2019年12月09日

下津井

 
 令和1年12/16より宇高連絡船フェリ−航路がいよいよ長い歴史を閉じて廃止になる。瀬戸大橋の開通より今まで航路が維持されていたのも不思議ではある。ジュジュ繋ぎのように切れ目なく運行されていたこの航路は長い歴史を閉じることになる。

 下津井の町はかっては茶屋駅より下津井まで下津井電鉄が走っていた。下津井電鉄は茶屋駅から坂出までJR瀬戸大橋線の開業に伴い1991年に廃止される。その用地は現在は遊歩道として残る。狭軌の軽便鉄道として、かわいい電車が走っていた。


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 下津井地図

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 下津井電鉄 廃線跡

 元廻船問屋の建物や古い町並みが見られる。タコが有名らしくランチにタコめしを食した。コ−スだと6000円もするので手が出ない。その店主より、たこが不漁だと2か月余りも店を閉じることがある聞いた。
 
 高台に上がると瀬戸大橋を含めた海の景色が絶景である。 遊園地には勢いが見られない。どこもかしこもある昔の遊園地の感じです。


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 廻船問屋跡


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 下津井旧市街 1


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 下津井旧市街 2


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 祇園神社

 漁港には漁船がびっしりで、ゲストでヨットが訪れるには良いスペ−スがないようだ。


  2019-12-9

  下津井城
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2019年12月07日

下津井城


 JR児島駅からバスに乗り下津井に行く。 瀬戸大橋が出来た時にその予算で瀬戸大橋架橋記念公園ができる。公園内というか隣接して下津井城跡がある。

 そこは眼下に下津井瀬戸をのぞみ、その瀬戸は10ノットの急流速になるという。近くの島塩飽海賊の根拠地・本島もあり、瀬戸内の海上交通の要衛である。 ここは宇喜多秀家が築城した、関ケ原後に岡山・池田藩の支城として現在のように改修された。 一国一城の令により廃城となる。 西の丸、二の丸、本丸、3の丸、中の丸、東の丸と配置され、天守があった。 石垣が残っていてその規模が知られる。

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 下津井地図 下は下津井瀬戸


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 下津井城図


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  三の丸


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 二の丸


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 天守跡


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 西の丸


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 中出丸


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 二の丸下南面の石垣


下津井は現在は瀬戸大橋の本州側の一端である。城跡からは橋や島々の景色が良い。

 
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 城跡から眼下を望む


  2019-12-7

  
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2019年12月05日

引田・ひけた


 引田の町は小豆島から目的地の淡路島・都志へ航海するのに選んだ中継地でした。そこは徳島県にあるとカン違いしていたが、行ってみると香川県の東かがわ市にある街であった。

 歴史のある街で古い町並みが残っており、おまけに引田城もあり、満足のいくものでした。


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 赤丸は係留地 T字桟橋端、 赤線は町並み保存地区


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 T字桟橋端、 隣に2隻の養殖運搬船スペ−ス必要


 風待ちの湊として利用されたのは旧港地区で隣接した山には引田城がある。船待ちの湊ゆえ御多聞に漏れずに遊郭があったと云うが今は残っていない。 この旧地区には廻船業から戦後に機帆船の船主になった稼業が50もあったという。さすがに老生が船に乗った若いころにはそれを多く目にしたが、今は見ることが無くなった。


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 旧湊図、  ヨットを係留する適地は見当たらず


 古い町並み保存地区には 廻船問屋やしょうゆ業の屋敷が残る。佐野家では内部を見学できる(300円)。 外人のマニアにも引田は有名らしく、スイスからのひとりの老婦人がいた。


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 佐野家・讃州井筒屋・醸造業を営む、見学できる


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 佐野家居室


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 かめびし屋 醤油や


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 引田の町並み 


 現在の引田は「はまち」養殖が日本で初めて行われた地で、それが栄えている。港の入り口沖には大きな養殖地があり、入港には注意が必要。 老生は「養殖はまち」を食するのは好まない、それは最近ではエサの改良で「天然もの」より値が高くなっているという。漁師の数はここでは3軒しかないというけれど、養殖業者は多くある。

 大きな漁港の割にはふさわしいヨット係留地が少ない。


     2019-12-5

引田城  http://hayame.net/custom27.html#spb-bookmark-650




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2019年12月03日

姫路城


 姫路城は先代ヨット「速魚」を造っているとき、46年も前に2週間会社を休み高砂にあるヨットメ−カ−に通ってその製作過程を見ていた時にそこへ行きました。 当時は今のように造船所に頼んで出来上がりを待つことも出来たのですが、ヨット建造にオーナ−が立ち会う古い慣習があった。
 造船所の休日に高砂から山陽電鉄に乗り姫路に行き、姫路城を見て来ました。当時は昭和の大改修とかで、姫路城はすっぽりと足場で覆われていました。 それから半世紀、速魚Uで木場ヨットハーバーに係留して、カミさんとそこを見に行くことができました。姫路城は個人的にヨットとの縁と感じています。


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  姫路城


 平成の大改修がほとんど終わりシ−トで覆われているところも少なく、予想していた漆喰がまぶしく白っぽい印象ではなく、程よい白さであった。


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 総構の姫路城モデル


 駅前から大通りをまっすぐ歩くと姫路城である。駅近くまで外曲輪があったようだがビルが立ち並んでいて面影はない。
 西国街道が城内を通っていてそこに中濠があり石垣が残っている。


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 車が通っているのが西国街道 中濠の石垣  本陣があった。


 大手門前には「い・ろ・は・に」と名称をつけた土産物店が並ぶ。ここから橋を渡って大手門を抜け、いよいよ姫路城だ。

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  大手門


 1000円を支払い、菱の門をくぐる、皆は天守方面に向かったが、左へ折れて西の丸へ向かう。


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 菱の門


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 西の丸図


 西の丸見学入り口でビニ−ルを借りて靴を入れて、長い渡り廊下を歩き化粧櫓の出口まで歩く、ここは秀頼の妻であった2代将軍秀忠の娘千姫が池田家へ再婚して、ここに暮らしたところであるという。この廊下の一室に暮らしたのではなく庭の中に御殿が建っていたのであろう。 天守よりもこの一角のほうが個人的には昔の城らしく感じた。
 ここから天守に向かう。


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 菱の門からは「い・ろ・は・に・ほ」の防御に趣向をこらした門をくぐり天守に出る。
姫路城は一回では堪能できず、搦手方向からも行ってみたいものです。


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 備前丸からみた天守


 天守内は他によくある展示物が少なく現存をそのまま良く見ることができる。老人には階段がどこの城も急こう配なので苦労するが、ここは中央にも手摺があり助かった。

 余談だが名古屋城ではエスカレ−タ−が有り建て替える際に問題になっているが、オリジナル重視が大事なことなので昔無かったものは再現できない。 バリアフリ−の問題は特別な日を設定してボランテイアに援助してもらい見学をしてもらう工夫が必要でしょう。

 現在の姫路城は池田輝政が主な形をつくったのだが秀吉や黒田が城主の時代があった。古い黒田官兵衛の石垣も残る。


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 黒田菅兵衛の石垣

   2019-12-3

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2019年12月02日

速魚のモンテヴェルデイ全集 作成開始


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 1567-1632

  モンテヴェルデイ全集を作成開始しました。 聞きながらの作成ですので、大分時間がかかると思います。  順次更新していきます。

  モンテヴェルデイ全集 その1

  SV1-93 
   3声のカンツオネッタ
   5声のマドリガ−レ集 1巻‐4巻

  http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank047.html

   2019-12-02


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2019年12月01日

牛窓

 

 牛窓へは今回の秋のクル−ジングでは2回寄港する。 徒歩20分位で牛窓旧市街を訪れた。 岡山藩の海の玄関口で岡山までの街道があったという。


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 牛窓ヨットハーバー  ゲストバ−ス  中央奥のビルがホテルリマ−ニ

 リゾ−トホテルのリマ−ニ近くから旧市街に入る。 町並み保全が遅かったのか旧町屋が続いてあるわけではない。灯台や醸造業、造船街などが残る。


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 牛窓旧灯台


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 醸造業跡



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 牛窓旧市街


 牛窓も小豆島のオリ−ブのようにエ−ゲ海を売り物にしたいようだが、小豆島のように知られて広まってはいないように見えた。。


   2019-12-1

 船中発策HP
 http://hayame.net/index.html







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2019年11月29日

備中高松城



 高松城や松山城というと香川県や愛媛県にある四国の城だと思っていました。最近に岡山にあるそれぞれ備中の付く城を訪ねました。 秀吉の水攻めで有名な高松城は備中にある。

 そこは岡山からJRももたろう線(吉備線)に乗り備中高松駅にて下車、徒歩10分あまりです。


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 備中高松城図


 備中高松城は今では田んぼの中にある場所で案内板が無ければ通り過ぎてしまうようなところです。 蔵造りの資料館があり、館内には城主の清水公の像があった。


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 資料館にある城主清水宗治像


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  案内板  蔵は資料館

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 本丸跡


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 2の丸跡


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  3の丸跡


 ここの城は土塁によって構成されていた関係で石垣の残った城跡ではない。秀吉は黒田孝高の進言で堤防を築いて水攻めをしたのだが、公園になった堰き止め跡が残る。


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 高松城水攻め築堤跡


 付近に切腹した城主清水氏の殉死した家臣の「ごうやぶ遺跡」がある。


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 ごうやぶ遺跡

ヨットで行く城巡り


   2019-11-29

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2019年11月27日

小豆島バス一周


 小豆島池田港にヨットで立ち寄りました。 自転車で小豆島一周を考えましたが、カミさんとの同行でしたのでそれを断念する。 路線バスで一周することにしました。

 小豆島の中心は土庄(とのしょう)のようなので、まず池田港フェリ−乗り場(池田−高松便あり)よりそこへバスで向かいました。一日乗り放題券を購入。バスにリュックを忘れる失態を演じたが、終点ゆえにほどなく見つかりました。事務の方が親切な対応のおかげです。小豆島は離島のバスとは違うようで、バス代が安い。1時間乗っても300円です。一周しても二回で600円ですので、乗り放題券1000円は有難味が少ない気がする。ここではバス便しかないので料金が抑えられているのでしょう。

 土庄には岡山−土庄フェリ−便などがあり、にぎわいのある町です。観光案内所で小豆島のバス便情報を手に入れる。近くで世界一狭い海峡や大阪城築城の残石を見る。

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 小豆島路線バス一周


 福田へ行くバス便には南北の二系統がある。はじめに南周りにのって福田へ着く。ここは姫路よりのフェリ−が就航している。関西からは福田、中国地方からは岡山から土庄、四国からは高松より池田へと各地方より船便は振り分けて就航している。

 福田からの北回り便は二時間に一本位のバス便ゆえ近くを散策した。終点の小豆島中央病院で乗り換えてオリ-ブ園公園に行く。ここには温泉施設があり、ゆっくりとお湯を堪能した。ヨット旅行にはお風呂施設はありがたいものだ。この公園下から二四瞳で有名な映画村行の船便があるが、今回はそこへは行けなかった。

 バスで一周してみて自転車で行かなくて良かった。実際に若いサイクリストを車窓から目にしたが、きっちりスタイルを決めた人々で、本格的に自転車を愛好している人だと思われる。急な登り坂が多く、老人のチャリンコ乗りでは途中で投げ出すことになったであろう。


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 池田港近く、 これは城の石垣ではないがこの上に池田城があったという


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 土庄近く、 ギネスに認定された世界一狭い海峡


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 大阪城築城の折に石が切り出された。 採石場や残石が島内に多くある


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 福田港  姫路へのフェリ−がある


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 福田港近くの箕田八幡神社 応神天皇・神功皇后などが祀られている



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 オリ−ブ公園にある温泉施設

   2019-11-27



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2019年11月25日

都志 (つし)


 高田屋嘉兵衛の生誕地を訪ねる


 淡路島の西岸にある都志にヨットで訪ねました。 そこは、ここらあたりの海岸にひとつだけと云う大型風力発電機があるところで、最初からそれを知っていたなら,遥か沖合から見られたので、都志へのナビゲ−ションは容易であったろう。

 今回のクル−ジングの目的地であり、そこは司馬遼太郎「菜の花の沖」の主人公・高田屋嘉兵衛の誕生育った土地であった。 ああ、火曜日で資料館と記念館2つとも休館日で見ることはできなかった。働き方改革の今休みは大切だが、図書館と違い司書の専門職の人間が必要なわけではないこれらの施設はシルバ−の人でも配置して開館できないものでしょうか。それとも全国で統一してこれらの施設の休みを決めてほしいものです。月・火・水曜日あたりに散らばっていて要注意です。

 公園内にある温泉施設は休みでなかったので、ヨットの旅の汚れを洗い流すことができたのは幸いでした。

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 風力発電機


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 ゴロ−ニン提督と高田屋嘉兵衛の像


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 休館中の菜の花ホ−ルにあったポスタ−


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 高田屋嘉兵衛旧宅  洲本市五色町支所に隣接


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 貨幣が10年間築いた築港防波堤の跡


  2019-11-25


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2019年11月24日

更新 ヨットマンのための海の駅と泊地


  ヨットマンのための海の駅と泊地 を更新しました。

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      2019-11-24
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2019年11月23日

