2023年07月25日

島原城と武家屋敷

 


  口之津からバスにて島原城と日野江城を見て来た。 ヨットで行くつもりでもあったが、適当な停泊場所がないので取りやめる。島原の武家屋敷やどちらの城も想像以上で満足のゆくものであった。



     島原城

  行く途中のバスの中で、あの普賢岳、今でも思い出す火砕流の滑り落ちて迫る映像のそれに近いので驚く。 島原駅の正面で坂を上ったすぐ近くに島原城はある。


 1616年に大和から転封した松倉重政が日野江城から移ってこの城を築いた。 五層の天守と三層の櫓3つを持つ7当時4万石の大名にしては大きな城である。 過大な出費のため苛政をし、そのため天草の乱の原因を作った。 松倉氏は断絶し、その後には譜代の大名が続いた。




simabarazyo 09 .jpeg
  縄張り図  




simabarazyo 15.jpg
  島原城

 

 
simabarazyo 10.jpg
   天守  残念なことにコンクリートによる復元である。 中は資料館になっている。



simabarazyo 20.jpg
  本丸へ











     島原武家屋敷




 築城の時に70石以下の武士のために城の西側に武家屋敷が整備された。 鉄炮町とも呼ばれそれで戦う徒の住居である。 役所の書記、代官、門の警備などに平時は従事した。

 下の丁、中の丁、古丁の3筋から、上新丁、下新丁、新建、江戸丁が追加してつくられた。 今の武家屋敷通りは下の丁にあたる。山本邸、篠塚邸、島田邸を見ることができる。




simabarazyo  50.jpg
  下の丁、  中央に水路が生活用水として利用された




simabarazyo 59.jpg
  山本邸 



simabarazyo 60.jpg
   山本邸 座敷



simabarazyo 61.jpg
   山本邸  台所



     2023-7-25

posted by 速魚 at 02:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月24日

坊津歴史資料館と鑑真記念館

 

 串木野からわざわざNさんが枕崎に来てくれました。 彼の車で坊津歴史資料館と鑑真記念館に連れて行ってもらいました。



bounotu 10.jpg
  枕崎から野間池 地図



  坊津は日本の三津と言われる博多津、安濃津、坊津の一つである。飛鳥時代から遣唐使船の寄港地であった。 鑑真は近くの秋目(秋妻浦)に上陸した。 明や琉球との貿易が盛んでした。 ザビエルが最初に上陸した地でもある。r度時代になると薩摩藩の密貿易の知となる。

 この地を訪ねたいとの気持ちがあったが、適当な泊地が見つけられずに諦めて枕崎に行くことになった。



    坊津 ヨット泊地



bounotu 49.jpg
  青丸は停泊候補地

  槍着けだと置けそうな気が現地でした。 ウネリが入りそうな時は枕崎に行った方が良さそうだ。



   坊津歴史資料センター輝津館


 坊津の交易資料、仏教資料、漁具などの民俗資料を所蔵・展示している。



bounotu 19.jpg
  坊津歴史資料館




bounotu 20.jpg
  展示物






    鑑真記念館


 苦難の道を乗り越えて日本に上陸した地に鑑真記念館は立てられている。 休館日(月曜)であったが、管理をしているご夫妻は入館を許可して中をみせてくださった。

 記念の日には唐招提寺の高僧が来てその行事に参加するのだそうです。



bounotu 51.jpg
  館内から望む秋目浦





bounotu  50.jpg
  鑑真像



         2023-7-24


posted by 速魚 at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

平佐城、碇山城、清色城




kiyosikizyo 10.jpg
  平佐城、碇山城、清色城

  JR川内駅より徒歩で平佐城と碇山城へは行ける。 清色城と入来麓武家屋敷はバスで行くことになる。





   清色城 



 入来院氏が本拠とした城。 南北朝時代の築城かと言われる。 本丸、松尾城、西之城、求聞持城、仲之城などの曲輪がある。 そこへ行く案内板があるので、この曲輪へは急な道になるが見ることができる。

 後で見た知覧城や志布志城のように、シラス台地特有の急な崖で構成される曲輪群の薩摩城郭を知ることが出来た。

 それらの城のひとつでもご覧になれば承知出来、機会をを見つけてご覧ください。



kiyosikizyo 15.jpg
  縄張り図





kiyosikizyo 25.jpg
  案内板、 切岸、空堀





kiyosikizyo  20.jpg
 空堀(堀切)  難攻不落を思わせる



kiyosikizyo 22.jpg
  本丸へ



kiyosikizyo 23.jpg
  本丸









    平佐城

  JR川内駅近くの平佐西小学校近くが平佐城であったというが、痕跡はわからない。

 築城年代は定かではない。





hirasazyo 10.jpg
  平佐西小学校



hirasazyo 20.jpg
  平佐城跡 石碑







   碇山城

 

 南北朝時代に島津忠久により築城と伝わる。 島津総州家の拠点であったというが、島津一族の争いには詳しくないので略します。 採石場として遺構は消えたという。

 



ikariyamazyo 10.jpg
  碇山城石碑



  参考    島津氏の歴史



   2023-7-23

posted by 速魚 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月23日

佐賀関

   


  ここには漁協直営の関サバ・関アジの食べれるところがあるとの情報を得て、寄港した。 午後4時過ぎであったので直売所は閉まっていた。販売はしているけれど、食を供する雰囲気は無かったので、そこでは無いかもしれない。

  龍馬と勝海舟がここに寄港した時には、街を挙げて歓待したようで、その案内板があちこちで見受ける。 北港は愛媛と結んだフェリ−乗場があり、ここにもヨットは留められそうである。



saganoseki 20.jpg
   佐賀関 古い街並み案内板



saganoseki 22.jpg
  徳応寺  龍馬一行はこの寺に宿泊




 

              佐賀関 ヨット泊地


   別府や臼杵は既知だという方には速吸の瀬戸の航適当な港が欲しいところ。 今回は佐賀関に入港しました。 漁業が盛んなところのようで漁港内は漁船が多い。内港と幸ノ浦を避けて外港に着けた。 直売所のさんばしは厳重に囲われていて、高級魚のイケスが設置されているのでここには接岸できない。

 ス−パ−とコンビニはフェリ−桟橋のある徒歩10分の北側港にある。


 

saganoseki 10.jpg
  赤丸は停泊地、  青丸は候補地





saganoseki 50.jpg
  青いポンツ−ンは係留禁止

 


     2023-7-22

posted by 速魚 at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月22日

龍馬とお龍の温泉

 

