草莽崛起を吉田松陰が唱えるが、長谷川鉄之進がまさにそれではないのか。 草莽ゆえによく知られていないのかもしれない。
彼は越後長岡藩の庄屋の家に生まれ、15歳で長善館に入る。26歳で江戸に遊学し浅川善庵に師事。ペリ−来航後は尊王攘夷を唱えて上京。8.18政変に七卿落ちで長州へ。長州藩の挙兵上洛の折に真木和泉、中岡慎太郎と忠勇隊を結成する。禁門の変で四国へ敗走。讃岐で日柳燕石(くさなぎえんせき)や小橋安蔵と親交を結ぶ。 高杉晋作の功山寺挙兵には忠憤隊を結成して協力。戊辰戦争直前に相楽総三らと薩邸浪士隊で討幕の起爆剤になる。北越戦争では居士隊として活動。
長岡藩は河井継之助と対立して新政府軍側にいた。こんなに歴史的に重要な場面に顔をだしているにも関わらず、新政府の要職にもつかず明治4年に没した。 酒乱だったとか言い、人望がなかったと言っている人がいる。活動に対するやっかみとはいえないだろうか。、薩長の閥に属しているだけで明治に出世していく小物の人達がいることを思えば残念な気がします。

高杉晋作と長谷川鉄之進が作った歌が並記された扇子

長谷川鉄之進の墓 海援隊石田栄吉建立
2019-4-3
船中発策 維新英傑