明天皇、長州征討停戦命ず
           12/25    孝明天皇崩御

1867年 慶応3  3月  島津久光 藩兵1000人と入京
        5月  四侯会議 島津久光、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城
        5/23  徳川慶喜の勝利、四侯会議失敗
        5/25  薩摩武力討幕を指向
        6/12  龍馬の船中八策
        6月  後藤象二郎は容堂に大政奉還を提言
        6/19  島津久光は長州の品川や山県と引見
        6/22  薩土盟約 薩摩・小松、西郷、大久保と土佐・後藤、
             寺村、真鍋、福岡、 浪人・龍馬、中岡が陪席
             大政奉還を薩摩が了解、これにより西郷が挙兵のために長州派遣を中止。
         6/28  芸州・辻に同意を得る
         8/14  長州へ大政奉還建白は武力討幕への大義名分と説明
         9/8  薩長芸三藩盟約による共同出兵計画
         9/9  薩土盟約は解消
         9/28  久光が討幕否定の通達
         10/3  土佐による建白書提出 
         10/4  芸州による大政奉還の建白
         10/8  三藩の討幕再確認   
         10/14  大政奉還が実行 、討幕の目論見が白紙に
         11月初旬 御手洗で薩長芸土4藩の軍事同盟密約と新政府綱領8策を結ぶ。
              長州・大村益次郎・山県有朋、薩摩・大久保・大山格之助、
              芸州・池田徳太郎・船越洋之助、土佐・龍馬・後藤象二郎
         11/8  龍馬御手洗を立つ
       11/15  龍馬暗殺 
       11/26  御手洗条約 長州軍を芸州藩が上方に先導する約定
       12/9  王政復古 薩摩と土佐の対立を芸州辻が討幕にまとめる
1868 慶応4    1/3  鳥羽伏見の戦い
          4/11 江戸城無血開城
          9/8  明治に改元

 譜代による幕府の専制政治がくずれて、喫緊の課題の解決のために薩摩は四侯会議にる打開を試みた。雄藩連合による政治・薩摩の目論見は慶喜の巻き返しにより失敗した。薩摩は武力討伐を指向する。薩摩は大政奉還が成るとは思わないが、それの拒否が討幕の大義を得ることになるということで、土佐の提言にのり、龍馬や中岡の陪席により1867年6月に薩土盟約を結ぶ。これは議会政治の採用による手段としての大政奉還による王政復古を採択し、武力討幕を原則回避する方針となった。

 約定書の内容は以下の7箇条から成る。
1.大政の全権は朝廷にあり、皇国の制度や法の一切は京都の議事堂から出るべきである。
2.議事院は諸藩の費用供出で成り立つ。
3.上院と下院を分け、議員は公卿から諸侯・陪臣・庶民に至るまで正義の者を選挙し、諸侯も職掌によって上院に充てる。
4.将軍職は執政の最高官ではないので、徳川慶喜は職を辞して諸侯の列に戻り、政権を朝廷に帰するべきである。
5.諸外国との条約は兵庫港(神戸)で新たに外務大臣が交渉し、新条約を制定して通商を行う。
6.律令以来弊害のある朝廷の制度を刷新し、地球上に恥じない国体を建てる。
7.皇国復興の議事に当たる者は公平無私を貫き、人心一和して議論を行うべきである。

 しかし1867年9月9日盟約は解消される。土佐と薩摩は同床異夢であった。それより前の9月8日に薩長芸による出兵盟約がかわされている。薩長の思惑とは異なり将軍慶喜は大政奉還を受け入れる。

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   山内容堂

土佐の容堂の意向とは異なり11月に薩長芸土による御手洗の討幕密約がなる。(これはつい最近述べられるようになった)その下旬には御手洗条約にて長州軍を芸州が上方に先導する条約が成る。王政復古が宣言され、薩摩の独断専行の先駆けにより鳥羽伏見の戦いに勝利して、明治維新が成る。

御手洗薩長芸土4藩軍事同盟密約は軍事同盟と新政府綱領8策が御手洗で龍馬も参加して結ばれた。この密儀は龍馬が60年間黙っているように皆へ約束をさせた。ゆえに新谷道太郎がその期間を経て世に出す。彼はそのために山陰に隠れて生活している。まだ定説になっていないが本当でしょう。 龍馬はそ後で御手洗から京にのぼりまもなく暗殺された。 龍馬を暗殺した犯人が薩摩黒幕説があるが、御手洗で龍馬ともども4藩同盟成立あるのなら、それほど日数が暗殺まで経ていないのだから、薩摩節は無いと思われる。


   2018-1-28




  



posted by 速魚 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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