2019年08月03日

新島襄と快風丸



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 新島襄 1843-1890


 新島襄は安中藩士に生まれた。安中藩は備中松山藩の分家です。 新島は幕府の軍艦操練所で学んだことから、備中松山藩が購入した洋式帆船(スク−ナ−)快風丸の廻航を頼まれた。 その縁で、快風丸の函館行の運行があり、米国への密航の思いで乗船し、函館に行く。 藩の乗船許可が下りないのでわざわざ備中松山藩から安中藩へ願い出て許可をもらう。 函館でアメリカ密入国をさせてくれる船を捜す。坂本龍馬の親類の沼部琢磨などの協力を得て、米船ベルリン号にて上海に渡り、ワイルド・ロ−ヴァ−号に乗り換えてボストンに着いた。
 その船主であったA,ハ−デイ夫妻の援助を受ける。この当時の米国の慈善はすばらしい。彼だけではなく他の日本人が援助を受けた話は耳にします。
 アマ−スト大学では学士を取得。札幌農学校に来日するクラ−ク博士の授業を受講。そのきっかけで彼は来日することになったという。
 新島は岩倉使節団の通訳として参加。ヨ−ロッパに渡り教育制度の報告書を提出し、それが明治の学制改革に大きな影響を与えた。 宣教師となり日本に帰国。 大河ドラマ「八重の桜」では、学校設立のために講演を行い5000ドルの寄付を集めるシ−ンがある。ハ−デイ夫妻が演説原稿を読みこの内容では寄付は集められないと、事前にアメリカン・ボ−ドの有力者に寄付を頼んだ故であるという。日本へ来て同支社大学を建設するくだりは皆様ご覧になってよくお知りになっているでしょう。
 彼は因縁の有る快風丸で備中松山へ行き、伝道しています。その演説で女子教育に活躍する福西志計子に大きな影響を与えた。



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 快風丸

  快風丸諸元

 155トン、全長31.5m、全幅 6.8m、 ニュ−ヨ−ク建造「ゴ−ウルノルワラス」 1862年・文久2・9月 18,000ドルで購入


    2019-8-3

  船中発策 歴史







posted by 速魚 at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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