引田城(ひけた)



 ヨットを引田港に係留したので、引田城を訪れた。登山口も二か所整備されているが、港より遠いオ−トキャンプ場方面の登山口が登りやすいようだ。

 高松城の支城であった引田城と丸亀城である。引田城は1615年・元和元年に一国一城令で廃城となる。 室町時代より城はあったが、秀吉の四国征伐の功で仙石秀久がこの城主となる。仙谷は九州征伐の戸次川の戦いで敗れ改易される。その後に生駒親正がここへ入城して織豊系の城として現存する引田城をつくる。

 引田は風待ちの港として利用されて、その守りとして引田城は港と隣接する80mの山に存した。 丸亀城は天守も現存して威容を誇るが、引田城は一部に石垣が残るが忘れ去られた城となった。


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 引田城図


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 引田旧港・風待ちの港より引田城を望む


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 旧港近くの引田港側登山口


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 本丸


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 天守付近 案内板がない


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 北二ノ丸にある石垣 補修中で青いシ−トが掛かっている


 天守の案内板が見つからないなどもう少し見せる工夫が必要でしょう。 旧市街に比べて訪れる人は少ない。 天守を再興したり、大手口の整備をすればもっと観光資源のひとつになれそうな気がします。


   2019-11-23


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2019年11月21日

2019年 秋のクル−ズ


 東瀬戸内海をクル−ズしました。

 10/19  倉敷着
 10/20 より 整備 バッテリ−交換等
 10/24  雨のため 備中高松城 見学
 10/25-28 道板製作
 10/29  プロペラにカキ多し判明、 潜って一部取り除く
 10/30  上架してペラクリン塗装
 10/31  倉敷−北木島 メンセ−ルをロフトに持っていく
 11/1   北木島−倉敷
 11/2  整備
 11/3  ジブセ−ル補修
 11/4  カミさん到着
 11/5  下津井旧街、下津井城 見学
 11/6  メンセ−ルリペア到着設置
 11/7  倉敷発-牛窓ヨットハーバー  旧市街 見学
 11/8  牛窓-小豆島池田泊
 11/9  小豆島 見学
 11/10  小豆島−引田着
 11/11  引田旧市街、引田城 見学
 11/12  引田発−都志着「淡路島」 高田屋嘉兵衛記念館休館中
 11/13  都志発―木場ヨットハーバー「姫路」着
 11/14  姫路城 見学  カミさん帰る
 11/15  木場発−牛窓ヨットハーバー着
 11/16  牛窓発−倉敷着
 11/17  旧オ−ナ−と坂出で会う
 11/18  整備
 11/19  帰着

ほぼ1か月の期間でしたが、整備に時間をとられすぎました。 今までの記憶と違い、最近はこの台風明けのシ*−ズンは良い天候が続きクル−ズには最適な季節と言えます。 かっては11月は季節の変わり目で悪天候であったような気がしていました。

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  2019-11-21
  

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2019年11月20日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その3 〜セルジオとトムの冒険

イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて  佐野

 
 マイケルは、セルジオの伴走を終えた後、アゾレス諸島を経由して、自分のヨットでイビサに戻る予定だったから、病身?で気力が失せたセルジオの回復を待ち、ヨットのセールをたたみ、定点で大西洋を漂っているわけにはいかなかった。4月の観光シーズン開幕までに、なんとしてもイビサに帰らなければならなかった。
オランダ人の彼女によれば、セルジオがボードに乗ったのは初めと終わり、途中で天気の良い時だけよ…ということになるのだ。お人好しのマイケルはセルジオの口車にマンマと乗せられたことのようだ。
日曜版新聞“サンデー・タイムズ”が主催した第1回目の単独ノンストップ世界一周ヨットレース(The Sunday Times Golden Globe Race;1968-1969)、当時としては斬新なトリマラン(船体の両側にフロートを付けたヨット)で出場したドナルド・クローハースト(Donald Crowhurst)が、アルゼンチンの湾に船をつけ、いかにも世界一周しているかのようにハム無線で交信し、他のヨットがケープホーンを回り大西洋を北上しイギリスに向かい始めた頃を見計らって、ドナルドがセーリングを開始した事件があった。
誰も観ている人がいない冒険、競技は、冒険を行なう者の厳しい自己規制が求められる。アラン・ボンバール(Alain Bombard)がゴムボートで、全く外からの助けなしに大西洋を横断したように、すべて独自で、外界から切り離して行うのでなければこのような冒険の意味はない。


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 カリブ海の英連邦王国の島、Saint Lucia(セントルシア)

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 オランダ王国の構成国、Aruba(アルバ)

 マイケルはカリブの島、セントルシアでセルジオを降ろし、すぐにアンティグアに向かい、そこのマリーナにヨットを預け、飛行機でイギリス経由、イビサに戻って来たのだった。 
その後、セルジオがどこで何をしているのかは知らない。キュラソー、アルバ(旧オランダ領のカリブの島)で、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った男を売りにして、観光客相手のウィンドサーフィン・インストラクターをやっているとも耳にした。
 後年、私が服部と中古のヨットを買い大西洋を横断した時、マイケルは親身になって、どこでどのような食料を仕入れるべきか、大西洋の向こう側では、どこの島の港が入りやすく、手続きも簡単であるか、などなど事細かく教えてくれた。

著者注:その後、ウィンドサーフィンで大西洋を渡った人が続出した。1993年にはTrans-Atlantic Windsurfing Race (TAWR).が発足し、伴走の船で寝、食べ、休息することが認められるようになった。どうにも、私のセルジオに対する評価は厳し過ぎたきらいがある。だが、常にサポートのヘリコプターが頭上を舞い、救援物資の投下を受けながらの極点旅行のような冒険に意味がないように思えるのと同じように、いつも伴走の船で寝て、食べて大洋を渡ることを、ウィンドサーフィンで大西洋を渡ったと呼べるのかどうか、私は認めたくない。》

 十数年後、プエルトリコのマリーナでヨット暮らしをしていた時、大きなピンポンボールに奇妙なセールを揚げた浮遊物が私のヨットに横付けしてきた。

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 大西洋単独横断最小ヨット“BEATLES”とトム

 半球型のドームを開けて、ガリガリに痩せた男が這い出てきて、大西洋を90何日かけて渡ってきたと言うのだ。私たちの重く、遅いクルーザーで23日かかった距離をだ。彼はビートルズと同じリバプールの出身で、ヨットとも呼べない浮遊物も名付けて『ビートルズ』、これぞ本物の海のカブトムシようだった。
その当時、ギネスブックものの“大西洋を渡った一番小さな船”だったが、出迎えの人影すらなかった。数日後、プエルトリコの英字新聞に小さな記事が載っただけだった。
彼、トム・マックニールは、背筋を伸ばして寝ることもできない長さの船でタダひたすら漂うように大西洋を渡ってきたのだ。水は当時出始めていた手動ポンプ式のリバースオスモシス(Reverse Osmosis;RO)浄水器で海水を純水にし、食料はフリーズドドライ、後は釣った魚……。一体、人間はどこまで狭い空間と厳しい条件に耐えられるかの人体実験に挑戦しているようなものだ。
私たちは彼をヨットに呼び、たしか簡単なスパゲッティーをご馳走し、サンミゲール(ビール)とワインで到着を祝った。その間、トムは何かに憑りつかれたように喋りまくり、何を飲み、何を食べているのかさえ分からない様子だった。
 それにしても、これほど聞き取りにくい英語、これが一体英語なのかと思うほど、彼が息せき切って話すことが分からないのには閉口した。そして、それが10時間以上続いたのだった。やっと彼はイギリスの家族に無事到着の旨を電話することを思い出してくれたのだった。
電話を借りるためマリーナオフィスに同行したが、当然オフィスは閉まっており、マリーナから歩いて15分ほどの距離にあるリゾート地区、イスラ・ヴェルデの大きなホテルに連れて行き、そこからやっと電話したのだった。
 トム・マックニールの船は、もしアレを船と呼ぶなら、何度もの試行錯誤の上、自分でデザインし、自分で作ったとても頑丈な浮遊体だった。キールもそれなりに重く深く、転覆、一回転しても起き上がるようにできていた。実際、トムは何度も回転したそうで、まるで洗濯機のドラムの中にいるみたいだったと言っていた。
セルジオの派手な売名行為、スタンドプレイとトムの冒険は比較するのもバカらしい程の差がある。私は偶然から“ウィンドサーフィンで大西洋を渡った初めて?の男”セルジオの出発と“最小?のヨットで大西洋を渡ってきた”トムの到着に居合わせただけだ。
 トムの冒険は、船を作ることに始まり、艤装(装備などの取付)、何から何まで彼自身が作り上げたものだ。こんな小さなヨットとも呼べないモノで大西洋を渡ることにどんな意味があるのだ、何のために…何の価値があるのだ、と問うのはチャレンジ精神や冒険心を持たない者の言うことだ。
トムの航跡はすべて彼独自のものだ。トムが漂った大西洋の1マイル、1マイルは彼の足跡そのものだ。私はそこに貴重なモノを見るのだ。人間は(と大きく出ましたよ)、自然と、そして周囲の他の人間と係わり合いながら自己を築き、歩んでいくものだ。その時に独自性、最低限の自足が基本になるのではなかと思う。独立していない人間には、本当の意味での自由がない理屈だ。さらに、チト理屈っぽくなってしまうのだが、“自由とは自分自身であろうとする意思だ”と思うのだ。

 イビサ物語から離れたエッセーになってしまったが、こんなこともイビサに棲んで多くの人を見て、知り合って学んだことだ…と今にして思う。

    2019-11-20




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2019年10月18日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その2


イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて 佐野


ウィンドサーファーのセルジオ一行と言うべきか、スポンサーの一人になっている『エル・モノ・デスヌード』のオーナー、マイケルのグループと呼んだ方が当たっているような気がするのだが、彼らは数種類のボードやハーネス、リグをテストするため、頻繁にロスモリーノスのビーチを訪れるようになった。

さすがに、私は彼らと一緒に初心者用のボードに小さいセールで海に乗り出すことはしなかったが、野次馬の一人として、セルジオの長く大きな浮力を持たせたラウンドビルジ(底が半円形に丸くなっている)のボードをテストするのを眺め、薄手のウェットスーツや上半身だけ被うドライスーツを、ホウ、そんなものがあるのかと感心し、呆れて見ていた。

セルジオはゴロタ石の海岸など全く問題にせず、クルブシほどの深さから、スイッとボードを押し出し、そのままマストを立て、風を上手くセールに孕ませ、アレヨという間に沖に出るのだった。セルジオがウィンドサーフィンを操るサマはアクロバットのようだった。
まるでボードにジェットエンジンを積んでいるかのようにボードのテイルフィンだけが海面に触れ、飛ぶように走らせるのだ。タックやジャイブもヒラリ、ヒラリと軽々と新体操の選手が棒の先に付いた長いリボンを操るように舞い、即座にスピードに乗るのだった。私はただただアッケにとられて観ていた。

その時、私自身、後年ヨットで大西洋を渡ることになるとは想像もしていなかったので、セルジオとサポート船としてヨットで伴走するマイケルに、そんなことができるんだと、ひたすら感服した。


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へレス産の最高級ブランデー、Sanchez Romate


『カサ・デ・バンブー』で彼らはサンミゲル・ビール(San Miguel)に始まり、赤ワインはマルケス・デ・ムリェタ(Marqués de Murrieta)に突き出しのチーズ、そしてコーヒーにコニャック、ブランデーはカルロス・プリメーロ(CarlosT)かサンチェス・ロマテ(Sanchez Romate)で、いつも高級ワインとコニャックを開けた。今気づいたことだが、支払いはいつもマイケルがしていた。


セルジオが出発する前の夜には、盛大な壮行会がディスコ『パチャ(Pacha)』でやるからとマイケルに誘われた。私は店を閉めるわけにもいかず、パーティーには行けなかった。翌日の新聞“ディアリオ・デ・イビサ(DIARIO DE IBIZA)”が写真入りで報じたのを観ただけだった。


翌朝、セルジオが出港というのだろうか、イビサを離れる時には、見送りに行った。丁度その時、日本から大学時代の朋友、服部が来ていたので、一緒に出発前の記念撮影に収まったのだった。


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左端、ピンクのTシャツがマイケル、ブームに跨っているのがマイケルのガールフレンド、
ウエットスーツ姿がセルジオ


見送りは至って簡素だった。“ディアリオ・デ・イビサ”の記者、カメラマンは昨夜のバカ騒ぎパーティーで充分だと思ったのだろうか、来ていなかった。それどころか、スポンサーのウィンドサーフィン・メーカーもディスコの『パチャ』の関係者もいなかったと思う。


マイケルのヨットが機送で岸壁をゆっくりと離れ、セルジオもウィンドサーフィンの鮮やかなイロドリ、まるで広告塔のようにスポンサーの名前を貼り付けてあるセールを見せながら港を一周し、ヨットの周りをヒラリヒラリと舞いながら、遠ざかって行った。


冷静に考えれば、大西洋を横断するのにイビサを基点にするのはオカシイことに気づいてもよいはずだった。出発は当然、ジブラルタル、もしくはカナリー諸島のどこかになるべきだ。それにセルジオがいくらウィンドサーフィンのエキスパートだったにしろ、水、食料をサーフボードに積むことは不可能だし、それに睡眠はどう取るのだ? 私には冒険の基本、海の常識すら思い浮かばなかったのだ…。


