2025年01月10日

戦車はもういらない

 

 

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 榴弾砲                     戦車                    


 まもなくのトランプ再登板でウクライナ戦争がどうなるでしょうか?。 自分が受け取る動画ではウクライナが持ちこたえて多少押し返しているものばかりです。 ロシア有利で進んでいるとの話も聞きます。北朝鮮の兵を参戦させるロシアは優勢だとも思えません。 また、1950年代のソ連の戦車を改造して前線に出してくるロシアが勝っているとも思えない。(これほど過去の兵器を保存しているロシアの対戦争潜在力もすごい) 「戦場の闇」で実際のところは、終わって時間が経なければ分からないのでしょう。

  日本の戦車はかっての民主党政権のときに保有数を半減するようなプランが決められ、その方針の変更のないまま現在に至っています。 確かに当時の民主党の有力者から小生は「戦車はいらない説」を直接耳に聞く場面がありました。

 小生の郷土防衛隊構想においても対戦車ミサイルを重視しています。 ウクライナ戦争での対戦車ミサイル・ジャベリンの活躍で首都キ−ウを守った話は有名です。 下記の動画でこの問題は良く説明されているのでご覧ください。



 【元海上自衛隊幹部が財務省に捧げる】戦車不要論   40分
 https://www.youtube.com/watch?v=Fk30GQqhbQw



 太陽光や風力発電は重視されてきて、まだまだ伸びそうです。しかし、原発や火力発電も含めての電力のベストミックスが大事だと認識されてきています。 戦車も今までの戦争・紛争後の戦訓から、ここでは詳しく述べませんが正反対の結論が交互に現れているのが実状です。 財務真理教の財務省が、専門知識の乏しい担当者からの近視眼的な判断にて、この問題の判断を間違うことの無いことを望みます。 戦力もベストミックスが重要です。



        2025-1-10  


      
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2025年01月07日

はやめの 新バッハ全集  2025更新





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 バッハ

  Youtubeで聞くバッハ全集をブログに揚げてから10年余になります。 その後にルネッサンス・バロックの音楽家を追加しました。  



  速魚の新バッハ全集 2025年 最新更新

   速魚のパ−セル全集

   速魚のジョン・ダウランド全集
                      
   速魚の ハインリッヒ・シュッツ全集

   速魚のモンテヴェルデイ全集

   速魚のヘンデル全集

 新年が明けてバッハ全集の主なところを更新しました。 年月が過ぎ様々な理由でリンクが切れて聞けなくなっているものが多くありご不便をおかけしました。 また、新しい若い演者を追加しました。 お楽しみいただければ幸いです。



       2025-1-7


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2025年01月03日

全国ヨット泊地  最新の更新  2025-1-3


 
  2024年度の巡航を踏まえて更新いたしました。 隠岐から中国・九州・四国の西日本の情報が豊富な内容になっています。 お役に立てれば幸いです。 

  全国ヨット泊地  最新更新  2025-1-3
  https://hayame.coolblog.jp/custom4.html#spb-bookmark-223

   貴艇が航海された情報をお知らせください。

        2025-1-3






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2025年01月01日

トランプ革命  2025


   2025年元旦

  新年あけましておめでとうございます。



 
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  トランプ

 いよいよ2025年から再選されたトランプ大統領が登場する。 彼が初めて当選したころは小生も大前研一さんが「3か月もすれば馬脚を現す」との話に同意した一人であった。 2回目の大統領選挙の時には、明らかな大規模な不正がありバイデンが当選したものと小生は思うようになった。 今回は米日のオールドメデイアが報ずる接戦の状況は信じるにたるものではない、見事大差でトランプが当選した。

 すごいもので、あの弾圧を極めたシリア政府はトランプ登場を待たずに彼の影響で崩壊した。ウクライナ・ロシア戦争もすぐにとはいかないけれど彼により停戦になるのでしょう。

 新閣僚を指名したものが明らかになりつつありますが、ケネデイによりワクチンの問題が明かされ、最近知らされたWHOの脱退、最大のDS・デイ−プステ−トとの問題を処理してくれるとも大いに期待されるところでしょう。

 日本ではトランプの盟友安倍さんの暗殺がつくずく惜しまれます。 トランプに嫌われている現首相も安倍夫人の渡米尽力でやっと会談ができるようです。 その会談の成果は期待できないでしょうけれども。

 日本のDSこと財務省も先の選挙結果により、これまでのやりざまが白日のものにさらされることになり、変わったものにしなくてはなりません。使い古された改革とはいいたくないですが。

 ここで小生は「財政破綻 2024」を書いてきたように、その「うそ」に洗脳された自分がいます。 あと10年も生きられない老人としては、自分の考えが今までに間違っていたとしても死ぬまでにはハイパ−インフレが起こることは無いと思われる。

 金の購入、外貨預金などをその恐怖に備えて小銭を蓄えましたが、現在2−3倍に増えました。子供もいないので残してもしょうがないので、これから少しは幸いにも年に1度くらい小旅行にでも行けるかなと思っています。

 ブログを立ち上げて10年ほど経ました。読んでもらうべき3人組の2人は亡くなってしまいました。 3人で応援ボランテイアをしていた候補者も首相にはなれそうもありません。 暁には3人で官邸の冷蔵庫を開けてカンビ−ルを飲もうといったケチな希望もついえました。

 時代は変わっていくものなので、固執することなく柔軟により良いものつかんでいくのが本当のことでしょう。

 最近のトランプの再登板、日本の手取りを増やす動きには明るい光明が見えています。



日本では報道されないトランプとイーロン・マスクの本当の戦い【山口インテリジェンスアイ】山口 敬之×Saya
  https://www.youtube.com/watch?v=tBmRHHO8AlY



          2025年1月1日  




 
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2024年12月30日

忽那諸島 ヨット泊地 まとめ   


       


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  忽那諸島 ヨット泊地 図



 松山堀江海の駅  ガソリンスタンド遠い

 松山 三津浜・大可賀

    松山ヨット泊地考察

 興居島

由良

      

      船越

 中島   中島・大浦

      神浦

 野忽那島

 睦月島

 怒和島  元怒和

      上怒和

 釣島

 二神島

 津和地島

 柱島    山口県岩国市

 情島    山口県周防大島



    2024-12-30


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2024年12月28日

義経はチンギス・ハーンだった   田中英道




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       文芸社刊

  かって読んだことがある司馬さんの本の義経には、このジンギスカン説は述べられて無い。 国費留学生として欧州に行き、老生あこがれのフィレンツエやヴェネツイアで美術を研鑚された作者の田中英道さんが今回の説を本にされた。

 この説はあのシーボルトが著書「日本」にて「義経・チンギス・ハーン説」を紹介しているという。 シ−ボルトが中国で見た碑文には「兄の怒りを買い満州・モンゴルに逃れてチンギス・ハーンが国を成した」と書かれていたと云う。 こういう決定的な物的証拠が見つかれば論争に終止符を打つのであるが..... 見つかってはいない。

