2022年01月18日

ソクラテスの死  塩野七生さんによる




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 「ソクラテスの死」については、はっきりとした記憶が無い、高校の倫理社会の時間に学んだのであろうか。 単に「悪法なれどもそれに殉じた死」であったのか、得心のいかないものをずっと老年になるまで持っていた。

 昨年末に1か月余り入院する時があり、新刊を買って以来放置していた塩野さんの「ギリシャ人の物語V」を読み終えた。その死が少しは分かった気がしている。

 当時のアテネの裁判は500人の市民による裁判員裁判であった。死刑の判決を受けても厳しく執行されるものではなく、国外退去すれば逃れることもでき、裁判自体も強弁することが無ければ減刑なり無罪なりの判決を得ることができた。 従いソクラテスは確固とした信条・信念によりこの裁判に対処し死刑の判決を得たものと思われる。

 アテネで紀元前399年に行われたソクラテスを裁く裁判で、ソクラテスを告発した側の言い分は次のようなものであった。「国の認める神々を尊重せず、アテネの青年たちに害毒をおよぼした」 それは彼を死に追いやるような告発ではないと分かる。


 大衆は怖いもので、ペルシャに勝利したデミストテレスでさえ救国の英雄をその嫉妬心から敵国に追いやってしまった。 平等の権利を持ち自由な精神を持つ大衆が無ければギリシャの哲学や芸術は起きなかったけれど、それはアテネの交易による発展の上に成り立っていた。

 スパルタとの抗争でアテネは形勢が悪くなると経済も悪化し不安な気持ちが市民に蔓延した。「もはや自分たちには自分の運命を決める力はないという冷酷な現実は、それが可能と思い込んでいた時代を経験しているアテネの人にとっては耐え難く、憤懣やるかたないの心境であった」この空気の中でソクラテス裁判は起こる。ソクラテスは罪状は認めないが、徴兵に従い公務員まで務めた市民として責務か欠かさなかった。  衆愚が始まりそのイライラとした市民の気分がソクラテスを死に追いやることになる。 「ソクラテスは思索と言動と表現の自由というアテネ人が想像した理念を貫き通し、それにどう幕を引くか。 彼の死に方を見せることは師が弟子に与える最上の教えであった。」「あのような罪を着せられて死なねばならないことを逆手にとって、彼の哲学を完成させた」


アテネの興隆するときでも、良きリーダーが大衆を率いていかなければ機能しなかった。「民主主義・デモクラツイアには良き指導者を不可欠とする」ものでないのか。大衆の意見をくみ上げれば良いというものではない。嫉妬や不満の気分がその意見に反映されやすいものと知るべきであろう。 いつも大衆は愚であるとは思わないが、壊れやすいものとして運営しなければ、効率のよく見える専制主義の被害を受けることになる。


 アテネの繁栄は70年の短い期間であった。わが人生より短いのかと驚きではある。 アテネの経済的な没落と共にソクラテスは死しギリシャ文明も終焉を迎えるのである。


 20代の時に岩波文庫の多くのプラトンを読んだけれど、この老年になって何も残っておらず。 ソクラテスの死も哲学的な問題として、と言うと小生には手に負えないのかもしれませんが、アテネの経済と凋落とから塩野さんのように述べられると少しわかったような気がしています。



   2022-1-18




posted by 速魚 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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