2022年12月25日

小値賀島

    


 

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  小値賀島


 今回の五島列島は、前回に宇久島を訪ねたので、平戸―黒島から小値賀島に向かいました。 野崎島の北方海域では、予想外に潮流の影響を受けて機走で3ノット余りになり、またかと、ホンダワラのペラ絡みを懸念しました。 しかし、この秋の航海では一度もプロペラに絡むようなことはありませんでした。 本当に秋巡航では、海がきれいでゴミが浮いていることも無く、心配のない気持ちの良い航海だと思います。 また、この後の五島で気が付かされたことですが、瀬戸内並みに潮の流れがあるということです。





 1. 小値賀島 ヨット泊地


 
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 赤丸は停泊地。 青丸は候補地

  ヨットの係留地は事前の調べでは多くあるように思えたけれど、実際に行ってみると赤丸の位置しかなかった。 漁協の給油ポンツーンに着けて給油して、そこで訪ねて赤丸の階段がある付近の岸壁に着けた。



  2.  小値賀島散歩 



 翌日朝に観光案内所で自転車を借りて、教えてもらったところを見てきた。 カトリック教会を訪ねた、精彩のない廃校のようであった。他の五島で信者がごく少数で守っている教会を見てきたが、もっと生き生きとしていたように思われる。 ミサなどに使われていないのかもしれない。この島は平坦で江戸時代でも実りが良い土地ゆえに仏教の信者が多く、カトリックの信仰が少ないのかもしれない。 それから膳所城、2つしかないという古墳、地の神隠者、牛の塔を見て回った。 3時間ほどで終えたので。先を急ぎ世界遺産の島・野崎島に向けてヨットを走らせた。



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 小値賀島さんぽ地図





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  小値賀教会

 民家のような小さな教会堂は、明治14年(1881)に野崎島の舟森集落に建てられた瀬戸脇教会の司祭館だったもの。キリスト教徒のいなかった小値賀島に、昭和47年(1972)の集団移転で野崎島を離れた信徒たちが移築したもの。 





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 牛の塔  

 かって狭い水路で2つの島に分かれていた。埋め立てて続げたときに工事の犠牲となった牛の供養塔



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  膳所城跡石碑  





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  地ノ神島神社鳥居

 鳥居から望むは野崎島にある本宮である。





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  神方古墳  

  6世紀末から7世紀初頭の築。



      2022-12-26

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2022年12月24日

クリスマスコンサ−ト  2022

    



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 聖トーマス教会のクリスマス・オラトリオ


 今年もしみじみと音楽を楽しめる時期になりました。 ワクワクとした若年のクリスマスはとうに過ぎ去りましたが、残像を楽しんでいます。

 古楽からモダン、レトロのナットキング、懐かしのロッド・スチュワ−トまでの音楽を集めました、お好みをがあれば良いですね。

     メリ−クリスマス!



 Bach - Christmas Oratorio [1-3] Harnoncourt  BWV248 バッハ クリスマスオラトリオ
 https://www.youtube.com/watch?v=98UjjwzJBFE  80分

 André Rieu's Christmas recording 'Home for Christmas'.
 https://www.youtube.com/watch?v=ucWmucr4guQ  60分

 Gracias Choir & Orchestra
 https://www.youtube.com/watch?v=2UxUDByeovc  90分

 Nat King Cole - "King Of Christmas  ナット・キングコ−ル
 https://www.youtube.com/watch?v=yzGFPQQj9BQ  34分

 Rod Stewart - Christmas Live at Stirling Castle HD 21-nov-2012  ロッド・スチュワ−ト
 https://www.youtube.com/watch?v=Tpdx_zdoa_Y  51分

 Christmas in Vienna 2008
 https://www.youtube.com/watch?v=NnLIMWLs0b8  84分


 Baroque Christmas
 https://www.youtube.com/watch?v=0093uRpp11E   125分


    2022-12-24

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2022年12月23日

五島 教会巡礼 その3

  五島 教会巡礼  その3



 福江から長崎の野母への航路を予定していた。40マイルほどの横断距離になるので日頃を選んでいきたいところだ。 予定を変更して奈良尾に向けた。前回に教会巡礼 その2 を行っているので。それを補うべき再度タクシ−にて見に行った。



