2023年08月16日

宮崎  ヨット泊地

   


  油津より宮崎商業港へ航海した。 梅雨の中、潮汐が思ったよりあるので、昇り降りが楽なように岸壁に固定して設置されているハシゴのある場所を探して着岸する。

 夕方であったが雨中のなか港湾局の人が来られて、手続きをする。 明日の朝5時には出港するので、静かにしておくつもりであった。 手続きにおいて、「強い雨の避難が目的での入港ですね?」と言われ思わず「はい」と答えた。 理由が無いと着岸は認めめられないのかもしれません。

 マリ−ナもあるのですが、入り口が浅く充分な注意が必要です。



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  赤丸は停泊地、、 青丸は停泊地、 



     2023-8-17


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2023年08月14日

蒲生 麓武家屋敷、  蒲生城

     


 鹿児島中央駅よりバスにて姶良市役所蒲生支所のバス停で下りて蒲生麓武家屋敷へ行って来た。 麓武家屋敷に必ずあるというよりお城があってこその家臣の武家屋敷であるのですが、武家屋敷散策後に蒲生城を訪ねたが、登城口が見つからず、断念してしまった。  指宿からはるばるの鹿児島南から北への渡来であったので意気が上がらなかったのでしょう。 いつもの小生の追及の甘さの欠点がでてしまった。反省。

 ここは蒲生川と別府川の2本に挟まれて、9本の馬場と3本の小路にて区切られた町割りです。


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  町割りと馬場通り




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  仮屋門




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   西馬場





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   武家門




     蒲生城 (竜ヶ城)


  後で分かったのであるが公園として良く整備されているようで、お城ファンとしては残念な思いである。

 蒲生氏が代々居城としていた。島津義久がここを落として領した。 本丸、2の丸、3の丸の他に曲輪群で構成されたお城である。



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   蒲生城




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  お城登山口    藪こきを予想され断念した


 

   今後ここを訪れたい人のために   蒲生城 城郭放浪記

  https://www.hb.pei.jp/shiro/ohsumi/kamou-jyo/thumb/




          2033-8-16





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2023年08月13日

八代城と麦島城




  肥薩オレンジ鉄道八代駅よりタクシーにて八代城へ行く。 そこから前川にある橋を渡り麦島城へ行ってきました。 八代城は天守は無いけれども石垣などの構造物がしっかりと残っており、小さいながらも見ごたえのあるものです。



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  八代城と麦島城



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  縄張り図



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  天守跡  若い女性の花見真っ最中




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  欄干橋跡



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  埋み門跡




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   廊下橋跡








        麦島城


  麦島城を1588年に小西行長は築城した。この城の北側は大きな入り江で港であった。 南蛮貿易の拠点・徳淵津でもあった。ここは関ケ原の戦いの後では小西は改易され加藤清正のものとなる。一国一城令が決まっても加藤藩は例外として熊本城とここ麦島城を持つことが幕府より許された。 薩摩対策の一環としてであろう。 一六一九年大地震でここは倒壊した。 麦島城の代わりとして八代城を築き、一国二城体制は明治まで続いた。



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  縄張り図



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  麦島城跡    残っていない



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 八代キリシタン殉教地、 11名の殉教者をだした。


  徳淵津が南蛮貿易の港としてにぎわっていたことを小生は知らずに、麦島城を訪れる途中にこの地を見つけた。 この港があるからこそ秀吉はキリシタン大名の小西行長をこの領主にした



        2023-8-15



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下甑島 長浜   ヨット泊地

     



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  赤丸は停泊地



  長浜診療所近くの岸壁に係留。 すぐ近くにスーパーがある。 この島はタクシーを呼べない。 バスの利用のみ。

 
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         2023-8-14





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2023年08月12日

指宿  ヨット泊地

 


  指宿はヨットにやさしい港で漁港としては珍しくプレジャーボート用の専用ビジターバ−ス3隻分が用意されている。 下図赤丸部分、その外側に2隻程のスペースもある。 小生はここからJRに乗り鹿児島、山川、喜入、志布志へと観光に足を延ばした。