第一に、ウィンドサーフィンとヨットではスピードが違いすぎることさえ気が付かなかった。なんとなく、同じ風で走るのだからセルジオがウィンドサーフィンを滑らせるすぐ脇をマイケルがヨットを走らせる光景を想像していたのだった。これは、ドーバー海峡を泳いで渡る人に合わせた遅いスピードで小さなパワーボートが伴走するのとは全く逆で、ウィンドサーフィンの方は容易に15ノット、20ノットのスピードでセーリングできるが、マイケルのクルーザーは順風満帆でも7、8ノット、最速でも10ノットを超すことはない。ウィンドサーファーは文字通り、アッと言う間に伴走ヨットの視界から消えることになるのだ。


翌年の春、セマナ・サンタ(復活祭;イースター)の前に、イビサに戻り、シーズン幕開けの準備をしている時、マイケルと出会った。セルジオのことを訊ねると、「アイツのことは話したくない…」と言うだけだった。


どうにも名前を思い出せないのだが、見送りの写真に写っている金髪で水色のTシャツを着ているオランダ女性とピーターのテニスコートのオープンパーティーで会い、その後何度かテニスの相手になってくれた。その時、彼女からセルジオのことを訊いたのだ。


彼らはアリカンテ、マルベーヤ、ジブラルタルに寄航し、カナリア諸島のテネリッフェから大西洋横断に乗り出した。契約とも呼べない約束では、食料、水はマイケルのヨットが供給し、夕暮れとともにセルジオはヨットに乗り移りそこで寝る、ヨットはセールを降ろし、定点に留まり(海流と貿易風にかなりの速さで流されるから、こんなこと、定点に止まることなど不可能なのだが…)、翌朝、日の出とともにセルジオはウィンドサーフィンを続ける……ということになっていたそうだ。


果たしてこんなヤリカタで大西洋を渡ることに何の意味があるのか分からないしろ、そんな風に大洋を渡る約束だった。ところが、セルジオは体調が悪い、胃腸の調子が良くない、筋肉がつる、風邪気味だと、何のかんのと言い出し、ヨットを降りてウィンドサーフィン・ボードに乗り移らなくなってしまったと言うのだった。

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カナリア諸島の島、テネリッフェ
-…つづく


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2019-10-18



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2019年10月16日

中小企業基本法が諸悪の根源

 


  日本では法律の改正が行われると、改正前に存在したものは変えられることなく既得権として、以後もそれは存在します。 それはいつまでも改革されることなく存立していくことになります。 このことが一気に変革できなくて変われない日本ということです。 時限を区切ってでもそれを変えようとすることすらありません。

 アトキンソンさんのいうように、競争力の無い企業が賃金を上げないということのみで存続して、いつまでも購買力が上がらず、30年間の停滞を招いたのでしょう。 この間に日本は1割の賃金低下、先進国は1.8倍の上昇。倍近くの差になったわけです。インバウンド盛況のこの頃ですが、かっての欧州におけるEC加入前のスペインと日本は同じ状態ですね。 すなわち、観光客が安くておいしい食べ物がある地スペインとして英国人・フランス・ドイツ人が訪れるわけです。 安くておいしい和食の地ニッポンです。 今では、 欧米のランチの価格を知るとびっくりします。それでは私たちはとても食べられません。 日本はこのような位置まで来てしまいました。


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  この法律が日本を「生産性が低すぎる国」にした
    デービッド・アトキンソン 2019/10/03 07:30

  https://toyokeizai.net/articles/-/305116  リンクが切れないように下記に転載させていただきました。


 「町のラーメン屋が多すぎるといって10軒を1軒にまとめたところで中国には勝てません」
 私の主張はまったく違います。今は10軒のラーメン店の裏に10社の企業があるので、10軒のラーメン店をそのままにして、それを所有している企業を2、3社にまとめようということです。

 日本の生産性が低いのは「働き方」の問題ではない

 さて、日本の生産性が一向に上がらず、デフレからも脱却できないという厳しい現実に対して、これは日本人に働き方に問題があるからだと主張する方たちが多くいらっしゃいます。
 日本人はすばらしい能力をもっているのに、働き方が悪いのでその実力が引き出されていない。だから働き方を変えれば景気もよくなっていく、というのが彼らの主張です。
 しかし、経済分析の世界では、これは「願望」というか、まったくの見当外れな分析だと言わざるをえません。これだけ大きな国の経済が「働き方」程度の問題によって、20年も停滞することなどありえないからです。
 では、何が日本の生産性を低くさせているのでしょうか。これまで30年にわたって、日本経済を分析してきた私がたどり着いた結論は、「非効率な産業構造」です。高度経済成長期から引きずっている時代錯誤な産業政策、非効率なシステム、科学的ではない考え方などが日本の生産性を著しく低下させているのです。
 ただ、日本国内ではこのような意見を掲げる人はほとんどいらっしゃいません。政治家、エコノミスト、財界のリーダーたちの大多数は経済低迷の要因を、「産業構造」に結びつけず、ひたすら「労働者」へと押し付けています。
 このあまりに”残念な勘違い”を象徴しているのが、「働き方改革」です。
 残業を減らし、有給休暇を増やす。女性にも高齢者にも、働きやすい環境を作る。そうすれば、労働者のモチベーションが上がって、これまで以上によく働く。その結果、会社の業績も上がるので景気がよくなる。
 驚くほど楽観的というか、ご都合主義な考え方です。繰り返しますが、この程度の施策で巨大国家の経済が上向くのなら、日本はとうの昔にデフレから脱却しています。20年も経済成長が滞っているという事実こそが、労働者個人の頑張りでどうにかなる問題ではないことを雄弁に物語っているのです。


 日本に欠けているのは「徹底した要因分析」だ


 そこで次に疑問として浮かぶのは、なぜこうなってしまうのかということでしょう。なぜ表面的な経済議論しか行われないのか。なぜ国の舵取りをするリーダーや専門家から、泥縄的な解決策しか出てこないのか。
 1つには、日本では「徹底的な要因分析」をしないという事情があります。この30年、多くの日本人と議論を交わして気づいたのは、経済の専門家を名乗る人たちでさえ、起きている現象についての知識はすごいものの、その原因を徹底的に追求することはほとんどありません。原因の説明は表面的な事実をなぞるだけで、「なんとなくこういう結論になるだろう」と直感的な分析をしているのです。
 どういうことかわかっていただくため、多くの識者が唱える「女性活躍で生産性向上」という主張を例に出しましょう。
 生産性の高い先進国では女性活躍が進んでいるという事実があります。一方、生産性の低い日本では、女性活躍が諸外国と比較して際立って進んでいないという、これまた動かしがたい事実があります。この2つの事実をもって、専門家たちは、日本も諸外国並に女性に活躍してもらえば、諸外国並に生産性が向上するに違いない、と主張しているのです。
 確かにそういう理屈も成り立つかもしれませんが、実はここには大きな落とし穴があります。「日本の女性活躍が諸外国と比較して際立って進んでいない」ということの要因を分析できておらず、「日本は伝統的に女性が蔑視されている」「働きたくても保育所が不足している」という、なんとも大雑把な話しか語られていないのです。
 このあたりの要因分析を徹底的に行えば、「保育所さえあれば女性が活躍できる」という極論がいかに表面的な分析に基づく主張かということは明白です。
 海外の要因分析では、女性が活躍できていない国は、労働人口の中で、規模が小さくて経済合理性の低い企業で働く労働者の比率が高いという傾向があることがわかっています。
 これは冷静に考えれば当たり前の話です。小さな企業は産休や育休、時短などの環境整備が難しいので、どうしても女性が働き続けることのハードルが高くなるのです。これが一次的な問題です。女性を蔑視する価値観や保育所の数などは、あくまで二次的な問題にすぎません。
 当然ながら、まずは女性が活躍できる産業構造に変革した後で、具体的な環境作りに取り組むべきです。しかし、一次的な問題を解決せずに、二次的な問題を解決するだけでは、根本的な解決にはなりません。つまり、女性活躍というのは、女性蔑視うんぬんや保育所の数という二次的な問題より、その国の産業構造によって決まるというのが世界の常識なのです。
 このような要因分析をロクにしないまま「女性活躍」を叫んで、働くように女性の背中を押しても、生産性向上につながるわけがありません。
 これは同じく生産性向上が期待されている「有給休暇」についてもまったく同様です。
 生産性が高い国では、有給休暇取得率が高い傾向があります。そして、日本は有給休暇取得率が低いということで、これを高めていけば、生産性も上がっていくだろうというわけです。しかしこれを本気で進めるのならば、そもそもなぜ日本の有給休暇取得率が低いのか徹底的に要因分析をしなくてはいけません。
 日本では、「日本人の真面目な国民性が関係している」「日本は集団主義で職場に休みにくい雰囲気がある」と、これまた直感的な理由しか出てこないでしょうが、海外では「有給取得率は企業規模と関係する」という要因分析がなされています。大企業になればなるほど有給取得率が上がり、小さな会社になればなるほど下がることがわかっているのです。この傾向は万国共通で、日本も例外なく当てはまります。
 つまり、アメリカの有給取得率が高いのはアメリカ人の国民性ではなく、単にアメリカの労働者の約50%が大企業で働いているから。日本の有給取得率が低いのも日本人の国民性ではなく、単に日本の労働者の中で大企業に勤めている人が約13%しかいないからなのです。
 長く分析の世界にいた私からすれば、国民性うんぬん、労働文化うんぬんというのは、科学的な分析から目を背けて、自分たちの都合のいい結論へと誘導していく、卑劣な論法だと言わざるをえません。


 日本の低迷の主因は伸びない中小企業


 さて、このように日本の専門家があまりしてこなかった「要因分析」というものを、日本経済を低迷させている諸問題に対して行っていくと、驚くべきことがわかります。
 実は日本経済の低迷も、女性活躍や有給取得率でもそうだったように、最後は必ず「小さな企業が多すぎる」という問題に突き当たるのです。低賃金、少子化、財政破綻、年金不足、最先端技術の普及の低さ、輸出小国、格差問題、貧困問題……さまざまな問題の諸悪の根源を容赦なくたどっていくと、「非効率な産業構造」という結論にいたるのです。
 それはつまり、日本が他の先進国と比べて、経済効率の低い小さな企業で働く人の比率が圧倒的に多く、そのような小さな企業が国からも優遇されるということです。実は日本は、生産性の低い「中小企業天国」と呼べるような産業構造になっているのです。
 このような話をすると、「小さな企業が多いのは日本の伝統で、普遍的な文化だ」とこれまた漠然とした主張をする人たちが多くいらっしゃいますが、実はこれも表面的な分析に基づく”残念な勘違い”なのです。
 歴史を振り返れば、小さい企業が多いのは日本の普遍的な文化だと言えるような客観的事実はどこにも見当たりません。むしろ、ある時期を境にして、現在のような「他の先進国と比べて小さな企業で働く人の割合が多すぎる」という産業構造が出来上がっていったことがよくわかります。
 では、その時期はいつかというと、「1964年」です。
 この年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加入しましたが、その条件として突きつけられたのが、かねてより要求されていた「資本の自由化」でした。当時の日本では、資本が自由化されれば外資に乗っ取られるかもしれないという脅威論が唱えられ、護送船団方式など「小さな企業」を守るシステムが続々と整備されました。つまり、1964年というのは、日本を「低生産性・低所得の国」にした「非効率な産業構造」が産声を上げたタイミングなのです。


