米中ソに翻弄されたアジア史

扶桑社刊

現在のカンボジア
小生がカンボジアのことで思い出されるのはアンコ−ルワット、ポルポトの大虐殺、シアヌ−ク殿下など散発的で断片的な知識である。 今回にこの本を読むまではカンボジアの本を読んだことはありません。 この本により少しは知ることになった。
『クメ−ル王国の時にはカンボジアは豊かでインドシナ半島の主要部を占めてタイやベトナムを圧倒していた。 アンコ−ルワットもこの時代に出来た。それは個人崇拝の施設であったがゆえにあの巨大な施設も忘れられてジャングルに埋もれたという。 隣のタイとベトナムがカンボジアへの進出により、大きな影響を受け現在のようなカンボジアになった。
幕末の頃1863年にカンボジアはフランスの植民地になる。 思っていたより遅かったようだ。 第2次大戦中にインドシナは日本に占領された。 1945年3月であったから敗戦濃厚な時期に仏印駐屯の日本軍1個師団が仏軍10個師団を制圧した。 この際に王宮から逃げ出していたシアヌ−ク国王を探し出して警護した。 その時の警備隊長が只熊力大尉であった。 日本軍の後押しでカンボジアは独立宣言を出す。 日本軍はその独立を維持するために義勇軍の創出を勧めた。 只熊さんたちは教育隊を作ってそれを支援する。その義勇軍の幹部たちが対フランス独立運動を主導し 1954年に独立を達成した。 只熊さんは敗戦後に帰国せずにカンボジアにとどまり独立運動に挺身する。日本兵700-800名余りが残留し供に戦ったという。1953年11月に司法権・警察権・軍事権を掌握して完全独立を果たす。これまでの闘争を只熊さんは支えた。それにこたえてカンボジアは日本への賠償を放棄した。』
小生はベトナム戦争時の記憶しかないので以上の事実はもちろん知らない。 当時の小生の記憶では、シアヌ−ク殿下は中国にかくまわれていた存在であった。
『 カンボジアの内戦混乱の一因はシアヌ−クにありと本書は言う。 1955年ジュネ−ブ協定により総選挙が行われた。これに先立ちシアヌ−クは突然に国王を退位する。 彼は選挙では翼賛団体を立ち上げ圧倒的に勝利して総理大臣に就任する。 独立を共に戦った民主党の政治家と敵対した。政党政治をつぶした。』
この後の混乱ぶりは、まとめきらないこともありここでは書かない。 本書をごらんください。 ベトナムやインドネシアの残留日本兵の活躍は少しは知られているが、カンボジアは歴史から消されている。

クメ−ル王朝 802-1431
著者3人による対談 チャンネルくらら 2020-9-26
https://www.youtube.com/watch?v=VNXyk_UtU10 17分
https://www.youtube.com/watch?v=Lq0Beb95l7U
2020-10-14
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