
土佐くろしお鉄道は中村―宿毛、御免―奈半利と分断して高知県の西部と東部を運行している。 37番岩本寺へ行くのに、土佐くろしお鉄道の宿毛・中村線、土佐佐賀より窪川往復を乗車した。 後で気が付いたのであるが地図にあるようにこの線はループした路線があるようだ。ほぼトンネルということで乗っていてもその事実を知らなければ気が付かない。また窪川駅は宇和島へ行く予土線の接続駅でもある。

予土線、 宇和島行き、 新幹線を模したユニークな車両

窪川周辺図
37番岩本寺の参詣を終えて、観光案内所にて街並みでも見て廻ろうとレンタサイクルを借りた。 谷干城の誕生地を訪ねるべくグーグルマップに従い予土線と川岸沿って30分も走った。 とても着きそうもないので、民家を訪ねていた業者に不安になりそこを尋ねた。谷干城は川向うの国道・県道381を戻るようである。これだからグーグルマップは注意して使わなくてはならない。 若井大橋を渡るときに眼下に若井沈下橋を見る。 この川は四万十川の上流であった。

四万十川と若井沈下橋

陸軍中将・谷干城像、 戊辰戦争で活躍し、 熊本城で西郷軍を足止めした。

谷干城 生誕地
mac窪川店の駐車場の一角にある。

旧都築半平別邸
1822年(文政5年)土佐藩はこの地方の開発のため、身分や職業の制限を撤回して開墾者を募集した。それに芸西村和食の都築家の次男の半平が窪川に移住して新田開発に取り組んだ。その後、半平は酒造業や水産業などの実業家として成功を収めた、

茂串城・窪川城 案内板
1500年頃鎌倉から来た山内氏が窪川氏を名乗る。長曾我部氏の配下となり文禄の役で戦死し断絶した。 岩本寺の奥の山に城は有るのであるが登り口が分からずに行くのを断念した。
2024-8-1
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