 日本を「生産性の低い国」にした中小企業基本法


 そして、この「1964年体制」を法律面から支えたのが、前年に制定された中小企業基本法です。
 同法は当時、「中小企業救済法」とも言われたほど、小さい企業に手厚い優遇策を示したものです。同時にその対象となる企業を絞り込むため、製造業は300人未満、小売業は50人未満とはじめて「中小企業」を定義しました。
 しかし、これが逆効果となってしまいます。優遇措置を目当てに、50人未満の企業が爆発的に増えてしまったのです。
 中には、企業規模を拡大できるにもかかわらず、優遇措置を受け続けたいということで、50人未満のラインを意図的に超えない中小企業まで現れてしまったのです。非効率な企業が爆発的に増え、なおかつ成長しないインセンティブまで与えてしまいました。
 中小企業を応援して日本経済を元気にしようという精神からつくられた法律が、優遇に甘えられる「中小企業の壁」を築き、「他の先進国と比べて小さな企業で働く労働者の比率が多い」という非効率な産業構造を生み出してしまったという、なんとも皮肉な話なのです。
 それでも1980年代までは人口が増加し続けたため、経済も成長を続けました。しかし1990年代に入り、人口増加が止まると、この生産性の低い非効率な産業構造の問題が一気に表面化してきました。
 ちなみに、日本の生産性を議論する際に必ず出てくるのが、日本では製造業の生産性が高く、サービス業の生産性が低いという事実です。この現状を説明するためによく言われるのが「日本人はものづくりに向いている」「サービス産業の生産性が低いのは『おもてなし』の精神があるからだ」という”神話”のような話ですが、実はこれも非効率な産業構造ですべて説明ができます。これもまた、単に中小企業基本法の影響なのです。
 この法律で、中小企業が製造業では300人未満、その他は50人未満と定義されて以降、日本ではこれに沿うような形で企業数が増えていきました。その影響もあって、製造業はどうしても他の業種よりも規模が大きくなりました。
 規模が大きければ生産性が高くなるというのは、先ほども申し上げた経済学の鉄則のとおりです。一方、日本のサービス業は圧倒的に規模の小さな事業者が多く乱立しているという事実があるので、当然、生産性は顕著に低くなるというわけです。
「守りに特化」した経営は暴走していく
 「1964年」と聞くと、ほとんどの日本人は東京オリンピックを連想すると思います。そしてここをきっかけに、日本人が自信を取り戻し、焼け野原から世界第2位の経済大国へと成長していく、というのが小学校の授業などでも習う「常識」です。
 しかし、現実はそうではありません。
 オリンピックの前年からすでに景気は減退していました。急速なインフラ投資の反動で、オリンピック後の倒産企業数は3倍にも急増しています。1964年からの「証券不況」も事態をさらに悪化させて、被害拡大防止のために日銀は公定歩合を1%以上下げました。しかしこれも焼け石に水で、1965年5月には山一證券への日銀特融を決定し、同年7月には、戦後初となる赤字国債の発行も行いました。
 この不況が、「資本の自由化」が引き起こす「外資脅威論」にさらに拍車をかけます。「乗っ取り」や「植民地化」という言葉にヒステリックに反応するうち、やがて財閥系や大手銀行系が手を取り合い、買収防止策として企業同士の持ち合いも含めた安定株式比率を高めていきます。1973年度末の法人持株比率はなんと66.9%にも達しました。
 この「守り」に特化した閉鎖的な経済活動が、護送船団方式や、仲間内で根回しして経営に文句を言わせない「しゃんしゃん株主総会」などを定着させて、日本企業のガバナンスを著しく低下させていったことに、異論を挟む方はいらっしゃらないのではないでしょうか。
 このようにとにかく「会社を守る」ことが何をおいても優先されるようになると、経営者に必要なのは調整能力だけになっていきます。数字やサイエンスに基づく合理的な判断をしないので、他人の意見に耳を貸さず、とにかく「直感」で会社を経営するようになっていくのです。その暴走がバブルにつながります。
 そんな「暴走経営」がこの20年、日本経済に与えたダメージは計り知れません。
 ものづくりメーカーは、社会のニーズや消費者の声よりも、企業側の「技術」や「品質」という直感が正しいと考える「product out」にとらわれ衰退しました。そしてバブル崩壊後も、データに基づいた客観的な分析をせず、直感に基づく表面的な分析をして抜本的な改革ができなかった結果が、この「失われた20年」なのです。
 このように日本経済の衰退を要因分析していくと、「1964年体制」に原因があることは明白です。つまり、「1964年は東京オリンピックで日本の飛躍が始まった年」というのは残念ながら間違いで、実は経済の衰退をスタートさせてしまった「国運の分岐点」なのです。
 「1964年体制」がつくった産業構造を元に戻すことは容易なことではありません。その動かぬ証が、1990年代から実行されたさまざまな日本の改革がことごとく失敗してきたという事実です。その結果、国の借金は1200兆円にまで膨らみました。
 人口減少などさまざまな「危機」が迫る日本には、もはや悠長なことを言っている時間はありません。日本経済を立て直すためにも、古い常識や”神話”を捨てて、数字と事実に基づく要因分析を、すべての国民が受け入れる時期にさしかかっているのです。


    2019-10-16




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2019年10月14日

「最低賃金引き上げ=中小企業倒産」の図式が神話に過ぎない理由


            

 ここで2013年に最賃を1000円に上げるように書いていて、2015年には1500円に改定しました。2019年の昨日あたりに報道では1000円をつける地域が実現したようです。

 韓国ともめていますが、最低賃金の議論をするときに、今度は文大統領が実施した韓国での最賃値上げの効用を日本の議論のなかに持ち込まれることになりそうです。法治国家でもない隣国のことはどうでもよいのですが、最賃に反対する人々は必ずまな板の上にあげるでしょうから、考えておかねばなりません。 イギリスでこれを研究検討されたレポ−トのオリジナルといっても翻訳されたものでしか取り込めない小生ですが、見つかればここに取り上げたいと思います。




  増税後の買い物、お得になる払い方

  最低賃金引き上げの議論で必ず出る「中小企業の倒産誘発論」だが、実はどこにもエビデンスはない 
最低賃金引き上げを巡る論争が本格化し、様々な意見が飛び交っている。相変わらず「中小企業の経営が厳しくなる」と難色を示す人も多いが、実はイギリスでは最低賃金を引き上げても廃業率は上がらず、むしろ労働生産性が上がったとする調査結果が明らかになっている。(ノンフィクションライター 窪田順生)


 最低賃金労働者は「無能」なのか?


 いよいよ「最低賃金引き上げ」を巡る論争が本格化してきた。
 さまざまな専門家の方がそれぞれの立場で意見をぶつけ合うということは、社会にとっても良いことなので、ぜひ侃々諤々でやっていただきたいところだが、頭の上をビュンビュンと飛び交う意見の中には、思わず二度見してしまうようなダイナミックなものも散見される。
 例えば、“最低賃金引き上げ慎重派”の、とある著名な評論家の方。ざっくりまとめると、こんなことをおっしゃっていたのだ。
 最低賃金で働いている人というのは、スキルが低いので一度職を失うと再就職ができない。最低賃金を上げることは結果として、こういう人を苦しめることになる。だから、最低賃金を引き上げて中小企業を倒産させるような愚かなことはするな、生産性向上のためには、低スキル労働者の教育に力を入れるべきだ――。
「ん?」と引っかかった人も多いのではないか。そう、確か日本は「深刻な人手不足」だったはずなのだ。コンビニはバイト確保ができず24時間営業もままならない。物流も深刻なドライバー不足で現場が疲弊している。建築や介護の現場にいたっては、外国人労働者に頼らないと回らない――という話になっていなかったか。
 一方、平成27年の内閣府の資料には「最低賃金程度の時給で働く労働者は300万〜500万人程度」とあり、もっと多いという指摘もある。
 つまり、この専門家の方は、日本人労働者の数%を「人手不足でもう限界だ!」と悲鳴を上げる事業者でさえも採用を見送るほど、「使えない人材」だとおっしゃっているのだ。
 そんな考えをベースにして、最低賃金の引き上げは慎重にすべきと主張するというのは、中小企業はどこにも行くあてのない無能の人を雇ってあげている篤志家なんだから、「時給1000円」なんて無理難題を押し付けず、自分たちのペースでのんびりやらせてやれよ、と言わんばかりなのだ。
 もちろん、立派な専門家センセイなので当然、我々素人には計り知れない深いお考えがあるのかもしれないが、素直に受け取れば「労働者ディスり」にしか聞こえない。なかなかシビれる発言ではある。


 最低賃金引き上げは中小企業倒産につながらない


 その一方で、ダイナミックというよりも、日本人にはなかなか受け入れがたいショッキングな提言をしている御仁もいる。
 元ゴールドマン・サックスのアナリストで、山本七平賞受賞の「新・観光立国論」(東洋経済新報社)などで政府の観光推進政策にも多大な影響を与えてきたデービッド・アトキンソン氏である。
 来日から30年にわたって日本経済を分析し、かつて日本の大手銀行が17もあって群雄割拠していたバブル期に、「日本の主要銀行は2〜4行しか必要ない」というレポートを出したこともある「慧眼」で知られているアトキンソン氏は、今の日本の低成長・低生産性を解決するには、最低賃金を年5%程度引き上げていくべきだとかねてから主張していたのだが、このたび発売された新著「国運の分岐点 中小企業改革で再び輝くか、中国の属国になるか」(講談社+α新書)でさらに驚くべき分析をしているのだ。
 日本の現在の低成長は、国が“成長できない小さな企業”を手厚く保護する政策をスタートさせた「1964年体制」にあるとして、この古い体制を改革しないで放置していると、人口減少と自然災害というリスクの中で、日本経済が弱体化して、中国資本の支配力が強まっていくというのだ。
 このあたりについて興味のある方はぜひ本をお読みいただくとして、実は同書の中には、現在の「最低賃金引き上げ」を巡る議論に一石投じるような記述があるのでご紹介したい。
 それは、冒頭の専門家の方の主張にも通じるが、「最低賃金を引き上げたら倒産が増加して不況になる」という言説に対してものだ。以下に少し長いが、引用しよう。
「この20年間、最低賃金を引き上げ続けてきたイギリスでは、政府が大学に依頼して、賃金引き上げの影響を詳しく分析をしています。具体的には、最低賃金もしくはそれに近い賃金で雇用している割合の高い企業を対象にして、最低賃金を引き上げる前と、後の決算書を継続的に分析しているのです。そこで判明しているのは、もっとも影響を受けた企業群でも廃業率が上昇することはなく、単価を引き上げることもあまりなく、雇用を減らすこともなかったということです。そしてここがきわめて大事なポイントですが、経営の工夫と社員のモチベーション向上によって、労働生産性が上がったことが確認されているのです」(P.193)
 要するに、「最低賃金を引き上げたら倒産が増加して不況になる」というこの手の議論で必ず出てくる言説は、科学的根拠のないデマだというのだ。


 最低賃金引き上げに猛反発する日本の産業界


 と聞くと、「イギリスは日本より格差が開いて、物価高で貧しい人が増えているぞ!そんな英政府の調査など信用できるか!」と噛み付く人もいるが、アトキンソン氏は別にイギリスが素晴らしいから日本も真似しろなどと言っているわけではなく、最低賃金引き上げの影響について国家レベルで調査が行われ、そこでは倒産につながらず、労働生産性が向上するという結果が出ている、と示しているだけにすぎない。「イギリスの貧しい人は日本より貧乏だぞ」みたいな感覚ベースの議論ではなく、科学的な議論をすべきだと言っているのだ。
 また、イギリスにおける格差や貧困が問題だというが、実は貧困率は日本の方がアメリカと並んで先進国で最悪レベルで、イギリスよりもダントツに高い。格差や貧困がある国のエビデンスなんて信用できるか、という話になるのなら、先進国の中で唯一成長しておらず、ダントツに生産性が低く、ダントツに貧困率の高い日本で生まれた経済理論などすべて価値のないゴミになってしまう。国の経済と、そこで得られたエビデンスは切り分けて考えるべきなのだ。
 もちろん、この話も人によって受け取り方はさまざまだが、個人的には腹落ちしている。「最低賃金を引き上げたら倒産が増えて不況になる」という話には以前から胡散臭さがプンプン漂っているからだ。
 例えば、今から12年前の2007年12月、改正最低賃金法が成立した。最低賃金が生活保護の受給額を下回るということが問題となって、さすがに生活保護よりは高くなるように徐々に引き上げていきましょうや、という話になったわけだが、中小企業は「それは我々に死ねということか!」と大ブーイング。当時の日経産業新聞(07年12月3日)には以下のような悲痛な声が紹介された。
「給与水準を人為的に底上げすることになり、雇用維持が難しくなる」
「採用した人材は一人前の戦力になるまでどうしても時間がかかる。最低賃金の引き上げは企業の雇用意欲を低下させる」


 日本でも最低賃金引き上げは倒産に結びつかなかった


 要するに、働く人たちの賃金が生活保護を下回ることよりも、「中小企業が雇用できる」ことの方が大事というのだ。なんとも釈然としないものを感じていた8ヵ月後、今度は中央最低賃金審議会が、時給687円の全国平均額を15円程度引き上げることを決定すると、さらにヒステリックな声が上がった。
 日本経済新聞(08年8月6日)の「中小・零細、雇用に重し」という記事には、中小企業経営者たちの声が紹介されている。
「中小企業の倒産を誘発し、雇用に悪影響が出る可能性が高い」
「賃上げが心理的な経営圧迫につながる」
 だが、事実はまったく逆だった。中小企業の倒産件数は08年の1万5646件から減少が続き、17年は8405件というレベルにまでなった。いや、倒産は減ったが、休廃業が増えているという人もいるが、別に顕著に増えているわけではなく、多くは後継者不足や販売不振が原因である。
 日本においても、「最低賃金を引き上げたら倒産が増加して不況になる」ことを証明する客観的事実はどこにもない。つまり、「神話」や「思い込み」の類である可能性が高いのだ。
 いずれにせよ、このアトキンソン氏が投じた問題提起に対して、「そんな話は日本に当てはまらん!」なんて島国根性丸出しで耳をふさいでいるだけでは、日本はデフレ・低成長からはいつまでも脱却できない気がする。この30年ひたすら続けてきた「日本のやり方」を続けているだけだからだ。
 最低賃金を引き上げたら倒産が続出する。最低賃金で働く人はスキルがないので、一度職を失うと失業したままだ。このような主張をされる専門家の皆さんは是非とも、感覚的な話で我々素人の恐怖心を煽るのではなく、科学的根拠を示して、建設的な議論をお願いしたい。
    窪田順生さんより転載   2019/09/26 06:00