 田中さんがあげる3点

1. 「義経とチンギス・ハーンの似顔絵が美術研究家の彼が見ても同一人物である」

2. 「テムジンという名は義経が自信を天神と名乗ったことから来ている」

   菅原道真の運命に重ね合わせて義経が名乗った。

3. チンギス・ハーンの名前の由来は「吉野に成りて 水干を思う」

   静御前の義経への歌 「しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」

  静御前は男性の平安装束の水干で舞う白拍子の名手である。その義経の返歌は「吉野に成りて 水干を思う」 「私は吉野に逃れたが、離れた静のことを思う」である。成吉思汗はまさに「なすよしもがな」と読める。



 

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 平泉・30歳の義経と60歳のチンギス・ハーン

  

  https://www.youtube.com/watch?v=wuvuxlC2TzA  76分



 
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 義経の逃走経路



  北海道には義経蝦夷渡伝説があるという


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 アイヌ風俗絵馬の記述によると、奉納されたのは安永4年(1775)。笹りんどうの武具紋を着けた義経とアイヌ





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 大陸での移動ルート



       2024-12-28

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2024年12月27日

中島・小浜地区   塩入荒野の開発

 
 


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 赤字は忽那一族の松山の領地






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  忽那島・中島 周辺図




 ここで「忽那水軍史」を採り上げた。 再び中島を訪れて塩入荒野の開発地である中島の小浜地区を歩く。

現在の海岸線は戦後にでも新しく埋め立てたものであろう。 忽那氏は南北朝時代が最盛期で鎌倉、大宰府、鹿児島まで攻め入ったという。 海賊の利益は船荷の四割にも及ぶと云うから、へたに土地を耕しているよりもコスパの良い海賊業といえよう。 耕そうにも島ではそれに適した土地が無いのも事実であろう。 従い中世から稼いだお金で塩入荒野を干拓してきた一族である。

 下調べも不十分な素人の歴史好きヨットマンがそれを探ろうと中島小浜地区をうろついてみた。 黒岩城の近くに忽那家の表札のお屋敷があったので有力な親族ではなかろうか。



 


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 忽那家、 裏手に黒岩城



 下図で現在ある公園寄りの海岸通りより僧都碑を経て山際の輿理家神社へ歩いていくと、確かになだらかな登りの道になる。 下図の忽那八幡宮−黒岩城ー與理家神社の山際ライン近くまで昔は海水が押し寄せていたであろう。水軍城では城下海岸に舟を留置していた。

 旧海岸線の埋め立てに使用した石垣と思われる場所を見つけた。 これに沿った細道が想定旧海岸線であろう。 松山市の排水ポンプ施設もあった。 忽那氏が干拓した小浜地域はこのラインより陸側になると個人的に想定した次第である。




 
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  中島 小浜地区





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  僧都碑・そうずひ




享保10年(1725年)の建立と伝えられる。 福岡県筑紫郡の山寺の僧・眞證は、京都東本願寺の学僧となり、苦節20年、大僧都の位を受けたが、故郷へ錦を飾る帰途、斎灘で時化に遭い、大僧都の証(七条と緋法衣)を失った。小浜村の小者がこれを拾得し、いくら懇願しても返還せず、眞證は享保6年(1721年)旧7月16日池尻の西端稲ケ崎で投身自殺をした。
 以来、小浜村の小者には不幸が続き、拾得物を焼却したところ煙が僧都の形になって天に昇った。小者の家は断絶し、小浜村に火災が続くので、村人は享保10年(1725年)、村の中央へ碑を建て、毎年、法要と霊を弔うための仮装踊りを始めた。以後、村の火災が止み、平穏な里となったという。






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與理家神社 よりいえ



 素盞鳴命(すさのをのみこと)を祭神とする。






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  松山市小浜排水ポンプ施設、 帰ってから位置特定出来ず







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   旧海岸線の干拓堤石垣と思われる所  左側が海岸線となる






     2024-12-27









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2024年12月26日

軽自動車と保険  2025   新しいステルス増税

    


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 後期高齢者になるまで。車を買った経験が無く、今までに知り合いからもらった軽を2台を所有したばかりです。最近5年ほどはノ−カ−で過ごしています。 認知症検査のある免許更新制度を受けさせられる老人であるので、ほどなく免許返上になる運命なのかもしれません。

 下記の動画を見て驚いた次第です。 先の選挙の結果を受けて、やっと減税の議論になってきています。 国民民主党が頑張っていますが、20万アップのケチな政府税調案が決まっています。 今までは基礎控除を30年間上げてこなくて実質増税・ステルス増税で税金を取り過ぎていた。消費税を上げる時の口実に大蔵省・財務省は欧米比較をさかんに宣伝にしてきたことを憶えている。

 基礎控除すなわち最低生活保障の額を長らく据え置いたままにしておいたのです。 欧米と比べて今回満額を獲得したとしてもまだ足りないほどです。 財務省はダブルスタンダ−ドで基礎控除については欧米の事績を明らかにしていません。  年金や保険料も税金を別名で表現したもので、庶民の懐からでていく国民負担に変わりはない。

 来年からの軽自動車の保険料は車種による料率変更で最大1.7倍に値上がるそうです。 手取りを上て欲しいという庶民の願いも保険料アップで割引になります。 地方の人や古い車に乗っている人ど大きな影響を受けることになる。

 お役人と保険会社とで保険を食い物にしている実態も動画で云われています。 6000億円も政府は借り入れて、未だに少額の返済で残金を残してその運用益を得ている。 保険会社は手数料を得て、おまけに支払いまでの残金を運用して益を得る。

 財務省・国土交通省・保険会社の天下りや企業献金の実態。 すなわち、公明党や自民党への保険会社からの献金、関連の公益法人や保険会社への両省からの天下りを、これから大いに取り上げて解明していただきたいと思います。

軽自動車の最もな問題は世界中で公的な形式認証を受けて公道を走行できるように日本政府より働きかけて輸出できるようにすることであろう。 25年を過ぎた軽中古車は米国で輸入できるようであるが、新車こそ米欧で輸出できることが望ましい。人気があるのだからもったいない。



 【最悪】軽を買った人が大後悔する理由とは… 2025年1月から軽に乗ってはいけない真実【ゆっくり解説】 

 156万視聴、 いいね2万

     https://www.youtube.com/watch?v=1LmyIgM-fAs  23分



     2024-12-26



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2024年12月25日

神浦かんのうら・中島 ヨット泊地

  

 

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 神浦

 ここは北東風が強い時に、中島・大浦の東線連絡船航路が運航中止になっても西線航路が動いており、松山への交通は確保されている。 ヨットはそうはいかないけかもしれないけれど。



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  青線は西航路、 赤線は東航路



 泊地候補は高速船ポンツーンの利用されない側のみで、他に良いところは見あたらない。 天気の悪い時には風向により他の場所を探すべきであろう。

 

