2025年01月18日

ロシアのユダヤ自治州



  

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  ロシアのユダヤ自治州



 昨日・15日にイスラエルはパレステイナでの停戦合意を発表しました。 これで新しい平和の動きが進展するとよいですね。20世紀に入ってユダヤの大きな問題が起きています。100年経っても解決になるのは難しい。

 ロシアにと云うかソ連からあったのであろうがユダヤ自治州がありました。 なぜここが存在したのか、過去にナチから日本に逃れるべきユダヤ人が取り残されてしまった人々なのか、第2次大戦後にイスラエル建国後にはどうなったのか、はたまた、最近のウクライナ戦争でここから徴兵されて動員されているのか、分からないことばかりです。 今はロシアに取材に簡単に行けそうもない時期ですのでこれらのことごとに関心を持ってマスコミの取材も期待できません。 うわべのことしか分かりませんが小生はここに採り上げてみました。

 ウイキより、「ロシア連邦を構成する唯一の自治州。首都はビロビジャン。極東連邦管区に位置する。面積3万6000平方キロメートルで、2017年1月1日の人口は16万4217人[1]。民族構成はロシア人、ウクライナ人が多く、ユダヤ人は全体の1%強に過ぎない。鉱業、林業、農業が主要産業。1928年、ヨシフ・スターリンの社会主義民族政策により、アムール川沿岸の中ソ国境地帯にユダヤ民族区が設置され、西ウクライナから西ベラルーシ(ベラルーシ語版)にまたがるルテニア(ウクライナ語版)[注釈 1]と呼ばれた地域(カルパティア・ルテニア(カルパト・ウクライナ)・ガリツィア(ガリツィア・ロドメリア王国)・モルダヴィア・ベッサラビアなどの各地域)にあったユダヤ人コミュニティ(シュテットル)から多数のユダヤ人が移住した。」

 ロシア革命自体ユダヤ人が大きく関与していたというお話は最近のDS・デイ−プステ−トがらみで耳にするけれども、小生にはお題目を知っているのみだ。 革命前のロシアにはユダヤ人弾圧のポグロムの歴史がある。 最初はクリミアにユダヤ人共同体を建設したけれども失敗に終わる。それ以降にシベリアのこの地に移ったようである。 現在は人口の1%のみを占めるというから、ここも名のみで実態を反映しているわけではないようだ。

 かっての日本にも河豚計画(ふぐけいかく)があった。1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画である。1934年に鮎川義介が提唱した計画に始まるとされ、1938年の五相会議で政府の方針として定まった。実務面では、陸軍大佐安江仙弘、海軍大佐犬塚惟重らが主導した。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満洲国に招き入れ、自治区を建設する計画であったが、ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチ党との友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独ともに対外戦争を開始したことによって実現性が無くなり頓挫した。


  犬塚是重     上海特務機関長の3年
                  

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  海軍の唯一のユダヤ研究家であり、上海特務機関長として、大戦前の3年間にわたりユダヤ工作に従事し、ユダヤ人から感謝されました。 明石元二郎は国の豊富予算で動きましたが、犬塚はこのために昇進をあきらめて現役を退き私財・退職金の1万円をユダヤのために使いました。


 ドイツ・ナチ派の軍人や総選挙で最高票で代議士に当選した四天王陸軍中将にユダヤ人排除・殺戮をするようすすめられましたが、人道・武士道に反すると断固拒否しました。 結局は、犬塚を追い落とすために、根も葉もないデマで嫌疑を受けたり、人事に陥入されて、最後は現役復帰でこの特務機関長職を辞すことになった。  敗戦後に戦犯容疑で逮捕されましたが、上海のこともあり不起訴で釈放された。

 杉原千畝のビザ発行が有名ですが、それよりも前に犬塚大佐はユダヤの神学生200人の日本通過ビザの発給をリトアニアの杉原千畝に合法的にさせました。 それを聞いてユダヤ人がますますリトアニアに殺到することになります。 杉原千畝はこの先例があり、人道上の個人的な判断からその後に起きたビザ発給です。 犬塚大佐の場合は、上海で実務的にユダヤ問題に実行対処してきたことからの判断・考えによる違いがあります。

 

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  犬塚・新明きよ子著

 上書の著者・新明きよ子さんは戦後結婚して犬塚きよ子になるのですが、新聞記者をしていてユダヤ人のことに興味を持ち、海軍軍令部を訪ねて犬塚大佐に会います。その時にナチスのように排斥一本鎗ではなく、ユダヤ禍への対策を立てるとともに、彼らをまつろわせて救う道を講じるのが日本の解決策であると彼の話を聞きました。

 陸軍の安江仙弘大佐と海軍の犬塚是重大佐、この両人しか旧軍にはユダヤ専門家はいなかった。どちらも戦後のイスラエルから尊敬を受けています。 ナチと同じようにならなくて幸いでした。

 犬塚大佐は連合艦隊司令長官の山本五十六とラバウルでしんみりと語り合うことがあり、戦局を案ずる長官に、持論のアメリカ・ユダヤを動かしての和平工作案を進言したという。それは名案だ、帰京して軍令部に提案してくれと。その上申案の作成中に長官戦死の報があった。ついに日の目をみることはなかった。惜しまれます。

  戦後に彼を日和見主義者であったと非難する人もいます。ユダヤ工作の一番の目的は国益です。どこにも行くところがなくなったユダヤ人に対して、英国はパレステイナに上陸しようとした避難民に機関銃掃射さえしています。今の欧州に殺到している避難民の状況とは比べようもない状況です。米国もほとんど受け入れしていません。 上海にしか安住の地はなかったでしょう。そこでユダヤ人を3万人ほど保護しました。

 この書を読めばそのような人柄でないとわかるはずです。著者のきよ子さんは、いわばユダヤ研究の同志というような方です。奥さんが亭主のことを書いた文と勘違いなさらぬように。まぎれもない1次資料です。 おすすめいたします。

                           2015-11-19  再掲




     2025-1-18




posted by 速魚 at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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