“変わり果てた姿”
このようなことを一人称で書くことと、あるがままに起こったように書くことの間には大きなギャップがある。私小説に付きまとう自己弁護の隠微さが付きまとい、所詮あるがままに書くというのは絵に描いた餅だなと思い知らされるのだ。
ヴィッキーは私の耳元をくすぐるように精一杯甘い声で、「タケシ、タケシ」とささやきながら、私に身体を擦り付けてきたのだ。私の方はといえば、闖入者がヴィッキーだと分かってから、彼女をベッドから蹴落とすことも、思い切りよく彼女にのしかかることもせず、狸寝入りを決め込み、彼女に背を向けたのだ。
彼女は酒臭い息を吐きながら、口髭…そうなのだ、西欧の女性たちは脛毛を頻繁に剃る割に、顔にカミソリを当てることがなく、唇の周りに薄っすらと、中老年になるとワッサリと口髭をはやしているのだが、私の耳から、首筋を這うように彷徨うのだ。
その時、部屋には5、6人の居候が寝ていたと思う。ベッドから1メートルと離れていないところに雑魚寝している人間がいるのだ。それを承知の上で、ヴィッキーは夜這いをかけてきたのだ。
私とヴィッキーの間にはかなりの金額に及ぶツケ、未支払いのパーティー費用が横たわっていたが、私はヴィッキーがそのツケを“カラダで支払おう”としたのではないと思う。ただ単に酔い、マリファナで朦朧とした頭で、思い付いたように私のところに来ただけだと思う。
彼女は私の身体に摩るように手を回し、勃起していた私のモノを的確に握ってきたのだ。自分の意思とは別に、身体の一部だけがどうしようもなく反応していたのだ。かろうじて…というのは当たらない。初めから私は泥酔したヴィッキーに嫌悪を抱いていたし、その行為に及ぶ可能性はなかったと思う。だが一方で、始末に終えないくらい勃起していたのも事実なのだ…。
私の性器に纏わり付くヴィッキーの手首を掴み、精一杯の抵抗で、「ヴィッキー、ノー!」と言ったのだ。その時部屋にいて、寝ているはずの全員が一部始終を耳にしており、私がどう出るか耳をソバダテていたと後で知った。そのうちの一人が、「据え膳食わぬはナントカ…と言うけど、ありゃウソだな、食いたくないお膳だってあるわな」と、慰めにもならない言葉を翌朝かけてくれたことだ。
さっぱり乗ってこない私に疲れたのか、酔いが回り過ぎたのか、ヴィッキーはイギタナクという表現がピッタリと当てはまる、猛イビキをかいて寝込んでしまったのだ。私はといえば、一秒でも早く彼女から離れたい一心で、ベッドを出て、店に行きベンチで寝たのだった。
以来、ますます酔っ払いに、とりわけ女性の酔った、あるいは酔ったふりをしての醜態に生理的嫌悪を催すようになった。
夜這い事件以降、ヴィッキーの足が遠のいた…と言いたいところだが、彼女はツケのことも、その夜のことも全く忘れてしまったかのように平然と『カサ・デ・バンブー』を訪れ、コーヒーを飲み、閉店間際に現金を握り締め、ウォッカ、ジンを買いに来た。
私の対応は、他の常連に見透かされるほど、彼女に対してヨソヨソしくなり、嫌悪感を露骨に顔に表わしていた…と指摘されるほどだった。『カサ・デ・バンブー』の常連はお互いに顔見知り以上の仲になっていたから、夜這いのことは知らなかったにせよ、何かあったと感付いていたはずだ。

イビサ中心街にある2軒の老舗カフェテリア(1988年撮影)
イビサの観光シーズンはセマナ・サンタ(聖週間、イースター)前に開き、10月一杯で終わる。まだ店を開いていた時期だったか、すでに閉めていたのかはっきり思い出せないが、10月の中頃だったと思う。スペインのレジデンシア(Residencia:在留許可証と労働許可証が一緒になったもの)の更新のために郵便局の裏通りにある警察署の2階を訪れた時に、ヴィッキーに出くわした。
私はもうとっくに、ヴィッキーからツケを払って貰おうという幻想は捨てていた。洗い場のカルメンおばさんの言うように、客筋を見極めなければならないと肝に銘じ、高い授業料を払ったと諦めていたからだ。
ヴィッキーは警察署の粗末な木のベンチに腰掛けていたのだが、私は彼女が声にならない、喉から搾り出すような擦れた呻き声で、「タケシ、タケシ」と呼び掛けられなかったら、声の主がヴィッキーだとは気づかなかったろう。それほど彼女は変わり果てていたのだ。
