島津重豪(しげひで) 1745-1833 89歳

宝暦5年(1755年) - 天明7年(1787年)
娘の広大院は11代将軍家斉の正室
次男は中津藩奥平昌高、蘭学好き
13男は福岡藩主黒田長溥(くろだ ながひろ)・蘭学好き
14男は南部信順(なんぶ のぶゆき)は、陸奥八戸藩の第9代の藩主。
500万両の借金を作るが調所広郷を抜擢する。
島津斉宣(なりのぶ) 安永2年・1774-1841・天保12年 69 才

天明7年・1787-1809・文化9年
文化6年 近思録崩れの責任で重豪によって強制隠居
島津斉興(なりおき) 寛政3年・1791-1859・安政6年 69歳

文化6年(1809年) - 嘉永4年(1851年)
天保4年・1833年 父重郷の死で実権握る、調所を重用して財政改革に成功
嘉永2年・1849 お由良騒動
次男は池田斉敏(いけだ なりとし)、備前岡山藩の第7代藩主。
嘉永4年・1851年 安部正弘の調停で隠居
島津斉彬(なりあきら)文化6年・1809-安政5年・1858 50歳

嘉永4年・1851-1858・
富国強兵に努め集成館事業を興す
篤姫を将軍家定の正室に嫁がせる
公武合体武備開国を主張
島津忠義・茂久(もちひさ)天保11年・ 1840-1897・明治30年 58歳

安政5年・1858-1871・明治4年廃藩置県
大政奉還後に藩兵3000を率いて上洛、王政復古に貢献
島津久光 文化14年・1817-1887・明治20年

島津済興の5男で斉彬は異母兄、忠義は長男、藩主ではないが斉彬の死後に藩主の実父として藩政の実験を握った。
文久2年・1862 公武合体推進のため兵を率いて上洛、寺田屋で尊攘派を粛清。計4回の上洛を経て、武力討伐路線を採る。
2018-2-6
船中発策 精忠組
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