大分・佐伯・大入島海の駅へヨットで行き、そこからマリンバス200円で佐伯に着く。 佐伯城を訪ねる。 徒歩30分くらい、日豊線JR佐伯駅からは徒歩20分程度で行ける。甍には武家屋敷の雰囲気の残る通りを歩いて登城口・登山口に至る。帰りはタクシ−を利用した。
天守や櫓、塀は余り残ってはいないけれど、石垣は多く残っているのでお城の雰囲気は大いに感じられてよい。再建したら面白そうである。
毛利(森)高政が一六〇六年に城を完成させた。2万石の外様であるけれど、城の規模は石高から想定されるより大きく感じた。山上の本丸と2の丸は焼失し、甍に3の丸を増設してそこに居館をつくり藩の運営をした。 高政の親は信長に仕え、高政は秀吉の近習として仕える。秀吉の光秀討伐の大返しの際には、兄弟で毛利に人質になった。その際に毛利輝元に気に入られて毛利姓をもらう。関ケ原では最初は西軍に属したが東軍に投降した。1601年に佐伯2万石に転封になり佐伯城をつくる。
佐伯城 案内図
三層の天守があったが一六一七年焼失した
本丸へ登山口
3の丸櫓門
本丸入り口
2の丸
本丸から望む
2019-6-27
大分・佐伯城跡から4層階段状石垣 専門家「特異な構造」
毎日新聞 2019/07/04 10:36
大分県佐伯市の佐伯城跡から4層の階段状をした石垣が見つかった。佐伯市教育委員会によると、18世紀前半に大雨のために崩落した斜面を補修した際に築かれたもので、自然石を使う穴太(あのう)積みの技と、堤防などの石組みに似た技術が合わさった特異な構造という。専門家は全国的にみてもきわめて珍しいと指摘する。【衛藤親】
石垣は、本丸下の外曲輪北側斜面で見つかった。土や雑草を取り除いたところ、高さ13メートル、幅約30メートルにわたる大規模な石垣が現れた。石垣を補強する際に築く縢巾(はばき)石垣が4層の階段状になっている。また、各段の上は水平ではなく斜めにせり上がっていて石で覆われている。石垣の隅が斜面の地形に沿うようにカーブを描いているのも特徴だ。
市教委によると、1734年(享保19年)の「御城修理絵図」に、大雨で外曲輪東側の塀や石垣、斜面が大きく崩れたと記載されている。今回4層の石垣が見つかった場所と一致するため、独特な石垣は復旧のために築かれたとみられる。
城郭に詳しい佐賀大学の宮武正登教授は「縢巾石垣が4層にもなっている例は全国にない。保存状態も良く、極めて貴重だ。河川の堤防など治水事業に使われる技を城郭の補強工事に取り入れたと考えられ、これも例がない。高度な技術で本丸を守るために工夫されたのだろう」と語る。
佐伯城は1601年に佐伯藩に封じられた毛利高政によって1606年、八幡山(現在の城山)に築かれた山城で、「鶴屋城」と呼ばれた。
船中発策 城廻めぐり
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