2018年02月08日

調所広郷と村田清風


  薩長が維新の立役者になったのは、藩の財政改革に成功していたからです。それゆえに、近代的軍備の大砲・最新式小銃・西洋軍船を購入できた。時代が人物を作るとは言え、薩長の活躍した人物だけでは維新が成ったとは言えない。ここでの調所も村田も報われたとは思えませんが、その歴史的貢献は大きいものでした。

 農業により形成された武士や封建制度が近代を迎えるに連れて矛盾・問題が山積になる。それの解決には無駄使いを止めることや質素倹約ではどうにもならずに、調所や村田の改革を必要とした。開国要求をきっかけとして近代的な経済体制に変革したのが御一新・明治でしょう。

調所広郷・笑左衛門   1776-1849 73歳

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寛政10年・1798 江戸へ出府して隠居していた島津重豪に見いだされて登用される。後に藩主・島津斉興に使番・町地頭・町奉行に携わる。天保3年・1832年に家老になる。
 500万両に及ぶ借金で財政破綻寸前になっていた藩財政を1840年には200万両の蓄えになるまで回復させた。その政策は
1. 借金を無利子で250年の分割払い
2. 琉球を通じて清との密貿易
3. 大島などで取れる砂糖を専売制にして独占した(黒糖のみで230万両の利益)
4. 行政・農政・財政改革・商品開発をおこなう。 
嘉永元年・1848年に老中阿部正弘に密貿易を糾弾されて服毒自殺、斉彬による密告とも言われている。年収12−14万両で利息が80万両を越えていた状況からの再建なのでそのスゴサが分かる。



村田清風 天明3年・1783-1855・安政2年 七三歳  

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1838・天保9年 藩政の実験を掌握する。財政再建は
1. 37か年賦皆済仕法(家臣の負債を減額して37年で完済)
2. 蝋の専売制を廃止、自由な取引に。四白政策(紙・蝋・米・塩)の振興
3. 商人に対して運上銀を課税
4. 下関に越荷方を設置。藩による海運を助ける倉庫金融業。
8万貫の負債を返済、雄藩となる基礎を築く
 借金を減額された商人や越荷方の成功により大阪への商品が減った幕府からの横やりで退陣した。


   2018-2-8






posted by 速魚 at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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