泰ノ山城
文治5年・1189年に築城。泰ノ山は高さ289mで付近の忽那七島を一望する。北に安芸灘越に安芸の島々を見、広島を見通す。伊予・周防・安芸をまたぎする瀬戸内水運の関となり、西瀬戸の制海権を掌握する位置になる。 南北朝時代には瀬戸内最強の水軍になる。
今回は訪ねることが出来なかった。 忽那水軍は中島に荒天避難のために予定外の停泊をするまで、ノーマークであった。本も2冊手に入れたので読んで機会があれば再訪したいものです。
泰ノ山城、 再訪

泰ノ山城 周辺図
前回からの書き足しで、文治5年(1189年)に忽那氏5代の兼平が築城し、天正13年(1585年)、小早川軍の攻略までの約400年間、忽那水軍の拠城であった。
1日200円のレンタサイクルで途中の長善寺で自転車を置き、そこから徒歩30分の登り路を行く。泰ノ山山頂から南西に下ったところが城跡のようだ。 ミカン畑といっても傾斜地でこのあたり全ては栽培地になっていた。

案内板
腰曲輪と井戸と城壁の石垣があるというけれど、見つけることができなかった。南北に望めば倉橋島や大浦湾が見通すことが出来て船の通航監視にはふさわしい場所である。

長善寺

大浦を望む

倉橋島方面を望む
2024-11-18
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