 司馬さんの小説でしっかり有名になった。 日本初の新婚旅行で坂本龍馬夫妻が立ち寄った塩浸温泉に行ってきました。 有名になるまでは村の温泉場であったようです。 その雰囲気を残しています。 近くに宿泊施設も見当たらないので、立ち寄り湯なのでしょう。 当時は川沿いに旅館があったというけれど名残は感じられない。 入浴料380円。 霧島温泉からタクシーで3000円余りなので鹿児島空港からの本数の少ないバスか車が便利でしょう。 泉質は茶色の炭酸水素塩泉とのこと。温泉には詳しくないですが、良い温泉だとカミさんが述べていました。


ryoma 10.jpg




ryoma 20.jpg
  龍馬とお龍の碑




ryoma 21.jpg
  川沿いにある



       2023-7-21

posted by 速魚 at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月21日

喜入城(給黎城)と喜入旧麓武家屋敷




  喜入は石油タンクが多くあり、沖にはそれに石油を運んで来た大きな大きなタンカ−が見られる地である。 給黎城は肝付氏の居城で会ったが、1411年に伊集院氏の所領となり、さらに1414年には島津久豊がここを攻略した。 この時に喜入と地名を改めた。1595年に肝付氏が入場し1653年に廃城となる。

 給黎城は東へ伸びた3つの尾根にそれぞれ曲輪を設け、北之城、本丸、南ヶ城(下図参照)と呼ばれる。 現地を訪れたが明確な確認はとれなかった。


 城下町には水路があり、今でも麓武家屋敷として見ることが出来る。 



kiire 20.jpg
  給黎(きいれ)城



kiire 21.jpg
  麓から給黎城を望む




kiire 30.jpg




kiire 31.jpg

 



kiire 32.jpg
  堀切、土塁



      2023-7-21

posted by 速魚 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

西郷南洲顕彰館と西郷洞窟





saigounanshu 10.jpg
  西郷隆盛の関連地図


  鹿児島城を訪ねたときに西郷洞窟、終焉の地、銃弾跡,私学校跡を見た。 西南戦争は私学校から城山で激戦があったのが分かる。最後は西郷洞窟から終焉の地に行き、そこで西郷隆盛は亡くなられたのである。

 ほどなく、西郷南洲顕彰顕彰館を訪ねた。 南洲神社・公園の一角に顕彰館は位置する。 西郷の思想・生涯・功績などが紹介されている。

 凡な小生には今もって西郷さんのことは分からない。それゆえ凡なのであろう。 西南戦争においても維新の時にはあれほど謀議をつくしたのに、戦闘を指揮したわけでもなく、策謀をつくしたわけでもない。 やりようによっては勝てたかもしれないのに、明治以降の西郷による違った世界を見てみたいように思えます。




saigounanshu 15.jpg
  私学校の案内板 「おはんら何たることをしでかしたか」



saigonanshu 20.jpg
  私学校跡



saigounanshu 19.jpg
  西南戦争の銃弾跡 




saigonanshu 21.jpg
  西郷隆盛の終焉の地



saigonanshu 22.jpg
  西郷洞窟





      西郷隆盛  磯田道史サンによる

      西郷陣屋




        2023-7-19

posted by 速魚 at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月18日

内之浦  風速30mでの錨泊



utinoura 30.jpg
  港内から南東方向を見てみるとちょうど山間で風が抜ける地形のようだ



 指宿より内之浦に向かった。 このことは今回のクル−ジングで難関と予想してきたが、実際にそのようになった。 台風の時にはヨットを出すことはないけれど、台風並みの烈風・風速30mで内之浦港に入港する事態となる。

 前日のウインデイの予報ではこの日の夕方近くになると赤表示の風速予報で、そのような時には出港を中止するのが常である。 事前の航海計画では指宿―内之浦50マイルとして平均5ノット弱で10時間の航海を期待していた。南西の風の予報ゆえに大泊泊はウネリが入りそうなので避けたい。本当はそこを中継地にして一泊して距離を縮めたいのではある。

 朝五時に指宿を出港。 佐多岬を大きく沖出しして、後方からの大きなウネリを受けながら航行する。 出港の時に迷いがあった気持ちも、途中では、やっぱり今日出て良かったという気分であった。 ロケット打ち上げ場近くに来るとだんだん風が強まり、火埼を回り込んで内之浦湾に入るころには真っ白な白波である。 追手の強風でも岬をかわすと風が弱くなりセ−ルを畳んだり入港準備ができることが多い今までの経験だが、今日はそれを許さない。
 後からニュ−ペックスマ−トをチェックすると入港までに2回転している。 港口では船速がゼロの時があった。 港内に入っても白波で真っ白である。とても接岸できるとは思えない。 漁港の真ん中付近でアンカーを打った。 コックピットから打ったのでアンカーロープを船尾から船首にもやって風に立てた。おもてから風を受け機関を廻したまま、雨の中をアンカーワッチする。 夜10時過ぎに風が少し凪だのでカッパを脱ぎバースにころがりこんだ。 朝起きたらウソのように凪いでいたのでアンカーを巻き上げてヨットを着岸することができた。

 岸壁に前日から繋いでいたヨットマンに伺うと、昨日はとても助けようにもヨットから岸壁に登れるような状況ではなく、ヨットの計器で風速30mを示していたと聞いた。こんな日に出てはいけないとも忠告される。

 シングルハンドではアンカーロップを整理しておき、いつでも使用できるようしておくのが、命を守るということでしょう。 といっても老生のヨットは難民船と呼ばれるくらいに物が多く片ずいていないヨットではある。


utinoura 50.jpg

  夏の時期の南西の強風時には内之浦港は吹き抜けの風があるので、十分に注意する必要がある。


     2023-7-18


posted by 速魚 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月17日

上甑 里麓武家屋敷と亀城


 里港の北部漁港に停泊した。 意外と潮汐があり2-3m、赤丸にある階段位置につけるのがふさわしい。  すぐス−パ−がある。



sato 80.jpg
  上甑 里 赤丸停泊地、青丸は候補地





      亀城



  亀城は里小学校の裏手の小山にある。 小学校は仮屋(代官所)の跡になる。  承久の乱(1221)で戦功をたてた小川氏が築城したといわれる。 13代370年間ここを本拠として治めた。 この南方200mに鶴城があり2つ合わせて鶴亀城といった。



sato 20.jpg
  亀城 案内板




 sato 25.jpg





sato 21.jpg
  本丸らしき高台に展望台がある




    里麓 武家屋敷


  亀城の麓に武家屋敷がある。 玉石垣と生垣でできた通りがある。 大きな規模のものではない。





sato 51.jpg
  案内板 




sato 50.jpg
 



sato 52.jpg
  武家屋敷入口



     2023-7-17

posted by 速魚 at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月16日

ハウステンボス


 ハウステンボスを訪れた。今は無いオランダ村に行ったことがありますが、その時に感じたほど良かったとは思えなかった。 どうしてもデイズニ−と比べてしまうのか。 想像していた規模・街並みは小じんまりしたものであった。 アトラクションも見たいものが余りない。 陶磁器把握物館は無料地区にあるのだが、これは見ごたえあり。 運営会社も変わるようである。