   2019-10-14




  賃上げた韓国崩壊していない

   最低賃金引き上げ「よくある誤解」をぶった斬る アトキンソン氏「徹底的にエビデンスを見よ」
         

 https://www.msn.com/ja-jp/money/news/最低賃金引き上げ%ef%bd%a2よくある誤解%ef%bd%a3をぶった斬る-アトキンソン氏%ef%bd%a2徹底的にエビデンスを見よ%ef%bd%a3/ar-AAIu6OD?ocid=spartanntp





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2019年10月12日

ウィンドサーフィンで初めて大西洋を横断した男 その1


イビサ物語〜ロスモリーノスの夕陽カフェにて 第88回     佐野
 
イビサで暮らし始めて2、3年経ってからだと思うが、私は中古のウィンドサーフィンを買った。なんせ、目の前に海が広がっているのだ、1時間の暇でもあれば、自分のアパートからボードとセールを担ぎ降ろし、ウィンドサーフィンを楽しめるではないか。 ほとんど理想的な場所に住んでいるのだから、やらない方がどうかしている…と思ったのだ。加えて、トップレスでビキニの下だけ付けた細身の女性たちが身体を反らせ、まるで海の上を滑るように、飛ぶようにセーリングしていたから、ヨシ、俺も! と、気合が入ったのだった。

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夏には観光客で満杯になる人気の海岸、Playa d'en Bossa

ウィンドサーフィンのボードとセール一式は、『カサ・デ・バンブー』の常連でプラーヤ・デンボッサ(Playa d'en Bossa)の海岸でウィンドサーフィン・スクールをやってるホアンに頼み、初心者用のモノを安く譲ってもらった。
さて勇躍、海に乗り出したまでは良かったのだが…。 
ウィンドサーフィンを始めるには、初めの数時間、人に笑われる覚悟がいる上、思いっきり笑われても良いと尻をまくらなければならないと思い知ったのだ。ボードの上に立つまで何十回と落ち、やっと立ち上がっても、セールを引き上げる時、不安定なボードにヘッピリ腰で立ち、この海にべったり漬かった意外に重いセールを海面から引き離すのは、まるで海底に沈んだ大きな漬物石を引き上げるような作業だと知った。
そしてやっとセールを海面から持ち上げると、セールの下に風が入り、フワリとマストとセールが浮き上がり、スイッとマストが垂直に立つ道理だが、こちらは満身の力を込めて足を踏ん張り、前かがみの姿勢で腰と腕でマスト、セールを持ち上げるのだから、一旦垂直に立ったマスト、セールは反対側、つまりボードの上にいる本人に反動で覆いかぶさるように倒れてくるのだ。結果、派手に落水する。やっと海面に浮かび上がったはいいが、頭の上に濡れたセールが被さっており、満足に息ができないままあがき、セールを払い避けるようにもう一度潜り、セールに覆われていない海面に顔を出すのだ。
私が喜劇を演じている間、いつの間にか、崖の上にギャラリーが集まり、盛んに声援、ひやかしの罵声を送っているのだった。 
落水を際限なく繰り返すうちに、当然のことだが、私は風に流され、2キロほどフォルメンテーラ島の方向の沖に出てしまった。もうそろそろ、セールをマストに縛り付け、ボードに乗せ、腹這いになってボードに乗り、両手で水をかき、陸へ向かおうとした時、一直線にこちらに向かってくるウィンドサーファーに気がついた。フアン・カルロス先生だった(第48回:ドイツ人医師、フアン・カルロス先生)。
彼がウィンドサーフィンのエキスパートだとは全く知らなかった。フアン・カルロス先生、見るに見かねて、自分のボードを出して私を救助しにきてくれたのだった。「もし、フォルメンテーラに行くつもりなら別だけど、私のボードに乗りなよ…」と言ってくれたのだ。私は彼のボードに腹這いになって乗り、私のボードを細いロープで曳き、『カサ・デ・バンブー』の真下の石コロビーチまで不名誉な曳航を甘んじて受けたのだった。当然、野次馬の嘲笑を散々浴びたことだ。

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ロス・モリーノス海岸。ウィンドサーフィンを優雅に楽しむ…

そよ風程度、しかも静かな海面でどうにかセールに風をはらませヘッピリ腰でセーリングできるようになるまで3日はかかったと思う。しかしそれも、風に運ばれているだけで、方向転換、ジャイブかタックになるのだが、それができるようになるにはさらに2、3週間はかかった。とても、海面を軽やかに舞う乙女たちのレベルにはほど遠く、「ハ〜イ!」などと声をかけ、彼女らを追い抜くとかすれ違うのを密かに夢想していたのだが、夢また夢に終わった。それどころか、水中であがいている私に、彼女ら、彼らから「大丈夫か? 助けてあげようか?」と声をかけられる始末だった。
ウィンドサーフィンも実力に天地ほどの差があり、どうにか落ちないで乗れるようになるのが第一歩で、これはママチャリを漕いで、近くのスーパーに買い物に行けるレベルでは、あのアクロバット的なマウンテンバイクの真似事はできないし、ツール・ド・フランスに出場できない道理だ。ウィンドサーフィンもこれでなかなか奥が深いことを知ったのだった。
フアン・カルロス先生と奥さん、『サン・テルモ』のオーナーのイヴォンヌ、イビセンコの朋友ペペら、周りにウィンドサーフィン狂がかなりいたから、彼らに教えを請い、ご教授願った。一番耳が痛かったのは、「お前ね〜、当面ライフジャケットを着るか、ウェットスーツ(浮力があり、体温の流失を防ぐ)を着た方がいいぞ…」というものだった。流されても、いつもフアン・カルロス先生か他の誰かが助けに来てくれるとは限らないから…と言うのだ。
それでも、シーズンの終わり頃、10月にはヨタヨタ、フラフラしながら風を切る感覚を掴み、セーリングを楽しめるようになったのだった。秋が近づくに従って、強い風が吹き始め、新たな挑戦、戦いになった。私のアパート下の石ころビーチはイビサの町から近いこともあって、夏場は車を持たない人たち、主に地元の人が海水浴、日光浴に訪れる。秋口になると、数は少ないが、ウィンドサーファーがここに集うようになる。
イビサには格好のビーチがたくさんあるが、いずれも駐車場から波うち際まで距離がある。そこへ行くと『カサ・デ・バンブー』の眼下にあるロス・モリーノスの海岸は、車からボードとリグ(マスト、ブーム、セールなど)を降ろし、その場でセットし、海に乗り出せる地の利があった。ただ、コブシ大の石ころビーチなので、フィンやセンターボードを痛めずにスイッとばかりセーリングに移ることができる中級、上級者向けの海岸だった。サーファーたちは濡れた身体のまま『カサ・デ・バンブー』に立ち寄り、一杯引っ掛けるのだった。

イビサの港前の一等地に『エル・モノ・デスヌード』(El Mono Desnudo;裸のサル)というファッショナブルなカフェバーを開いているマイケルはガールフレンドや友達を連れ、ここからウィンドサーフィンで海に乗り出していた。そしてチョイチョイ、『カサ・デ・バンブー』に立ち寄ってくれた。
マイケルが海好きで、豪華な40フィートのスループクルーザー(キャビン付きヨット)を持っていることは知っていた。リークロス(ヨットの両舷に張るキャンバス)に目立ちすぎるくらいの大きさで“El Mono Desnudo”と船名を書いていたから、ともかくもマリーナで目立つヨットだった。何も店の名をあんなふうに宣伝しなくても、彼のバーは夜、空いた席を見つけるのが難しいくらいいつも混んでいるのだから…と思ったのだ。
観光シーズンの終わり頃だったと思う。マイケル御一行が賑やかに『カサ・デ・バンブー』に押しかけてきた。その中にセルジオがいた。
セルジオは痩せ型の筋張った体つき、肩まで届くチヂレタ髪、太陽に当たり過ぎで干からびたような深い皺だらけの顔をしたオーストリア人だった。
-…つづく

 
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  2019-10-12



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2019年10月10日

法人税逃れ大国

 

  消費増税で内部留保463兆円のカラクリ

トヨタが1−2兆円の利益をあげているのに、何年間も税金を納めていないときがあります。 大企業に有利な控除制度があるからと云われ、ここ20年間の日本人の賃上げができていないのは、内部にため込んで賃金にまわすことがないトヨタが元凶だといわれています。トヨタの外地従業員は日本と違い賃金は上がっているのだという。 消費税が10%に上がりましたが、苦しむのは庶民ばかりなり。 大企業の社会的責任をもっと求めてもよいでしょう。ソフトバンクも同様です。



  https://www.msn.com/ja-jp/news/money/法人税逃れ大国ニッポン-消費増税で内部留保463兆円のカラクリ/ar-AAHQHI0?ocid=spartanntp#page=2     リンクが切れることもありますので下記に転載いたしました。



houzinnzei 01.jpg
   Asahi Shimbun Publications Inc.より  東証1部上場で、直近3カ年の連結の財務データがある企業が対象



 10月1日から消費税が上がり、庶民は物価高に苦しむ。一方で、企業の「内部留保」は463兆円と過去最高を更新。法人税が引き下げられ、お得な減税策などもあり、企業はもうかりやすくなっているのだ。庶民には厳しく企業には優しい“法人税逃れ大国ニッポン”の実情に迫った。
*  *  *
「企業の責任が果たせているのか、制度的に疑問なところがある」
 こう言うのは東京商工リサーチ情報本部の原田三寛・情報部長だ。企業は多くの人材や公共設備などを利用して金もうけしている。利益に応じて納税し社会を支える責任がある。ところが、もうかっているのに納税額が少ない大企業が目立つようになっているのだ。
 表を見てほしい。東京商工リサーチのデータをもとに、利益が大きいのに納税額が少ない主な企業をまとめたものだ。
 東証1部上場企業を対象に、直近3カ年の有価証券報告書を分析。課税前の当期純利益(税金等調整前当期純利益)に対し、法人税等が占める割合を、「税負担率」として算出した。利益が大きく負担率が低い主な企業が並んでいる。低いからといって違法な脱税をしているわけではないが、税金をうまく逃れている状況がわかる。


 企業は所得に応じて法人税や地方法人税などを支払わないといけない。実質的な税負担率(法人実効税率)は大企業の場合、29.74%(2018年度)となっている。つまり、基本的にもうけの3割を税金として国に納めるルールだ。
 それなのに表にある企業では、税負担率が2割を下回り、中には数%やマイナスのところもある。
 なぜか? 企業には庶民にはない有利な制度があり、納税額を減らせるためだ。どんなメリットがあるのか、見ていこう。
 表のトップのソフトバンクグループは、税金等調整前当期純利益(直近3カ年分)が約2兆7千億円もあるのに、法人税等はマイナス8236億円。税金を納めているのに巨額の利益が出るのは、「欠損金の繰越控除」といった制度などを利用したためとみられる。
 これは赤字(欠損金)が発生すると、その後10年間にわたり所得から差し引くことができるものだ。同社は16年に約3.3兆円でイギリスの大手半導体会社を買収。その会社の株式の一部をグループ企業に移す際に、取得価格と時価評価額の差にあたる約1兆4千億円の損失を計上した。その分、利益が減るので“節税”できることになる。


 この手法自体は合法だが、国税庁は損失額の計算が不適切だったと判断。一部について損失を認めず約4千億円の申告漏れを指摘した。同社側は、損金算入の時期について国税当局と見解の相違があり修正申告したとしている。庶民からすれば、「見解の相違」で数千億円もの申告漏れが発生するのは驚きだ。
 同社の孫正義会長兼社長は6月の株主総会で、「ルールのなかでいろいろな節税を合法的にやっている。合法的な範囲のなかで、ある程度節税を図っていく」と発言している。


 欠損金の繰越控除のメリットを受けている企業は多い。表にある東京電力ホールディングスは原発事故を起こし多額の損失を抱えているので、納税額は少しだけ。日本航空も経営破綻したことがあり、繰越控除を受けているとみられる。
 ものづくりの大企業に有利な制度もある。
「研究開発減税」は、研究開発費の一部を法人税から控除できる。財務省によると、この制度によって減った大企業の税額は、17年度だけで約6千億円にも上る。自動車メーカーや製薬会社など、製品開発に巨額の投資をする企業は恩恵が大きい。例えば表にある本田技研工業(ホンダ)は18年度に約8千億円、武田薬品工業は約3700億円の研究開発費を使っている。


 企業ごとの減税額は公表されていないが、年間数百億円もの恩恵を受けているところがありそうだ。
 こうした、過去の赤字や研究開発費を理由に納税額を減らす仕組みなど、企業を実質的に優遇している制度はたくさんある。紹介しているのは一部だけだ。法人である企業は個人と税制が異なるとしても、庶民感覚からすれば納得しにくい。会社員は収入がガラス張りで、所得税などは給料から強制的に徴収される。消費増税や社会保障費の負担増で生活はさらに苦しくなるが、節税の手段は限られている。
 そもそも、企業のうち法人税を納めているのは少数派だ。国税庁の17年度の統計によると、普通法人271万社のうち赤字は181万社で、割合は66.6%。中小企業を中心に、6割以上が法人税を払っていないことになる。もうけが少ないのに経営者の報酬を不当に高くするなど、税金逃れの手法はいろいろある。冒頭で登場した原田さんはこう訴える。