 立ち寄り湯(徒歩10分)がある。 スーパー(徒歩10分)、ガソリンスタンド(徒歩10分)、コインランドリー(徒歩7分)便利に利用できる。


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  ゲストバース案内板





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  突き当り左突堤も係留できる





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 ハシゴはコーナーに一つで、そこへ着けたヨットは乗降の共助が必要です。 潮汐は予想外にあるので。 



     2023-8-13


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2023年08月10日

伊作城

   


 JR伊集院駅よりバスにのり伊作城へ行った。 多宝寺口の案内板により登城することになった、

 南北朝時代に島津本家4代忠宗の弟・久長が伊作島津家の始まりでこの城を作った。忠良(日新公)やその子4兄弟・義久・義弘・歳久・家久がこの地で誕生した。 本丸にこれらの人々の石碑がある。





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  縄張り図   本丸は亀丸城



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  伊作城登城口






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  仮屋城跡(曲輪)




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  本丸の誕生石碑



     2023-8-12
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知覧城、亀甲城と麓武家屋敷




  知覧の見たいところ特攻平和会館、麓武家屋敷、知覧城へバスで行くには終点まで乗らずに、行く場所のバス停留所で降りたほうがよい。ちなみに知覧行きバスは鹿児島中央、指宿、枕崎などからの便がある。



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  1.  知覧城



築城年代は不明ですが,記録によれば文和2年(1353)足利尊氏によって島津忠宗の三男,佐多忠光に知覧の領地が与えられています。以後佐多氏の居城として知られています。

城の構造は,本丸・蔵之城などを中心とした曲輪群(平坦地)とそれを取巻く東ノ栫・式部殿城など周辺の曲輪群から形成されています。城と城の間には深い空堀がめぐり,それぞれが独立しているのが特徴です。 案内板は充実していて比較的整備されている。 しかし、他の2つの施設に比べてここを訪れる人は少ないようだ。


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  本丸   虎口付近が崩れて青ビニール





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  蔵之城へ





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   建物跡  蔵之城





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  今城へ   







     2.  亀甲城

  知覧城の出城である。 記録が無いので詳細不明。 

 

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   縄張り図





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  復元された虎口、   麓川の左岸に築かれていた





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   矢櫃橋を渡って左の大手口へ





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 主郭にある知覧忠世顕彰碑  南朝側に属し守護の島津貞久と戦う。



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   らせん状の道を昇る













       知覧麓武家屋敷



 石垣とその上の生垣が並び武家門と庭園が見られる



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  知覧ふもと武家屋敷案合図





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  知覧麓 武家屋敷通リ





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  西郷恵一邸 武家門





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   西郷庭園



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  平山克己庭園



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  知覧型二つ屋





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  森重堅庭園



           2023-8-11

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2023年08月08日

枕崎

    ヨット泊地


 最初は奥にある大きなポンツ−ンに着けた。 しばらくして市役所の人が来て、ここは不適であるという。 確かに明け方に大型トラックが来て漁船からの積み込み作業をしていた。  それで下図にあるすぐ横の階段のある赤丸位置に接岸係留した。



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  赤丸は停泊地、  青丸は候補地

 



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  係留不適ポンツーンと赤いヨットは青丸候補地




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  赤丸に横抱きして係留



  お風呂はJR枕崎駅近くに銭湯がある。 ス−−パ−とコインランドリーあり。 関東出身のヨットマンNさんには大変お世話になった。お土産まで頂いたありがとうございます。 ドイツから来ていたイコールマストの自作風ケッチは対岸の上図青丸位置に着けていた。この位置も広く外来用のスペ−スがあるようだ。 市役所の人が地元漁船に随分と気をつかっているようです。

  JR枕崎線hは指宿以降は日に5−6本の少数の運行なので注意が必要です。


       2023-8-10
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一宇治城(伊集院城)、 市来鶴丸城

   
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  市来鶴丸城と伊集院城の地図


  一宇治城はJR伊集院駅のすぐ近くの城山公園にあり、市来鶴丸城はJR東市来駅より徒歩10分にある日置市東市来支所近くにある。




       一宇治城 (伊集院城)



