2019年08月30日

真珠湾攻撃総隊長の回想  その1 

  

      淵田美津雄自叙伝 による



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 明治35−昭和51   講談社文庫  中田整一 編・解説



  淵田美津雄の回想記を読みました。彼は真珠湾攻撃では、攻撃隊の総隊長として飛行隊の指揮をして、「トラトラトラ」を発信して奇襲の成功をおさめる。ミッドウエイ海戦にも隊長で出撃寸前に盲腸を患い艦内で入院した。その空母赤城が沈没して重傷を負う。その後連合艦隊参謀としてエンガノ沖海戦での囮作戦を着想し、米空母群の引きだしに成功すれど、戦艦大和を含む栗田艦隊は謎の反転をしてしまう。 広島原爆には前日まで広島に滞在していて難を逃れ、広島と長崎の被害視察を行う。不思議と後遺症を負うことは無かった。

 戦後に米国での捕虜になった人からの尋問を行い、その時に収容所で起こった、両親がスパイの疑いを受け首を斬られた娘が日本人捕虜に対する献身的な援助をしたことを聞く。また、東京空襲を行ったドウリットル航空隊員で捕虜になり虐待を受けた人が、戦後に日本の駅頭で布教しているのに興味を持ち、彼は聖書を読む。

 入信の動機は、小生のような古楽の宗教音楽が大好きでも無新論者には説明できません。 聖書に接するだけではなく、それまでの奇跡のような体験で、ひと飛びするような霊感がないと宗教に入ることはできないような気がします。 それから彼は洗礼を受け、アメリカで伝道をすることになります。 トル−マン大統領、アイゼンハワ−大統領」、マッカ−サ−元帥、ハルゼ−提督、ニミッツ元帥、スプル−アンス大将などそうそうたる面々に会うことができました。彼らといろいろな話をします。そのことは後に書くつもりです。

 彼は日本人から敵の宗教でなく神道や仏教ならよいのに、敵の宗教の懐に入って糧を得たと云われ。米国ではパ−ルハ−バ−のだまし討ちの余韻が残っている状況での伝道あった。どちらも良い情勢ではなかった。 彼は自分がアメリカに渡るのは、決して罪のためではない。戦争は互いに相手への無知から起き、アメリカにも非の有ることだ。相手に日本人の何たるかを理解してもらい、自分もアメリカ人を知ろう。この覚悟で多くの聴衆に向かって愚かしさと憎しみの連鎖を断つことを訴えた。


  略歴
1902・明治35  奈良県に誕生

1924・大正13  海軍兵学校卒・52期

1938・昭和13  海軍大学卒・36期、 中支作戦従事

1940・昭和16  中佐任官、真珠湾攻撃総隊長

1941・昭和17  ミッドウエイ従軍、盲腸で参加できず重傷を負う

1944・昭和19  連合艦隊航空首席参謀、捷1号作戦着想、、大佐任官

1945・昭和20  海軍総隊航空参謀、広島長崎原爆視察、

1949・昭和24  デイシェイザ-の手記と出会う

1951・昭和26  洗礼を受ける

1952・昭和27  第1回米国伝道, 以後昭和40まで7回渡米伝道
1 969・昭和44  死亡

   2019-8-30




posted by 速魚 at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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