イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて
ヴィッキーの誕生パーティーは店を貸切にし、他の客を入れないことにした。ヴィッキーと二人でメニューや飲み物を決めた。彼女が呼ぶ15、6人分の売り上げが私の小さなカフェテリアの1週間分くらいの総額近くになる…という計算もあったし、彼女が招待する新規の友達、客がまたここに来てくれるであろう、常連が増えるだろうという目算もあった。
その日のために、フランスの本物のシャンペンこそないが、カバ(Cava)と呼ばれているスペイン産のセコ(seco=dry;辛口)を1ダース仕入れ、ワインも普段出しているもの中で一番値の張る、マルケス・デ・リスカルとムリエタ(Marqués de Riscal y Murrieta)、ファウスティーノ1世(FaustinoT)、ヴェガ・シシリア(Vega Sicilia)の赤、白はカタルーニャのヴィーニャ・ソル(Viña Sol)のグランレセルバ(Gran Reserva)を買い込んでおいた。もっとも、このような高級なワイン、シャンパンは浜辺の小屋的な私の『カサ・デ・バンブー』では週に1、2本出れば良い方だったのだが…。
パーティーのための知り合いのイビセンカ(Ibizenca;イビサの女性)を二人、臨時雇いのウェイトレスとして来てもらうことにした。
夕陽を眺めながらのパーティーにしようという意向だったから、スペインにしては異常に早い夕刻7時にパーティー開始を決め、それに間に合わせようと、昼間一杯かけて、仕込みをし、テーブルをセットし、花を飾ったりで、ドタバタと過ごした。
準備万端とはいかないまでも、一応準備もなんとか整い、御一行様が現れるはずの午後7時になった。だが、誰も来ないのだ。やがて8時になり、“オヤ、ひょっとすると、オレ、日にちと時間間違えたのかな…”と不安になり始め、8時半頃、ウェイトレスの一人、ペパ(Pepa)をヴィッキーのアパートへ送ったのだった。
ペパは、「ヴィッキーたちは、彼女のアパートですでにだいぶ出来上がっていたよ。『カサ・デ・バンブー』は準備整え、待っているから、いつでもドーゾとは伝えてきたけど…」と、いたって刃切れの悪い報告を持って帰ってきたのだった。
そして、ヴィッキー御一行様、14人が現れたのは午後9時近くなってからだった。
『カサ・デ・バンブー』は車でのアクセスが全くなく、どうにか車が入り込め、駐車できるところから、緩やかではあるが200メートルの石ころ、岩、土の坂を下りて来なければならない。これは客足に大いに影響を及ぼす坂道だが、逆に『カサ・デ・バンブー』はあまり人に知られていない、静かな穴場、私たちだけが知るカフェという意識をお客さん、とりわけ常連に抱かせていたと思う。軽い障害を乗り越えて、初めて辿り着くことができる店というわけだ。
ヴィッキー御一行様は、足元に気をつけて、転ぶんじゃな〜い、見て見て、この景色…と暗くなりかかった坂道を騒々しく降りてきたのだった。皆それなりにシャレタ、ファッショナブルな服に身を包んでいた。男女半々くらいだったろうか。
一行がすでにかなり酔っ払っており、マリファナをたっぷり吸ってきたことは明らかだった。スペイン人のこのようなパーティーはある程度知っているつもりだったし、経験もしていた。全員が同時にシャベリ捲くるのだ。それも、叫ぶような大声でワンワとやるのだ。静かに行ってこいの会話を楽しむ作法は存在せず、耳を塞ぎたくなるような大声で自己主張、別にたいした意見でなくても、叫ぶのが彼らの流儀なのだ。それが延々と続くのだ。
それにしても、ヴィッキーの仲間たちはスザマジかった。テーブルマナー、祝賀会なぞ、薬にしたくもない様相で、それぞれ勝手にワイン、コニャック、ジントニック、ウォッカを注文し、食前酒に用意したラ・イナ(La Ina;シェリー酒)も食後の酒コニャックもごちゃ混ぜで、ヴァッカスでも度肝を抜かれるような飲みっぷりだった。
マリファナは食欲増進剤になるから、酔っていても食欲はあった。テーブルに三つ置いたコンロとジンギスカン鍋は焦げ付き、コンロからズリ落ち、テーブルに焼け跡を残した。いったい何個のグラスがひっくり返り、ワイン、リキュールを撒き散らしたことか…。
スペイン人のエネルギーにはいつも驚かされる。酔ってグッタリし、テーブルに就いたままコックリコックリ始めるヤカラはいない。彼らのために一つだけ言い訳を許すなら、まず100パーセントと言ってよいくらい、陽気な馬鹿騒ぎで、愚痴っぽくなったり、陰険に絡んだり、陰気に沈み込むタイプは少ない。ボラッチョ(Borracho;酔っ払うこと)とは酒を飲んで陽気に騒ぐことを意味するのだ。
ヴィッキーたちも賑やかに騒ぎ捲っていた。一人がチステ(Chiste;冗談、小話)を披露し、大笑いを取ったとなると、他の人が、それに刺激されたように次々とチステを語り、そのチステが次第にX(エキス=ハードコアの映画)的にエスカレートしていった。12時近くになり、早く引き上げてくれないかな〜という私の思惑をヨソに、彼らは全く腰を上げる気配を見せず、パーティーはますます佳境に入って行ったのだ。
臨時雇いのウェイトレス二人は初めからの約束通り12時で帰し、洗い場のカルメンおばさんも、明日片付けるからね…と帰って行った。
午前2時を回ったところで、誰かがディスコに繰り出そうと提案し、老舗ディスコの『パッチャ(Pacha)』なら知り合いがいるからタダで入れると、誰かが言い出した時には、本当に救われた想いだった。
私自身、酒が飲めず、一口どころか酒の匂いを嗅いだだけで真っ赤になるゲコだったから、はなから酔っ払いの相手をするのも嫌いなら、酔っ払いを見るのも嫌だった。スペインで食事の一部として誰しもがワインを楽しんで飲むのを目にした時、こんな世界があったのかとばかり驚いたものだ。昼食をコニャックで締めくくったにしろ、彼らは深酒をせず、自宅に戻って短いシェスタ(Siesta;午睡)の後、また働きに出るのだ。
私が昼食を摂るような安レストランでも、テーブルにワインが一瓶、サア、好きなだけ飲みな、とばかり、デンと置いてあり、安い定食でも料金にワイン代が含まれているのだ。なんだか飲まないと損をした気分になり、何度か試飲程度に口にしたが、すぐに顔が真っ赤、心臓ドキドキの態に陥り、食事どころでなくなり、体質的にアルコール類は絶望的に合わないと悟らされるのだった。
いくら陽気なボラッチョ(酔っ払い)とはいえ、5時間以上のドンちゃん騒ぎに付き合わされて、いささか“このような仕事は私に向いていないなあ〜”と思い始めていた。
彼らがディスコに向かって引き上げる時、ヴィッキーはそっとカウンターに寄ってきて、「チョット騒ぎ過ぎたかしら、ごめんね。アア、勘定ね、明日払いにくるよ」と言ったのだった。
スペイン語の“マニャーナ(mañana)”が正確な“明日”の意味ではなく、“いつかそのうち”を意味し、さらに“いつかそのうち”が“永遠にやって来ない明日”という意味もあることを学ぶために随分高い授業料を払わされることになったのだった。

カフェテリア『Casa de Bambú』のエントランス(1988年撮影)
-…つづく
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2018-2-9
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