八倉比賣神社とタタリ谷常厳寺の周辺図
JR蔵本駅より徳島大学病院の中を抜けるとタタリ谷常厳寺が徒歩10分位で行ける。その常厳寺は法谷寺の奥の院として建てられたが社屋は無く,荒廃した感がある。
2023年に一度タタリ谷を訪れたが、聖徳太子の墓のあるという場所へは雨天であったので、スベリやすそうな山路を奥へ入るのをタメライ行くことが出来なかった。今回再トライしてみた。
石門のような入り口
阿波の青石が積まれている
聖徳太子のお墓と云われている
ここで>聖徳太子の生誕地を採り上げている。聖徳太子は上宮太子とも呼ばれていました。 上宮(かみつみや)は、聖徳太子の居所を表しています。鮎喰川を挟んで対岸の気延庄に、聖徳太子の上宮があった。大御和神社あたりにその門があったという。気延山といえば、説卑弥呼伝説や天照大神伝のある神秘の場所である
救世山峯薬師別当法谷寺は聖徳太子の側近、秦河勝が開山したという。587年(用明天皇2年)に聖徳太子が12体刻んだ薬師如来のひとつを彼にに命じてこの地に安置したのが始まりとする説がある。 寺宝の二つの像「百済仏」と「救世観音」は江戸時代に所在不明となり、明治時代になって美術家の岡倉天心やロザノフによって奈良の法隆寺で発見されている。 607年に聖徳太子の開基創建と伝えられている奈良法隆寺の本社は、この救世山峯楽師(現 法谷寺)であり、607年に聖徳太子が創健したのはこの寺である。ゆえに法谷寺は法隆寺のの元寺ともいわれる。 最近は地元では厄除け寺として知られている。
日本書紀の用明天皇二年四月条にみえる豊国法師(とよくにほうし)。そんな豊国法師をはじめ、聖徳太子・その父である用明天皇、崇峻天皇を弔いしている寺がこの法谷寺なのである。
2026-5-21
【日記の最新記事】