
ふたば、 日本カーフェリー所属
今回の忽那諸島クルーズにおいて、情島にあるフェリー「ふたば」の海難慰霊碑へ気持ちを捧げて参りました。 29歳の頃にそのフェリー会社の船員をしていた。その「ふたば」に配属され、休暇下船の時にその海難衝突事故が起きた。上司とお客様がお亡くなりになりました。 その後30歳の時に会社を退職する。 69歳になってヨットを購入し、広島から松山に行く機会があったので怒和島水道を通る時に献酒をして弔う。 当時の報道では、怒和島漁民が救助をしてくれてその水道において事故が起こったと小生は今まで誤解していた。
今度、
津和知島を高速船で訪れる機会があり、そこを散策していて、その西岸がえらく気になったがそこへ向かうこと無く帰る。帰りは津和知島から松山へフェリーに乗り
釣島へ入港することになった。 ヨットで釣島へ行くつもりであったから、下調べの港内写真を撮るために座席を離れて船のサイドへ移動している時に、突然大きな音と衝撃がして柱に1m飛ばされて頭と肩をぶつけた。フェリ-の行き足が強くて岸壁に船首をブツけた事故であった。打ち身だけで終わったけれど、小生以外には誰もケガをした乗客はいない。 不思議な縁を感じた。
中島に係留していたヨットへ帰り、パソコンで「ふたばの事故」を検索してみた。 すると、情島に「ふたば」海難慰霊碑があることが判明した。事故現場は下図のように怒和島水道ではなくて津和知島の隣の情島であった。本当は情島の漁民が救助に力を尽くしてくれたことを知った。

「フェリ-ふたば」海難現場、 宮崎日向から広島への標準・第1と第2航路
中島からの母港倉敷への帰途に、情島の水道(諸島水道・ミルガ瀬戸)を通峡して献花、
情島に係留して慰霊碑に献酒する。何かに導かれて本当の処へ行ったことになる。 釣島でのフェリ−船内にて頭を打ち不思議な縁を感じることが無ければ、再び間違った
怒和島水道をヨットで通行して献花・酒したことになったでしょう。
事故の概要 昭和51年・1976年 7/2 情島と諸島(もろしま)の間の水道・ミルガ瀬戸においてフェリー「ふたば」と貨物船「グレート・ビクトリー」が衝突。「ふたば」の船客4名と乗組員1名が死亡・行方不明になった海難事故が起きた。
お亡くなりになった方
福元洋子さん 22歳
柚木章さん 56歳
田中茂雄さん 52歳
長谷川悠さん 29歳
川岡保則 甲板長 43歳
ご冥福をお祈りいたします