「税金を控除する制度について、もう一度考える必要があるのではないでしょうか。企業の責任には税収を守るということもあるはずですが、そこが弱まっている。合理的な経済活動の結果なのかもしれませんが、制度の妥当性を改めて考えたほうがいいと思います」
 税制が全体的に企業やお金持ちに優しく、庶民に厳しくなっている。税収は消費税が右肩上がりなのに、法人税や所得税が下がっている。
 消費税は1989年に3%で始まり、97年に5%、14年に8%になった。これに対し、大企業の法人税率は消費税導入前は42%だったが現在は29.74%。所得税の最高税率も60%から45%に下がっている。


 法人税については日本経済団体連合会(経団連)など財界が、世界的に見て高すぎると主張してきた。引き下げないと、法人税が低い国の企業との競争に負けてしまうという論理だ。確かに日本の法人税率は、数字上は世界的に見て低くなかった。だが、段階的に引き下げられ、有利な制度も充実している。税制に詳しい菅隆徳・税理士は政府や財界の対応を批判する。
「日本の法人税率が高すぎるというのは、大企業の負担を引き下げ、その分を庶民に押し付ける口実です。支払い能力に応じて負担するのが、本来の税のあり方です。法人税率はいくらもうかっていても同じ。法人税も累進税率にして、もうかっている会社はそれなりに負担するべきです」
 こうした主張に説得力があるのが、企業がお金をため込んでいる現状だ。利益の剰余金である「内部留保」は増え続けている。財務省の法人企業統計によると、18年度の金融業・保険業を除く全産業の内部留保は463兆1308億円と過去最高。7年連続の増加で、前年度から3.7%増えた。
 法人税が低いことで、経営者はもうけをため込みやすい。もし法人税が高ければ、国に取られるぐらいなら給料や設備投資を増やそうという経営者も出てくるはず。消費増税で個人消費が落ち込み、景気の失速が見込まれているいまこそ、法人増税すべきだとの意見もある。


 企業にとって有利なケースとして、輸出企業の消費税の還付制度も挙げられる。上の表を見てわかるように、輸出大企業は巨額の還付金を受け取っているようだ。個別の数字は非公表だが、元静岡大教授で税理士の湖東京至(ことうきょうじ)さんが推計した。湖東さんは、還付金は輸出企業への事実上の奨励金になっていると指摘する。
 消費税は、ものやサービスがつくられていく過程で段階的に課税される。最終的に負担するのは最後に買い物をした人だが、納税するのはものやサービスを売った企業だ。


 生産や流通段階で二重三重に税がかからないよう、税が累積しない仕組みになっている。例えばお店で千円の商品を買ったとしよう。千円の10%の100円を店が国に納めるわけではない。お店は客から受け取った消費税から、仕入れなどで払った消費税分を引いた額を納めるのだ。つまり仕入れ額が仮に900円で支払った消費税分が90円だとしたら、納めるのは100円から90円を引いた10円になる。
 輸出する場合は、海外では日本の消費税はかけられない。最終的な輸出企業は、仕入れなどで払った消費税分の還付を受けることができる。本来支払う必要がなかった消費税分が戻ってくるだけで、企業にとって得にも損にもならないはずだが、実は企業にとってうまみがあるとされる。
 なぜなら、消費税分をきちんと下請け業者に支払っていないこともあるためだ。米国のトランプ政権も、この還付制度が事実上の輸出補助だと問題視している。


「下請け企業が消費増税分をきちんと転嫁できない事例はよくあります。輸出企業は消費増税で還付金が増え、ますます潤うことになります」(湖東さん)
 税金の仕組みを知れば、庶民がいかに不利なのかがよくわかる。「企業は天国、庶民は地獄」とも言える制度を黙って受け入れず、公平な税制を求めていきたい。(本誌・吉崎洋夫、浅井秀樹)


    ※週刊朝日  2019年10月4日号



   純利益1兆円のソフトバンク「法人税ゼロ」を許していいのか?

  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190930-00067498-gendaibiz-bus_all

  消費税アップは大企業が税金を払わないからだ 富岡幸雄 中央大学名誉教授

  https://president.jp/articles/-/30232



   2019-10-10

船中発策  税制改革







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2019年10月06日

子供を政治の世界に巻き込むな




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 グレタ・トウ−ンベリ さん  2003誕生


 グレタさんが英国・プリマスより大西洋をヨットに乗り15日間で横断してニュ−ヨ−クに着いた。 国連総会にて地球温暖化の演説を世界のトップの前で演説する。 環境大臣の進次郎さんがえらくそれをホメておりました。 しかし、演説後の反響は様々です。

 テレビニュ−スで報じていた演説の一部を見ました。 全部を聞いたわけではないのですが、その時に小生が受けた印象は、彼女が激しい表情・表現をしたからかもしれませんが、紅衛兵かヒトラ−ユ−ゲントの子供たちの演説を聞いているみたいな印象を受けました。

 小生はヨットマンのはしくれなので、気象は少しは詳しいつもりである。台風18号が石垣島から朝鮮半島にむけて中国沿岸に沿って進行しています。 10月にこのコ−スを通るのは普通ではありません。7月−8月の想定される台風コ−スのようです。10月初旬には大陸から寒い高気圧が張り出してきたので、日本沿岸はるか沖を台風が通ってそのシ−ズンを終えます。 18号のコ−スであると、それまでにあと2−3回台風が日本へ来ないと終わりません。 実に今度の連休に新しい台風19号が日本に接近してくる予報がでました。まだ今月中は台風シ−ズンなのでしょうか。 こう考えると気象が通常ではないと思わされます。 しかし、地球には氷河期があったように、長いスパンでみると寒暖の幅があるのは事実です。 物事の説明に地球温暖化を小生も利用していた時期がありました。 ツバル諸島が沈んで無くなるような報道は事実では無いようです。 温暖化の問題は科学的には今でも解決された問題ではないと小生は考えるようになりました。既成の事実のように決め込まずに、もっと検討が必要でしょう。

 気候変動の問題に限らず、グレタさんのような子供を政治利用することは止めようではないか。 ここには、彼女の写真は穏やかなものを上にのせましたが、彼女に批判的な人が取り上げている写真は、彼女の演説中の表情で口の両端にキバでもそえれば鬼のように見える写真を取り上げて、貶めるイメ−ジ操作をしています。

 世界のトップの指導者を前にして、彼らの貴重な時間を割いて子供の演説を聞かせるのは止めていただきたい。 この状況をプロデュ−ス・演出した人は誰だったのか知りたいものです。後ろにいる人は子供を利用するほど焦っているのかもしれません。

 

    2019-10-6

 
  船中発策  国政改革



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2019年10月03日

自治体は自前の野外炊飯設備を持つべき  清谷信一

  
 台風16号が接近してきました。 ( 10/3 台風18号が韓国に上陸 ) ニュ−ス映像ではブル−シ−トが被った屋根が多く見られて、15号の台風被害の大きさに驚かされます。 内閣改造に力量を割かれて、ニュ−スプロデユ−サ−の判断が間違ったのでしょう。 千葉台風の被害の掌握に後れを生じ報道が少なかった。多くの人は千葉被害の大きさを知らずにいました。

 清谷さが述べているように、自衛隊の野外炊飯設備は200名程度の中隊が演習する際に持ちうる設備なのだそうです。師団レベルの兵站能力がないのでしょうか。先の軍隊のように。 なんでもカタログにのっている高スペックの兵器をほしがる政府と自衛隊は救護車、兵員装甲車などの普通装備の予算は微々たるものです。そのことは戦争を想定外にしている軍隊ゆえなのかもしれません。 




 野外炊具



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 入浴設備



     清谷信一公式ブログより転載  2019-9-22

 「 未だ千葉県では電力の復旧がかなっていないようです。
 災害のたびに給食や風呂は自衛隊に頼っています。
 ところが自衛隊の兵站は極めて貧弱です。現場では避難民に温かい飯を食べさせ、風呂にいれさせて、自衛官は冷たい飯を食って風呂にも入れない。これを美談に持ち上げて、自衛隊すげーといっている人たちがいますが、それは単に自衛隊の給食能力が低いからです。中隊規模の200名ぐらい用の野戦キッチンしかもっておらず、演習では人手がたないから飯時になると戦闘部隊から応援を派遣するという体たらくです。
 他国ではトルコなどの途上国でもより大きいコンテナ式のキッチンや食堂を持っています。単に規模が大きいだけではなく、天候に左右されず、炊事できて、食べることもできます。
 自衛隊にはありませんが、野戦ベーカリーもあります。外国人も増え、パン食に親しんだ世代も増えています。

 風呂ではなくシャワーも必要でしょう。しっかり温まれないにしてもシャワーの方が効率がいい。清潔を保つという目的からすれば十分です。他国の軍隊では野戦風呂を持っている例をぼくは知りません。

 更に申せば、コンテナ式ランドリーも必要です。風呂やシャワーで使うタオルをはしから乾かさないと行けないし、被災者の下着なども洗う必要があります。

 このような装備はもっと自衛隊が充実させるべきですが、せいぜい中隊レベルの演習を仕事としているために充実しません。予算は他国の8倍もする低性能の小火器などで無駄使いしていますし、兵站の隊員も足りない。本来戦闘部隊縮小しても兵站を充実させるべきです。戦闘部隊だけでは戦えません。十分な兵站が維持できないなら戦闘部隊をへらすべきです。戦車や火砲なんで各100両もあれば十分です。どうせ本格的な着上陸戦は起こらない。であれば小規模でも最先端の装備と厚い兵站をもった組織に変えるべきです。
 ところが意識が自衛隊は変わらない。東日本大震災で陸自のUAVは一回も飛べない屑だと露呈したのに、その後スキャンイーグルの調達が予算化されるのは来年度の予算からです。一定数は揃うのは数年先です。
 無線も震災で通じつ、その理由の一つが軍用無線にあっていない周波数帯をあてがわれているからですが、それすら見直さずにそのままコ-タムを導入してしまった。
 自衛隊を頼るのは百年河清を俟つ、です。

 それはおいておいても、自治体も学習力がなさすぎです。災害時には自衛隊に丸投げという発想をいい加減にやめてはどうでしょうか。
 野戦キッチン、ベイカリー、シャワー、ランドリーなどを例えば県単位で持つべきです。そして災害時はそれを互いに融通する協定を結んでおく。

 こんなもの高々数億円もあれば調達できるでしょう。馬鹿なオリンピックだの、不要な議員の視察旅行、いらない箱物たためば簡単に捻出できる金額です。自衛隊用の装備は高いので外国から輸入すれば安価に揃うでしょう。
 維持費に関しては平時はイベントなどに貸し出せばいい。NPOなどに使い方を教えて貸し出したりすれば、有事のボランティアのオペレーターも増やすことができる。
 牽引式のシステムは免許の関係で使いづらいならば、システムを日本でトラックに載せればいい。
 

 動かす人間は自衛隊の退職者を雇えばいい。任期制自衛官や曹クラス、幹部は30~40代で予備役にして自治体に転職させればよろしい。人件費は例えば、2割を防衛省が持つ。その代わり一定の訓練を義務課して、有事には彼らを装備ごと招集する。そうであれば装備調達費用は半分ぐらい防衛省が持ってもいいでしょう。有事に安価に兵站を厚くできるし、平時の維持費は自治体餅なら防衛省は維持予算が必要ない。
 そうすれば自衛隊の再雇用もかなり楽になるでしょう。

 自衛隊が嫌いだという自治体は自前で揃えばいい。

 また毛布、ベッド、テント、ストーブなどは欧米のミリタリーサープラスの卸業者から買えばかなり安くなります。なんなら自治体が直接買いつければよろしい。アフリカなどの軍隊ではこういう業者から調達しています。 

 これは民間防衛としてぜひとも必要だと思います。東海や首都圏でも大きな地震が起こる可能性が高いわけで、住民は自分たちで守るという意識をもっと持ったほうがよろしいかと思います。」


   2019-10-3

今回の震災の仮設住宅に提言

http://hayame.net/custom33.html#spb-bookmark-640







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2019年09月30日

積立銀取引

 

gintorihiki 03.jpg
 銀のインゴット 30kgある


 近い将来にやって来ると思われる「ハイパ−インフレ」に対する庶民の対策として、個人的に次のようなものを考えています。

 1. 外貨を現金で所有する

 2. 金の現物を所有する

 リスクの分散のため銀の所有も考えてみました。しかし銀の地金取引単位は30kgもあり持ち運びと保管が大変です。 銀価格は現在グラム70円程であり70x30000=210万 金銭的にも我が家では無理。
 銀の積立売買という制度があり。「3000円からコツコツ」と宣伝しています。 自分で保管する以外の販売会社への預託等はオススメしません。 というのは、銀の積立制度を調べてみると、「消費預託」という聞きなれない言葉が規約されています。 よくある質問というコ−ナ−を見て見ました。

 「消費寄託」とはどのように預かる方法ですか?

