津和知島
二神島より高速船に乗り津和知島へ来る。帰りはフェリ−にて元怒和へ渡る。

津和知島 周辺図
津和知島は遣隋唐使の時代から風待ちの湊である。 現地に行ってみると北東風の強風にはここは少し弱い印象を受けた。その時には対岸の元怒和へ逃げれば良いようにも思われる。

中世・近世の航路図
松山藩が寛永13年(1636年)、直営の公儀接待所として設けた「お茶屋」跡が診療所の裏にある。そこは津和地湾のほぼ中央に位置し、面積は1423.17平方メートルある。広さ89畳半の「お茶屋」、41畳の御長屋などの宿泊・接待施設をもち、津和地瀬戸を上下向していた長崎奉行以下幕府公儀役人の接待や西国大名の便宜を図っていたとある。

お茶屋跡
海岸沿いに徒歩にて南下15分ほどで津和知八幡神社に着いた。 なんと八幡神社の多いことよ。海上安全と豊漁を願うので他の島にもあるのは当然か。

津和知八幡神社
津和知島 ヨット泊地
高速船ポンツ−ンが利用できる。 時刻表で入港時期を調べておくと良い。 停泊時間は短くて着いて5分もすれば次に向かいますが。
徒歩10分位の新港がある。ポンツーンと岸壁が候補地になるが、風向きによりウネリが入るようである。お店は見当たらないので買い物は不便でしょう。

青丸は候補地、 お茶屋跡

高速船ポンツ−ン

新港の階段のある岸壁、 うねりに注意
2024-12-12
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