維新では薩長土肥ばかりが有名になり芸州藩や福岡藩の動きはあまり注目されておりません。
黒田如水の福岡藩は外様大名であり52万国の雄藩である。幕末には島津重豪の13男黒田長溥(くろだ ながひろ)が藩主となる。実父の重豪に倣って近代化路線を推し進めた。
幕末には尊王攘夷派の筑前勤皇党が主力を占めていて、彼らは第1次長州征討の回避工作に奔走した。その際に長州に居た五卿を説得し太宰府に移したことで尊皇攘夷の雄藩の一角と言われるようになった。
黒田長溥が幕府にそのことを責められていた。幕府が第二次長州征討を決定した結果、福岡藩では先の勤王派の周旋は否定され、藩論が佐幕に傾く。長州の俗論派の台頭のようなものである。勤王派の多くが逮捕され家老・加藤司書をはじめ7名が切腹、月形洗蔵ら15名が斬首、野村望東尼ら15名が流刑となった乙丑の獄により筑前勤王党は壊滅した。
この150名にも及ぶ大弾圧の結果戊辰戦争の際には兵を率いる人材が全くおらず、失態を重ねて廃藩置県を待たずに廃藩となる。遠島や謹慎の処分にしておけば良かったと言ってみても手遅れです。
切腹 以下7名
加藤司書 1830-65

2800石の中老、プチャ−チン警備に当たる。「外国艦隊の脅威を前に国内で戦っている時ではない、国防に専念すべし」という親書を提出し、征長軍解散を決めさせることに成功する。西郷吉之助や高杉晋作と密談を行い、薩長同盟の実現に向けて活動。
斉藤五六郎
建部武彦 1820-65
700石の中級武士、第一次長州征討に際して福岡藩の尊皇攘夷派は、国内戦争を回避するため、長州藩に謝罪恭順と薩長和解を求める周旋活動を行った。
衣非茂記
尾崎惣左衛門
万代十兵衛
森安平
斬首 以下15名
月形洗蔵 1828-65
第一次長州征討において征討中止に貢献した。五卿が太宰府天満宮に移る際、これを下関まで迎えに行き案内した。
梅津幸一
鷹取養巴
森勤作
江上栄之進
伊藤清兵衛
安田喜八郎
今中祐十郎
今中作兵衛
中村哲蔵
瀬口三兵衛
佐座謙三郎
大神壱岐
伊丹信一郎
筑紫衛
流刑
野村望東尼 1806-67

勤皇歌人、勤皇の士を度々かくまったり、密会の場所を提供したりする。月照や高杉晋作らをかくまう。
野村助作
2018-3-13
薩土盟約 御手洗4藩軍事同盟
筑前勤皇党
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