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  高速船ポンツーン



      2024-12-25


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2024年12月24日

近藤亨  ネパ−ル山岳農民の支援




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近藤亨   1921-2016





 ネパール高地のムスタンにおいて私財を投げ打ち、イネや果物・野菜などの栽培に成功して村人の新しい生き方を作り、そればかりではなく病院や学校の建設に努めた。 ネパールから最高栄誉1等勲章を受ける。





 日本人たちが荒地に奇妙な物体を 植えて12年が経ったら、世界中が感動に包まれた理由

            https://www.youtube.com/watch?v=Cl48ME9z_B0



      2024-12-24

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2024年12月23日

柱島,  ヨット泊地


    柱島  

 柱島について知っていたことは連合艦隊の柱島泊地のことである、ここに集結して真珠湾攻撃に向かったという。 確かに呉湾では大艦隊が停泊するには少し狭い気がする。

 

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  赤星印は連合艦隊柱島停泊地



 
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 柱島  周辺図


  中島より情島と柱島に立寄り倉橋島海の駅へ航海した。 村上海賊の城跡と赤禰武人墓への興味を持ったが後日に残した。

 

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  柱島外防波堤 白灯台





     柱島  ヨット停泊

 


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 赤丸は係留地、 青丸は候補地

 湾奥に階段のあるスペース(赤丸)が有ったのでそこへ係留した。狭いので出る時に後ろの漁船の錨索にからみそうになった。 



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    柱島 係留地



     2024-12-23

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2024年12月22日

呉湾内クル−ズ、  ヨット泊地




 倉橋島海の駅に滞在中にバスにて音戸の瀬戸を経由して呉まで足を延ばした。






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 呉周辺図、  赤線は湾内巡航路、 青線はヨット航路





 バスを降りてJR呉駅の観光案内所を訪ねた。そこでオススメの湾内観光クルーズ500円に参加した。 駅からフェリー乗り合い場所までは陸橋で続がっていて徒歩5分ほどである。

 今回の格安ツアーは小用までのフェリーを利用してのツアーであった。 以前に江田島海軍兵学校跡を見に行ったときにこのフェリーに乗ったことがある。






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 赤色の音戸大橋  らせん道路を昇り降りする。








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  小用フェリー



 案内所ではボランテイアガイドさんが乗船すると聞いたけれど、次の1200の便には乗ることになっていた。 ガイドさんがいなければ単なるフェリ−の往復乗船にしかならない。 よく確かめておく必要がある。 パンフレットにガイド乗船の記載がある。



 


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 大和波止場

 

 

 フェリ−のりばの近くに大和波止場(公園)がある。戦艦大和船橋から左舷半分のデッキが埠頭公園に再現されている。 この近くには戦艦大和のヤマトミュ−ジアムや潜水艦の実艇があり船内見学ができる。



 


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 自衛隊潜水艦









      呉  ヨット泊地


  自衛隊の基地があるので、ヨットでここに停泊したことはありません。 しかし佐世保では停泊することができた。停泊候補地を上げましたので誰かトライしてみてください。

 フェリ-のりばの対岸の大和波止場・ふ頭にハシごの設備が3−4か所あり、 許可が下りれば,潮汐を気にしないで安心して泊められると思います。港務局にでも尋ねる必要があるでしょう。


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  青丸は候補地




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 大和波止場  黒のゴムはしごフェンダーが設置されている






           2024-12-21





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2024年12月20日

松澤フミ,   ポーランド孤児の看護




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松澤フミ  ポーランドに残った遺影



 ここでポ−ランドの孤児を救った話を下記にとりあげています。 しかし、日本に来て孤児たちはチフスに感染しました。彼女は懸命な看病ですべてを救い、自らは感染して命を亡くしました。 20歳の若さでした。その記憶は日本では忘れられて、ポーランドでは100年経っても顕彰されています。

 日本で忘れられて埋もれた人々がいます。 これらの人々を顕彰する施設を作るか靖国神社にでも合祀されるべき人であると思います。


「この話を知らない日本人が多すぎる…」ハリウッド映画監督が100年前のポーランドと日本の歴史の真実を知り、男泣きした理由

https://www.youtube.com/watch?v=R8H5REOM89M

      






    陽明丸と800人の子供たち  北室南苑さんによる


 


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      北室南苑編著 並木書房


  日本軍のシベリア出兵のときに、ポ−ランドの子供たちを救出したことは世間に知られてきましたが、まだ世に知られていないも他のものがありました。

 ロシア革命後のペトログラ−で生活に困窮していた親たちが、夏の期間に一時的にシベリアへ子供たちを疎開させます。ところが内戦が勃発してそのウラルの地に子供たちが孤立してしまいました。その事実を知った米国の赤十字社が立ち上がり、その要請により日本船陽明丸が傭船される。その船は無事太平洋横断しパナマ運河を抜け、大西洋を横断してフィンランドまで送り届け、無事に八〇〇名の子供たちが親元に帰った。その忘れられていた事実が、北室さんの追及によりその詳細が明らかになりました。

 安部さんとプ−チンさんが北方領土交渉の前に、このことが両国に衆知されていたら、少しは良くなっていたかもしれません。


 
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  ウラルからウラジオストックまで救出された子供たちは、シベリアに出兵した各国が撤兵したあとで、残ったシベリア派遣日本軍と赤軍との戦闘が懸念された。米国を含めていろんな船会社に傭船を依頼したが、断られて陽明丸が引き受けることになった。 船会社社長の勝田銀次郎が快く引き受け、船長・茅原基治は子供たちに慕われて無事送り届けることができた。

 北室さんは、ロシアで行っていた個展で、子供たちの子孫より船長に感謝をしたいと、日本での船長さんの捜索の依頼を受ける。奇跡的に茅原船長の手記と共に子孫を見つけた。 また、日本が関わったことには秘密があるゆえに記録が消されたのではないかとも述べられています。
 このような隠れた偉業がみつかると、関係のない現代の日本人でも少しは胸を張れるか? 後世の人間ですが、船主の勝田さんと船長の茅原さん、乗組員の皆さんに感謝いたします。元船乗りとしては誇らしい思いです。

     2017-5-2 掲載





  シベリアからの子供たち

 ポーランドの総合メディア、『Onet』に2022年2月5日に掲載された関連記事を、日本語読者の皆様向けに翻訳を掲載しております。 

  https://siberianchildren.pl/ja/onetarticle1-jp/



      2024-12-20


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2024年12月19日

興居島・ごごしま 、  ヨット泊地


 
 興居島・ごごしま

  

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 高浜より泊と由良に1時間おきにフェリ−がでているので安く/250円便利である





 興居島へは高浜よりフェリーが1時間おきに由良と泊の2ヶ所に寄港している。 料金も250円なので近くて安く便利である。船内でレンタサイクルの申し込みもできる。

 かっては高速船が就航していたようでフェリーに変更になったので、そのためのポンツーンがある。由良のものは他船が利用しているようであるが、泊のポンツーンは空いているように見えた。 まずは、泊のそこを目指して利用できないのであれば、船越の緊急用ポンツーンが良いと思われる。大きなものでジャマにはならないであろう。もしダメなら横に予備のポンツーンがあるので心配ないでしょう。 高浜から電車で松山市駅にいくことができ市電で道後温泉に行くことが出来る。







