2014年02月04日

十字軍物語1・聖戦とは

   塩野七海さんによる

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 ジハード・聖戦と言えば今なお現在の世界の問題として存在しています。

 十字軍の時代に聖戦でイスラム側がカソリックに対して対処してきたのだとばかり思っておりましたが、十字軍の時代ではサラデインとマメルーク朝(奴隷王朝)の時だけでした。サラデインにしろマメルーク朝にしろ自分の基盤を強化するときにジハード(聖戦)を唱えました。カソリック側も法王が十字軍を唱えた背景には、皇帝との権力闘争が背景にありました。同じです。法王はエルサレムの奪回は血を流した戦いでなければ意味がないと考え、フリドリッヒ2世の外交による成果としての奪回は認めませんでした。法王は聖地の奪回といいますが、エルサレムがイスラム側にあったときでも実質的には巡礼は行えました。イスラムにとってもいい収入になったのです。

 サラデインは、モスールを支配しバクダット・スンニ派とカイロ・シーア派の戦いに終止符を打ち、イスラム世界の統一者となりました。
 さかのぼって1187年サラデインがジハード・聖戦をはじめて宣言をする。そのことは、サラデインは当時はトルコとアラビア民族が支配的な中での立場の弱い少数民族クルド族の出でしたので。
 面白いことにサラデインは30歳までは学問・教養を深めていました。彼は叔父さんがヌラデイン・スンニ派の将軍であったので、エジプト占領に就いて行き、兵士に慕われ叔父さんの死後にその地位を簒奪した人です。サラデインは八ッテインの戦闘に大勝利しエルサレムを奪還した。彼も各地の太守や領主を束ねていく立場でジハードを唱えなければエルサレムの占領はできなかった。

 蒙古によるバクダット壊滅でイスラム圏の半分が占領されたました。マメルーク朝はそれを破り勢いを食い止めて成立します。奴隷からのしあがったマメルーク朝ですので、宗教的権威を必要とした。同じく聖戦を唱える必要があったのです。

 教条的な題目や冒すことのできない絶対的な文言を言い出す背景には、それを言い出す側に弱いものがあるという現実・本質は今でも過去でもあるということですね。
  
パレステイナの歌  演奏 デービッド・マンロー  3分  いいね
   http://www.youtube.com/watch?v=nCwnm38ULZc#t=148

    2014-2-4
                                
   
    ローマ亡き後の地中海世界
    http://hayame2.sakura.ne.jp/details1026.html#宗教 top
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posted by 速魚 at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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