 
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  青線は今回訪ねた教会





 O 猪ノ浦教会

 明治中期より猪ノ浦に住み始めた、最初は大曾教会に参詣していた。現在は真手ノ浦教区に属している。



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 猪ノ浦教会   大正初期創建、 1989改修





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  内部





 P 焼崎教会

 初めは若松町桐教会に属していたが、1975(S50)年2月9日真手ノ浦教会に神父が配属されてから真手ノ浦小教区に属し今日に至っている。



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 焼崎教会   1960年 築



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 内部





 N 跡次教会

 1879(明治12)年移住して大曽教会に属していたが交通不便な為1907年
青方小学校の古い校舎の一部を払下げを受けて教会を設立した。老巧したため
1984(昭和59)年12月、現在地に新設した。


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 跡次教会





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  内部



 B 大曾教会

 大曾教会は武漢ウイルスの関係で内部はみられないようです。 予約をするか尋ねたほうがよいでしょう。

 明治12年創建、 1916年竣工、鉄川与助が設計施工。



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 大曾教会



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 内部





 M 青方教会

  鍵がかかっており内部は見るなかった。 予約が必要か?  上五島地区のセンタ―的な役割を持つ。



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 青方教会  2000年建立





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 内部





 L 冷水教会

 五島崩れの迫害で戻る人はういなかった。。 現在住む人は迫害後に移住してきた人という。



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 冷水教会   1907年建造,鉄川与助設計施行



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 内部





 A 青砂ケ浦教会



 国の重文になっているのに、世界遺産に取り上げられなかったのは、教会内の駐車場が選定委員に気に入らなかったみたいだという、つまらない理由とか聞いています。 ここは2018年に路線バスで訪ねました。コロナの影響で施錠されて中をみられないそうです。 予約をすればみられるのかもしれません。



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 青砂ケ浦教会



   五嶋みどり  青砂ヶ浦教会コンサ−ト  バッハ  無伴奏ヴァイオリン パルテイータとソナタ 

     https://www.youtube.com/watch?v=UDRoO9DzXNg     40分



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 内部






 S  丸尾教会

 1978年小教区として独立

 
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 丸尾教会  1899年 創建、 1928年 再建





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   内部





 

 R  佐野原教会



 海に面しない山尾の教会である。



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 佐野原教会  1963年築





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  内部





 S 船隠教会



 船隠信者は明治初年、外海より移住したものである。
1927(s2)年神浦郷の住宅を買い受け11月教会堂を設立、当時は
桐(若松町)の巡回教会で主日・祭日のミサを始め、教会に関する
用事はすべて桐教会まで行かなければならなかった。
 1931(S6)年鯛ノ浦の巡回教会となる。



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 船隠教会  1956年新築  1974年改築





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 内部



 C 鯛ノ浦教会



 今回は道路側からのチョイ見で終わった。2018年の巡航の際に有川よりレンタサイクルでここを訪ねている。 ここの神父さんはこの地区の小教区の面倒をみている。



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  旧鯛ノ浦教会  1903年創建、



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 旧鯛ノ浦教会内部





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 (新) 鯛ノ浦教会  1979年 新築



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 内部


 教会巡礼 その1
教会巡礼 その2
 

           2022-12-23

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音楽知らずのバッハ詣で    佐野

     


  友人の佐野が「バッハ詣で」46回を書き終えました。 残り少ない小生にとってライプチッヒの「バッハ音楽祭」に行くのは必須の夢のひとつですが,未だ実現しておりません。 彼は10数回訪れて楽しみ、そしてこのような文章にして成果を残しています。バッハに興味をお持ちの方には参考になれれば幸いです。

   はやめの バッハ全集

         バッハ まとめ

          バッハ音楽祭




第1回:私はだまされていた… 【のらり新連鎖スタート】
更新日2021/10/28



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 ライプツィヒ 聖トーマス教会(参考イメージ) 
 


教会音楽に初めて接したのはどこだったのだろうか、ウィーン、ザルツブルグ、ミュンヘンだったのか記憶にない。なにしろ50年以上も前のこと、半世紀前の昔話に類することなのだ。

