2025年01月31日

ヴィトルト・ピレツキ  アウシュビッツに潜入した男


 


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 Witold Pilecki  1901-1948





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 アウシュビッツの門、 働けば自由になる




 NHKのBSドキュメンタリ−「アウシュビッツに潜入した男」を見て。ヴィトルト・ピレツキの人となりを知った。 彼はあのアウシュヴィッツ強制収容所に自ら潜入し所内で抵抗組織を作り、解放を計画するが連合国の協力が得られず、所内の内情を報告すべき脱獄に成功する。 その後に秘密抵抗組織に加わりワルシャワ蜂起に加わり活躍する。 蜂起が鎮圧されてドイツ国防軍に降伏して収容所に投獄されたが処刑されずに、米軍により解放された。 戦後は伊のアンコ−ナにあったポ−ランド第2軍諜報部に配属される。 ソ連占領下のポ−ランドの調査のためにワルシャワへ行く。 ポ−ランド公安省に身元がばれて国外退去が命じられ拒否する。しかし。逮捕されてアウシュビッツ以上の拷問を受け、見せしめの裁判による死刑宣告を受け処刑された。 冷戦終結後の1990年に名誉回復されて彼は最高勲章を与えられる。


 ドイツはソ連とポ−ランド分割を秘密協定した後に侵攻して半分を占領した。 すぐにドイツは地主、聖職者、公務員、教師、医師、歯科医師、ジャーナリストなどの知識層はポーランド人であるかユダヤ人であるかに関わらず大量虐殺行為によって殺害されたか、刑務所や強制収容所に送られた。そのためのアウシュビッツ収容所を造営して、最初はポ−ランド人を収容する。 人狩りによって収容してきた者の中で、指導者になりそうなポ−ランド人は即刻処刑、他の者は3か月以内に死亡させるように労働酷使した。 また、ソ連もカチンの森の虐殺のように同様のことを行う。 300万人の非ユダヤ系ポーランド人が、第二次世界大戦の渦中で命を落とした。大半は民間人であった。彼らはナチス・ドイツ軍とソビエト連邦軍によって殺害された。 ポーランドは終戦までに、医師の45%、裁判官・弁護士の57%、教師の15%、大学教授の40%、高級技師の50%、初級・中級技師の30%、聖職者の18%を失ったとされている。小生はこの事実を知らなかったがユダヤ人のみが大量虐殺されたのでは無いようです。 いかに他国に占領されると大きな被害を受けるのかを知るべきであろう。



 独ソ戦後は、ドイツはアウシュビッツで毒ガスにより効率よく殺せるようにソ連人捕虜を使い実験した。 その後ここへユダヤ人を収容して効率的な虐殺工場へアウシュビッツを運営した。 ここに到着した列車から降ろされたユダヤ人は老人・こども・女性は即ガス室送りとなった。 これは映画などの場面で何度も目にしている。 

 黙って家畜のごとく殺されていくユダヤ人の印象であったが、彼の収容されていた時期には秘密組織が組織されて連合f軍との解放作戦が計画されていたのを知った。彼は脱獄までに連合国のこの作戦は実行されなかった。 早くからこの収容所の実態は彼が報告していたことから連合国はアウシュビッツの虐殺行為の事実を知っていたのである。 また、ここ近くまで迫ったソ連軍も立ち止まっていた。 彼が参戦したワルシャワ蜂起はソ連軍に無視されて成功することは無かった。彼はアウシュヴィッツ脱獄後にパルチザンに加わり抵抗したが、ポ−ランドはソ連の傀儡国になったので報われることも無く処刑された。



  少数のユダヤの子供たちが賢く立ちまわって生き延びたことがあった番組を小生は見たことがあります。 ユダヤ人の収容所での抵抗運動も最近目にするようになった。 ただ、ユダヤ人が黙止して死を待つだけではなかったようだ。 ピレツキのような人が存在したのには驚くばかりであった。 この番組を見て何か久しぶりの感動を覚えた、とても自分に出来ることでは無いが力をもらったような気がした。



   https://www.youtube.com/shorts/UaDh7ckPuPQ





      2025 -1-31



posted by 速魚 at 06:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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