
市来鶴丸城と伊集院城の地図
一宇治城はJR伊集院駅のすぐ近くの城山公園にあり、市来鶴丸城はJR東市来駅より徒歩10分にある日置市東市来支所近くにある。
一宇治城 (伊集院城)
JR伊集院駅を降りるとすぐに城山が見え、迷うこともないであろう。 観光案内所もロータリ―横にある。
鎌倉時代に伊集院氏により築城。その後島津配下の城となる。1545年(天文14年)、島津家中の統一を目指していた島津忠良・貴久親子は先祖代々の居城であったが薩摩国西部にあり不便であった伊作城から、薩摩国中央部にあるこの城に拠点を移し、鹿児島の制圧を目指す。貴久は大隅と日向をを加えて家中の統一を果たす。1550年に鹿児島の内城へ写した。
1549年に貴久とザビエルがここで対面し布教が許された。
城の縄張りは「神明城」(本丸) 「伊作城」「中尾曲輪」「釣瓶城」「弓場城」「護摩所」「南之城」「上平城」など、大小30個あまりの曲輪で構築された。

桜の時期であったので花見の宴が見られた。

登城口

ザビエル像

曲輪と空堀
城という名の郭は堀を挟んで独立しており、公園として芝生を植えてよく整備されている。 案内板もあり曲輪を見ることが出来る。
市来鶴丸城
市来鶴丸城は市来氏によって築かれた城です。市来氏は市来家親の代に島津立久によって滅ぼされ、以後は島津氏の所領となります。戦国時代になると島津宗家と対立していた薩州家の島津実久が占拠しましたが、1539年(天文8年)に島津忠良・貴久父子が攻略すると、伊集院忠朗、のちに新納康久が城主をつとめました。なお康久が城主の1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルがこの地を訪れ布教活動をしています。
市来鶴丸城は鶴丸小学校の裏にある。


春日神社、 登城口がある、登城路は整備されている

ザビエルと家老ミゲル、 赤い屋根は小学校
ザビエルは10日ほど布教したという。 鹿児島で説教を聞いた家老ミゲルが感動してここ鶴丸城へ案内したという。ザビエルはこの後平戸へ行った。

主郭
2023-8-9
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