2019年08月08日

南北戦争と日本の金




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 南北戦争の制服  官軍・幕軍はそのお古であったという


 ユ−チュ−ブで音楽を聞くことが小生には多い。 海援隊の武田鉄矢の「今朝の3枚おろし」おもしろくて最近よく聞いています。ユ−チュ−ブには「歴史もの」も多く、今まで身につけたバラバラな歴史的知識が繋がっておもしろいと思うものもあります。 ここでも高校で世界史が嫌いになったことを書きましたが、教科書にのらない事項や、世界史とつながる日本の歴史など指摘してくれる番組がけっこうあるようです。

 ペリ−来航で日米和親条約を結びますが、幕府の林復斎が良い交渉をしたのですが、金銀の交換比率を不利な状況を決めてしまったので、日本の金はみるみる流失してしまいます。米国に貯まった金が北軍の戦争資金となり南北戦争が起こり、北軍が勝利した。アラスカ購入もこの豊富な資金で買うことができたという。南北戦争の終戦で余った武器は英仏を経由して薩長と幕府に渡る。 南北戦争はその間に米国の干渉が和らぎ明治に向かったという知識でしたが、巡り巡って日本の両者の対立・戦争を促進していたのですね。

 ユ−チュ−ブは時間に制約もあるし、一方的に情報が流れて受け止めていくだけに、考えてみると流し手にとっては都合の良いものです。読書と違って、待てよと詠みを止めて考えてみることも少ない。終わってからの検証が大事でしょう。

 幕府は小判の改鋳をして、その流れを止めることになる。 一人の研究者は流出量は40−50万両ではないかと述べています。山田方谷の改革で、備中松山藩5万石の借金の10万両を返済して10万両を貯めたという。 日本全国で50万両の流失なら少ないといえます。その流れを止めたという金の含有量の少ない万延小判の出るまで条約の締結から4年です。

 当時の航海状況を考えてみますと咸臨丸は40日程度で太平洋を横断しています。貿易風は通年東寄りの風が吹いていますので、アメリカから日本へ行くのは容易です。ただしフィリピン東方海域で台風が発生しますので5月から10月までの半年は危険な航海になります。1隻の船で年間2−3航海しか当時は交易ができないでしょう。 金の流出量にはこのことも含めて実証的な研究が待たれます。 それが日本の歴史に与えた影響の大きさを決めることになるでしょう。

  年表

1840      アヘン戦争      

1854・嘉永7  日米和親条約

1858・安政5  安政の大獄

1861-65     南北戦争

1860・安政7  桜田門外の変、

  ・万延元年  万延小判

1863・文久3  下関外国船砲撃、薩英戦争 

1867     米国アラスカ買収

1868    明治



    2019-8-8


  歴史のペ−ジ



posted by 速魚 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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