産経新聞出版刊
ル−ズベルト大統領が欧州戦線への参戦目的を達するために日本を追い詰めた、 そのせいで最初に日本が引き金を引くことになり、真珠湾を攻撃した。米国政府は国民に向けてが大儀を得て開戦する。 明らかになり始めているこの陰謀は見事に成功した。 日本は望まぬ米国との戦争を、天皇と大統領の直接会談において回避できる可能性はあったが、時の政治首脳がそれを回避決断することができなかった。
幕末のぺりーの砲艦外交に屈して以来、日本は植民地化を避けるべく近代化と武装化に務めてきた。それの成功と失敗の結末が先の敗戦である。 下記の全文の当た箇所をお読みください。
日本軍最後の突撃の際に下記の1通の手紙を託した。
本書では著者が下記のご遺族を訪ねて丹念に取材している。 遺族のご子息が戦後の1975年にこの原書を発見されている奇跡があった。 また、本書でこれを翻訳したハワイ日系性の兵による事実も明らかになった。 一読をお勧めいたします。
硫黄島の戦いにて守備兵力20,933名のうち95%の19,900名が戦死あるいは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が日本軍を上回った硫黄島の戦いである。
市丸利之助 明治24(1891)年3月7日佐賀県唐津市の農家に生まれ、昭20(1945)年3月26日 硫黄島にて戦死 (54歳)
この手紙をしたためた海軍少将。 陸軍側は栗林忠道中将を最高指揮官とすることは良く知られている。
村上治重 手紙を腹に巻き死して届けた通信参謀。ご子息がこれを米国で発見された。村上海賊に縁があるという
三上弘信 手紙を翻訳した日系二世の二等兵曹
ルーズベルトに与ふる書 全文
2026-3-2