山内一豊が土佐一国24万2千石を与えられて浦戸城に入った。一豊は関ヶ原の戦いでの罪人とされ、京都で蟄居処分となっていた百々綱家(旧織田秀信家老)の赦免と雇用を徳川家康に嘆願し、これが認められた。一豊と同郷近江の出身の百々は石垣技術に優れた近江穴太衆を配下に持ち、築城技術に優れていたと伝わる。6千石で召し抱えた百々を総奉行に任じ、築城と城下町整備の全権を委ねた。
想像していたよりもこじんまりした印象を受けた。外様ゆえに遠慮したのかもしれない。 天守と言い本丸御殿っと言い現存しているので一度は見ておくお城と云えよう。

高知城図

追手門

詰門

雨の多いところゆえに石垣を守るための雨樋

天守、 4重6階、 重文
享保12年(1727年)に焼失し、延享4年(1747年)に焼失以前のものを忠実に復元されたもの。

天守から本丸を覗く

懐徳館・本丸御殿 書院の間

黒鉄門

搦手門
2024-8-7
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