 マリ−ナから訪問したのであるが、ホテル泊なら少しは違ったものになるのかもしれない。 マリ−ナ利用の恩典はなし。


haustenbos 10.jpg


 

haustenbos 20.jpg
  ホテルのひとつ ホテルヨ−ロッパ






    ハウステンボス ヨット泊


 下の写真のように長期係留の空は少ないようである。 関東や北海道から係留地を変更してここに来ている人が多いと聞く。  海の駅はF/100円/日 花火大会のあるときなどは混雑が予想される。予約・確認が必要である。


 庭先係留の別荘地区を覗きに行った。 ゲ−トがあり中には入れなかった。 ヨット・ボ−トを係留している家は少なかった。フロリダのフォ−トデラデイ−ルでも超お金持ちの街であるが、ここもそうなんであろう。


 

haustenbos 50.jpg
 ハウステンボスマリ−ナ、  電気、水道、シャワ−あり



haustenbos 55.jpg
  庭先係留地区



     2023-7-16

posted by 速魚 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月14日

磯庭園(仙巌園)と反射炉


 島津斉彬の幕末の殖産興業策には興味を持っていた。 その集成館事業の地磯庭園を訪れた。 磯庭園は仙厳園ともいい、島津藩の桜島を借景とした別邸である。 そこには紡績工場、溶鉱炉、機械工場や反射炉などがある。


isoteien 20.jpg
  桜島を望む磯庭園



isoteien 22.jpg
  磯御殿  300円増しで内部がみられる




isoteien 25.jpg
  曲水の庭




    集成館



 薩英戦争で消失したというが、その後に再建された。 水力で動力を動かしたので水路の跡もある。 炭で火力を得たところから、寺山炭窯跡という巨大な炭焼き窯を作った。



isoteien 28.jpg
  集成館周辺案内板




isoteien 29.jpg
  日本初の近代工場群 古写真




isoteien 30.jpg
  反射炉跡



isoteien 31.jpg
 造船所跡





isoteien 32.jpg
  紡績所跡碑




isoteien 35.jpg
   技師館(異人館)


 異人館のボランテイア婦人ガイドさんと、なぜ明治以降にこれだけの先駆的な工場があったのに、鹿児島はその後先進県になれなかったのを話した。



 

        2023-7-15

posted by 速魚 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

磯庭園(仙巌園)と反射炉


 島津斉彬の幕末の殖産興業策には興味を持っていた。 その集成館事業の地磯庭園を訪れた。 磯庭園は仙厳園ともいい、島津藩の桜島を借景とした別邸である。 そこには紡績工場、溶鉱炉、機械工場や反射炉などがある。


isoteien 20.jpg
  桜島を望む磯庭園



isoteien 22.jpg
  磯御殿  300円増しで内部がみられる




isoteien 25.jpg
  曲水の庭




    集成館



 薩英戦争で消失したというが、その後に再建された。 水力で動力を動かしたので水路の跡もある。 炭で火力を得たところから、寺山炭窯跡という巨大な炭焼き窯を作った。



isoteien 28.jpg
  集成館周辺案内板




isoteien 29.jpg
  日本初の近代工場群 古写真




isoteien 30.jpg
  反射炉跡



isoteien 31.jpg
 造船所跡





isoteien 32.jpg
  紡績所跡碑




isoteien 35.jpg
   技師館(異人館)


 異人館のボランテイア婦人ガイドさんと、なぜ明治以降にこれだけの先駆的な工場があったのに、鹿児島はその後先進県になれなかったのを話した。



 

        2023-7-15

posted by 速魚 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月13日

富岡城


 富岡城は熊本県では熊本城に次ぐお城だという。 ここをヨットで訪ねるべき長崎サンセットマリーナより富岡西港へ向かった。 ポンツ−ンにもやいを取った。 すぐにも漁港の関係者らしき2人が現れ係留拒否を申しわたされた。 着けたときに近くにいた漁師さんに邪魔になるか尋ねて差しさわりないであろうと聞いた直後であった。 他の場所を探したが、適当なところがないようなので口の津を目指した。 滅多に無いが、クル−ジング中に一度くらいは拒否にあうことがある。 ヨットに取っては困った事態ではある。

 この城への訪問を一度は逃したが、口之津からフェリ−で鬼池に渡り、タクシ−にてここを訪れた。 ヨットでは東港に係留するか、レンタカーを利用するしか交通に不便を感じるところではあるが、行けば満足の得られるとこおであろう。


tomiokazyo 10.jpg



  富岡城は関ケ原で家康に与した唐津藩主・寺沢広高が飛び地天草郡4万2千石をあたえられ、この地を治めるために1605年に築城された。2代目堅高が過酷な税のため天草の乱の一因となった。 一揆勢がこの城を襲ったが持ちこたえて撤退させた。 乱後に所領没収となる。山崎家治がここを領し、多くの改修をおこなう。1641年に丸亀に転出して天領となる。



tomiokazyo 50.jpg
 代官 鈴木重成像

 寺沢の算出した石高が過大であると再検地をおこなう。神社が出来るほどの治世を行ったという。



tomiokazyo 20.jpg
  袋池から望む



tomiokazyo 22.jpg
  堅固な石垣


tomiokazyo 23.jpg

 


tomiokazyo 24.jpg

 




     2023-7-14


posted by 速魚 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

入来麓 武家屋敷


 JR川内駅よりバスに乗り小1時間で清色城と入来麓武家屋敷に着く。 こじんまりまとまっているのでお城を含めて徒歩で雰囲気を楽しむことが出来た。 清色城の空堀は難攻不落のお城を思わせる。 見ものだ。




iriki 10.jpg
  案内板 



iriki 15.jpg
  茅葺武家屋敷門



iriki 20.jpg
  玉石垣とその上の生垣で区割りされている



iriki 25.jpg
  旧増田家 



     2023-7-13


posted by 速魚 at 05:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月12日

崎津教会  世界遺産



  崎津教会の見学を終えて、コロナ前の2018年春巡航以来の念願の世界遺産の教会巡礼を完結した。



sakitu 10.jpg
  崎津教会



sakitu 11.jpg
  内部   畳がひかれていて珍しい内装である



 天草のひなびた湾に見える天主堂と言えば、旅情をそそる絵になる。 ヨットでそこに訪れることが出来て喜びである。 しかし、ここは安心して係留できる場所が手狭。 係留場所を探していて湾奥で軽い底すりを経験した。 入り口近くの漁協ポンツ−ンへ、教会を見に行く短時間の許可を得てもやいを取ることになった。 停泊は隣の大江に行き一夜を過ごした。



sakitu 20.jpg
  赤丸は臨時係留地



        2023-7-12


posted by 速魚 at 05:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月11日

加治屋町  英傑の町内

 

