2014年02月21日

拉致国連報告とヨット  

  

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   速魚

国連の人権理事会の調査委員会から拉致の報告書が出されて最高指導者の承認のもとに実行されたと指摘しています。
 その中で漁船の拉致の際に若い乗組員を拉致した後で、他の乗員は漁船ごと沈めたと報告されている。

 横田めぐみさんは昭和52年の11月 新潟市で拉致
 久米祐さんは同年9月 能登半島で拉致
 松本京子さん同年10月 米子市で拉致
 地村夫妻さんは昭和53年7月に福井県小浜にて拉致

 昭和52年6月にフェリー会社を退職して、念願の日本周航クルーズのため宮崎県日向市港を出発する。関門海峡を抜けて日本海沿岸を北上して北海道を廻り、最後は宮城県の石巻まで22fヨットの愛艇速魚でクルーズしました。
 日本海を航行中に天橋立近くの小浜港沖で海上保安庁の巡視艇から目的地・住所・氏名など聞かれる。今までのヨット生活ではそういうことは経験していません。さらに実家に電話があり裏もとっていました。何を警戒しているのか当時としては不思議であった。

 個人的な推測でしかありえませんが、恐らく不審船の警戒に当たっていたと思われます。 現場レベルでは拉致の情報も知っていたかもしれません。 当時は平和のためなら事を荒立てるなという風潮でしたから、対処に後れをとったのでしょう。

 今後のために何か証言があればと書いています。当時は何の情報も無く知らされていなかったので、こちらもノホホンと航海していました。でも北方4島に接近するときには船尾に国旗を揚げて、ソ連には注意して航行しましたが。

 海上保安庁は当時にそれの警戒をしていたのなら、もっと国民に知らせておけば拉致の被害の低減にはなったでしょう。こちらもほんの数%ですが不審船と出くわす可能性があったのでしょうか? シングルハンドで朝早くから夕暮れまでの航海が主体でしたから可能性は低いですね。イヤーあの時は危なかったなあと後で言ってみたいだけですね。


              2014-2-21


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posted by 速魚 at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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