2019年03月17日

龍馬の蝦夷地視察



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神戸海軍操練所

 坂本龍馬は蝦夷地に並々ならぬ関心を持っていました。妻のお龍も「私も行くつもりで、北海道の言葉の稽古をしていました」と回顧している。

 神戸海軍塾の同志4人を蝦夷地視察に送り出している。

安岡斧太郎・金馬
1839-1864 土佐勤皇党 天誅組挙兵で処刑  

小松小太郎
1844-1863 蝦夷地に渡る船中で発病し函館で病死

能勢成章・達太郎
1842-64 禁門の変で自刃

北添桔磨・きたぞえきつま・本山七朗
1835-64 高知高岡郡岩目地村の庄屋の5男、16歳で庄屋色を継ぎ、19歳で大庄屋となる。文久3・1863 本山七郎を名乗り江戸にでる。 池田屋事件で自刃
映画「蒲田行進曲」の階段落ちの彼を描いたシ−ンが有名であるがこれは創作である。

龍馬のこの視察は、京にあふれている浪士たちをそのまま蝦夷地に移住させ、対ロシアを意識した屯田兵と化し、治安回復、北方警備を一挙に行なえる可能性をもった計画だった。
龍馬は下田で海舟と会合し、京摂の過激の輩数十人(あるいは200人程)を蝦夷地開拓と通商に送り込む構想を話し、老中・水野忠精も承知し、資金三、四千両も集めていると述べている]。

 池田屋事件と禁門の変で操練所の仲間が加わったことにより操練所が閉鎖になり混乱したことにより蝦夷地の件は実行されなかった。暗殺されてしまいましたが、龍馬の祖尾後の活躍で維新の功業がなったわけで、蝦夷地移住が行われていれば、日本の歴史も違ったものになっていたでしょう。

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北海道坂本龍馬記念館

 明治になり親族が北海道に移住している。海援隊同士の菅野覚兵衛も夢を引き継ぎ福島の原野開発に投じている。


   2019-3-17

 船中発策  坂本龍馬 まとめ






posted by 速魚 at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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