 JR伊集院駅を降りるとすぐに城山が見え、迷うこともないであろう。 観光案内所もロータリ―横にある。

 鎌倉時代に伊集院氏により築城。その後島津配下の城となる。1545年(天文14年)、島津家中の統一を目指していた島津忠良・貴久親子は先祖代々の居城であったが薩摩国西部にあり不便であった伊作城から、薩摩国中央部にあるこの城に拠点を移し、鹿児島の制圧を目指す。貴久は大隅と日向をを加えて家中の統一を果たす。1550年に鹿児島の内城へ写した。

 1549年に貴久とザビエルがここで対面し布教が許された。

 城の縄張りは「神明城」(本丸) 「伊作城」「中尾曲輪」「釣瓶城」「弓場城」「護摩所」「南之城」「上平城」など、大小30個あまりの曲輪で構築された。

 


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   桜の時期であったので花見の宴が見られた。



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   登城口



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  ザビエル像







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  曲輪と空堀

 城という名の郭は堀を挟んで独立しており、公園として芝生を植えてよく整備されている。 案内板もあり曲輪を見ることが出来る。







        市来鶴丸城


 市来鶴丸城は市来氏によって築かれた城です。市来氏は市来家親の代に島津立久によって滅ぼされ、以後は島津氏の所領となります。戦国時代になると島津宗家と対立していた薩州家の島津実久が占拠しましたが、1539年(天文8年)に島津忠良・貴久父子が攻略すると、伊集院忠朗、のちに新納康久が城主をつとめました。なお康久が城主の1550年(天文19年)にフランシスコ・ザビエルがこの地を訪れ布教活動をしています。



 市来鶴丸城は鶴丸小学校の裏にある。



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  春日神社、   登城口がある、登城路は整備されている




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  ザビエルと家老ミゲル、    赤い屋根は小学校



  ザビエルは10日ほど布教したという。 鹿児島で説教を聞いた家老ミゲルが感動してここ鶴丸城へ案内したという。ザビエルはこの後平戸へ行った。




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  主郭


         2023-8-9

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2023年08月07日

下甑 手打麓武家屋敷




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 下甑島 地図



  上甑島の里より下甑島の長浜へヨットで航く。 この島の南端にある手打にバスに乗り訪れる。 麓武家屋敷を見てきました。 麓というからには城跡があるはずであるが、その案内は無かった。  玉石垣とその上の垣根で構成される武家屋敷は武家門や建物は残っていないけれど、風情がある落ち着いた雰囲気は良いように思う。

 バスの時間は良く確認のこと、タクシーを呼ぼうとしたが、ここ下甑はタクシー会社が無いので呼べないとのことであった。 クルージングで島など不便なところに多く行ったつもりであるが、このような事態は一度もありません。 それほど鄙びたところであるということでしょう。上甑では呼べるとのことです。



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  郷土館   休みで中は見られなかった





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  武家屋敷の入り口のたたずまい







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  武家屋敷通り





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  津口番所



               2023-8-8

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2023年08月06日

串木野  海の駅





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  赤丸は停泊地、


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赤丸 ゲストバ−ス


  海の駅は漁協が管理している。 海の駅の受付している売店は閉店した、 500円/日前後の安価な施設である。 電気なし、近くに温泉がある。 地元のヨットマンは大変親切で何かと相談にのってもらる。 台風避難にも使えそうである。

   電話 0996-32-2108


   串木野城と麓武家屋敷


           2023-8-7

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2023年08月04日

大江 大江天主堂、  天草下島

 
       大江   天草下島





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  崎津と大江





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   赤丸は停泊地、

 

  崎津は適当なヨット係留地が無いので、ここ大江に停泊した。 ここから大江天主堂へ行ってきた。 ス−パ−やガソリンスタンドは見当たらなかった。




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   階段のある所に係留





      大江天主堂



  キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で、現在の建物は昭和8年(1933年)天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立した。丘の上に建つロマネスク様式の教会。 



