2020年07月09日

鞆の浦



 初代のヨット速魚でこの鞆の浦の湊の中央位置に錨泊した記憶がある。はるか47年前のことになる。 新造した時に、造船所のある明石から係留地の宮崎・日向までの廻航途中で、とにかく初めて購入したクル−ザ−の航海ゆえ、不慣れで急いでいた。 夕方に来て朝早くには出て行く。アンカ−を上げるときにはヘドロが多く絡んきた、上陸せずであったので、この泥の記憶があるのみである。

  今度、ヨットで来るために係留場所を探してみたが、ふさわしいところは見つからなかった。 ここへ訪れたヨットマンによると、近くの仙酔島に係留して、今は帆船の形をしている連絡船で鞆の浦に来るという。 今回の小生の訪問は白石島にヨットを係留して、フェリ−(540円)で笠岡まで行き、JRで福山(240円)へ、バス(540円)にて鞆の浦に着いた。 それほど遠いとは感じなかった。

 

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 弁天島とその奥にある仙酔島


 瀬戸内の潮流はこの付近で東西からくるものが合流するといい。昔から潮待ちにふさわしい地であった。ここは古くから瀬戸内きっての湊町として栄える。 幕末には「七卿落ち」や龍馬が「いろは丸」の衝突交渉地としてこの地に立ち寄った。平賀源内の生き神様として祀った碑もある。


武田鉄矢が語る江戸期の海運と経済と龍馬といろは丸
https://www.youtube.com/watch?v=79k8yWOKhF8  30分


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  鞆の浦絵図




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  船具店の前に、知られてはいないが日本最古の民家がある。



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 日本最古の民家 秀吉の頃という 学術調査が行われた




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 龍馬滞在地、隠れ部屋があった




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 平賀源内の生祠




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  街並み その1




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 街並み その2




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 岡本家長屋門  福山城から移築された



 神功皇后が上陸された地に渡守神社御旅所がある。


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 渡守神社御旅所



 山中鹿之助の首塚とその横には悲恋斧語りの「ささやき橋」があう。

 

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  山中鹿之助首塚




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  ささやき橋  少し道路に段差がある程度で気付きにくい



 コロナの影響がまだあり、対潮楼といろは丸展示館は土日の開館に制限をしており、内部を見ることはできなかった。
 


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  対潮楼  よく唱愛されて紹介されて有名な場所である、ここから眺める景色はすばらしいと評判




 龍馬の乗った「いろは丸」は鞆の浦近くの海域で紀州藩の船と衝突沈没した。



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  常夜灯といろは丸展示館(中央白い建物)



    2020-7-9




posted by 速魚 at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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