スマホのグ−グルマップを利用していると、城跡がよくのっています。それで草津城へ行ってみました。 瀬戸内海沿岸の地形は海岸近くまで200-300mの山がせり出していて、平地の部分は限られている。 そこで近代化が進むと、その土地は鉄道や道路用地が土地を寸断されてしまう。 この草津城も山陽線、広島電鉄、道路で分断された。すぐ高層のマンションも隣接している。
草津城は麓にある草津湊(現在は埋め立て)を水軍の拠点として重きをなしていた。 城主は厳島神社、安芸武田、大内・陶、毛利と変遷した。毛利氏になって、水軍の将である児玉氏が治めた。大阪の本願寺に米を届けたのもこの児玉氏である。明治の児玉源太郎は子孫にあたる。 関ケ原以降は福島正則が受領して、ここに大門を作り、城を廃した。

草津城跡、 道路が迫る

山頂本丸跡にある城跡石碑と案内板

草津城登山口

隣接するマンション

南海側から草津城を望む
2019-7-15
船中発策 城めぐり
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