 お客様が購入された銀地金は、お客様が返還をお申し出になるまで弊社が借用し、活用します。所有権が弊社へ移転し、万一弊社が破綻したときは、お客様の銀地金をお返しできない場合があります。

 販売業者が、お客が積立制度で購入した銀は所有権が業者に属し、それを自由に運用する。その運用で失敗して倒産した場合は返金できないという制度・規約のようです。 とても銀積立はできませんね。 金の場合は分別保管する規約ですが、民間会社では倒産した場合は金でも安心ではないでしょう。 自分で保管しない金・銀はリスクが大きいといえます。

 金や銀は現在比較的高値になっているので、購入の時期とは言えませんが、バブル崩壊や政府の破綻の時期との兼ね合いで難しいです。 ご自身の責任でお考えください。


    2019-9-30

  船中発策  財政再建


  
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2019年09月28日

廣津留すみれ




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「あいつ今なに」のテレビ番組を見て彼女を知りました。 他の番組でも取り上げられていたようですが、知ってびっくりです。 日本的な東大秀才物語でないことがよいですね。 演奏者だけでもスゴイのに、音楽監督、プロデユ−ス、イベント企画・運営・経営もこなせる幅広い人材のようです。 これからの若者が彼女のように、いろいろんな分野をどんどんめざして日本に帰って活躍してくれれば、日本の将来は暗いものではない。 そのころには 爺はとっくに消え去っております。 若い人には悪いが逃げ切り世代のひとりと云われなくて済む。

 さっそくユ−チュ−ブでバッハを弾いていないか確かめました。 番組の中でのヴァイオリンの音がはっきりしたすばらしいもののように聞こえましたので。 まだ、ユ−チュ−ブに上がっているものが少ないようです。 見つけたバッハ・パルテイ−タも録音が悪いようで、期待したものではありませんでした。 自分の願望を、古楽の作品を聞かせてほしいと思いますが、なにしろジュリア−ド首席卒業ですから、どの分野もこなせると思います。 これからいろんな意味で期待していきたいと思います。 
 
 オフィシャルサイト  https://sumirehirotsuru.com/

 バッハ パルテイ−タ   4分

  https://www.youtube.com/watch?v=lMjFfHzql6k

  Adi Pick- Piano Trio No. 4 in E Minor "Dumky"   11分

  https://www.youtube.com/watch?v=cxY4x2rHD-8

  Bartok - Romanian Folk Dances  6分

  https://www.youtube.com/watch?v=r2j2OsbBt5Q

  アポロ | ポルノグラフィティ || JHMJams Cover No.343  5分

  https://www.youtube.com/watch?v=3eBFu_dPPwM


   2019-9-28

 船中発策 現在音楽





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2019年09月25日

映画 ニュ−スの真相

 

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 ケイト・ブランシェットとロバ−ト・レッドフォ−ド


 2016年公開の作品であったが、テレビで見る。 2004年にブッシュが再選を目指していた時にCBSテレビで誤報事件として話題になったものを「60ミニッツ」番組プロデュ−サ−であった当事者メアリ−・メイプスが自伝を書き、それを映画化したものである。

 事件は、ブッシュがベトナム戦争中の州兵空軍パイロットであった時の軍歴詐称をCBSの「60ミニッツ」番組として取り上げた。偽造番組疑惑が起きて、調査委員会で主役のメアリ−や司会者は解雇された。

 アメリアのマスコミを取りあつかう映画には見ごたえのあるものが多い。映画 「ペンタゴン・ペイパ−ズ」、 映画 「デイ−プスロ−トの真実」も大変おもしろかった。 今回の映画は大統領ジョ−ジ・W・ブッシュを再選させるためにマスコミをおとしめるための陰謀のような気がしてきました。いったんは(ニセ)情報を渡して番組を作らせ、その結果、大統領を落としておく。 広く行きわたったところで、それはニセ情報だと断じて、一気におとしめた以上に上昇させる。世間で大統領に疑問を持っていたものはこれで一気に解消して再選です。 なかなかこの謀略はできるものではありません。なおさら、日本ではこの発想と実行は出来まい。 戦後日本は情報・諜報の手段を放棄してしまったゆえに。
 そうそう、「新聞記者」の日本映画も最近見ています。ここで取り上げなる気にならないのは、この映画を見れば納得です。東京新聞の女性記者が原案をつくったとかいう映画です。それは内閣情報室を描いたのでしょうが、ブッシュの側の工作にくらべれば、格が違う感じがします。

 米国では10年も経てばこのような映画で描かれてくるわけですが、日本で種が満載の安部さんの映画が10年後出来てくるとは思われません。
 この映画の製作費は9億6千万ドルで興業収入は5億7千万ドルですので赤字です。このような事態が続くとハリウッドでもこの手の映画は少なくなっていくのかもしれない。ロバ−ト・レッドフォ−ドは老けたなあ、なかなか彼に気が付きませんでした。メアリ−の夫・サッチャ−ズハズバンドも好演でした。出来る女性を連れ合いに持つ男はこうであらねばならないのか。

 それにしても、忖度と広報の日本マスコミには衰退せずに奮起してもらいたいものです。 本当の高級紙がほしい。

   2019-9-25 

  船中発策  映画




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2019年09月22日

日本のシングルマザ−は地獄


 小生は子供のいない老人なので、子供がいたとすればロスト・ジェネレ−ション、ここではロ−リング・フォ−テイの世代の親になっていたであろう。シングルマザ−は地獄という境遇の女性が身近にいるわけではありません。 ロストとシングルどちらもこれから大きな問題になると強く思います。

 最近の若い人は3人に1人は離婚するようになったのでしょうか。こちらとて熟年離婚だってあるのでオチオチしておられません。離婚して親権はほとんどが女性にあるようです。父親はほとんど子供に面会できないようです。 それだからではないと思いますが、子供の養育費はしばらくすると振り込まれてこない事態となる。
 離婚した女性の62%が無職・非正規だといいます。123万人のシングルマザ−の78万人が無職・非正規の人達ということです。平均125万円の年収だといいます。それでは母子家庭は悲惨なものとなります。喫緊の課題のはずですが、どこの政党もとりあげて解決しようとはしていません。

 1. 養育費は公的な機関を介して手渡すようにする。強制的な調査権をそこは持つ。

 2. 年収300万以下の母子家庭には親5万・第1子5万・第2子3万・第3子2万の援助金を支給する。(年収には養育費も含む)

 3. 子供が18歳まで支給

 4. 国公立大学に入学する子供には4年間に授業料と生活費5万を支給する。夏冬休みのボランテイアを義務つける。

  この程度の政策・セ−フテイネットをすぐにもしてほしいところです。




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  鈴木傾城さんによる 

  MONEY VOICEより転載  2019-9-9号

 無職・非正規が62%。娘の制服代払えず…母娘心中の悲しい末路


 仕事中の突然死
2016年6月。私は大阪・天王寺区の谷町九丁目駅を降りて、あるラブホテルの一室を見せてもらっていた。47歳の女性が1ヶ月前にそこで亡くなっていた。彼女は熟女デリヘルに勤めていたデリヘル嬢だったのだが、ラブホテルの一室で体調に変調をきたして突然死していた。
ドアを開けて中を入ると、病院に置いてあるような安っぽい赤いスリッパが置いてあった。それを履いて中に入ると、昭和と場末の雰囲気が漂う部屋に、壊れそうなダブルベッドがポツリと置かれていた。
彼女はこのベッドの上で突然死したのだが、驚いた客は死んだ彼女を放置してそのまま逃亡していた。
彼女はふたりの子供を持ったシングルマザーだった。仕事場のラブホテルで突然死してしまうほど無理をしていた。彼女が突然死する前はゴールデンウィークだったのだが、彼女は全出勤をして必死で稼ごうとしていたのだった。
熟女デリヘルは単価が安く、1回転で数千円ほどしか稼げない。やってくる客はそれほど多くなく、出勤しても客がつかないこともしばしばある。連日のフル出勤を風俗嬢たちは「鬼出勤」と呼ぶのだが、彼女もまた鬼出勤していたのだ。
しかし、鬼出勤しても客がつかないことには稼げない。客の指名がつくまで彼女たちは狭い待機室やネットカフェでひたすら何時間も拘束されて待たされる。稼がなければならないのに、何もできずに時間だけが過ぎていく。
ふたりの子供を抱えており、何とか現金を持って帰りたい。シングルマザーだった彼女の焦燥感は、かなりのものだったに違いない。彼女の亡くなった場末のラブホテルの一室は、そんな彼女の怨念が漂っているような雰囲気だった。
必死で生きて無念に消えていったシングルマザーの生き様がそこにあった。
シングルマザー約123万世帯の半数が貧困
シングルマザーの家庭、つまり「母子家庭」は日本ではどれくらい存在するのか。
厚生労働省の『平成29年度母子家庭の母及び父子家庭の父の自立支援施策の実施状況』によると、母子世帯は約123万2,000世帯となっている。
最初から未婚のままシングルマザーとなった世帯や、死別によってシングルマザーになった世帯もあるのだが、ひとり親世帯になった理由の79.5%は離婚によるものであるのが統計から見て取れる。
この母子家庭の相対的貧困率は54.6%で、分かりやすく言えば約半数が貧困にあえいでいる。


 無職と非正規で62%を占めている


母子家庭の18.2%、つまり約20%の母親は仕事を持っていない。そして、仕事を持っている母子の43.8%は非正規である。シングルマザーは無職と非正規で62%を占めているということになる。
子供を抱えたシングルマザーは、子供を抱えてフルタイムの仕事はなかなか難しい。子供に時間を取られて仕事に打ち込めない。できる仕事は非正規のパートタイムばかりで、それも子供の都合で休みがちになる。
月10万円の生活
では、この非正規で働いているシングルマザーはいくら稼いでいるのだろうか。厚生労働省の資料『ひとり親家庭等の現状について(平成27年4月20日)』によると、平均年間就労収入は「125万円」であると述べている。
125万円と言えば、月換算で計算すると約10万4,200円ほどである。ざっくり言えば月10万円がシングルマザーの収入であると言える。10万円で母親は自分と子供の生活を成り立たせなければならないのである。
今の日本では、自分ひとりで10万円で暮らすというのも経済的に苦しいが、母子家庭はそこに子供が加わる。その貧困は私たちが想像する以上に悲惨なものになっている。
谷町九丁目のラブホテルの一室で突然死して見捨てられた47歳の女性が、なぜそんな歳になってデリヘルの仕事をしなければならなかったのかは、こうした統計をつぶさに見ていけば浮かび上がってくる。
都会の片隅で死んでしまった彼女だけでなく、多くのシングルマザーは普通にしていれば生きていけない極限状態にある。まして具合が悪いからと言って休んでいたら、なおさら生きていけない。
カサブランカ・グループ
西日本で有名なデリヘルにカサブランカ・グループがある。広島から始まったデリヘル・グループだが、創業者は長谷川華という女性だ。
彼女にインタビューした時、「シングルマザーの女性も面接にくる。若い女性に需要があるのは当然だが、30代以上の女性の方も想定以上に需要があった」と語っていたのは印象に残った。
長谷川華さんは『ママの仕事はデリヘル嬢』という書籍を上梓している。そこには、彼女自身もまた離婚してシングルマザーとなり、次の男ともうまくいかずに別れ、電気もガスも止められた翌日にデリヘル嬢になることを決意したと記されている。
日本では結婚したカップルの3組に1組は離婚に至る。離婚に至る理由は様々なものがあるのだが、現代の日本は昔と違ってひとり親世帯に転がり落ちやすい環境にあると言える。
子供を抱えて離婚すると、子供の多くは母親が面倒を見ることになる。本来であれば、離婚したとしても父親が養育費を送らなければならないのだが、養育費の未払いは珍しくない。取り立てようとすると、住所すら分からなくなる父親もいる。
その前に、もともと稼げていない父親も多い。取り立てようにも現金をもっていないのである。そうなると、女性は働きながら何とか自力で子供を養わなければならない状況になる。
しかし、こういったシングルマザーにフルタイムの仕事は、なかなかできない。子供に時間が取られるからだ。
そうなると働き先は必然的にパートになるのだが、このパートの基本賃金が安いのである。しかも、子供が病気になったりすると欠勤も余儀なくされるので、収入が減る要素の方が増えていく。


 娘の制服代が致命傷になった


2014年9月24日、千葉県銚子市の県営住宅に住む母子が賃料滞納のために立ち退きを迫られた。このシングルマザーは長年の生活苦に疲れ果てていた。
家賃の滞納も生活苦から来たものであり、ここを追い出されると彼女は14歳の娘と共に路頭に迷うしかなかった。
そのため、母親は親子心中を思いつき、立ち退きの日に娘の首を絞めて殺し、死んだ娘の側で母親は娘が写っているビデオを無言で見ていた。このビデオが終わったら、彼女は自分も死ぬつもりだった。
しかし、その前に立ち退きの執行官がやってきて、母親は死ねなかった。そんな事件があった。
彼女も離婚によってシングルマザーになっていたのだが、離婚の原因は、夫のめちゃくちゃな経済観念だった。元夫は分かっているだけで600万円近い借金を持っていた。
彼女は自分の親に金を借りて元夫に渡した。それは働いて返してもらう約束をしたのだが、元夫はその約束を守らなかった。結局、このことが原因で別れることになったのだが、夫はその後、カネを返さないまま行方不明になった。
彼女は給食センターのパートで働いていたのだが、月給は平均して11万円程度であった。
その中で、彼女は娘が欲しいというアイドル関連のDVDやデッキや液晶のテレビなどを買い与えていたのだが、親としてなるべく子供に貧困を感じさせないように努力していた形跡が垣間見える。
こうしたものは分割36回ローンでまかなっていたが、もともと月給が少ない彼女にとっては痛い出費だっただろう。
やがて、娘が中学生に上がる頃、娘の制服代が払えずに社会福祉協議会に借り入れをしたのだが、それでも足りずに彼女は関わってはいけないものに関わった。
ヤミ金に足りない金を借りたのである。利息も聞かずに彼女は金を借りた。そうすると毎週1万円を返せと激しく電話がかかってくるようになり、少しでも返済が遅れると脅されるようになってしまった。
このヤミ金にカネを毟り取られ続けて家賃も払えなくなってしまい、そして強制立ち退きの日に娘を殺してしまったのだった。
娘の制服代が致命傷になった悲しいシングルマザーの事件だった。



