現在残っている規模の小倉城は細川忠興が造る。 天守閣の屋根に破風が無く唐造りと呼ばれる。(破風は今でいうド−マ−のようなもの)
14世紀から大内氏、菊池氏、高橋氏、毛利・森氏、の持ち城となり関ケ原の功で細川氏のものとなる。細川氏が熊本に転封になった後は譜代の小笠原氏が幕末まで続く。 天保8年・1837に天守と御殿が焼失。
幕末に第2次長州征討で高杉晋作に攻められてあっけなく開城して逃げ去ったのは不思議である。それなりの本丸・松丸・北の丸・2の丸・3の丸を持つ総構えの城であったのに。
幕臣の志気が低かったということでしょう。

復元天守には 大入母屋破風、千鳥破風、唐破風がついている。

西の口門

鉄門跡 一般家臣のと城門、 旧第12師団司令部正門

着見櫓 現在は漬物店が入居

大手門跡

堀

下屋敷の場所にできた庭園と書院を復元した。

りゅう弾砲

下関厳島神社にある太鼓 高杉晋作の戦利品
2018-8-5
終活のヨット
【日記の最新記事】
- 「日本人だけを生かしたい」 AIが描く未..
- 戦国日本とフィリピン
- CBDC 量子コンピュ−タ−によ..
- フェ−トン号事件と捨て足軽
- 陸上自衛隊 ・海上輸送群
- 末次平蔵・政直 1546頃―1630..
- Miguel Rincón Lute..
- ジョン・ハ−トレイ事件
- 金井昭雄さん 難民に眼鏡を
- 古楽器 さまざま
- インドの父 杉山龍丸
- 太平洋戦争 まとめ
- ドイツの(再)軍備 2025
- カウンターテノール・ソプラニスタ・ カス..
- ドイツの債務ブレーキ条項 見直し
- ロバート・カー Division upo..
- 天保の改革 その後と今
- 救命いかだ・ライフラフト 2025
- 亡き王女のためのパヴァ−ヌ
- 年金倍増で日本経済は大復活 三橋貴明