ギリシャ人の物語V 塩野七生さんによる
紀元前336-332 (以下図表は塩野さんの著書による)
アレキサンドロスは父親のフィリッポスが無ければ存在しない。 父がギリシャの覇権を握り、その子アレキサンドロスには武人としてのスパルタ教育、アリストテレスを招聘しての教育により成った。、その哲人は下記の方針でアレキサンドロスを教育した。
第1に先人たちが何を考え、どう行動したかを学ぶ。
第2は日々にもたらされる情報に対して偏見無く冷静に受け止める姿勢の確立。
第3は第1と第2に基いて、自分の頭で考えて意志により冷徹に判断したうえで実行に持っていく能力の向上を教えた。
アレキサンドロスはギリシャの覇権を土台にして東方の大国ペルシャへ向かっていくことができた。 いわば当時のギリシャの地で花開いた最高の知性とボデイをアレキサンドロスには吹き込まれた。
単なる天才は稀に生まれるかもしれないが、その素材の上に最高の教育で育てられた人物は歴史的にも稀であろう。 日本の例では、戦闘の天才・義経がありといえども、その失敗は、彼にやさしい兄に恵まれなかったという話ではない、義経の知性がその時代成り立つ趨勢が読めなかったということ。 単なる天才に終わったということだ。
アレクサンドロス年表
前356 フィリッポスの子として誕生
前343−340頃 レオニダスによる訓練とアリストテレスによる教育
前338 カイロネア会戦 マケドニア大勝、テーベとアテネ軍敗れる
前336 父フィリッポス暗殺される
前334 グラニコスの会戦、 イオニア地方の回復
前333 イッソスの会戦、 ダリウス敵前逃亡
前332 テイロス攻防戦
前331 エジプト入り,無血制覇
ガウガメラの会戦までの行軍図
前331 10月 ガウガメラの会戦、 ダリウス再び逃亡
前326 ヒダスペスの会戦、インド王ポロスとの戦い
ヒダスペスの会戦とスーザへの帰還
前324 合同結婚式挙行
前323 アレキサンドロス死す
アテネやスパルタの重装歩兵は市民権を持った特定の少数の階層からなっていた、それゆえにポリスを守る強い使命を持った精鋭になっていた。父フィリッポスはこれを長い槍を持つ農民よりなるファランクスに訓練し、当時ではより強い歩兵へと改革した。
アレキサンドロスはファランクスの歩兵と共に騎兵の用法で、すなわち、戦闘の勝敗は、騎兵が先陣を切り、速攻に次ぐ速攻により戦場での主導権を得て、そのご歩兵との連帯による展開によりペルシャに勝利した。 また、戦闘時間の短縮で犠牲者を少なくし、兵士が犬死しなくて良いと得心させてリーダ−の価値を高めた。アレクサンドロスの考えるリ−ダ−とは、部下たちの模範にならねばならない存在であり、率先してリスクを冒している様を見せることで、モデルと納得させる存在でなければならなかった。
理想的なリ−ダ−に率いられたマケドニア兵は広大なペルシャの領土を勝ち取った。 東征から帰還したスーサにて彼は云う。「ヨ―ロッパもアジアも、今では一つの国になったのだ。きみたち全員は、わたしの同国人であり、わたしの兵士であり、わたしの友人でもある。そこで誰もが,同等の権利を享受し、同等の義務を負う。きみたち全員は、一人の王の許で、共に平和に生きていく運命を共有するようになったのだ。」とアレキサンドロスは言った。
後世にインドまで行ったアレキサンドロスとして有名ではあるが、それはペルシャが大帝国であったということに過ぎないことが分かった。 ギリシャにとっては長年のペルシャによる圧迫をアテネやスパルタ、テ−ベの覇権によっても解決できずに、 マケドニアのギリシャ覇権の確立の上に大天才アレキサンドロスの誕生によって跳ねのけたといえる。 大天才はそれまでのギリシャ文明が彼を育てたとも言える。 アテネやスパルタの文化の上に。
2022-1-29
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