五時台の早朝のフェリーにて中島より瀬木戸海峡を抜け、 まだ、夜の空けない睦月島へ行く。 日の出を見ながら睦月島の東半分を歩いて梅の子本城と砦へ向かった。 帰りは高速船で芋子瀬戸を通り野忽那島経由で中島へ戻る。

睦月島 周辺図
湊から海岸沿いを東へ歩く。 玄関が木の門のような特有の造りの街並みが続く。

武家屋敷のような玄関戸、 他の忽那の島々では気に留めることはなかった

睦月島の日の出
梅の子本城 と 砦
徒歩で東海岸沿いを進んだが、梅の木本城の登り口の案内が見つからずに行けなかった。マップでその下から中島を望んだ。
遺構の残存状態は非常によく、瀬戸内海地方の中世山城の構造を窺い知ることができる遺跡である。松山市のHPにそのように書いてあるけれど、それならチャントそこへ行ける案内を掲示してほしいものです。
梅の木砦も道路から下へ降りて行っていない。

梅の子本城下より忽那島・中島の大浦、黒岩城、泰ノ山城を望む

梅の子砦
睦月島 ヨット泊地
睦月島のヨット停泊地は連絡船ポンツ−ンしか見当たらない。 高速船は海側を利用するようで、反対側の陸側なら候補地になるだろう。 時刻表を調べて着岸時刻を知っておく必要あり。

青丸が候補地
北東風が強風の時は注意が必要である。

手前側の連絡船ポンツーンが停泊候補地
2024-12-16
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