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  大江天主堂





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          2023-8-6


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串木野城と麓武家屋敷



       串木野城・亀ヶ城



 串木野城は「関ヶ原の戦い」において「島津の退き口」で奮戦して討死した島津豊久の生誕地とされています。もともとは薩摩郡司・薩摩六郎忠直の三男で串木野氏を称した串木野忠道によって築かれた城で、以後は串木野氏代々の居城となりました。南北朝時代、串木野忠秋が城主のとき、島津氏に攻められると忠秋は城を捨てて知覧へ逃れ、串木野氏は滅亡しました。島津氏の所領となったあとは川上氏が城主となり、戦国時代には山田有信や、島津貴久の四男で島津義弘の弟である島津家久がこの地の地頭に任じられています。1570年(元亀元年)に家久の嫡男・豊久が誕生しています。 

 案内板があり見ることができるが、私有地であり制限されてどこでも入れるわけではない。 代将で6つの曲輪があるという。



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  串木野城跡 



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  土塁と空堀





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  曲輪へ









        串木野麓 武家屋敷



  旧入来邸ぐらいしか武家屋敷は見当たらない、



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  地頭仮屋跡





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  南方神社    室町時代に信濃国諏訪神社を勧請創建したという。





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   旧入来邸 武家屋敷  郷士年寄格屋敷跡  長い塀でかこまれた広い敷地である。







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  串木野氏の墓





      2023-8-5

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2023年08月03日

まとめ  薩摩 麓武家屋敷 12



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  薩摩には鹿児島城を本城として、藩内各地に外城(とじょう)を配置し、それは120もあったという。 秀吉に屈服するまでの島津氏は九州を平定するほどの勢いであったので武士を多く抱えていた。領地は削減されたが武士の数は減らさなかった。それゆえに人口の1/4が武士であったという。

 島津氏は独自の外城制度で各地の山城周辺に麓(ふもと)武家屋敷をつくり武士を住まわせた。 仮屋(かりや)と呼ばれる役所を置き、周辺に馬場と呼ばれる何本かの道により町割りをして、武家屋敷が配置された。 各地にそれを見ることができる。

 ヨットで鹿児島を訪れた時に、これを知ることになった。 長崎の世界遺産を見た後は、新たに目標ができ、日本遺産に指定された12か所を訪ねることになった。 

    下記をクリック 個別になります

 1. 鹿児島城

 2. 喜入旧麓

 3. 出水麓

 4. 入来麓

 5. 里麓

 6. 手打麓

 7. 串木野麓

 8. 蒲生麓

 9. 知覧麓

 10. 加世田麓

 11. 垂水麓

 12. 志布志麓



                 2023-6-29



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2023年08月02日

霧島神宮





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  霧島神宮 


  天孫降臨神話の主人公であるニニギノミコトを祀った霧島神宮は、創建が6世紀頃と伝わり、数少ない「神宮号」を名乗る神社です。 熱田神宮近くで小生は育ったけれど、神社というのは多いが神宮というのは確かに少ない。 本殿にお参りするのにも行列をしています。 確かに厳かな雰囲気に包まれた神宮でありました。

  今回の巡航では乗上たり入院したりと大事が起きましたが、大した徳を積んでいない小生にしては最悪の事態に陥らずに済みました。 お礼を申し上げて参りました。



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  案内板



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   本殿 国宝





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  さざれ石



     2023-8-4

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牛深海の駅 天草




  牛深海の駅は値下げされ、電気もとれるし申し訳ないくらいです。  電話 0960-73-1173  2隻ほどしかスペ−スが無いので空の確認が大事です。 桟橋前のグラスボ−トの観光船事務所で手続ができます。 買い物はス−パ−が近くにある。

 唯一気になるところは橋高で入り口にあるハイタ大橋は17mである。 他の二つは18mと16mである。 ここを抜けられれば西方面に行くのに近道となるのであるが、試してはいない。 ご注意あれ。





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  赤丸は停泊地、  青丸は候補地


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  赤丸 停泊地



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  牛深海の駅ポンツーン

  上の写真の右陸側ポンツーンは観光船の発着に使用される


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   16mの橋高  確認のこと  ここが抜けられれば西へ行くのが容易


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 青矢印は停泊候補地、  ハイヤ大橋をマスト高で抜けられない時


