2013年11月17日

映画 清州会議 その2 信長の子供たち

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 織田秀信・三法師

織田信成さんはスケートで最後の頑張りをしています。信長の子孫であると聞いて、信長の肖像画に確かに似ているので、遺伝子の怖さを感じるほどです。でも世の中には疑っている人がすぐ現れます。本当に嫉妬の民族ですね。

 子供たちのその後を調べてみました。ウエブだけのものですからご参考程度にしてください。
明治まで続いた大名は信勝で五万石ほどです。あとは徳川の高家として名誉はもらいましたが旗本で数千石です。
四男の秀勝は清州会議ではりっぱな後継者としての要件は備えていましたが、あえて秀吉は三法師を立てたのでしょう。信長の葬儀のときは秀勝が喪主をしているくらいですから。一八歳で早死にしてしまいます。秀吉はあんなに後継者で自分の血筋の子供にこだわりますが、信長の六男以降の人材は豊富にいました。天下を獲ったいまとなっては信長の子供は重要でなかったということでしょう。 秀吉の馬廻衆になった子供たちも多い。しかし、秀吉や信長の馬廻衆の中から戦国大名になったものは多い、スタートできる地位にはいたことから、子供たちにその器量がなかったということでしょう。秀吉に殺されていたわけではなかったですね。

長男・信忠 家督を継ぐ、本能寺の変で死亡
        秀信(三法師)岐阜城主として落城、高野山に幽閉死亡
        秀則(二男)坊主となる
二男・信雄 北畠の養子、秀吉と組み信孝を自刃させる、家康と組んで小牧長久手を戦う、秀吉のお伽衆、徳川になり五万石を得る、明治まで二万石と三万石の分家が残る。
三男・信孝  神戸家の養子、四国平定の大将であるが本能寺で秀吉の後塵を拝す、清州会議では兄信雄と後争 う、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家につき自刃となる。
四男・秀勝 秀吉の養子、山崎の戦い・賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いに参戦、丹波亀山城主となり没す。
五男・勝長 遠山の養子、武田方につき信玄の養子(人質)になる、勝頼により返還、長男信忠の与力として武田攻め、本能寺で兄と伴に討死。
六男・信秀 羽柴姓をもらう、朝鮮の役で名護屋に駐屯、子供は相続せず。
七男・信高 羽柴姓をもらう、関ヶ原で東軍、旗本二千石の高家として仕える。
八男・信吉 おなべの方が生母、剃髪して没す、関ヶ原のときは二七歳であったがどうしたんでしょう。
九男・信貞 秀吉で千石の馬廻衆、七男信高と伴に東軍へ、二千石の旗本の高家として仕える。
十男・信好 秀吉に仕えた? 子供なく断絶
十一男・長次  秀吉の馬廻衆、西軍に加わり戦死。子供なく断絶
庶長男? 信正 長男信忠の兄? 原田直政の妹の子、信長の兄の信広の娘を正室に。この家系を継いだか?

五徳・長女 家康の長男信康に嫁ぐ、信長に訴状を送り夫とその母の築山殿を死なせる。信長へ帰る。
冬姫・次女? 蒲生氏郷へ嫁ぐ。
秀子・三女? 筒井順慶の子の定次に嫁ぐ。
永・四女?  前田利家の長男の利長に嫁ぐ
三の丸殿   秀吉の側室
他に 丹羽長重室、中川秀政室、万里小路注充房室などあり。

                 2013-11-17


  丹羽長重と三法師
   http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank005.html#清州会議2
   竹中半兵衛とその子孫
   http://hayame2.sakura.ne.jp/99_blank005.html#竹中半兵衛
   宗教のくびき 信長
   http://hayame2.sakura.ne.jp/details1026.html#宗教のくびき



posted by 速魚 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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