 貧困が原因のトラブルの連鎖


一度、そうやって貧困側に堕ちていくと、ありとあらゆる要素が悪い方のドミノ倒しになっていく。
アメリカのピューリッツァ賞の記者であるデイヴィッド・シプラーは、著書『ワーキング・プア アメリカの下層社会』の中で、このように述べる。
「どの問題もその他の影響力を増幅させ、すべてがしっかりと結びついているため、1つの不運がもともとの原因からずっとかけ離れた結果を伴う連鎖反応を起こすことがある」
日本では「弱り目に祟り目」だとか「泣きっ面に蜂」という格言がある。いったん問題が起きると、それが引き金になって次から次へと悪いことが一気に表れる。
デイヴィッド・シプラーが、上記の著書で述べている例はこのようなものだった。
1. 荒廃したアパートに住んでいる。
2. それが、子供の喘息を悪化させる。
3. それが、救急車を呼ぶことにつながる。
4. それが、払えない医療費となる。
5. それが、カード破産を招く。
6. それが、自動車ローンの利息を引き上げる。
7. それが、故障しやすい中古車の購入になる。
8. それが、職場の遅刻につながる。
9. それが、昇進と稼得能力を制約する。
10. 荒廃したアパートから出られなくなる。
悪いことが、次の悪いものを引き寄せ、それがまた悪いものを引き寄せる。荒廃した粗末な住宅に住んでいることが、予想もしない悪影響を与え合って、どんどん自分の足を引っ張る。
まるで玉突き衝突のように、ひとつの悪いことが次の悪いことを引き寄せて止まらない。そうやって、負の連鎖、負のスパイラルがぐるぐると回って、いったん蟻地獄に落ちると、這い上がるのに相当な時間がかかるか、もしくは二度と這い上がれなくなってしまうのだ。
ひとつ踏み外すと、彼女たちはいつでも地獄が待っている
人の人生はとても不確かだ。
今は順調でも、何かほんの些細な出来事や決断が、予想もしない致命傷となって自分の人生を壊してしまうことがある。今の日本は、シングルマザーにそうした転がり落ちるような貧困に向かわせる社会となっている。
約123万2,000世帯の母子家庭のうち半数は順調ではなく、いつでも極限に沈む恐れがある。社会全体が縮小していくと、シングルマザーの苦境も放置される。場末のラブホテルで突然死し、放置される事件も起きる。
ひとつ踏み外すと、彼女たちはいつでも地獄が待っている。


   2019-9-22

  船中発策  国政改革








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2019年09月19日

追補 哲学と国際競争力


  大事なことではあると思いますが 「あなたは何者?」と問われて 述べることができない爺小生です。
 健康寿命を過ぎた今、消え去るのみであることはたしかでしょう。

 今はサントリ−の社長をしている新浪さん、かってはロ−ソンの社長だったような。日本ではめずらしく欧米的な渡り歩く経営者であります。教養を重視することを語っています。 下記にリンクを張りました。

  http://hayame.net/custom8.html#spb-bookmark-155

    2019-9-19

  船中発策  教育改革





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2019年09月16日

真珠湾攻撃総隊長の回想  その6


      淵田美津雄自叙伝による

    山本五十六凡将論





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 山本五十六 1884-1943


 開戦に始まって、南方作戦完了までの4か月間を連合艦隊は第一段作戦と呼んでいた。しかし、この作戦中、山本司令長官は何をしていたのか。1941年12月16日、戦艦大和は就役して編入された。これを旗艦として座乗して戦艦群を率い主力部隊と呼称して柱島泊地にとどまり遊兵として始終した。南雲機動部隊の空母6隻を基幹として戦艦群で護衛して太平洋に打って出て、敵の戦艦群を撲滅した今、ハワイや西海岸を叩きまわって、アメリカほん国民の戦意を喪失せしめるほどの、作戦構想が山本長官に沸いてこなかったものであろうか、当時の私には不思議でならなかった。



 1. 南雲機動部隊の4隻の空母を南方作戦に転用した。ラバウル攻略作戦の支援であった。ラバウル及びカビエンを空襲しこれらは敵は有力な航 空兵力を配備していなかった。ラバウル空襲を指揮したが、簡単に片付き、爆弾を抱いたまま帰還したのでは危険なので物色していた。こんなどこに落とすか苦労するような作戦に主力の空母群を投入していいのかと思う。 私の尊敬する山本大将であったが、凡将論が私の胸に出始めたのであった。

 2. 「ミッドウエイ海戦においての連合艦隊山本司令長官の全般作戦指導の凡将振りであった。彼は戦艦大和に座乗して、大和、長門、陸奥、伊 勢 、日向、山城の7隻の戦艦群を率い、これを主力部隊と称して、南雲空母部隊の後方3百マイルに占位しながら、全作戦の支援に任ずると誇称していた。南雲部隊の空母4隻をうしなうと、主力どころか、逃げ帰るほかなかった。大和の艦内で山本は将棋をさしていたのではと云われている。 

 3. ガタルジャナルの攻防をめぐる作戦航空作戦「い」号作戦の中、まさに日本海軍の全航空戦力を注ぎ込んで、航空決戦を意図していたのだが、次第に航空消耗戦の様相を呈してきた。そうなると補充である。こちらは補充不如意である。ここにおいて、山本大将は背に腹はかえられないとばかり、第3艦隊の空母搭乗員全力を陸上に転用して、すかり消耗戦ですりきってしまった。このことは、ニミッツの米国機動部隊のマリアナ攻撃の備えをなくしてしまった。


    2019-9-16

船中発策  軍事・安全保障






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2019年09月14日

真珠湾攻撃総隊長の回想  その5

 


            淵田美津雄自叙伝による

   知らぜらるハワイニイハウ島事件




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 西開地重徳さんの不時着したゼロ戦


戦艦大和の沖縄特攻の折に、米軍の飛行機による大和攻撃最中に飛行艇が大和近くに着水して米軍パイロットを救出する場面がありました。飛行艇乗務員は最も勇敢な行動です。帝国海軍乗組員にとっては不思議な光景と映ったことでしょう。日本は特攻にパイロットを消費していたころですので。 

 淵田氏によると、日本海軍おいて、初戦では、パイロットの不時着地点を事前に決めておき、潜水艦を配備して救出する作戦を計画しました。真珠湾攻撃ではハワイ諸島の西端にあるニイハウ島がそれでした。この島はロビンソン家の個人所有で牛や羊の管理で少数の人しかいないのを調べていました。

 パイロットの養成に特に母艦パイロットには、1000時間の経験・年数3年を要すると淵田は述べています。淵田は源田参謀と相談して連合艦隊司令部も同意して、このときはイ号74潜水艦を沖に待機させていました。 しかし、作戦を変更してパ−ルハ−バ−湾口の攻撃に潜水艦を振り替えてしまう。  ゼロ戦1機が予定どうり不時着して、救出を待ちましたが、潜水艦は現れずに、西開地飛曹は通話暗号表を守るために現地住民のトラブルを起こして、彼をかばってくれた通訳として呼ばれた日系人原田と共に自決してしまいます。 この後も、日本は最後までパイロットを消耗品としか扱っていません。

 淵田がカウアイ島を訪ねた折、手紙が転送されてきて、「ニイハウ島へ墓参りに行ってください。之が部隊長の大責任と思います」と書かれていた。淵田は戦時中も戦後も、ニイハウ島に不時着機があるのを知らなかった。原田義雄さんの未亡人アイレンさんは、日本兵をかばったという反逆罪で3年間服役した。彼女を訪問して詫びニイハウ島に訪れた。 淵田は潜水艦を待った西海岸で1日中たたずんで、埋葬地を訪ねた。



   2019-9-14

真珠湾攻撃総隊長の回想  1-6








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2019年09月10日

真珠湾攻撃総隊長の回想  その4

 

        淵田美津雄自叙伝による

  米国首脳との会見



 トル−マン大統領

 1953年2月 トル−マンと会う。 「キャプテイン淵田、真珠湾はね、ボス・ギルテイ(両者同罪)だよ」そりゃ神の前にはそうでしょうけど....。トル−マンは「いいや、神の前ばかりではなく、人間の前にも、いまに史実としてそれが明らかになるであろう」と言った。 それから戦犯問題にも触れ、「まもなく,戦犯問題は打ち切られるよ」。 



 アイゼンハワー大統領

 1953年2月22日 ナショナル長老教会で合う。大統領の隣席で礼拝を受ける。暖かい気持ちの人だと思う。



 マッカ−サ-元帥



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Chester Wiliam Nimitz 1885-1966

 ニミッツ元帥・太平洋艦隊司令長官

 戦後横須賀に淵田はニミッツに召喚される。彼は東郷元帥に私淑していると話した。天皇戦犯問題の解消について助言を懇請した。天皇を戦犯扱いしているようでは占領政策がスム−ズにいかなくなるであろうとニミッツは進言した。これにマッカ−サ−も了承した。

 福岡にある教会の鐘を兵隊が持ち去ったものを返還させる、豊田副武から送られた軍刀を返還した。



 スプル−アンス海軍大将・ミッドウエイ海戦の司令長官、

 自宅であったりレストランで和やかに接待にあずかる。



 ドウ−リトル・東京空襲発案及び指揮官

 シェル石油の宣伝部長であった。彼の部下のデイシェイザ−に合うようすすめてくれた。



   2019-9-10

真珠湾攻撃総隊長の回想 1-6






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2019年09月08日

香港難民の受入れ

  

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 写真はJIJI.COMより


 逃亡犯条例が3か月振りに撤回となりました。 しかしデモの動きが終息する気配はありません。中国がこれで諦めるとは思えず。いずれ天安門事件の二の舞です。

 日本は今から香港難民の受け入れの準備をしておくべきでしょう。 公団の空き室や民間の空き室は賃貸不況の今日では豊富にあるはずです。香港難民は無条件で一年間の滞在を許可し保護すべきです。その後は他国に行くのも自由で当人が決める事です。 韓国ともめていますが、彼らが難民で押し寄せてきた場合はこのようにはなりません。国民の支持も少ないでしょうね。

 その後のことは香港難民の意思にまかせるとはいえ、今は低賃金の研修生をこれから大量に受け入れることを決めて、もうすぐに入ってきます。 ベトナム研修生が老人宅に侵入して殺人を起こした事件がありました。いまのままの政策ではこれからも同様な事件が起こるでしょう。 

 日本へ働きに来ることは、中間搾取が入り、賃金も他で高いところも見かけるようになり、今は競争力が無くなりつつあります。 これからは働きに来る人間の選択肢が膨らんで、日本はそのひとつにすぎないものとなるでしょう。 国を挙げての挙げての中間搾取を排除してきてもらう努力を日本はしていません。それよりか、行政の天下りのひとつとして搾取に加担しているのではないか。・

 香港の難民は今までの働き手よりは高学歴で洗練された人々が少しは多くなると思います。 人口減少を云うのなら、彼らの定住化の政策をとり、日本を選んでもらうことが大事ではないでしょうか。 このことで、かの国はヘソを曲げるでしょうが、その国とは時間の問題で前面に立ってくることは必然です。 かの国が自滅してもらうまではガマンして忍ばねばなりません。



    2019-9-8

  移民・難民 まとめ



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2019年09月06日

別府



 別府へはヨットで2度訪れました。すぐ近くに大型ス−パ−や安い温泉がありとてもヨットには良い。 最初の入港の時には入り口が分かりにくいので注意が必要です。 2度目の時は入港間際にホンダワラに突っ込んでプロペラにそれが絡みました。 上架して取り除くつもりでしたが、あいにく船底塗りの先客があり、同時には上げられないようです。 しかたなくハ−バ−で潜って海藻を取り除きました。

 ここは別府駅にも近く申し分はないのだけれど、2000円位で係留費が済むとよいのですが。 他のヨットマンに聞いても、ワイフがまた連れていってくれとせがむようなところだと聞いています。おもしろい夜のクラブ、妻同伴ですが有ると言っています。 ハ−バ−近くに温泉もあり、100−200円で入湯できる。

 鉄湯・かんのわ温泉に行ってきました。 駅からバス便があります。ここにも安く入湯できる温泉が町のあちこちにあります。 地獄めぐりに行きました。各地獄で500円程の入場代を徴収するので興ざめです。入場料をとるせいか、関係のない余計な展示物も見せられます。 各地獄をまとめてもっと安くする方法を採ってもらえないものでしょうか? これではいずれ人気が無くなるのでは。



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 別府北浜ヨットハーバー 人気があるので予約が必要でしょう




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 竹瓦温泉  200円



 

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 鉄湯のあちこちにある温泉 100−200円



 

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 鉄湯 むし湯温泉



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 地獄めぐりのひとつ


   2019-9-6


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