
赤丸は2回の停泊地 青丸はお勧め停泊地、 温泉津と沖泊、 付近の3つの城跡
温泉津の温泉はヨットマンにも良く知られていて、山陰へクル−ズに行くと話すと温泉津への訪問を勧められます。 20代のはるか昔にいったことがあるので温泉のことは既に知っていました。 今回は隠岐への巡航で2回行き帰りここを訪ねる。 最初は温泉津港灯台を過ぎてホンダワラが絡み減速を強いられた入港となった。湾奥の漁協近くの防波堤の先に着岸した。そこで潜ってホンダワラの除去を行なった。 南寄りの風でここはウネリが入った。 帰りは入り口近くの物揚岸壁に着岸した。 温泉津は泊地に悩むところであるが、漁協との相談の上物揚岸壁と漁協岸壁の間にある防波堤の内側がウネリも防ぎ良い係留地になると思われる。 そこは漁具がたくさん置いてあるようですが、着けてもよいということです。 地図の青丸の位置。

ホンダワラを取り除いた

1回目の停泊地

2回目の停泊、 後ろはジャリの積み出しをしている
沖泊湊、 鶴丸城、櫛山城、笹島城
帰る間際になって、近くに城跡があることを知り。探して見た。ここは毛利氏の時代に石見銀山の銀を積み出す港に使われていた。 そこは現在の温泉津港ではなく湾先にある沖泊湊になる。
2回目に係留した物揚岸壁からトンネルを抜けて徒歩5分の近くに沖泊湊がある。 そこには細工の手の込んだ飾りがある恵比寿神社があった。それを見た時には、それが打ち捨てられたような集落にふさわしくないように思えた。ここが銀の積み出し湊であったことを知れば、往時の盛況さゆえに、その神社はここに在るのは納得のいくものである。
温泉の入り口に内藤家・庄屋屋敷がある。 関ケ原合戦の敗戦により毛利家が30万石に減封になった時に、ここの管理を担されていた内藤家は土着して庄屋を務めた。

内藤家 庄屋屋敷

恵比寿神社
日本は江戸時代の前期の最盛期には世界の銀の産出量の1/3を算出した。その大部分を石見銀山が占めたという。大内・尼子・毛利とこの銀山を取るのに戦い、最終的には毛利氏に銀山は属した。 毛利氏はここを守るために内藤氏に鶴丸城を築かせた。
下図のように、鶴丸城跡は温泉津港灯台のある岬にある。櫛島にある櫛山城と鶴丸城、また入り口の対岸にある笹島城の3つでこの沖泊を守っていた。いずれも時間的な制約があり、訪ねることができなかった。
沖泊はヨット泊地として訪ねたいところである。櫛島の東側Aに小さい防波堤がありその内側にはつけられそうである。 錨泊や槍着けならもっとできそうである。 2回目の訪問ならここへ行けば良かったと思う。 年齢的にはもう無理そうなので、 若い方のここの訪問記でも読みたいものです。

城跡と沖泊 赤丸はヨット停泊候補地 AとB

恵比寿神社近くの停泊候補地 B
2022-8-21
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