    2023-8-3



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2023年07月31日

阿久根 海の駅




  天草牛深より阿久根海の駅に向かった。 ポンツ−ンは小型であるが空いていれば快適だ、 電気はとれる。  電話 0996-73-2141   徒歩5-6分のガソリンスタンドで手続き。  近くにス−パ−や温泉あり。


 ここは旧港にあたるのであるが川向うに大きな新港が存在する。 手狭のときにはそちらの利用も考えられる。

  

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  赤丸はポンツ−ン停泊地



 

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  阿久根海の駅 ポンツーン係留




 

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 クラシカルトットが停泊していた。 余り乗ってはいないようだ。



      2023-8-2

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宇土城と古城




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  宇土城と宇土古城  地図


 宇土マリ−ナからバスに乗りグ−グルマップで最寄りのバス停に降り、お城を探しながら現地に向かった。



     宇土城  (近世)


 小西行長は肥後半国17万5千石を受領し、宇土古城の東にこの宇土城を築いた。 関ケ原合戦で西軍に属したことから東軍の加藤清正に攻められ開城した。 清政の隠居城として整備された。 清正の死去に伴い破却される。 その後1632年に加藤家は改易となり細川氏に変わる。1637年島原の乱に小西の浪人が加担したことから、幕府は西国の廃城の徹底的破壊を命じたので、ここの荒廃が進んだ。

 
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  城下町を持つ総構であった



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  石垣、  清正の改修によるものと言われている



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  城跡公園にある小西行長像



          八代城と麦島城        



    宇土古城


 菊池氏か宇土氏により作られたという。 隣の宇土城(近世)よりは城跡らしい。 千畳敷という主郭と三城とで構成されていた。

  
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  虎口



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   横堀 その上は千畳敷といわれる主郭



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  建物跡



       2023-8-1


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2023年07月30日

油津  宮崎




  内之浦にてエンジンの回転計の故障に気が付き、油津ヤンマーの代理店に電話して修理を依頼した。 ヤンマーの事務所の前の岸壁に着け、すぐに修理をしてもらい無事回復した。

 夜中より胸に違和感を感じ、すぐに入院して5/10より6/8まで滞在することになった。漁協、ヤンマーエンジニアリング、末永電機マリンの方々に長い間お世話になりありがとうございました。



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  赤丸は停泊地、 青丸AとBは候補地

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 赤丸 停泊地

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 青丸A 候補地

 赤丸の岸壁は20トンくらいのまぐろ・かつお漁をする漁船が休養に使用しているようだ、入院ゆえに長い停泊をしてしまったが、ここには岸壁に梯子が設置されていないので2m以上の潮汐があるのでヨットへの乗り降りは時間制限がかかる。  青丸岸壁にはハシゴが2か所あるので、そこへ付けるのが正解であると思える。 他に内港の白いタンクの後ろ側(青丸)に外来船ようの岸壁がある。ス−パ−、コインランドリー、ガソリンスタンドあり。

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 油津は宮崎県の歴史ある天然の良港です。 飫肥藩の飫肥杉の積み出しのため堀川運河、江戸時代初期に開削された。


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 大正10年建築の赤レンガ館、  競売にかけられていたのを街の有志30人で買取り保護したという

 


              2023-7-31

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2023年07月29日

天草 姫戸

            


  宇土マリ−ナから三角の瀬戸を抜けて八代港には適当な泊地が見つけられなくて姫戸に入った。 フィシャリ−ナ天草へも行きたかったのであるが、これも三角瀬戸を抜け、天草の橋をくぐっていく方法が見つけられずに断念した。 橋高が足りないようで16m以下のところ自艇を抜けた記録が無い。 確かな情報に接することが出来ればあるのかもしれないが。



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  赤丸は停泊地  青丸は候補地


  漁船が利用するポンツーンがある。 漁協の許可がなかなか下りないので避けた。 翌日まで観察していたが、一杯のようでもなかった。また、その横に利用されていない浮桟橋(青丸の位置)があるが、ここも利用はされていないようなので可能な気がする。けれど陸への乗り降りには少し苦労するかもしれない。 近くにス−パ−があり買い物には不便がない。