   興居島のヨット泊地


 興居島へは高浜よりフェリーが1時間おきに由良と泊の2ヶ所に寄港している。 料金も250円なので近くて安く便利である。船内でレンタサイクルの申し込みもできる。

 かっては高速船が就航していたようでフェリーに変更になったので、そのためのポンツーンがある。由良のものは他船が利用しているようであるが、泊のポンツーンは空いているように見えた。 まずは、泊のそこを目指して利用できないのであれば、船越の緊急用ポンツーンが良いと思われる。大きなものでジャマにはならないであろう。もしダメなら横に予備のポンツーンがあるので心配ないでしょう。 高浜から電車で松山市駅にいくことができ市電で道後温泉に行くことが出来る。



 


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  由良のポンツーン、 空はないようだ



 


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 泊のポンツーン




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 緊急バース、 右には予備バース、ここならいつでも良いか?





    2024-12-19



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2024年12月17日

八幡塚古墳、 二子山古墳、   群馬高崎

 


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 高崎 周辺図

 高崎駅で下車、コミュニテイバスの時間が2時間待ちであったのでタクシーを使う。[かみつけの里博物館]を降りると、すぐ八幡塚古墳と二小山古墳である。帰りは15分歩いて井出西バス亭より乗車して高崎駅まで行った。 なお、このバス停より東へ5分歩くと新幹線高架下に「三ツ寺1」遺跡がある。 他に前橋からここへのバス便もある。

 

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  付近 案内図



 上毛野(かみつけの)博物館の付近に「二子山古墳」と「八幡塚古墳」がある。 



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 中島、 二子山古墳から

 どちらの古墳にも堀の中に4か所の円形の場所・中島がある、古墳被葬者に対しての葬送儀礼がここで行われたと云われている。



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  八幡塚古墳



 ここは築造当時の埴輪を周囲が取り囲む姿に復元されている。 雑木林がうっそうと繁ったイメージの今見る古墳とは違う。



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  玄室、  石棺は円墳部から階段で下へ降りると展示されている

 



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  八幡塚古墳にある埴輪、 ユダヤ人埴輪

 三角帽子のミズラをつけた武人埴輪が見受けられ、博物館の説明は朝鮮渡来人の影響が述べられているが、この埴輪からはユダヤ人がここに影響したとしか思えない。


     <三ツ寺遺跡1

 

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  三ツ寺遺跡1の模型、  桝形虎口を思わされる三重の堅固な門

 5世紀末から6世紀にかけてこの地の王族の館。 新幹線工事により発見発掘された。 現在は何もなく下の看板のみで偲ぶことはできない。

 

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 新幹線高架下にある案内板


    2024-12-17



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2024年12月16日

睦月島 と 梅の子城、砦 、  ヨット泊地



 五時台の早朝のフェリーにて中島より瀬木戸海峡を抜け、 まだ、夜の空けない睦月島へ行く。 日の出を見ながら睦月島の東半分を歩いて梅の子本城と砦へ向かった。 帰りは高速船で芋子瀬戸を通り野忽那島経由で中島へ戻る。



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  睦月島 周辺図


  湊から海岸沿いを東へ歩く。 玄関が木の門のような特有の造りの街並みが続く。


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  武家屋敷のような玄関戸、 他の忽那の島々では気に留めることはなかった


 

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  睦月島の日の出




     梅の子本城 と 砦


 徒歩で東海岸沿いを進んだが、梅の木本城の登り口の案内が見つからずに行けなかった。マップでその下から中島を望んだ。

遺構の残存状態は非常によく、瀬戸内海地方の中世山城の構造を窺い知ることができる遺跡である。松山市のHPにそのように書いてあるけれど、それならチャントそこへ行ける案内を掲示してほしいものです。

 梅の木砦も道路から下へ降りて行っていない。


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  梅の子本城下より忽那島・中島の大浦、黒岩城、泰ノ山城を望む



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  梅の子砦



      睦月島  ヨット泊地


 睦月島のヨット停泊地は連絡船ポンツ−ンしか見当たらない。 高速船は海側を利用するようで、反対側の陸側なら候補地になるだろう。 時刻表を調べて着岸時刻を知っておく必要あり。



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  青丸が候補地

 北東風が強風の時は注意が必要である。

 

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  手前側の連絡船ポンツーンが停泊候補地



         2024-12-16


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2024年12月14日

吉備津神社 と 王墓山古墳


 


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  吉備津神社 周辺図





  岡山よりJR吉備線にて吉備津駅下車、徒歩10分で吉備津神社へ行くことが出来る。 そこからタクシ-にて盾築遺跡と王墓山古墳に立ち寄れる。  半知識のせいか近くに吉備津彦神社があるのを知らずに行くことができなかった。 従いJR備前一宮で下車してここを加えて訪問するのが王道であろう。





        吉備津神社



 


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  境内図

 足利義満造営とされる本殿は全国唯一の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財に指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。






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 本殿   比翼入母屋造







 

     王墓山古墳



  この古墳は、明治末年に破壊されて、その形が著しく変形されており、その大きさや形については明らかではありません、方墳か円墳であったという。出土遺物には,四仏四獣鏡をはじめ金銅装馬具や鉄製武具,装身具類や須恵器など,大王墓にふさわしい多種多量の副葬品が知られており,これらは現在東京国立博物館に収蔵されている。




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  石室は横穴式か?





        2024-12-14


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2024年12月13日

はにわ展

   

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 国宝 埴輪 挂甲の武人 

 12月8日 上野にある国立博物館で催された「はにわ展」へ行って来た。 最終日の日曜のせいか一時間待ちの大盛況。展示物を人の頭越しに望んできた次第です。 まあ、規模も事前に想像していた2−3倍のものとは違い、全国の「はにわ」が勢ぞろいする壮大なものと勝手な思い込みがはずれたということでした。  最近に柴山はにわ博物館に行って来たとはずいぶん違ったものになりました。

 「動物はにわ」の展示の前では「かわいい」という声が多く聞かれました。いつも耳にする表現ですが「はにわ」に向けられるとは意外でした。 個人的には彩色復元「はにわ」や「舟形はにわ」が気に入りました。 満員盛況で満足に見られなかったのは残念です。


  https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2660

 

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  舟形はにわ



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  彩色はにわ



 一階には常設展コ−ナーがあり。そこは混雑していなくて、ゆっくりと見られる。 縄文時代の遮光土偶の本物を初めて見ることができた。すばらしい。


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  遮光土偶



         2024-12-13


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2024年12月12日

津和知島,  ヨット泊地


 
    津和知島

    

 

 二神島より高速船に乗り津和知島へ来る。帰りはフェリ−にて元怒和へ渡る。




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  津和知島  周辺図



 津和知島は遣隋唐使の時代から風待ちの湊である。 現地に行ってみると北東風の強風にはここは少し弱い印象を受けた。その時には対岸の元怒和へ逃げれば良いようにも思われる。 

   


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  中世・近世の航路図



 松山藩が寛永13年(1636年)、直営の公儀接待所として設けた「お茶屋」跡が診療所の裏にある。そこは津和地湾のほぼ中央に位置し、面積は1423.17平方メートルある。広さ89畳半の「お茶屋」、41畳の御長屋などの宿泊・接待施設をもち、津和地瀬戸を上下向していた長崎奉行以下幕府公儀役人の接待や西国大名の便宜を図っていたとある。

 


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 お茶屋跡



  海岸沿いに徒歩にて南下15分ほどで津和知八幡神社に着いた。 なんと八幡神社の多いことよ。海上安全と豊漁を願うので他の島にもあるのは当然か。

 


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 津和知八幡神社





    津和知島  ヨット泊地


 高速船ポンツ−ンが利用できる。 時刻表で入港時期を調べておくと良い。 停泊時間は短くて着いて5分もすれば次に向かいますが。

 徒歩10分位の新港がある。ポンツーンと岸壁が候補地になるが、風向きによりウネリが入るようである。お店は見当たらないので買い物は不便でしょう。

 


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 青丸は候補地、   お茶屋跡




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 高速船ポンツ−ン

 


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 新港の階段のある岸壁、 うねりに注意


  
    2024-12-12



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2024年12月11日

二神島、  ヨット泊地


   二神島  

 

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  二神島へは時間によりフェリ−と高速船の便がある


 三津浜よりフェリーに乗り二神島へ行く、帰りは高速船で津和知島へ向かった。

  二神水軍のゆかりを訪ねるべくこの島に向かった。 かつて、瀬戸内海の一方の旗頭であった忽那水軍の勢力も忽那義範以後は一族を率いる強力な後継者に恵まれず、辛うじて河野氏の家臣に連なり衰退の一途をたどった。 戦国時代には海賊の主流は村上氏や二神島の二神氏に移っていった。

 二神氏は長門の国・豊田から来たと云うが元々二神家はここにあったという。河野氏に属したようだが、その滅亡とともに庄屋として存続した。 現地には何も案内が無い。 城の山イブキ自生地があり、いかにも海賊砦の立地のようなであり、また、城山の地名があるので、そこは砦跡なのかもしれない。

 

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 城の山 イブキ自生地



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 安養寺、 電気柵に囲まれていた。  二神家の墓地があるというが見つけられなかった




   二神島 ヨット泊地

    

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  青丸は候補地、 新旧高速船の二つのポンツーン


  高速船の旧ポンツ−ンがあるので、そこは良い停泊候補地になる。



 

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  左がフェリー岸壁、 右は赤色の新高速船ポンツーン




 

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 旧高速船ポンツーン



     2024-12-11


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2024年12月10日

映画 グラデイエーターU 英雄を呼ぶ声

 



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 これぞハリウッド映画と云えるもの。 いかにも充分なお金を注いで、CGでは無くて本物のセットで作ったと思わせる壮大な場面がふんだんに見られた。 


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   ローマ属州ヌミデイア



 最初のローマ軍団・船がヌミビアを攻城するシ−ンはすごいです。この戦いから主人公ルシアスが登場。映画のあらすじはネタバレになるので他に譲る。

 映画の時代背景となっているカラカラ帝・ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(188-217)その弟ゲタ(189-212)の時代であるが、史実ではカラカラがゲタを暗殺している。映画とは逆である。 塩野七生「ロ−マ人の物語文庫31-138ペ−ジ」をお読みください。 10年ほど前にブログを始める前に塩野さんのこの本を読んでしまっていたので、もう、面倒で読み返してブログに揚げることはない。 残念だがこの年では時間が無い。 若い方はその本をお読みになることを強くお勧めいたします。

 ロ−マ史だけつぶさに学べば他の歴史はどうでもよく、若い方には人生に役立つことでしょう。 こちらは半煮えで学んだとは言えない老人ですけれども。 イタリアのロ−マに行けてないのでカラカラ浴場を見ていない。


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 左上がカラカラ、その下の顔が消されているのがゲタ



      2024-12-10






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2024年12月09日

釣島、  ヨット泊地

     

 
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  瀬戸内海西部 釣島


 釣島は船乗りをしていた若い頃に、釣島水道を航行するには潮汐表を調べていたので、おなじみであったが、実際にヨットで今回初めて立ち寄りそこを目の当たりにした。 ここは関門や来島のような強流ではないので、今は老いてヨットに乗っているけれど気にしていなかった。

 今秋の忽那海賊を訪ねるクル−ズでは、泊地の下調べにてフェリ−に乗っていた。港内の写真を撮るべくサイドに移ろうとしていた時にフェリ−の行き足が強かったせいでガツンと岸壁に衝突した。 老生は港内の写真を撮るべく、自分の席を離れてサイド甲板へ移動中であったので頭と肩を柱にぶつけた。 幸いにも翌日になってもヒドイことは無く単なる打ち身で終わった。

 

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 釣島

 忽那諸島のひとつである。 人口80人ほど、分校の小学校があり、中学は無い。 タコ漁とかんきつ栽培を生業としていっる。釣島灯台が松山市の有形文化財になる。


    釣島  ヨット泊地

 港内をヨットでぐるっと廻っただけで、もやいを取ったわけではない。 狭いので空いていても漁船が帰って来る確率は高い。 高速船の時間を調べて利用しない時間帯をよく確認すること。 地元の人に良く聞いてジャマにならなければ宿泊が可能でしょう。そうでなければ、 一時利用になるのでしょう。

 

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 青丸は候補地、 高速船ポンツ−ン



 フェリー岸壁には、行った時には病院への運搬船が係留していた。



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 青い立柱の高速船ポンツーンがある、奥の岸壁には階段が数か所あるが、地元の漁船が利用している 



      2024-12-9


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2024年12月07日

蘭島閣美術館  下蒲刈・呉




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  蘭島閣美術館 周辺図




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  下蒲刈へは何度も寄っています. ここは石畳で観光整備されている三之瀬にある木造の美術館. 見ていないが別館もある。



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 蘭島閣美術館  火曜休日、500円


 好みはそれぞれ色々である。個人的には感銘を受ける作品が少なかった。



       2024-12-7


下蒲刈 ヨット泊地 再考察
https://hayame.coolblog.jp/custom32.html#spb-bookmark-333






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2024年12月06日

元怒和 と 上怒和  怒和島、  それぞれのヨット泊地


  元怒和 と 上怒和  怒和島


 忽那諸島へは中島汽船が運行しており、いずれの島へも高速船とフェリ−が就航しており時刻により選択できる。 松山の三津浜・大可賀に係留していたので、怒和島へ行くには、下図のごとくフェリ−に乗り三津浜から二神島へ、そこから高速船で津和知島を経て怒和島に着いた。帰りはフェリ−で神浦により釣島を経て三津浜へ戻った。

 怒和島にある。元怒和と上怒和を訪ねた。元怒和より上怒和へはフェリーで行く、バス便は無いけれど徒歩で1時間もあればそこに着くとのことである。 まあ、通常は2時間ほど次の便を待つことになるので、それもアリでしょう。

 

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  忽那諸島の中島汽船路線図



 

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  元怒和と上怒和、 


 

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 怒和島 周辺図



    元怒和

 忽那諸島は冬の北西風を避けるべき位置に集落が歴史的に発展してきた。 元怒和も上怒和もそのような位置にある。 元怒和は今秋に悩まされてきた北東風を防ぐ位置にある。

 季節の変わり目に吹く強風は今年は11月8日まで続いた。 家に帰ったその日以降、天気は安定してきて今日12月6日まで晴天である。 これから寒くいなる12月中旬までが、本当との秋のクル−ズ日和になるのでしょう。 9月下旬に母港の岡山に出かけた、夏を思わせる暑い日が続いた。 10月中旬に巡航を出発したが、風待ちの日が2/3を占めることになった。 

 

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 元怒和の歴史的建物


 漁港近くには歴史を感じる建物が在る。 厳島神社と延福寺を訪ねた。 


 

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 延福寺


 

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 元怒和厳島神社



   元怒和 ヨット泊地


  高速艇の時刻表を見て利用が無い時間を探す。 防波堤側なら空いていそうであるが、スペースが狭く水深には注意が必要と思われる。徒歩10分ほど北に新しい漁港があるが、水深と風によるウネリの侵入には注意が必要である。


 

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  連絡船ポンツーン、  写真の奥側の防波堤側が候補地


 
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  青丸は候補地、  北東の強風の時は上怒和より元怒和のほうが停泊にふさわしいと思われる





    上怒和

 元怒和から高速船で上怒和まで行く。 ここから中島の西中と神浦へ行く便がある。 高速船で神浦へ航き、連絡バスで中島・大浦へ帰った。

 港入り口付近の鼻から海岸沿いを15分ほど歩いた。 建物は古いものは無くて昭和になり建て替えされたようで、レトロとも言えないので感慨は無い。



 下記写真の鼻の小山はいかにも海賊砦の立地であるが、説明が見当たらなかった。



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 入り口の鼻、 いかにも海賊砦みたい




     上怒和 ヨット泊地


 漁港は予想外に小さめで入り口にフェリー岸壁と高速船ポンツーンがある。 漁船用ポンツーンもあるが地元の人が使用しているようだ。 高速船が使用しないポンツーンの陸側がねらい目だと思われる。

 買い物と給油は不便。

 

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  上怒和港   青丸は停泊候補地


 

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  上怒和 高速船ポンツーン   陸側が空いている模様



     2024-12-6


     
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2024年12月05日

宮の口の街並み,室尾の街並み  倉橋島、鹿島、  室尾のヨット泊地

 

 倉橋島海の駅の近くの桂浜温泉館よりコミュニテイバスに乗り宮の口の街並みと室尾の街並みを見てきました。レンタサイクルでも平坦地が多いので良いと思われる。 始発の温泉館では温泉に浸り、ここから呉行の路線バスがある。



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    宮の口の街並み

 鹿島大橋にて倉橋島と鹿島が結ばれている。 その鹿島に宮の口の街並みがある。 歴史的保存の街並みを期待していたが、古い家並みではなくて、今では珍しくなった段々畑が残る街並みのようである。

 

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 石積みの段々畑


     

     室尾の街並み

 宮の口で次のバスまで2時間余り待ち、鹿島大橋を通り倉橋島の室尾にて下車した。この町の方がやや規模の大きな集落のようである。 ここの街並みでの見どころは醸造酒酒屋の建物である。 宮の口と同じように保存地区の指定がないので、風情の街並みとはいかない。


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  室尾の集落、林酒造と赤丸はヨット係留ポンツ−ン、

 


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  室尾の街並み



 

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  林酒造、  着物の展示をしている



 

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  林酒造




        室尾・倉橋島のヨット泊地


  倉橋海の駅は温泉に入れることから人気でヨットの係留は3隻ほどになる。横抱きしてくれないときには、近くの室尾の旧連絡船ポンツ−ンがあるので、ここはどうでしょうか。 上図の赤丸の位置。

  

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  旧連絡船ポンツ−ン



     2024-12-5



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2024年12月03日

ふたば海難慰霊碑  情島


 

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 ふたば、  日本カーフェリー所属

  

 今回の忽那諸島クルーズにおいて、情島にあるフェリー「ふたば」の海難慰霊碑へ気持ちを捧げて参りました。 29歳の頃にそのフェリー会社の船員をしていた。その「ふたば」に配属され、休暇下船の時にその海難衝突事故が起きた。上司とお客様がお亡くなりになりました。 その後30歳の時に会社を退職する。 69歳になってヨットを購入し、広島から松山に行く機会があったので怒和島水道を通る時に献酒をして弔う。 当時の報道では、怒和島漁民が救助をしてくれてその水道において事故が起こったと小生は今まで誤解していた。

 今度、津和知島を高速船で訪れる機会があり、そこを散策していて、その西岸がえらく気になったがそこへ向かうこと無く帰る。帰りは津和知島から松山へフェリーに乗り釣島へ入港することになった。 ヨットで釣島へ行くつもりであったから、下調べの港内写真を撮るために座席を離れて船のサイドへ移動している時に、突然大きな音と衝撃がして柱に1m飛ばされて頭と肩をぶつけた。フェリ-の行き足が強くて岸壁に船首をブツけた事故であった。打ち身だけで終わったけれど、小生以外には誰もケガをした乗客はいない。 不思議な縁を感じた。

 中島に係留していたヨットへ帰り、パソコンで「ふたばの事故」を検索してみた。 すると、情島に「ふたば」海難慰霊碑があることが判明した。事故現場は下図のように怒和島水道ではなくて津和知島の隣の情島であった。本当は情島の漁民が救助に力を尽くしてくれたことを知った。



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 「フェリ-ふたば」海難現場、 宮崎日向から広島への標準・第1と第2航路



  中島からの母港倉敷への帰途に、情島の水道(諸島水道・ミルガ瀬戸)を通峡して献花、情島に係留して慰霊碑に献酒する。何かに導かれて本当の処へ行ったことになる。 釣島でのフェリ−船内にて頭を打ち不思議な縁を感じることが無ければ、再び間違った怒和島水道をヨットで通行して献花・酒したことになったでしょう。

  

      事故の概要

 昭和51年・1976年 7/2 情島と諸島(もろしま)の間の水道・ミルガ瀬戸においてフェリー「ふたば」と貨物船「グレート・ビクトリー」が衝突。「ふたば」の船客4名と乗組員1名が死亡・行方不明になった海難事故が起きた。



  お亡くなりになった方

 福元洋子さん 22歳

 柚木章さん  56歳

 田中茂雄さん 52歳

 長谷川悠さん  29歳

 川岡保則  甲板長  43歳

   ご冥福をお祈りいたします

 

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  島の名前などを実際に改めました





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  ふたば海難慰霊碑。  後は津和知島



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  水道に献花、島には満足な生花店が無いので野の花を摘んだ







  以下はこのブログでかって述べた見解  船員の常務 その3(2014年9月)です。 改めて現場を通航したので、勝手な再考・見解を述べます。

     かっての個人的な見解

 「海難審判の採決のとおりに両船が水道の中央付近で行き会わないような措置をとることはもちろんのことです。神鼻沖の水深の浅いところをA号(グレート・ビクトリー)が嫌って右舷対右舷の航過を想定して航行していたのは、法令の規定による「狭い水道を行きあう規定」では妥当な判断であったとはいえません。A号のみの航行なら問題ないでしょう。B丸(ふたば)も狭水道の法規どうりの航法を想定して航行しましたが、その想定がはずれて事故になりました。

 老生は欧州のコンテナ船で船舶の輻輳する海域のドーバー海峡や北海を航海して学んだことですが、VHFの16チャンネルは必ずどの船舶も点けっぱなしで聴取しています。それを利用して相手船の進路の意向や自船の進路の希望などをやりとり確認して衝突防止に役立てています。 当時の日本ではその利用は稀なものであった。 そんなに難しい英語ではありません。少し聞いて慣れれば日本人でも使えます。 今回の場合もB丸からA号に呼びかけて意思を伝えれば防げたのではないかと思います。

 A号が常識ばなれの行動をとるのならA号が呼びかけるべきかもしれません。今回は大型船どうしの問題ですが、ここで述べた本船とヨット・漁船のケースも有効です。 最近の学生は英語力が向上しているので、学校で簡単なテキストで習得できます、その使用を促す教育をすべきでしょう。外航日本人船員が絶滅した今では日本沿海で航行している大型船は外国人による運航となっています。水先人の能力も落ちている気配も感じますが、水先法を改正して狭水道を通航するケースでは水先人を義務つけるのも良いかと思います。今回は衝突予防法にはない港則法や海上交通安全法の適用される海域ではありません。かって中国船の大型船が鳴門海峡を通航しようとして事故ったケースもありますので日本の本船乗りの常識をこえる船長さんが運航しています。改正が必要です。」





     再考 2024年11月



 ふたば  要目、  総トン数 1,845トン、 全長82.9m、 幅15.5m、 満載喫水 4m

 グレート・ビクトリー  要目、 総トン数 7,519トン、全長150m、幅 不明、 喫水 不明

情島と諸島の間のミルガ瀬戸(諸島水道)は300mほどの狭水道である。 実際にここをヨットにて通航して見ると、上記の要目の船が瀬戸最狭部で行き会うのは無理なように思える。 500トン程度の瀬戸内でよく見かけるガット船どうしなら可能かもしれない。 実際に本船の通航は怒和島水道では見かけたが本・諸島水道では漁船しか走っていなかった。

 両船とも行き先の関係(A号:徳山とB丸:広島)で、この水道を通るのが最短になるので、船長としては通りたいところでしょう。ふたば慰霊碑のある鼻・荒神鼻はヨットから見ても白波と岩が見える浅瀬である。 ここを避けたいので通常では航路は諸島寄りになる傾向がでる。 実際グレート・ビクトリーはそのような判断で航行した。「ふたば」は最狭部で行き会いが予想されるのなら、それを避けるべく減速するか、もう一つの水道のイガイ瀬戸か怒和島水道を通る選択をするべきであったと思われる。 ミルガ瀬戸の航路は第2航路の社内規定であったようだが、やはり会社はここをはずして怒和島水道を常用航路と規定すべきであったろう。

 狭い水道では右側端に寄り左舷対左舷で行き違い航行するように法令がある。グレート・ビクトリーは浅いところを避けるために左端によって右舷対右舷で航行しようともくろんでいた。船乗りの常識とは違う行動であったので事故につながったと云えよう。事故が起こった後には何とでもいえそうだ。  .... かっての身内のことを勝手に述べさせてもらった..... 



 半世紀余り前のことをどうのこうのと言っている。 船の名前も亡くなられた上司の名前も調べるまで忘れていた始末。亡くなられたお客様も4名もおられた。このことは頭から抜け落ちていた。 間違った場所を通航して献酒するつもりでいましたが、遅ればせながら本当の場所へ導かれて、皆様にお祈り申し上げた。 慰霊を終えて岸壁まで戻ると、老夫婦が漁を終えて作業をされていた。「ふたば」のことをお話しすると「私が一番乗りで救助をしたんだよ」小生は船名を忘却していたが、地元の人々には半世紀余り前のことでも強く記憶されておられるのです。 お話しているうちに、急に込み上げてくるものがありました。

 昔からミステリ−好きであったけれど、今回のことは呼ばれたものだと思う次第です。



  参考法規   海上衝突予防法 

 第9条 安全であり、かつ、実行に適する限り、狭い水道の右側端によって航行する。

 第34条 短音・光 1回  本船は右に針路を転じている。

 第14条 2隻の動力船が真向いまたはほとんど真向いに行きあう場合において衝突する 恐れがある場合は、互いに左舷側を通  過することができるようにそれぞれに針路を右に転 じなければならない。今回は狭水道ですのでこの規定は適用されません。

 第38条 切迫した危険のある特殊な状況ではこの法律の規定によらないことができる。



 

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 赤・ふたば第2航路、青・ふたば第1航路、オレンジ・イガイ瀬戸航路



 

    情島 ヨット泊地



 港の入口は大変分かりにくい、防波堤と海岸が続いて見えてしまう。 接近しないと分からないであろう。 連絡船が日に4便あるようで、今回に着岸したポンツーン側かどうか不明である。 対岸の防波堤には階段が3か所くらいあるので、初めにそこへ着けて地元の人に空いているポンツーンを訪ねるのが正解であろう。

 意外と秋の強い北東風をここで凌げるのではないかと思われた。西風系が吹いてもよさそうである。 買い物や給油は不便であろう。



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  赤丸は実際に係留した場所、 青丸は候補地

 慰霊碑のある鼻の先は浅いので注意がひつよう。



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  情島  連絡船ポンツーン



    2024-12-3


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2024年11月30日

もしや 戦争が!  緊急衆知

 




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  スウェーデンが国民に配布したパンフレット「危機や戦争が来たら」



スウェーデンが戦争に備えるためのパンフレットを配布したニュースを読んだ後に、青山さんのYoutubeを見る。 個人的にはヒョットしてあるかもと危機感を持った次第です。 田舎の老人が述べても役に立たないのは現実ですが、テレビなどの大型オ−ルドメデイアは取り上げないのはいつものことです。

 日本はシェルタ−など一切の用意もなされていないので、庶民が準備をしても藻屑となる公算は多いと思われる。大地震に備える震災防備品くらいは必要かもしれません。 心の準備でも。

