ヨットを引田港に係留したので、引田城を訪れた。登山口も二か所整備されているが、港より遠いオ−トキャンプ場方面の登山口が登りやすいようだ。
高松城の支城であった引田城と丸亀城である。引田城は1615年・元和元年に一国一城令で廃城となる。 室町時代より城はあったが、秀吉の四国征伐の功で仙石秀久がこの城主となる。仙谷は九州征伐の戸次川の戦いで敗れ改易される。その後に生駒親正がここへ入城して織豊系の城として現存する引田城をつくる。
引田は風待ちの港として利用されて、その守りとして引田城は港と隣接する80mの山に存した。 丸亀城は天守も現存して威容を誇るが、引田城は一部に石垣が残るが忘れ去られた城となった。

引田城図

引田旧港・風待ちの港より引田城を望む

旧港近くの引田港側登山口

本丸

天守付近 案内板がない

北二ノ丸にある石垣 補修中で青いシ−トが掛かっている
天守の案内板が見つからないなどもう少し見せる工夫が必要でしょう。 旧市街に比べて訪れる人は少ない。 天守を再興したり、大手口の整備をすればもっと観光資源のひとつになれそうな気がします。
2019-11-23
引田
http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-656