            2023-7-30


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2023年07月27日

日野江城

    


  訪れる人が少ない。 城跡としてはかなり大きく有馬氏の居城であった。 鎌倉時代に時代に築城され、1496年に支城として原城が築かれた。有馬晴信は1582年に洗礼を受けてキリシタン大名となる。近くに有馬セミナリオを建設。晴信の朱印船は数多く渡航したという。晴信は島津氏について龍造寺軍を破り、秀吉に従い安堵される。江戸時代になり日向に転封となり去る。しばらく天領となっていたが、1616年松倉重政が入封した。当初はここを居城としていたが、島原城を築いて廃城とした。



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  日野江城




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  縄張り図    安土城のような階段があった



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  本丸へ



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   本丸




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  二の丸と本丸




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  石碑  日野江城浦口





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  有馬セミナリオ跡




         2023-7-29



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志布志城と麓武家屋敷



 指宿から志布志城などへ行ってきました。 前日に鹿児島中央駅の観光案内所でここから志布志までの行き方を尋ねた。 JRで宮崎まで行き日南線に乗り換えて志布志まで行くのが良いと教えられた。 さすがに鹿児島へヨットで初めて来たとはいえ、おかしいと思えた。医者のセカンドオピニオンではないけれど、階段を下りた駅前広場にもう一つの案内所があり、そこでも訪ねた。垂水へフェリーで渡りそこから志布志行きのバスがあると云います。 それのほうが安くて早いと思われ、翌日にその経路で志布志に行ってきました。正解である。 後日に日南線の油津駅で志布志行きの時刻表を見る機会があったが、志布志へ行く列車は日に5−6本でした。 先の案内所で教えられたルートで行っていたら、どこかで宿泊を余儀なくされたであろう。 JRの職員の案内所であったかもしれないが、自社の利益優先の案内で、とんでもないものであった。 真に受けるのも注意したいものです。 志布志は鹿児島県といえども交通網は宮崎の影響下にあるのも事実でしょう。

 志布志城は内城、松尾城、高城、新城を総称している。


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  内城は案内板が要所に立てられているので、分かりやすい。 他の城には訪れることはできなかった。 松尾城には登り口が見られた。 行けないところもあるようである。



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   内城 縄張り図



 

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  復元模型





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  内城本丸登り口 



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  新納時久墓   矢倉場


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   松尾城登り口




 

       志布志麓 武家屋敷


 麓武家屋敷はお城近くにいくらかの通リがあって、町割りがしてあるところが多い。 ここは城近くではあってもそのようにはなっていない。

 下の写真のように門前に紫の旗が立っており、その存在を明らかに示している。 平山邸、清水邸、福山邸、天水邸、島濱邸などきれいな庭園がみられるが、 小生は指宿から来たので時間に限りがあり、その多くを見ることができなかった。



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  天水氏邸



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   天水氏庭園



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  平山氏庭園



    2023-7-28


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2023年07月26日

宇土マリーナ




  口之津より三池へ行くことを考えていたが、三池の潮汐が4mになるという情報もあり、港内に適当な停泊地も見当たらないので断念した。熊本の飛行場近くの海の駅もいつも空が無いとのことである。 従い宇土マリ−ナへ行くことになった。

 ここからJR赤瀬駅を使ったり、路線バスで熊本城三角港宇土城を訪問することになった。

 有明海は海苔の産地のようで、海苔漁船が多くみられる。


  

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  赤丸は停泊地

  宇土マリ−ナの入り口付近には浅いところがあるので、干潮時の出入りには注意を要する。 電話 0964-58-4500  3300円/日/30f

 電気、水、シャワー

 


      2023-7-27

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2023年07月25日

口之津

  
  口之津には3/19から3/24までの5泊滞在した。 新しく整備されたフェリータミナルの情報に疎かったので、ヨット停泊場所に不安をもちながらの入港であった。 旧フェリー桟橋の他に新桟橋が3つある。 そのうちの北側にある小さいポンツーンに最初はヨットを着けた。 ほどなく一番大きな桟橋のフェリー利用の反対側を支持されてシフトした。 あとでその方は地元のヨットマンの人で何かと気にかけていただいた。