 青山さんが述べるように、 トランプ登場で英仏がウクライナに派兵して、戦争がが拡大してミニ大戦が起きる可能性はありでしょう。

 露中の爆撃機編隊が対馬と韓国の間を飛行して、韓国の防空識別圏に無断での侵入したニュ−スも今朝報道された。 プーテインにとっては習近平が失脚する前の、また、(これは小さいが)政権基盤が小さい日本の首相がいるこの時期が最大のチャンスなのかもしれません。



  青山繫晴 【ぼくらの国会・第850回】「駆け込み戦争?露北VSウ英仏 ミニ世界大戦」  21分

  https://www.youtube.com/watch?v=PnIMrF_Enzk&t=826s



  ウクライナへの派兵議論か 英仏、米の支援停止を警戒

  https://news.yahoo.co.jp/articles/385ab7720aa6c52338f0e26479957fd82d766527


   プーチン氏「政府中枢」への攻撃示唆

  https://news.yahoo.co.jp/pickup/6521104


  スウェーデン政府が国民に「戦争への備えを呼びかけるパンフレット」500万冊を配布

  https://earthreview.net/in-case-of-crisis-or-war-sweden/

  https://news.yahoo.co.jp/articles/aa054f68508b947012727bf162e07c90469dd52e



   青山繫晴 「習近平主席 失脚の予言が現実に」

  https://www.youtube.com/watch?v=67ufr_lAenk&t=761s


       2024-11-30

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2024年11月28日

野忽那島



 

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  忽那諸島の連絡航路図



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  野忽那島



 睦月島より高速船に乗り野忽那島へ行く。 忽那海賊の縁の地を探しながら、何も見つからず、皿山展望台ヘ登る。 恐らく砦跡か見張り台があったと想像されるが説明案内が無い。 そこから眺めると南東には村上海賊の鹿島、西の興居島北の倉橋島、仲間の>睦月島と中島が見られる絶好の見張り位置である。



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  野忽那島からの展望




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 皿山展望台にあった灯台か砲台と思われる跡


 島にはお店がないので連絡船待合所で昼食を食べた。 なおフェリ−には時間帯によると思うが売店でお弁当を売っていた。

 なぜかしらお風呂屋の廃業跡がグ−グルマップにも載っていて見てきた。こんな孤島に風呂屋があったのが稀有なことなのであろうか。



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 風呂屋跡




    野忽那島  ヨット泊地



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  青丸は候補地


 泊地候補は高速船のポンツ−ンの上図左側、フェリ−岸壁に並ぶ階段のあるところ、長い防波堤、湾奥にあるポンツーンが考えられる。北東風の強風になやまされたが、緊急の非難であれば、ここでもしのげそうな気がした。


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  高速船用ポンツーン



   2024-11-28


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2024年11月26日

松山 ヨット泊地 考察

    


 道後温泉に行くために松山堀江海の駅はヨット停泊地に選ばれがちである。他の候補も知られていない。しかし、そこは北東風が強風の時は港の構造に問題があり直接に風波が押し寄せる。 ヨットが動揺して大きなフェンダーでも持たないと難儀することになる。 台風でポンツーンが壊れたこともあるといいます。堀江はガソリンスタンドが閉店して給油は不便になった。

 今春に小生が立ち寄った際にはさんざん揺らされたので、今秋の寄港の際には、時化が予想された時には懲りてここから中島へ避難した。 しかし、北東風の強風でここでも悩まされる。 松山周辺のヨット泊地を探訪してみた。


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 松山のヨット泊地 周辺図



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 松山市内の泊地・三津浜には停泊余地が見当たらない




   松山商業港 大可賀 ヨット泊地

 ここに2泊したが大きな港ゆえにウネリが入り込み軽快ではなかった。 ナギの時には利用できるであろう。 バスにて松山市駅に行くことができる。 下図の青丸候補地はハシゴのある場所が2ヶ所あるけれども、タグや作業船のジャマになるかもしれない。

 

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  松山商業港 大可賀  赤丸は停泊地、 青丸は候補地



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 大可賀の岸壁 上図の赤丸の泊地、 約3mの潮差があるけれど階段はある。 ウネリに悩まされた。



 

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  青丸 候補地




    興居(ごご)島のヨット泊地

 興居島へは高浜よりフェリーが1時間おきに由良と泊の2ヶ所に寄港している。 料金も250円なので近くて安く便利である。船内でレンタサイクルの申し込みもできる。

 かっては高速船が就航していたようでフェリーに変更になったので、そのためのポンツーンがある。由良のものは他船が利用しているようであるが、泊のポンツーンは空いているように見えた。 まずは、泊のそこを目指して利用できないのであれば、船越の緊急用ポンツーンが良いと思われる。大きなものでジャマにはならないであろう。もしダメなら横に予備のポンツーンがあるので心配ないでしょう。 高浜から電車で松山市駅にいくことができ市電で道後温泉に行くことが出来る。


 

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  由良のポンツーン、 空はないようだ


 

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 泊のポンツーン



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 緊急バース、 右には予備バース、ここならいつでも良いか?





     伊予のヨット泊地

 この港は諸風を防ぐので東西の強風でも都合が良い。 欠点は潮差により岸壁が高くなるので低潮時に入港すると。もやいを取るときにも岸壁に上がれないので、通りかかった釣り人に頼むしかなくなる。

 伊予の駅から伊予電鉄にて松山へ行くことができる。買い物もコインランドリーも便利である。

 

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 伊予港

 

      2024-11-26




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2024年11月24日

黒岩城 再訪

 

    黒岩城


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 さすがに水軍城のひとつ、城跡から大浦湾が望め見晴らしがよい位置にある。 



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  黒岩城



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  案合板



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 中島・大浦港を望む





   黒岩城 再訪




 前回は断念したのを今回は登ってきました。 登り路はロ−プやチェ−ンで整備されていますが、倒木があったりでそろそろ再整備が必要だと思われた。本郭の山頂へは15分ほどで行ける。

 忽那水軍のっ歴史に詳しい忽那裕三さんによると、「忽那島本島を攻略するに、各攻撃軍とも本拠地の大浦湾を、直接攻めることはしなかった。大浦湾は奥行き1000メートル以上、間口700メートルの入り江で、湾内に軍船をもって侵入すれば、左右の両側面より攻撃をうけ、そのうえ後方の牟須岐島・睦月島の梅ノ子城(うめのこじょう)や粟井浦より退路をふさがれる。上陸をしたとしても、北の泰山城(たいのやまじょう)、南の本山城(もとやまじょう)より挟み撃ちにあってしまう」と解説。

 また、「忽那島に3年間滞在したとされる懐良親王がどこに居住されたかについては諸説ある。私説ではあるが、ご逗留願うには、安全面を確保しやすい黒岩城しかありえないと思われる。一行12人が生活する利便を考えたとき標高59メートルの小山というより岡である」との見解を示された。

 


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  縄張り図






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  登り口。 神社の手洗い場の近く



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 太い倒木がジャマしている



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  石垣跡か?


 

     2024-11-24


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