
横瀬浦
五島の奈良尾より横瀬浦にヨットで寄港する。
ここで潮待をし、西海橋を抜け大村に向かった。
平戸で貿易をしていたポルトガル人が平戸で暴動が発生したのでそこでの貿易を拒絶した。大村純忠と交渉して、ここ横瀬浦での対日貿易を再開することになった。
銅像が建っているルイス・フロイスはここに上陸して布教活動をした。 大村純忠はこの地で入信しキリシタン大名になる。 その後、横瀬浦は大村の家争いで後藤貴明により、ここは焼き討ちにあう。 ここより長崎に貿易港は移ることになった。

南蛮船渡来地 石碑

ルイス・フロイス像 「日本史」を著作
横瀬浦 ヨット泊地
佐世保と連絡船が行き来しており、横波を立てるので動揺が大きい。 フェンダ−を十分に用意すること。
岸壁に階段が2か所ほどあり、そこへ停泊をした。

赤丸は停泊地、 青丸は候補地

階段付近に係留、 奥には連絡船桟橋がある
2022-12-11
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