 

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  赤丸は停泊地  青丸は最初の停泊地


  天候待ちで日があったので、ここから観光するために、バスで原城、日野江城、島原城、加津佐に行き、フェリーで天草の鬼池に渡った。また、南蛮船渡来の港であり、そこには徒歩で行くことが出来る。


   南蛮船渡来の港  口之津


 1562年日野江城主有馬義貞が口之津を開港。1563年にここに教会が建ち、1567年にポルトガル船が来航した。 長崎には1571年に来航した。 現在は開田公園になっており教会の跡地も分からず、当時を思い起こすものは見当たらない。




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  案内板  ヴァリニャーノが1579年に口之津来航とある






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  開田公園にある南蛮船渡来の地の石碑

 


   明治の口之津


  この後に行く三角の港も明治の3大港であると知って驚くのであるが、この口之津港は三池炭鉱の石炭の積み出し港であった。大型船が入港し香港など海外に輸出されていた。ゆえに古い税関がここにある訳である。



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  明治20年の口之津  古写真




 

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  歴史民俗資料館、 口之津税関跡



  初めて船員になった時に口之津出身の先輩が多かった。 良くしてもらっていたので、ひょっとしてお目にかかれることがあるのではと期待していた。 よく考えてみると半世紀余り以前のことであり、その軌跡は起きなかった。 出港のときにフェリの駐車場整理の人に名前を告げて尋ねてみたけれど成果は得えられなかった。 所属した海運会社の名前は皆さまご存じであった。 大手でもない中小の会社なのに三井系列ということでこの地元では知る人がいるのであろう。 ターミナル2階の資料館の展示によると明治の時よ三井の船に乗り込んでいた人が多かったようだ。 ここには口之津海員学校(現・海上技術学校)があった地である。



            2023-7-26

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島原城と武家屋敷

 


  口之津からバスにて島原城と日野江城を見て来た。 ヨットで行くつもりでもあったが、適当な停泊場所がないので取りやめる。島原の武家屋敷やどちらの城も想像以上で満足のゆくものであった。



     島原城

  行く途中のバスの中で、あの普賢岳、今でも思い出す火砕流の滑り落ちて迫る映像のそれに近いので驚く。 島原駅の正面で坂を上ったすぐ近くに島原城はある。


 1616年に大和から転封した松倉重政が日野江城から移ってこの城を築いた。 五層の天守と三層の櫓3つを持つ7当時4万石の大名にしては大きな城である。 過大な出費のため苛政をし、そのため天草の乱の原因を作った。 松倉氏は断絶し、その後には譜代の大名が続いた。




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  縄張り図  




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  島原城

 

 
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   天守  残念なことにコンクリートによる復元である。 中は資料館になっている。



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  本丸へ











     島原武家屋敷




 築城の時に70石以下の武士のために城の西側に武家屋敷が整備された。 鉄炮町とも呼ばれそれで戦う徒の住居である。 役所の書記、代官、門の警備などに平時は従事した。

 下の丁、中の丁、古丁の3筋から、上新丁、下新丁、新建、江戸丁が追加してつくられた。 今の武家屋敷通りは下の丁にあたる。山本邸、篠塚邸、島田邸を見ることができる。




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  下の丁、  中央に水路が生活用水として利用された




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  山本邸 



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   山本邸 座敷



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   山本邸  台所



     2023-7-25

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2023年07月24日

坊津歴史資料館と鑑真記念館

 

 串木野からわざわざNさんが枕崎に来てくれました。 彼の車で坊津歴史資料館と鑑真記念館に連れて行ってもらいました。



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  枕崎から野間池 地図



  坊津は日本の三津と言われる博多津、安濃津、坊津の一つである。飛鳥時代から遣唐使船の寄港地であった。 鑑真は近くの秋目(秋妻浦)に上陸した。 明や琉球との貿易が盛んでした。 ザビエルが最初に上陸した地でもある。r度時代になると薩摩藩の密貿易の知となる。

