淵田美津雄自叙伝による
知らぜらるハワイニイハウ島事件

西開地重徳さんの不時着したゼロ戦
戦艦大和の沖縄特攻の折に、米軍の飛行機による大和攻撃最中に飛行艇が大和近くに着水して米軍パイロットを救出する場面がありました。飛行艇乗務員は最も勇敢な行動です。帝国海軍乗組員にとっては不思議な光景と映ったことでしょう。日本は特攻にパイロットを消費していたころですので。
淵田氏によると、日本海軍おいて、初戦では、パイロットの不時着地点を事前に決めておき、潜水艦を配備して救出する作戦を計画しました。真珠湾攻撃ではハワイ諸島の西端にあるニイハウ島がそれでした。この島はロビンソン家の個人所有で牛や羊の管理で少数の人しかいないのを調べていました。
パイロットの養成に特に母艦パイロットには、1000時間の経験・年数3年を要すると淵田は述べています。淵田は源田参謀と相談して連合艦隊司令部も同意して、このときはイ号74潜水艦を沖に待機させていました。 しかし、作戦を変更してパ−ルハ−バ−湾口の攻撃に潜水艦を振り替えてしまう。 ゼロ戦1機が予定どうり不時着して、救出を待ちましたが、潜水艦は現れずに、西開地飛曹は通話暗号表を守るために現地住民のトラブルを起こして、彼をかばってくれた通訳として呼ばれた日系人原田と共に自決してしまいます。 この後も、日本は最後までパイロットを消耗品としか扱っていません。
淵田がカウアイ島を訪ねた折、手紙が転送されてきて、「ニイハウ島へ墓参りに行ってください。之が部隊長の大責任と思います」と書かれていた。淵田は戦時中も戦後も、ニイハウ島に不時着機があるのを知らなかった。原田義雄さんの未亡人アイレンさんは、日本兵をかばったという反逆罪で3年間服役した。彼女を訪問して詫びニイハウ島に訪れた。 淵田は潜水艦を待った西海岸で1日中たたずんで、埋葬地を訪ねた。
2019-9-14
真珠湾攻撃総隊長の回想 1-6
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