シベリア横断鉄道でモスクワに入り、そこからキエフを経てウィーンに辿り着き、ウィーンからはヒッチハイクでオーストリア、ドイツ、オランダを経てスコットランドに向かった。もっぱらユースホステルに泊まり歩いていた。


バックパッカーにとって辛いのは日曜日だ。ユースホステルを朝9時に追い出され、かといって博物館、美術館などは閉まっているし、行くところがないのだ。とりわけ冬には、公園でのんびり過ごすこともできず、閑散とし、冷え切った石の町をうろつくしかないのだ。私がソビエト(ロシア)、ヨーロッパを横切ったのは11月から12月にかけてだった。ただ一箇所だけ、日曜日の午前中に開いているところが教会だという理由で、そこへ足を踏み入れたのだった。

残りの人生を逆算した方がはるかに早い歳になっても、忘れられない衝撃的体験は数えるほどしかないが、その一つがヨーロッパのどこかの教会に足を踏み入れた時のことだった。初冬の薄暗く寒く、天井ばかりがやたらに高い教会内に響き渡っていた音、音楽に、私は突然、全神経を撫でられたような、あるいは優しいけれど、鋭い爪を持った手で全身を掴まれたような感覚に襲われたのだった。

頭がシビレ、全身鳥肌立ったのだった。このような音楽がこの世に存在することを知ったのだ。その音楽が誰の何という曲だったのだろうか、グレゴリオ聖歌のような響きをもったコーラスだったと思う。基本的な音楽の知識のない私には知る術がなかった。

学生の頃からアルバイトで稼いだナケナシのお金をはたいて、安い席でクラシックコンサートにチョイチョイ行っていた。札幌の市民会館、厚生年金ホール、中島スポーツセンター、東京に出てからは、上野の文化会館、捧楽堂、元のNKKホール、横浜の紅葉坂のホールは私のホームグラウンドだった。ロックもフォークも好きで良く聴いたが、いざお金を払ってレコードを買うとかコンサートに行くとなると、貧乏学生だった私はとても両方に手が出ず、クラシックに偏っていた。カール・リヒターがミュンヘン・バッハ管弦楽・合唱団を率いて日本に来たのは一つの事件だった。私もナケナシの懐をはたいて聴きに行った。

だが、オーストリアかドイツの教会に鳴り響いていた音楽は、日本で聴いてきたどの音楽とも次元が違った。日本ではそれなりに感動し、帰りの電車の中で頭がボーッとしたり、コンサートで聴いたばかりの曲、演奏が頭の中で渦巻くことはあった。が、彼の地の教会で耳にした音楽は全く違うものだった。耳で聞く音ではなく、全神経に訴え、全身に染み入る音楽だった。普通の感動をはるかに通り超えた、魂を揺さぶるような音楽、音の響きだったのだ。 

私が日本で聴いてきた音楽に、私は騙されていた…と思わない訳にいかなかった。 

そこからの私の旅は、駅や街中のインフォーメーションセンターでコンサート、教会のミサの有無、場所、時間を尋ね、渡り歩くのが目的になったのだった。冬場がコンサートのシーズンであったことも幸いだった。

あれは、シュトゥットガルト(Stuttgart)だったのかデュッセルドルフ(Düsseldorf)だったのか、バッハのクリスマス・オラトリオの連続演奏会に出会ったのだった。オピウム(阿片)のように私の体を侵し始めていた教会音楽にまたまた全身がシビレたのだった。 

当たり前のことだが、教会で、信者たちは祭壇に向かって、顔を向けて座り、目、視野はゴテゴテと飾りつけた祭壇、キリストの生涯をドギツイ色を塗ったくった塑像、あるいはすっきりとした十字架だけの教会もあるが、あくまでキリストだけに集中するように造られている。音楽はといえば、祭壇とは対面の2階に設けられたオーケストラ、合唱隊の席で演奏されるのが一般的だ。だから、ミサに参列した信者たちは演奏者の姿を見ることができない。

目は祭壇に向いたまま、頭の上、後ろから鳴り響いてくる音を聴き、感じるのだ。オーケストラ、合唱隊が奏でる音楽は、高い天井に昇り、反響し深い陰影を作って会衆の耳に届く仕掛けだ。心はあくまで神のみに向け、音楽は天上から鳴り響き、心神を深める副次的な役割を果たすだけなのだ。