 この地を訪ねたいとの気持ちがあったが、適当な泊地が見つけられずに諦めて枕崎に行くことになった。



    坊津 ヨット泊地



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  青丸は停泊候補地

  槍着けだと置けそうな気が現地でした。 ウネリが入りそうな時は枕崎に行った方が良さそうだ。



   坊津歴史資料センター輝津館


 坊津の交易資料、仏教資料、漁具などの民俗資料を所蔵・展示している。



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  坊津歴史資料館




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  展示物






    鑑真記念館


 苦難の道を乗り越えて日本に上陸した地に鑑真記念館は立てられている。 休館日(月曜)であったが、管理をしているご夫妻は入館を許可して中をみせてくださった。

 記念の日には唐招提寺の高僧が来てその行事に参加するのだそうです。



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  館内から望む秋目浦





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  鑑真像



         2023-7-24


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平佐城、碇山城、清色城




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  平佐城、碇山城、清色城

  JR川内駅より徒歩で平佐城と碇山城へは行ける。 清色城と入来麓武家屋敷はバスで行くことになる。





   清色城 



 入来院氏が本拠とした城。 南北朝時代の築城かと言われる。 本丸、松尾城、西之城、求聞持城、仲之城などの曲輪がある。 そこへ行く案内板があるので、この曲輪へは急な道になるが見ることができる。

 後で見た知覧城や志布志城のように、シラス台地特有の急な崖で構成される曲輪群の薩摩城郭を知ることが出来た。

 それらの城のひとつでもご覧になれば承知出来、機会をを見つけてご覧ください。



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  縄張り図





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  案内板、 切岸、空堀





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 空堀(堀切)  難攻不落を思わせる



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  本丸へ



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  本丸









    平佐城

  JR川内駅近くの平佐西小学校近くが平佐城であったというが、痕跡はわからない。

 築城年代は定かではない。





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  平佐西小学校



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  平佐城跡 石碑







   碇山城

 

 南北朝時代に島津忠久により築城と伝わる。 島津総州家の拠点であったというが、島津一族の争いには詳しくないので略します。 採石場として遺構は消えたという。

 



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  碇山城石碑



  参考    島津氏の歴史



   2023-7-23

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2023年07月23日

佐賀関

   


  ここには漁協直営の関サバ・関アジの食べれるところがあるとの情報を得て、寄港した。 午後4時過ぎであったので直売所は閉まっていた。販売はしているけれど、食を供する雰囲気は無かったので、そこでは無いかもしれない。

  龍馬と勝海舟がここに寄港した時には、街を挙げて歓待したようで、その案内板があちこちで見受ける。 北港は愛媛と結んだフェリ−乗場があり、ここにもヨットは留められそうである。



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   佐賀関 古い街並み案内板



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  徳応寺  龍馬一行はこの寺に宿泊




 

              佐賀関 ヨット泊地


   別府や臼杵は既知だという方には速吸の瀬戸の航適当な港が欲しいところ。 今回は佐賀関に入港しました。 漁業が盛んなところのようで漁港内は漁船が多い。内港と幸ノ浦を避けて外港に着けた。 直売所のさんばしは厳重に囲われていて、高級魚のイケスが設置されているのでここには接岸できない。

 ス−パ−とコンビニはフェリ−桟橋のある徒歩10分の北側港にある。


 

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  赤丸は停泊地、  青丸は候補地





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  青いポンツ−ンは係留禁止

 


     2023-7-22

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2023年07月22日

龍馬とお龍の温泉

 

 司馬さんの小説でしっかり有名になった。 日本初の新婚旅行で坂本龍馬夫妻が立ち寄った塩浸温泉に行ってきました。 有名になるまでは村の温泉場であったようです。 その雰囲気を残しています。 近くに宿泊施設も見当たらないので、立ち寄り湯なのでしょう。 当時は川沿いに旅館があったというけれど名残は感じられない。 入浴料380円。 霧島温泉からタクシーで3000円余りなので鹿児島空港からの本数の少ないバスか車が便利でしょう。 泉質は茶色の炭酸水素塩泉とのこと。温泉には詳しくないですが、良い温泉だとカミさんが述べていました。


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  龍馬とお龍の碑




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  川沿いにある



       2023-7-21

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