島の名前などを実際に改めました

ふたば海難慰霊碑。 後は津和知島

水道に献花、島には満足な生花店が無いので野の花を摘んだ
以下はこの
ブログでかって述べた見解 船員の常務 その3(2014年9月)です。 改めて現場を通航したので、勝手な再考・見解を述べます。
かっての個人的な見解
「海難審判の採決のとおりに両船が水道の中央付近で行き会わないような措置をとることはもちろんのことです。神鼻沖の水深の浅いところをA号(グレート・ビクトリー)が嫌って右舷対右舷の航過を想定して航行していたのは、
法令の規定による「狭い水道を行きあう規定」では妥当な判断であったとはいえません。A号のみの航行なら問題ないでしょう。B丸(ふたば)も狭水道の法規どうりの航法を想定して航行しましたが、その想定がはずれて事故になりました。
老生は欧州のコンテナ船で船舶の輻輳する海域のドーバー海峡や北海を航海して学んだことですが、VHFの16チャンネルは必ずどの船舶も点けっぱなしで聴取しています。それを利用して相手船の進路の意向や自船の進路の希望などをやりとり確認して衝突防止に役立てています。 当時の日本ではその利用は稀なものであった。 そんなに難しい英語ではありません。少し聞いて慣れれば日本人でも使えます。 今回の場合もB丸からA号に呼びかけて意思を伝えれば防げたのではないかと思います。
A号が常識ばなれの行動をとるのならA号が呼びかけるべきかもしれません。今回は大型船どうしの問題ですが、ここで述べた本船とヨット・漁船のケースも有効です。 最近の学生は英語力が向上しているので、学校で簡単なテキストで習得できます、その使用を促す教育をすべきでしょう。外航日本人船員が絶滅した今では日本沿海で航行している大型船は外国人による運航となっています。水先人の能力も落ちている気配も感じますが、水先法を改正して狭水道を通航するケースでは水先人を義務つけるのも良いかと思います。今回は衝突予防法にはない港則法や海上交通安全法の適用される海域ではありません。かって中国船の大型船が鳴門海峡を通航しようとして事故ったケースもありますので日本の本船乗りの常識をこえる船長さんが運航しています。改正が必要です。」
再考 2024年11月
ふたば 要目、 総トン数 1,845トン、 全長82.9m、 幅15.5m、 満載喫水 4m
グレート・ビクトリー 要目、 総トン数 7,519トン、全長150m、幅 不明、 喫水 不明
情島と諸島の間のミルガ瀬戸(諸島水道)は300mほどの狭水道である。 実際にここをヨットにて通航して見ると、上記の要目の船が瀬戸最狭部で行き会うのは無理なように思える。 500トン程度の瀬戸内でよく見かけるガット船どうしなら可能かもしれない。 実際に本船の通航は怒和島水道では見かけたが本・諸島水道では漁船しか走っていなかった。
両船とも行き先の関係(A号:徳山とB丸:広島)で、この水道を通るのが最短になるので、船長としては通りたいところでしょう。ふたば慰霊碑のある鼻・荒神鼻はヨットから見ても白波と岩が見える浅瀬である。 ここを避けたいので通常では航路は諸島寄りになる傾向がでる。 実際グレート・ビクトリーはそのような判断で航行した。「ふたば」は最狭部で行き会いが予想されるのなら、それを避けるべく減速するか、もう一つの水道のイガイ瀬戸か怒和島水道を通る選択をするべきであったと思われる。 ミルガ瀬戸の航路は第2航路の社内規定であったようだが、やはり会社はここをはずして怒和島水道を常用航路と規定すべきであったろう。
狭い水道では右側端に寄り左舷対左舷で行き違い航行するように法令がある。グレート・ビクトリーは浅いところを避けるために左端によって右舷対右舷で航行しようともくろんでいた。船乗りの常識とは違う行動であったので事故につながったと云えよう。事故が起こった後には何とでもいえそうだ。 .... かっての身内のことを勝手に述べさせてもらった.....
半世紀余り前のことをどうのこうのと言っている。 船の名前も亡くなられた上司の名前も調べるまで忘れていた始末。亡くなられたお客様も4名もおられた。このことは頭から抜け落ちていた。 間違った場所を通航して献酒するつもりでいましたが、遅ればせながら本当の場所へ導かれて、皆様にお祈り申し上げた。 慰霊を終えて岸壁まで戻ると、老夫婦が漁を終えて作業をされていた。「ふたば」のことをお話しすると「私が一番乗りで救助をしたんだよ」小生は船名を忘却していたが、地元の人々には半世紀余り前のことでも強く記憶されておられるのです。 お話しているうちに、急に込み上げてくるものがありました。
昔からミステリ−好きであったけれど、今回のことは呼ばれたものだと思う次第です。
参考法規 海上衝突予防法
第9条 安全であり、かつ、実行に適する限り、狭い水道の右側端によって航行する。
第34条 短音・光 1回 本船は右に針路を転じている。
第14条 2隻の動力船が真向いまたはほとんど真向いに行きあう場合において衝突する 恐れがある場合は、互いに左舷側を通 過することができるようにそれぞれに針路を右に転 じなければならない。今回は狭水道ですのでこの規定は適用されません。
第38条 切迫した危険のある特殊な状況ではこの法律の規定によらないことができる。

赤・ふたば第2航路、青・ふたば第1航路、オレンジ・イガイ瀬戸航路
情島 ヨット泊地 港の入口は大変分かりにくい、防波堤と海岸が続いて見えてしまう。 接近しないと分からないであろう。 連絡船が日に4便あるようで、今回に着岸したポンツーン側かどうか不明である。 対岸の防波堤には階段が3か所くらいあるので、初めにそこへ着けて地元の人に空いているポンツーンを訪ねるのが正解であろう。
意外と秋の強い北東風をここで凌げるのではないかと思われた。西風系が吹いてもよさそうである。 買い物や給油は不便であろう。

赤丸は実際に係留した場所、 青丸は候補地
慰霊碑のある鼻の先は浅いので注意がひつよう。

情島 連絡船ポンツーン
2024-12-3