クリスマス・オラトリオの初日演奏会のことだった。演奏が終わり、その残響が消える前に会衆が立ち上がり顔を2階のオーケストラ、合唱隊の方に向け拍手をし始めたのだ。私も立ち上がり、演奏者の方を向いた。その時、指揮者がそんなことは止めろとばかり、指揮棒をサッと横に振り、そして両手の平を下に向け、会衆をいかにも抑える仕草をしたのだった。

潮を引くようにスーッと拍手は止んだ。ここはコンサートホールではない、静かな余韻を胸に抱いて家路に着けとでも指揮者は言いたかったのだろうか…。



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 クリスマス・オラトリオ(参考イメージ)

音楽はあくまで音の芸術だったはずだ。だが、テレビが茶の間に入り込み、クラシックの演奏家、指揮者を大写しにして、仕草、表情を捉えて映し出す視覚の時代になってしまったのだ。カラヤンやオザワが髪を振り乱し口元を引き締め、いかにも音楽に浸っているように棒を振る姿の方が、実際に彼らが作り出す音楽より聴衆に訴える力が大きくなってしまったのだ。 

ショー化した音楽、視覚と聴覚がミックスした音楽はそれなりに楽しいものだ。多少思いきって打ち明ければ、マイケル・ジャクソンがスペイン、マルベージャのサッカースタジアムでコンサートを開いた時、私は大枚はたいて聴きに行った。そして大いに楽しんだのだ。その一方で、マドリッド郊外にあるカサ・デ・カンポの野外音楽堂で開かれたヘンデルの『王宮の花火の音楽』、イタリア人の演出家が実際の花火を演奏に合わせて打ち上げるという演出、派手派手しいコンサートも楽しんだ。それはもちろん私が言うまでもないことだが、それはそれであって良いと思う。

だが、教会音楽においては、演奏家の視覚的要素はできるだけ排除し、純粋に耳だけで聴き、全身で感じるのが本筋だと思う。 

もし、日本でクラシック演奏家の姿が全く見えない状態にして、たとえばコンサートホールのステージに薄いカーテンを張り、音だけの世界の演奏会にするなら、どれだけの人が聴きに来るだろうか。 

私たちは視覚、ビジュアルな時代に、すべて“ショー化”しなければならない時代に生きているのだろうか…。



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 聖トーマス教会のクリスマス・オラトリオ


   第1回―第46回・最終回  バックナンバー


-…    つづく



      2022-12-23






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2022年12月22日

膳所城・ぜぜじょう   小値賀島

   



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  膳所城 縄張り図  



 道路わきにある石碑を見て、奥にあぜ道のようなところを100mほど行くと新田神社がある。ここが城跡・館跡になる。 神社の奥を探ってみると、それらしい雰囲気はある。 堀跡があるのか充分な調べはできなかった。 自宅に戻ってから上図のような縄張り図を見つけた。 これを知っていればと残念に思う。


 現在の地形から城跡があった雰囲気は感じられませんが、ここは南北に狭い瀬戸があり入り江を望む海域にあった。14世紀前半に松浦一族によって築かれたとされる。


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 膳所城跡 石碑、  松浦(源)定頌徳碑でもある




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 新田神社



   2022-12-22

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2022年12月21日

サンライズ瀬戸

 

  坂出でヨットを購入して、小生は自宅よりそこのハ−バ−へ行くのに、飛行機で高松空港へ行っていた。飛行場から坂出まではリムジンバスで1時間を要する。 自宅から成田・羽田へ2時間、待ち時間2時間、飛行時間1.5時間を加えると全てを加えると6−7時間になる。 新幹線で岡山まで5時間乗り換えてマリンライナーで1時間であるので、ほとんどJRと飛行機は変わらないことになる。