ほんの5、6ヵ月前の春先には、はち切れんばかりの若さと、針で刺したらパーンと弾けるように顔も体もどこもかしこも張り切っていたのだが、すべてが恐ろしいばかりに壊滅されていたのだ。
銀色かかった金髪に染めていた髪の毛は、頭皮から15センチ以上も地色の麻色のままで、ほつれた精気のないボサボサの髪はもう長いこと洗ったことも、櫛を入れたことがないのは明らかだった。
ツヤツヤ輝き、若さの象徴と思えた丸い頬はカサカサに乾き、病的に腫れ上がっているのだ。私は、普段の仏頂面をつくるのを忘れ、「オラ、ケタル?(元気かい)ヴィッキー、その後の調子はどうだ?」と歩み寄ったのだった。その時、ヴィッキーは立ち上がろうとモガイているのに気が付いた。横に松葉杖が2本立て掛けてあり、それを掴んで立ち上がろうとしたのだ。
ヴィッキーの脇にいた、薄いアコーディオン型の書類入れを膝に載せた、ハゲなのに少ない髪を集めてポニーテイルにしたオヤジがヴィッキーの脇の下に手を入れ、抱きかかえるように立ち上がらせたのだった。
座っている時には気がつかなかったが、ヴィッキーの身体は不健康に膨れていた。あと一歩で転がった方が早いほどのダルマ体形になっていたのだ。松葉杖を脇に入れてもユラユラと前後左右に揺れ、立っているのがやっとという状態だった。まさに、急な坂を転げ落ちるような変わりようだった。
ヴィッキーの隣にいた猫背、ハゲ、ポニーテイルのオヤジは弁護士で、多少、英語とドイツ語ができるので、外人相手にスペイン政府へ関係書類を提出したり、レストラン、バーの営業許可証や不法超過滞在、主にマリファナ不法所持弁護などの雑務をこなしているのは知っていた。我々のようにスペイン語で公式書類を読めない、書けない外人がイビサで直面するコモゴモの問題を引き受けてくれるのだ。
『カサ・デ・バンブー』にも何度か顔を見せていたし、彼自身(フェルナンド・ペレーという名だった)、イビサの外人たちの中ではチョット名が知られている存在だった。実際にフェルナンドがどのくらい強力なコネを持っているのかは分からないまま、何でもイビサの警察、政府に自称強力なコネがあるから、面倒なことは彼に頼めば解決してくれる…というのが売りだった。
一度立ち上がったヴィッキーは、すぐによろけるように元のベンチに座り込んだ。元々小さい目は焦点が定まらなく、三白眼の白目の部分はまっ黄色に淀み、乱れた髪と相まって、顔色の悪い太った妖怪のようだった。
受付を待つ間、フェルナンドの語ったところによると、ヴィッキーたちがアパートの家賃を5ヵ月も払わないのに業を煮やした大家さんが彼女を訴えて出て、警察の立会いの下で強制的な立ち退きを執行した。その時、目をツブルには多すぎるマリファナが見つかり、“ペンション・コンプレート”(Pension completo:三食付ホテル=この場合“留置所”のこと)のご招待で二晩過ごしていたのを、今日、身請けに来たということだった。
ヴィッキーのすぐ横でそんな話をしても、彼女は視界が定まらず、心ここにあらずの態で、聞こえてるのだろうけど、何の反応も示さなかった。それが、ヴィッキーを見た最後になった。
『カサ・デ・バンブー』の常連たちの間でごくたまにヴィッキーがウワサに上ることはあったが、私としては、早く忘れたい苦い経験だった。ヴィッキーは実家のあるバルセローナに送り返されるように帰ったということだった。
後日、『カサ・デ・バンブー』のカウンター越しに座った常連の一人に、ヴィッキーはカタルーニャ州立オペラ劇場の俳優で、アンチゴーネの主役を演じたらしいね…と言ったところ、演劇界をよく知っているというより、名の知れたその演出家が、一瞬キョトンした表情で…、「エッ、そりゃ小学校の学芸会でのこったろう。ヴィッキーがリセウ(Gran Teatro del Liceu:カタルーニャ州立オペラ大劇場)のアンチゴーネなら、オレはマーロン・ブランドかポール・ニューマンだよ」と笑いながら言ったのだ。
-…つづく
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2018-3-2
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