友人の佐野のイビザ物語は連載19回までは ここで読めます。 今回ヨットのことが出ていますのでブログに転載しました。
イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて
第74回:コーベルさんのこと その1
更新日2019/06/27
『カサ・デ・バンブー』で一体どれだけの人、何人と知り合いになっただろうか。所詮はレストランのオヤジとお客の極々表面的な付き合いだ、と言ってしまえばそれまでなのだが、何千人のお客さんの中から、奇妙に近親感が生まれ、私の小さなカフェテリアのアルジ職を離れて、付き合いたくなる人も極少数だが出てくる。他の仕事では考えられないほど広く、バラエティーに富んだ人たちを知る機会を持ったのは事実だ。
コーベルさんは、潰した柿のような顔、頭の持ち主で、おまけにお椀を被せたように白髪交じりの頭髪を童顔に載せている。いつも潤んだ目をパチクリと長い睫毛のマブタで開け閉めする。白人のスイス人なのに、両頬が赤茶に染まっており、よほど野外活動、外にいることが好きな様子が伺えるのだった。
実にゆったりとした性格で、歩き方そのものもユラユラと漂うように、急がず、何事にも決してせっつかず、食事の時のナイフ、フォークの使い方、ワインの飲み方なども実に鷹揚なのだ。すべてがそんな調子だから、南米の木の上に住むナマケモノ(sloth;スペイン語でperezoso)が、地上に降りてきたようにさえ見えるのだった。

ワインの名産地リオハのヴィーニャ・ポマール(VIÑA POMAL)
コーベルさんは、たいてい奥さんと二人でやって来たが、サン・ホセのカンポ(森)に持っている家の手入れに1、2週間だけ一人で来ることもあった。奥さんの方は、小さく細長い顔の美人で、服装、化粧、そして性格も全く飾らない人だった。
コーベルさん夫妻はイビサに着くなり、自分の小屋と彼らは呼んでいた別荘に行く前に『カサ・デ・バンブー』に直行することが重なった。食事を摂ることもあったが、“ヤレヤレ、またイビサに来たぞ”という顔見世のためと、彼が好きなワイン“ヴィーニャ・ポマール(VIÑA POMAL) ”数本と瓶詰めのミネラル・ウォーターを1ケースを持ち帰るためだ。
私は彼が好きな“ヴィーニャ・ポマール”を切らさないよう、彼のためだけに数箱仕入れるのが習慣になった。“ヴィーニャ・ポマール”は普通のレストランで買い置きするワインの中では高級な方に属し、『カサ・デ・バンブー』ではコーベルさん以外では、年に12、3本出るか出ないかだった。
コーベルさんのラフな服装、彼はいつも胸アテの付いたツナギのジーンズを洗いざらしのゆったりしたコットンシャツの上に着ていた。にも拘わらず、相当な資産家であることが伺えた。ある時、私の夢は小さなヨットで世界を回ることだと語った時、「俺の船を見に来るか?」と彼がヨットをイビサのマリーナに係留していることを初めて知った。
時間を決め、私は“ヴィーニャ・ポマール”を2本とツマミのチーズ、オリーブ、チョリソ(chorizo;豚の腸詰のソーセージ)を持ってマリーナに出向いた。彼のヨットはスウェーデンの銘艇“マーロウ”だった。サイズは40フィートほどで大型艇ではなかったが、デッキはチーク張り、コーチルーフもチーク、内装もマホガニーをふんだんに使ったもので、クラッシク調の高級感が漂っていた。

カパーソと地元では呼ばれるイビセンコ・バッグの専門店
私がワインとおつまみをカパソ(capazo;わらで編んだイビセンコ・バッグ)から取り出すと、彼はニヤリと笑い、コックピットにすでにハム、チーズ、クロワッサンにコーヒーカップなどが綺麗にセットされたテーブルを指差したのだった。
ヨットを一回り見てから、コーバルさんと向かい合い、遅い朝食を摂った。
「オマエ、本当にそんなことをやりたいのか? いつも上下左右だけでなく、あらゆる角度で揺れ動き、潮に濡れ、寒さに震え、そうでなければ強烈な太陽に焼かれ、満足に寝ることも、食べることもできないんだぞ。世界の海に浮かんでいるヨット、ボートの90%以上は外洋に出たことがないんじゃないか、ヨットはそれを持っている、いつでも地球上のどこにでも行けると思わせているだけのものだ。それだけで十分ヨットをもつ価値があるが…」
と、やんわりと私の夢に水を差したのだった。彼の言葉の端々に、そのような体験を彼自身が持っていることを臭わせるのだった。
キャビンの壁に古風なレース用のヨットが、ほとんどオーバーヒール(傾き過ぎている状態)で時化た荒れた海を突き進んでいるドラマチックな白黒写真が額に入れられ、張ってあった。ヨット乗りは自分が持っていたヨット、長い間過ごしたヨットへの郷愁が強く、そんなヨットの写真や絵画を今持っている船のキャビンに飾ったり、ヨットを辞め、陸(オカ)に上がった後でも、家の壁に掛けたりするものだ。
スイス人の外海に対する憧れ、ヨット好きはよく海への出口を持たない山に囲まれた国の人だからこそ持つ水平線への渇望だと説明される。それにしても、海への出口を持たない陸に囲まれた国は世界にゴマンとあるが、山国の小国、スイスの旗を揚げたヨットが圧倒的、群を抜いて多いのには驚かされる。
冗談めかして、額縁の中のヨットは自分のかと訊いたところ、軽くうなずき、あの時は酷かったとポツリと答えたのだ。彼ののんびりした言動からこんな激しいヨットレーサーのイメージは全く湧かなかった。彼は1979年のヨットレースにおける最悪の惨事と言われている『ファーストネットレース(Fastnet Race)』の生き残りだったのだ。
《その最悪のヨットレースは、303艘がスタートを切り608マイルのコースをフィニッシュしたのが86隻、途中棄権したのが194隻、ヨットを捨てたのは24隻、真っ逆さまになったヨットが75隻、死者行方不明19人という惨劇だった。それでいながら、この伝統あるヨットレースを取り止める声が上がらず、官憲からの中止勧告などはなく、引き続き翌年も開催され、海洋国イギリスの真骨頂を示した。これが日本でなら…と思わずにいられない。これは全く別の話になる》
それ以降、ヨットレースを辞め、クルーザーでイビサからフォルメンテーラ、マジョルカ、メルルカのデイクルーズや週末クルーズを夏場の海が静かな時だけ楽しむ引退したレーサーの舟遊びをしている…と知った。
私に無謀な?ヨットの夢を捨てさせようとした理由が分かった。もちろん、経験のない私が、そんな大それた国際規模のヨットレースに出ようにも出られるわけはないし、外洋レースなどは問題外だったのだが…。
コーベルさんはニコニコ顔で、「オマエの道は『カサ・デ・バンブー』を続けていくことじゃないか、そして小さなヨットでも買って夏の季節のいい時に行われるイビサ島一周程度のお遊びレースにでも出ればいいじゃないか…」と諭すように言うのだった。

イビサのヨットハーバー
-…つづく
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2019-6-28
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