 LCC運賃の安さに目を奪われて、このことに気が付きませんでした。 坂出・広島・児島とヨットの母港を変えてきました。 児島に来てからは、もっぱら新幹線の利用である。 今度初めてサンライズ瀬戸の夜行寝台で児島まで乗ってみました。 2200に出て0600に到着です。 昔乗った3段ベッドの寝台とは違い個室の部屋である。 3割引きの老人割引きであったので18000円程度であった。新幹線だと13000円程度になる。 乗ってみた感想は、もう少し熟睡できたら良いのだけれど、です。 朝早くに着く予定が無ければ、今までのように午後2−3時に着ける新幹線の利用になると思います。 出雲行きを連結しているのでそこへ行くなら、面白いかも知れません。

  

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  東京発
 





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  児島着  乗務員はJR四国と交替



 

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 Bシングルソロ



   2022-12-21



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2022年12月20日

生口島一周、中江ノ島、 春日集落

  

 

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   平戸から生口島




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 生月島 観光図





 平戸へ来るのは3回目になります。 前回は路線バスで生口島に行っています。  念願のオラショを見て来ました。 今度は観光案内所の企画の生口島観光ツアーに参加しました。土日祭のみの決行で1人でも行われます。 当日はマイクロバスにガイドさん独り占めで2000円でした。採算割れでしょうが、何でもガイドさんに質問もでき最高のツアーとなりました。

  平戸から生口大橋を渡り、沖にある中江ノ島を望む。東岸を行くと、文政年間には日本一の捕鯨量を誇っていた捕鯨納屋跡がある。 北端の大バエ灯台で対馬が見えるというが、あいにく望めなかった。 西岸を南下して塩俵の断崖を見る。 玄武岩で出来た柱状の岩である。 西岸は人家がほとんどなく季節風の関係であろうか。  また、大橋を抜け春日集落へ向かう。 世界遺産の集落であるが、今でも現役の段々畑が見られる。



 

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 中江の島  世界遺産




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  大バエ灯台






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 塩俵断崖  御崎柱状節理 






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  春日集落と安満岳  世界遺産



     2022-12-20


 
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2022年12月19日

五島 教会巡礼 その2   南上五島

 

 奈良尾にヨットを係留して近くのカトリック教会をタクシ−にて訪れた。 1500からの暮れまでの3時間で8か所あまりの教会を訪ねた。



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  奈良尾より南上五島の教会めぐり





 ㉙ 高井旅教会

 

  ヨットでの訪問は海水浴場の東側に突堤があり、そこへ係留するか、福見教会の下にある船溜まりの利用を考える。



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 高井旅教会   1961年建立



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 内部





 ㉙ 福見教会



 この地区は全員が信者である。 

小さい船溜まりがあり、短時間にはヨットが係留できると思われる。



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  福見教会  1882年・治15年創建、1913年再建



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 内部







 ㉗  浜串教会



  巻き網漁業の活発な地区であり漁港がある。 ヨットの係留にはそこが利用できる。 近くに航海と漁業の安全を祈る聖母像が海を臨んで立つ

 



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 浜串教会  1899年創建、 1966年建立





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 内部



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  希望の聖母像





 Q 真手ノ浦教会



 教会下に道土井湾の船溜まりがありヨットは停泊できると思われる。





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 真手ノ浦教会   1910年創建   2010年改築



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 内部



  



 ㉒ 若松大浦教会



  笛吹浦に船溜まりがありヨット停泊ができそうである。 ここのマリア像は信者によって彫られたもので、ふっくらとしたマリア様で有名である。



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  若松大浦教会





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  マリア像



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  若松大浦教会 内部





 ㉖  桐教会

 

 教会の真下に入り江が有り、ヨットで行くことは可能である。 短時間のポンツ−ン利用は可能か?



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  桐教会  1958年建立



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 桐教会内部





 ㉕  土井ノ浦教会



 若松島の土井の浦港がありヨットで停泊ができる、



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  土井ノ浦教会    1892年創建、 1918年旧大曾教会移築、  1998年改築





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 土井ノ浦教会 内部   





           2022-12-19



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2022年12月17日

福江城 ・石田城

      

   福江城は幕末の1863年に和式の城郭としては最後の築城である。 ちなみに洋式の築城の五稜郭は1866年完工となる。 四方が海に囲まれている海城で、異国船の来訪に備えるための城であった。