 司馬遼太郎さんの小説でこの加治屋町のことを知った。行ってみれば確かに今住んでいる自分の町内の広さである。 この狭い区域の人々で司馬さんが云うように「明治維新から日露戦争までこの町内の人でやったようなもの」であるので、小生にはすごいことだと思う。 松下村塾生も小さい集団だが、なにか優れたものがあるのなら、ここのように歴史が動かせるということでしょう。 どちらも教育のなせる結果だったのである。  薩摩の郷中教育は維新後には生かされていない。薩摩や長州の教育の良さを維新後に制度に組み込まれることはなかった。それらの遺産の上に、それが機能する期間だけ日本は恩恵を受けたというべきでしょう。 継続発展させることができなかった。 


kaziya 10.jpg

 

  加治屋町にある英傑の誕生地等は

 1. 西郷隆盛・従道 誕生地

kaziya 20.jpg
 

 2. 大久保利通 生い立ちの地

kaziya 25.jpg
  

 3. 東郷平八郎 誕生地

kaziya 22.jpg

 
 4. 大山巌 誕生地

kaziya 21.jpg

 
 5. 吉井友実  1828-1891

 

 6. 村田新八 誕生地

kaziya 23.jpg
 

 7. 篠原国幹 誕生地

 

 8. 黒木為驕@誕生地

kaziya 27.jpg
 

 9. 田代安定 1857-1928

kaziya 29.jpg
 熱帯植物研究の第一人者

 10. 井上良聲 いのうえよしか 1845-1929

kaziya 28.jpg
 海軍元帥

 


     2023-7-11



posted by 速魚 at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月10日

水俣

    

  水俣港のビジターバ−スに係留して、水俣病資料館、八代城、麦島城、水俣城を訪れました。 ポンツ−ンがあり電気と水がとれます。 電機は200vを100vに変換するコ−ドが必要で、事務所ではそれを用意していないので持参する必要あり。 ポンツ−ンは水鳥のフンだらけで自分で動くところを清掃した。 所長が訪ねてこられて利用が少ない理由を尋ねられた。 2000円程度利用料を支払った覚えがあるが、HPを見てみると、トン6円/日のようで安価なのだが、最近改正したのかもしれないので、確認が必要です。 電気も取れないのに2000円は高い。




minamata 20.jpg
  水俣ビジターバ−ス

 


  水俣港管理事務所  0966-63-2449,7501(休日) 


   https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/111/97988.html




minamata 10.jpg
 水俣  赤丸はヨット泊地

  

        2023-7-10

posted by 速魚 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月09日

コレジョ、 セミナリオ

 


 コレジョは英語でカレッジですので大学にあたります。キリスト教布教のための教育機関にセミナリオは中学、コレジョは大学に相当します。

口之津と天草の大江をヨットで訪れ、これらを見て来ました。 これらの施設は他に大分や安土にもあった。

 

corezyo 05.jpg
  島原のコレジョ





corezyo 07.jpg
  天草コレジョ





  1. 加津佐 コレジョ・セミナリオ

 1590年・天正18年 加津佐にコレジョ・セミナリオが建設された。天正少年使節が持ち帰った印刷機で印刷が行われた。この地が我が国活版印刷

の発祥の地である。 案内板があるのみである。



corezyo 20.jpg
  加津佐コレジョ・セミナリオ跡




corezyo 15.jpg
 




  2. 有馬 セミナリオ

 1580年に建てられた。天正(少年)遣欧使節はここの第1期生であった。 日野江城付近にあったのですが、どこにあったのかは諸説ある。

 ここも石碑と案内板があるのみで、確定した位置ではない。



corezyo 30.jpg
  有馬セミナリオ跡





  3. 天草  コレジョ (1591-1597)

 

 大江からタクシーにて天草コレジョ館に行って来ました。後で知ったので訪れていませんが、コレジョ跡は近くの別の地である。天草市河浦支所(コレジョ公園)あたりにあったという。

 コレジョ館は島原にあるコレジョとセミナリオ跡とは違い、充実した展示が見られる。 キリスト教の教育には音楽は重要で、ここには当時の楽器のレプリカが見られる、印刷機も展示されている。


corezyo 35.jpg
  古楽器



corezyo 40.jpg
  活版印刷機



 天草コレジョは加津佐より移転してきたものであるが、その場所は河浦説と本渡説がある。激しい論争があったようだが、今のところは河浦説が有力であるという。 ここから長崎にコレジョは移る。



          2023-7-9

posted by 速魚 at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月08日

座礁  野間池



zasho 10.jpg
 野間池  赤丸は笠沙えびすポンツ−ン



zasho 20.jpg
  ニュ−ペックスマ−トによる座礁地点  外堤防横の赤斜線は定置網の位置表示、 



  ヨットの座礁については、それが避けられないものであるかのように知たり顔にブログで書いてきました。 今回は起してはいけない恥ずかしいものでした。 3隻目のヨットになるのですが、前の2隻のヨットでも砂地への座礁を経験しています。 しかし、今度の事故は初めての岩への座礁であり、自分の責任が大きいというものでした。 外航の航海士の経験のある老生にとって、この座礁が当時の勤務中に起こした本船の座礁事故ならクビになっていただろうと思えるものです。

 その事故とは、2023年4月12日、下甑島長浜から野間池に向かっていた時です。南西の風のアビ−ム帆走で快調に港入り口まで来ました。外防波堤の突端に着きましたが、内港の入り口は見えずらかったので陸地へ接近した。 防波堤横にはイケスのような網が見えた。 ニュ−ペックスマ−トには5m水深の線が描れている。 上図の色の濃い水色区域。 2m水深ラインの表示は無い。 杭が4本設置されていたがその意味はこれより陸側は浅いということであった。 灯標によくある青赤ブイのようだと誤認してその間を通航すべき意図で杭の内側陸地側に寄ってしまった。 座礁である。 機関を後進いっぱいにしても抜けだせなかった。 その作業中に港から船外機付きの和船が出てきて、こちらに気が付き離礁作業に協力してくれる。30分ほど行ったが10馬力に満たない船外機でではロ−プで引き出せなかった。 その後養殖に使われる船首にクレ−ンの着いた20トン程度の作業船が出てきて、20mmのえい航ロ−プが切断したけれど、無事に深いところへ引っ張りだし救助してくれた。 岩の海底であったのでゴトンゴトンとぶつかりながらの作業であり心配があった。

