2024年12月28日

義経はチンギス・ハーンだった   田中英道




yositune 20.jpg
       文芸社刊

  かって読んだことがある司馬さんの本の義経には、このジンギスカン説は述べられて無い。 国費留学生として欧州に行き、老生あこがれのフィレンツエやヴェネツイアで美術を研鑚された作者の田中英道さんが今回の説を本にされた。

 この説はあのシーボルトが著書「日本」にて「義経・チンギス・ハーン説」を紹介しているという。 シ−ボルトが中国で見た碑文には「兄の怒りを買い満州・モンゴルに逃れてチンギス・ハーンが国を成した」と書かれていたと云う。 こういう決定的な物的証拠が見つかれば論争に終止符を打つのであるが..... 見つかってはいない。

 田中さんがあげる3点

1. 「義経とチンギス・ハーンの似顔絵が美術研究家の彼が見ても同一人物である」

2. 「テムジンという名は義経が自信を天神と名乗ったことから来ている」

   菅原道真の運命に重ね合わせて義経が名乗った。

3. チンギス・ハーンの名前の由来は「吉野に成りて 水干を思う」

   静御前の義経への歌 「しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」

  静御前は男性の平安装束の水干で舞う白拍子の名手である。その義経の返歌は「吉野に成りて 水干を思う」 「私は吉野に逃れたが、離れた静のことを思う」である。成吉思汗はまさに「なすよしもがな」と読める。



 

yositune 30.jpg
 平泉・30歳の義経と60歳のチンギス・ハーン

  

  https://www.youtube.com/watch?v=wuvuxlC2TzA  76分



 
yositun 13.jpg
 義経の逃走経路



  北海道には義経蝦夷渡伝説があるという


yositune 35.jpg
 アイヌ風俗絵馬の記述によると、奉納されたのは安永4年(1775)。笹りんどうの武具紋を着けた義経とアイヌ





yositune 15.jpg
 大陸での移動ルート



       2024-12-28

posted by 速魚 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/191193790
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック