2013年08月25日

ソ連の北海道分断を救った人々


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  樋口季一郎閣下


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  赤丸がシムシル島

    

 今から68年前の1945年8月22日に北方軍は武装解除することになりました。終戦後にソ連は千島と北海道の北半分を要求して日本に侵攻した。北方軍司令官の樋口季一朗の命令により、終戦以降にもかかわらず断固反撃を命じた。その命により占守島では上陸してきたソ連軍を断固として痛撃しました。それで侵攻を遅らせることができた。幸いにもアメリカがソ連の北海道の領有を認めなかったので、北海道は分断されずに済みました。 日本軍はどこでもやった終戦後の速やかな武装解除に応じて、みすみすソ連の進駐占領を許していたら、それが既成事実化してしまい、アメリカは北海道のソ連領有を押し切られていたでしょう。誠に戦後でも戦ってくれた軍人の方に感謝せずにはいられません。名も残さないで血を流して守ってくれた下級兵士の人々がいたのです。
 他にも樋口季一朗さんはキスカ島の奇跡の撤退作戦を進言し成功させました。あのリトアニアでユダヤ人にパスポートを発行した杉浦千畝さんの2年前に、オトポール事件と言われるユダヤ人救出に尽力しました。すべて彼の個人的な決断です。彼がそこにいなかったらどうなっていたかわかりません。ソ連が彼を戦犯として差し出せとの要求も、感謝されたユダヤ人の力で抑えました。
  樋口さんは淡路島の廻船問屋の出身の人で、奇しくも司馬さんの”菜の花の沖””の高田屋嘉兵衛と同じ出です。日本のために北海道のために後押しがあったのかもしれませんね.

      2013-8-25

    
   ソフィン戦争
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#ソフィン戦争
   上原良司氏の特攻
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#上原の特攻
   アルゼンチン海軍士官の見た日本海海戦
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1016.html#アルゼンチン士官


posted by 速魚 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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