 そこから笠さ恵比寿海の駅のポンツ−ンにヨットを係留した。 ビルジに水が貯まることは無かった。そこで潜って船底を確認したが、バラストがこすれて塗料がはがれ白くなっている。小生の潜水能力の不足ゆえに詳細な点検はできなかった。 その後に、救助のお礼に伺い、マルハニチロ会社のクロマグロ養殖に携わっている人々が助けてくれたのを知る。 最初の船はえさやりの船、引出してくれた船はイケスからの水揚げをする船であった。 ヨット積んであった焼酎を持参したのであるが、受け取ってもらえずに、お礼だけ終わってしまう。 その帰路に軽自動車にヨット関係のブランドが車体に描かれているのを見かけた。 ひょっとして業者の方かなと思い声をかけた。 なんと串木野で大変お世話にまったNdさんのお兄さんであった。 夜はお風呂に入れてもらい潜った塩を洗い、お酒と夕食をごちそういただいた。 不安な気持ちもこれで和らいだ。串木野に戻りそこで上架して船底の点検をすることにした。

 翌日に串木野に着き、クレ−ンの手配を地元のヨットマンに依頼してもらった。 あいにく1週間ほども待機となった。4月20日にクレーンが来て岸壁の横で吊上げてもらい、船底を点検した。 ガラス繊維の作業の職人さんにも見てもらった。 船底の亀裂やふくらみは無かった。ビルジも貯まらないようなので航行に支障はないようだ。 引き揚げ降ろし作業に串木野のヨットマンが総出で手助けしてくれた。 クル−ジング中の小生には本当に心強いものであった。 皆様ありがとうございました。 おまけにクレ−ン代も25000円で40トンクレ−ンとしては格安であった。口をきいてくれたおかげである。

 ニュ−ペックを船内のPCに作動させてヨットを出すのだが、シングルハンドではわざわざキャビンに降りてそれを見に行くことが少ない。ニュ−ペックスマ−トを手にして以来コックピットでスマホを握って航海をしている。 サブには古いスマホにナビオニクスを立ち上げて使う、これには通信環境を必要としないでGPSが使えるスマホならよい。 速度表示はナビオの方が大きく表示されわかりやすい。 港内表示はさすがにニュ−ペックの方が詳しい。 今回の野間池の水深表示が5mまでであるので、そのラインを警戒線としなければならなかった。 定置網表示の赤の斜線は、 上図のように少し大きめに表示されることが多いようで少し中に入っても経験上良いように思われる。 今回は網に寄って入港すべきであった。 また、グ−グルマップの航空写真を拡大すると野間池内港入り口陸側に昔の防波堤を壊した跡が判明している。ここにその時の破片・岩があるので避けるべきであろう。



     ロングクルージングと座礁



     202-7-8

 
posted by 速魚 at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月07日

原城   世界遺産

   

 潜伏キリシタンの世界遺産のひとつ原城を訪ねた。 昨年に五島列島にある若松島でタクシーにより教会を見学していた。その時に運転手が述べるには、この地区の住民はすべて島原の乱で帰ることはなかった、という話を聞き、天草、島原の教徒だけでなく五島の教徒も参加していたのかと驚いた。 3万7千名が死亡したということなので、近辺の教徒がすべて一揆に加わったということだろう。



harazyo 10.jpg




 原城は有馬貴純が1496年に築いた。晴信によって織豊系城郭として整備された。有馬氏が日向延岡に転封になり、1616年松倉氏が島原城を築城し原城は廃棄された。 1636年の乱の時は石垣や建物が残っていたのではないかと思われている。 乱後に徹底的に壊されたので、今眺めて見ると石垣の城跡の予想が外れて、見通しの良い芝生の築山の印象である。

 


harazyo 05.jpg
  本丸正門



harazyo 06.jpg
  埋め門




harazyo 20.jpg
 空堀 



harazyo 11.jpg
  天草四郎の碑



harazyo 21.jpg
  天草丸




        203-7-7




posted by 速魚 at 03:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月05日

出水麓 武家屋敷

 


  肥後との国境近くの重要拠点に出水麓はある。 亀ヶ城の麓の武家屋敷であるが、肝心のお城は案内板も見当たらず見ていない。 立ち入り禁止になっているとも云う。  ここには150軒があったと言い、薩摩藩最大の武家屋敷群であった。





izumi 20.jpg
  亀ヶ城 模型



 現在の出水小学校に役所に当たる仮小屋があった。 出水は島津の直轄領であったため、地頭が派遣されていた。




izumi 30.jpg
  出水御仮屋門  現出水小学校



izumi 40.jpg
  竹添邸



izumi 41.jpg
  竹添邸 馬小屋



  税所篤の家かと思っていたが、西郷らと豪中仲間であったとされるので、ここ出水麓で育ったのではないようである。 150石とか200石程度の薩摩上級承久武士の家である。 彼は縁続きの一族になるのであろう。



izumi 50.jpg
  税所邸



izumi 51.jpg
  税所邸  内部



       2023-7-6


posted by 速魚 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月04日

三角

    

  宇土マリ−ナ最寄りのJR赤瀬駅よりあまくさみすみ線に乗り三角へ行く。 三角は終点の三角港と明治に開港した三角西港地区に分かれる。



  三角西港

 三角駅よりタクシーにて西港地区に向かう。 レトロな雰囲気を残す風景が見える。 現在の港の中心は三角の新港に移っており、ここは観光地としてある。

 熊本県には良港がなく、それゆえに、明治の近代港として国家的事業として、三角西港は明治20年に開港された。 オランダの築港技術が使われ当時の石済み埠頭、水路や橋などが残っている。国の重要文化財であると共に世界文化遺産となっている。。



misumi 10.jpg
 浦島屋 ホテルの復元建物




misumi 11.jpg
 旧三角海運倉庫

 


misumi 12.jpg
  旧高田屋回漕店 





misumi 15.jpg
 石済み埠頭

 

  



   三角(東港)


 明治32年に九州鉄道の終点として発展。 西港は土地が手狭のため急速に廃れ、東港が物流の中心となった。 天草への玄関口としての利用も天草諸島に架橋が進み、今ではっこはフェリ-としての機能も縮小した。


misumi 60.jpg
  フェリ−タ−ミナル




   三角ヨット泊地


misumi 80.jpg
  三角西港  青丸ポンツ−ン

 西港東寄りにポンツ−ンが整備されている。



misumi 81.jpg
  三角東港  青丸は候補地




      2023-7-5

posted by 速魚 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月03日

福田城




hukuda 10.jpg
  福田城と丸木館


 天正3・1575 福田大和守が築いたとされる。 ここは1565-70まで南蛮貿易の港として開かれた港であるから、ポルトガル人が長崎に移ってから築城されたのか。 福田氏は大村氏の重臣である。 麓にある丸木館を居館としていた。


hukudazyo 10.jpg
  丸木館跡

 ここ福田は長崎市の一部です。観光案内所も無く、市の案内表示も充実していない。長崎に移る5年もの間に南蛮貿易の港であったのであるから、もう少し市は力をいれてもよいのではないかと思う。



hukudazyo 20.jpg
  小中学生が作ったと思われる案内板


 この案内板で丸木館跡を地元の人に尋ねた。



hukudazyo 30.jpg
  福田城  福田港北 71m



hukudazyo 40.jpg
  登り口  山頂には祐徳稲荷神社




hukudazyo 50.jpg
  案内板



hukudazyo 60.jpg
  このすぐ上が主郭





      2023-7-3



posted by 速魚 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月02日

薩摩藩 英国留学生記念館  いちき串木野市




ryugaku 10.jpg
 記念館


 串木野駅からバスで薩摩藩英国留学生記念館へ行く。 あいにく雨で風の強い日和であった。 開館の30分前であったが、気持ちよく入場させてくれた。 帰りには、上写真の赤い送迎バスでヨット停泊地まで親切に送ってもらう。

 薩摩人のスゴイところは攘夷の気分が昂揚している時でも、薩英戦争で負けたのではなく実際は引き分けなのだが、自ら方針を固執することなく変更して、敵国英国へ留学生を派遣して学ぼうとするところである。 同じように長州も馬関戦争後に留学生を出すことになる。 薩長とも維新を成し遂げたわけだ。

 串木野で再度世界一周を準備しているNさんにお会いしたが、ここの地だからこその出来事だと云えよう。


 

ryugaku 20.jpg
 薩摩英国留学生


 

ryugaku 40.jpg
 テラスに作られている船のコックピット

 その日は時化の船上を想起させるような光景であった。



  詳しくは下記をご覧ください。


  薩摩藩 第1次英国留学生

  薩摩藩 第2次米国留学生

  長州ファイブ・5傑




               2023-7-2


posted by 速魚 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年07月01日

知覧と万世の特攻平和祈念館

   

 ヨットで枕崎に停泊した。天候待ちの数日の間に、バスにて加世田と知覧にある特攻平和祈念館を訪れた。 漢字変換で祈念を記念と間違えそうになる。犯してはならないものでしょう。



  万世特攻平和祈念館(ばんせい)

tokkou 01-10.jpg
  玄関

 加世田のバス停留場を降り、近くの観光案内所でレンタサイクルを借りて、吹上浜に向かう。 今日は慰霊祭がおこなわれていたようだ。ご遺族と思われるような人を見かけた。 

 館内にはゼロ式水上偵察機が展示されている。近くの吹上浜で墜落していたものを引き上げたものです。実物の水上機を見たのは初めてで、意外と大きかったのには驚きました。



tokkou 01-20.jpg
 ゼロ式水上偵察機



 ここは終戦間際の4か月間に陸軍飛行場として使用され、201人の隊員の方が特攻されてお亡くなりになりました。 館内では隊員の方のご遺影と貴重な遺品をみることができる。



  知覧特攻平和会館

 知覧へは鹿児島中央、枕崎、指宿からのバス便がある。知覧の特攻平和会館のバス停で降りるとすぐです。万世より良く知られているようで、学生の団体など入館者は多く見られた。

 陸軍の特攻出撃者1036人のうち439人がここ知覧から出撃した。 隊員の遺品や遺書など多くのものを見ることができる。


tokkou 02-10.jpeg
 遺品などの展示物


 ここの英霊たちの散華の後に我々が生存しているのである。 決して彼らのことを忘れることなかれ。 



  下記は 老生の特攻に関連するものです


  映画 永遠のゼロ

  上原良司氏の特攻

  妻との特攻 谷藤徹夫・朝子

  陸軍桶川飛行学校 練習機での特攻


        2023-7-1


posted by 速魚 at 03:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年06月30日

南蛮船渡来の地

     


nanban torainoti.jpg
 


 九州一周を終えた今、図らずも南蛮船渡来の地、平戸、横瀬浦、福田、長崎、口之津をヨットで訪ねることができた。ここに報告いたします。


 1543年に倭寇でもある王直の船が種子島に漂着する。その時に鉄砲が伝来して、ポルトガル人も乗船していた。 1549年ザビエルは薩摩の坊津に上陸した。 1550年平戸、山口、豊後に行きキリスト教の布教を始めた。 平戸と豊後で南蛮貿易は始まった。 大名間の争いや仏教徒とのいざこざで平戸から横瀬浦、福田、1570年に長崎へと貿易港が移って行った。


  平戸

  横瀬浦

  福田

  佐世保から長崎の野母をめざしたが、手前の長崎サンセットマリーナに舫うことになった。 知識が及ばなかったが、ここは南蛮船の貿易港の地であった。


nanbanminato.jpg
  長崎と福田港


 ここは大村藩の領地です。 平戸で松浦氏とポルトガル人は不仲になり大村藩の横瀬浦に移りました。しかし、そこは反大村住定純忠派により襲われ1年ほどで役目を終えた。 ここ福田に来航するようになった(1565-1570)。 しかし下記地図により分かるように西側は東シナ海に開けており満足な良港とはいかなかった。 それで長崎(1570)に移ることになる。



 

hukuda 10.jpg
 福田浦と福田城、丸木館





  長崎

  口之津

 

       2023-6-30

posted by 速魚 at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年06月29日

薩摩 麓(ふもと)武家屋敷 12      日本遺産

       
 

humoto 12.jpg


  薩摩には鹿児島城を本城として、藩内各地に外城(とじょう)を配置し、それは120もあったという。 秀吉に屈服するまでの島津氏は九州を平定するほどの勢いであったので武士を多く抱えていた。領地は削減されたが武士の数は減らさなかった。それゆえに人口の1/4が武士であったという。

 島津氏は独自の外城制度で各地の山城周辺に麓(ふもと)武家屋敷をつくり武士を住まわせた。 仮屋(かりや)と呼ばれる役所を置き、周辺に馬場と呼ばれる何本かの道により町割りをして、武家屋敷が配置された。 各地にそれを見ることができる。

 ヨットで鹿児島を訪れた時に、これを知ることになった。 長崎の世界遺産を見た後は、新たに目標ができ、日本遺産に指定された12か所を訪ねることになった。 詳細は後日に報告いたします。


 1. 鹿児島城

 2. 喜入旧麓

 3. 出水麓

 4. 入来麓

 5. 里麓

 6. 手打麓

 7. 串木野麓

 8. 蒲生麓

 9. 知覧麓

 10. 加世田麓

 11. 垂水麓

 12. 志布志麓



                 2023-6-29

posted by 速魚 at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年06月26日

2023年 春巡航  九州一周 その2



 3月4日に長崎空港に降り立ち、6月23日に2023年春巡航を終えた。昨年の秋巡航に続き九州一周を終える。 今回は宮崎県油津から長崎市までの自分の経験の空白地域を塗りつぶすことが出来た。 また、この一周により、隠れキリシタンの世界遺産をすべて訪れることができ、新たに見出した薩摩の麓武家屋敷の日本遺産をすべて訪れることになった。

 巡航にありがちな座礁も経験し、風速30m中での寄港、おまけに心筋梗塞での入院・手術をするはめになるなど、波瀾万丈な航海であった。 行きたい観光地を訪れることが個人的な目的であるが、そのために多くの九州の親切なヨットマンの人々に多大な協力を受けることになった。

 各地の皆様に触れ合うことも、もう半分の貴重な喜び体験である。 関係を余儀なくされた皆様の無私の援助・協力がなければこの巡航は無し遂げられなかったと云えます。 こちらが迷惑をかけた方も多いことでしょう。 謹んでお詫びいたします。 

 本当にありがとうございました。 詳細はこの後に挙げていきます。

                                    2023-06-26


2023-06new.jpg


2023年
3/4  大村到着
3/5(日) オ−トパイロットの取り換え
3/6  リチウムイオンバッテリーの新設
3/8  ヤブスコ・トイレポンプ交換
3/9  伊王島訪問
3/11  歓迎飲み会
3/12(日) クレ−ン上架 船底高圧洗浄
3/14  春巡航開始  大村発 ハウステンボス着 
3/15 ハウステンボス見学泊
3/16 ハウステンボス発 横瀬浦経由 佐世保着、  佐世保泊
3/17 佐世保発 福田着、田子島台場 長崎サンセットマリーナ泊
3/18 福田城福田港見学
3/19(日) 福田発 富岡経由口之津着
3/20 口之津泊、 原城日之野城見学、コレジョ見学
3/21 口之津泊
3/22 口之津泊、 島原城見学
3/23 口之津泊、 フェリ−にて島原口之津ー鬼池往復、 富岡城見学
3/24 口之津発 宇土マリーナ着,三角港訪問、宇土マリ−ナ泊
3/25 宇土マリ−ナ泊、 >熊本城再見学
3/26(日) 宇土マリ−ナ泊、 宇土城と古城見学
3/27 宇土マリ−ナ発 天草姫戸着、 姫戸泊
3/28 姫戸発 水俣着、 水俣病資料館見学、 水俣泊
3/29 水俣泊、徳富蘇峰・蘆花生家 八代城と麦島城見学
3/30 水俣泊、 出水城と麓武家屋敷見学、 水俣城見学
3/31 水俣発 天草牛深着、 牛深海の駅泊
4/1  牛深発 崎津経由大江着、  崎津教会大江教会コレジョ見学
4/2(日) 大江発 阿久根着、  阿久根海の駅
4/3 阿久根発 串木野着、 いちき串木野海の駅
4/4 串木野泊 出水麓武家屋敷見学、平佐城、碇山城、清色城を訪問
4/5 串木野泊、一宇治城、市来観丸城訪問
4/6 串木野泊 薩摩留学記念館見学
4/7 串木野泊  伊作城徳重神社、妙円寺、小松帯刀墓所、有馬新七邸跡を訪問
4/8 串木野泊  串木野城と麓武家屋敷見学、
4/9(日) 串木野発 上甑島里着、 亀城と麓武家屋敷見学、 里泊
4/10 里発 下甑島長浜着、 長浜泊
4/11 長浜泊、 手打麓武家屋敷見学、
4/12 長浜発 野間池着、 座礁、 笠沙えびす泊
4/13 野間池発 串木野着、 串木野泊
4/14から4/19 串木野泊、クレーン待ちで、そのうち温泉に燃やす廃材処理のボランテイアを3回ほど従事
4/20 串木野泊、 クレーン上架して船艇座礁箇所を点検
4/21 串木野泊
4/22 串木野発 枕崎着、 枕崎泊
4/23(日)枕崎泊、 フローテイングから岸壁へシフト、 加世田 万世特攻平和祈念館訪問、加世田麓武家屋敷
4/24 枕崎泊、 知覧特攻平和会館知覧城・麓武家屋敷を訪問
4/25 枕崎泊、 坊津歴史資料館、 鑑真記念館
4/26 枕崎泊  桜之城
4/27 枕崎発 指宿着、 指宿泊
4/28 指宿泊、 喜入城と麓武家屋敷見学
4/29 指宿泊、 鹿児島城と麓武家屋敷見学、西郷どうくつ加治屋町訪問
4/30(日) 指宿泊、 磯庭園や反射炉見学
5/1 指宿泊、 蒲生麓武家屋敷見学、 濱崎太平治
5/2 指宿泊、 山川漁港訪問
5/3 指宿泊、 垂水城と麓武家屋敷見学
5/4 指宿泊、 西郷記念館調所広郷邸跡を訪問
5/5 指宿泊、志布志城と麓武家屋敷見学
5/6 指宿泊 今和泉島津家
5/7 指宿発 内之浦着、 風速30mの中を錨泊
5/8 内之浦着岸泊
5/9 内之浦泊、 高屋神社訪問
5/10 内之浦発 宮崎油津着  回転計修理、 油津泊
5/11 油津泊、 心筋梗塞で県立日南病院入院手術
5/12−5/30  油津泊  日南病院入院
6/1 油津泊、 日南病院退院、 飫肥城見学
6/2 油津からJRで宮崎へ、 宮崎泊、 スマホ修理
6/3 宮崎からJRで霧島神宮へ、龍馬の温泉に立ち寄り湯、 霧島温泉
6/4(日) カミさんが帰る、霧島神宮よりJRで油津へ、 油津泊
6/5ー6/6 油津泊
6/7 油津泊  付き添いのため梅木さん来船
6/8 油津発 宮崎着、 宮崎泊
6/9 宮崎発 細島着、  細島泊
6/10 細島発 大分蒲江着、 蒲江泊
6/11 蒲江泊
6/12 蒲江発 佐賀関
6/13 佐賀関発 機関給水トラブル錨泊 山口上関着、 上関泊
6/14 上関発 下蒲刈着、  下蒲刈泊
6/15 下蒲刈発 弓削着、 弓削泊
6/16 弓削発 倉敷着  倉敷泊
6/17 倉敷泊  寺崎さん来船飲み会
6/18(日) 梅木さん下船して大村へ帰る
6/19ー6/20  倉敷泊、 なわばしご製作
6/21−6/23  上架 船艇塗装。  巡航終了
6/25 家に帰る


