2014年05月12日

石光真清 1  城下の人

 
 

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 誕生よりブラゴヴェシチェンスクに行くまでが、述べられています。詳しくは生き生きとした本文を読んでください。明治の世の中のことが良く表現されています。

 熊本細川藩の下級武士であるが、学問により勘定方の重職について経済的には裕福な父親の教育熱心な家庭より誕生する。
 子供時代の新風連の乱や西南戦争を実際に見たことが語られる。その反乱者たちは、歴史的には敗者の人々であるがら、勝者により良く表現されないけれど、考えが違っただけで、人物としてはなかなかの人であったと分ります。
 当時としては東京で学べる恵まれた環境ですが、目標さがしでフラフラしていて微笑ましい。今のように予備校なんかもあったのですね。陸軍士官学校に入学します。そこであった出来事ですが、朝鮮の親日派の派遣留学生朴裕宏さんの自殺の件です。ドイツ人で帰化した高官が不釣り合いな朝鮮服を着て日本に来た。使節として外交折衝当たる。士官学校を参観して全校生徒の前で、彼を呼び出し激励した。衆人監視の中でのこの行為に彼は侮辱を感じたのでしょう。朝鮮は不幸で微妙な位置にあったのですね。
 日清戦争で中国に上陸するが大した戦闘参加も無く講和になり、台湾守備・討伐に就く。楽な戦闘だったような印象を持っていましたが、読んでみると実際は一杯の戦闘でした。200人の中隊もコレラで40名になるが任務を終えて帰国。ロシア研究の必要性を感じる。私費語学留学のためウラジオストックに着く。

 明治は武士社会の遺産が無ければ存在しませんね。つくずく感じます。

         2014-5-12


  石光真清
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  杉原千畝
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posted by 速魚 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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