    2022年  秋巡航  九州一周  その1
    http://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-931



 






 
posted by 速魚 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年02月20日

バレンタイン コンサート



balantain 10.jpg 


 75歳の爺さんではあるが、今日、1週間ほど過ぎた義理チョコを頂だきました。 恒例のごとく、ここ10年余りもらっているのではないかと思う。
 民主党の若手の30代であった、2期目の当選から現在の50代になるまでの間に、仲間の3人でビラ配りのポステイングのボランテイアをやってきました。その秘書さんが気を使ってプレゼントしてくれていた訳です。もちろん個人のおこずかいからです。
 その仲間一人は10年前に先立ち、昨年は武漢風邪でもう一人旅立ったので、今は10年ほど前に加わった新しい仲間と2人で細々と続けています。 一人残されて今日はこみあげてくるものがあった。
 名前は申し上げないですが、応援している代議士個人は今も支持していますが、立憲そのものには愛想をつかして、何も期待できない政党だとみています。同性婚やLGBTを議論している時では無いだろうと。地元事務所の人に、子供たちの時代には中国の属国になってチベット人のようになるよと軽口を述べてきました。
 彼が首相になったら官邸に3人で乗り込むと希望・夢想をしていましたが、それを待つまでに2人は先立ち、小生もそれまでは寿命が持たないであろう。

 家に帰って、眠気をこらえながらYoutubeを聞いているとサラブライトマンとバッハのトッカ−タのオルガン曲でシャキッとした。

Sarah Brightman & Andrea Bocelli - Time to Say Goodbye 1998.mp4
https://www.youtube.com/watch?v=p6J9k3HVhz8   6分

J.S. Bach : Toccata and Fugue in D minor BWV 565 / Liene Andreta Kalnciema live at Riga Cathedral
https://www.youtube.com/watch?v=erXG9vnN-GI   9分

エンリコモリコーネとバンビーノで引き込まれ

BEST OF ENNIO MORRICONE - The Maestro & The European Pop Orchestra (Live Performance Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=KEoolHGE2Kc   15分

8 Puccini O mio babbino caro
https://www.youtube.com/watch?v=jrkTEbyDpQg   3分

ヘイリーウエンステラのアベマリアと泣くなアルゼンチンの人々よで感傷に浸り

Hayley Westenra - Ave Maria    3分
https://www.youtube.com/watch?v=kQQSW35PrEY&list=RDGMEMQ1dJ7wXfLlqCjwV0xfSNbA&start_radio=1&rv=OHBGtDwZY2k

Don't Cry For Me Argentina - The Maestro & The European Pop Orchestra (Live Performance Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=C6iL6rAwA54&list=RDGMEMQ1dJ7wXfLlqCjwV0xfSNbA&index=2    6分

この曲で老人の感傷は一気に吹き飛び元気になる。

Best Musical Humor Compilation - The Maestro & The European Pop Orchestra Performance Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=JIwqYPGZlos   30分

 これまでの曲は自動で選曲されたリストにあったものであり、自分の気分に沿うていたので、AIのすごさを感じた。
それぞれの演者と曲は小生のHPで取り上げているものである。

    2023-2-20


posted by 速魚 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年02月14日

ChatGPTを使ってみました

  

 

chatgpt 10.jpg




  話題のChatGPTに質問をぶつけてみました。 賢いAIはどのように答えるのでしょうか。

 IN: 「最近20年間に及ぶ日本経済の停滞の原因は何ですか」

 OUT: 「最近20年間に及ぶ日本経済の停滞の原因は、複数の要因が絡み合っているため、一つの原因で説明するのは困難です。一般的に言われている要因としては、高齢化による人口減少や労働力不足、デフレーションや円高、金融危機、政府の借金問題、慢性的な企業不振や働き方改革の遅れなどが挙げられます。」

 さあ、皆さまはこの解答をどのように思われたのでしょうか。 ChatGPTは役に立ちましたでしょうか。 まだ、分かっていない者の私見になりますが、 この停滞の一因には大蔵省・財務省の責任があるように思っています。 昨年から景気は快復の兆しが見えてきたのに、財務省はインボイス制度を設けて消費税の増税を図ることや防衛費と子育て支援による増税計画、つまるところは消費税のアップを15%から20%にする目論見により賃上げムードに水を差して、またまた経済を停滞させようとしています。 財政再建の錦旗の御旗を掲げ低迷させるのみ。

 また、「消費税の制度は正社員を減らす制度である」ことに最近気が付きました。 というのは、非正規雇用は経費と勘定されて消費税を減らす、一方、正社員の費用には消費税が掛かるり税金を増やす経理・計算になるのだと云います。 これなら、まことな経営者なら従業員の非正規化を図るでしょう。

 非正規の人には結婚できずに子供を作ることはない。 生活がギリギリなので総需要が増えない。 需給ギャップが解消されないのでデフレが続き、景気が上向くことがないのでしょう。 少子化が進み、ますます負のスパイラルに落ち込むでしょう。

 ChatGPTは大学の課題や宿題の提出には間に合っていると云います。 コピペすら必要なく、そのままの提出で単位が取れる時代になったのでしょうか。 パソコンの検索が、かってはYAHOOやマイクロソフトの検索結果は違ったものでしたが、最近ではGoogleが出す結果にそれらは一本化されて、今では変わりのないものになりました。 AIで導きされる結果もいずれは統一されたものになるのでしょう。

 今ではマスコミやSNSが言論統制に利用されてきたことが判り出しました。 ChatGPTもそうならないように、注目して見ていきたいと思います。



       2023-2-14

     船中発策 
        国政改革  http://hayame.net/custom10.html
        財政再建  http://hayame.net/custom2.html
        税制改革  http://hayame.net/custom4.html





posted by 速魚 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記