 本丸(長崎県立五島高等学校)北の丸(五島観光歴史資料館や五島市福江文化会館)二の丸(は五島氏庭園)からなる。

 本丸の高校は現役バリバリで、下校時には学生さんが絶えなく蹴出門から放出される。 観光客を見つけたら気持ちよく挨拶をしてくれた。 見たところ手狭のようなので郊外の広いところへ移転されたらどうでしょう。 学校があるゆえに本丸への立ち入りはできない。

 御隠殿門をくぐると五島氏庭園がある。 案内の方が熱心に説明をしてくれた。



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 縄張り図






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  蹴出門・けだしもん




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  2の丸南西面



 

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  本丸めがね橋




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  御隠殿門  五島氏庭園がある





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  舟入





  

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 常夜灯・1846年設   



   2022-12-17



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2022年12月14日

ヨット天測   KH法  補足


   天測歴の廃止

 海上保安庁が「天測暦」と「天測略暦」の刊行物を廃刊すると発表した。GPS等の衛星航法の普及により、国際条約等での船舶への備置の必要が無くなったことが理由であるという。

 現在刊行中の令和4年版(2022年)が最後の刊行物になるという。
同時に「天測計算表」及び「天測位置決定用図」に関しても今年末をもって廃刊するとしている(海上保安庁、編暦業務の歴史[PDF])。

 海上保安庁は、航海の目的で天測計算を行う必要がある場合、英国等が刊行している天測暦(The Nautical Almanac)を活用するよう求めている。なお過去記事によれば、米国でもGPSの普及により、米海軍兵学校での天測航法の授業を停止していたことがある。しかし、GPSが使用できない場合の代替手段がないことから2015年に復活させているそうだ。


   ヨット天測 KH法

  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-15

       2022-12-14

    追補 ヨットマンのための天測航法 KH法



ヨット天測



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  六分儀



 天測歴が廃止された。何を海上保安庁がや所管官庁が考えているのかと疑いたくなります。 いったん事あればGPSは停止したり大幅な狂いが生じるのは自明のことである。 ウクライナ戦争において盛んに電磁攻撃が双方によりされています。 中国の台湾進攻が近いと云われているのに。

 書籍版の発行は売れないであろうことから、それは無理でしょう。 インターネットで天測歴を利用できるようにすることぐらいは大いに可能であり、しなければならない責務である。 再考を願うばかりである。



  民間の有志がアマゾンで2023年版を発行しています。 継続していただけることを願うばかりである。

   「ぬくもりがらす」による   歴計算研究会  2023年版  4400円  アマゾン


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 英国版の天測歴は販売されており、日本水路図誌販売の神戸で10,900円です。  078-331-4888 、関東には売っていないのに注意



 Soft222さんによる天測暦・天測及び地文航法エクセルのページでは残念なことにダウンロードできないようです。

           

           2023-9-12

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2022年12月13日

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連 12の世界遺産

  


 2018年春より2022年秋、さらに2023年春にかけて下記地図の潜伏キリシタン世界遺産の12か所をヨットで訪問する。 その場所へヨットで停泊して行くことを望みましたが、徒歩、自転車、路線バス、観光バス、タクシ−。友人の自動車などで行くことができました。 なるべく次の方がヨットで行けるような参考情報も書いてあるつもりです。 ご参考になれば幸いです。

  世界遺産のヨット泊地 五島

   

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 @  原城跡   2023年春 予定


 

 A  春日集落と安満岳 (やすまんだけ)



  豊かな水源に恵まれ枯れることはない。 現役の棚田が広がる。

  

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  安満岳、春日集落・棚田   神、仏、キリシタンの三位が存在する安満岳は平戸島の聖地。





 B  中江ノ島



 聖水をこの島で採取する祭礼がある。 上陸はできない、眺めるだけである。

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 中江ノ島



 C  天草の崎津集落  崎津教会   2023年春 予定


 

 D  外海の出津集落  出津教会

 

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  出津教会  内部には活気が感じられ信者の多い現役の教会と感じられた。



E  外海の大野集落  大野教会堂

 

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  大野教会堂、  外から眺めるだけである。





 F  黒島の集落  黒島天主堂



 集落を見るには観光案内所でr自転車をレンタルするとよい。 ここのじゃがいもはおいしいという。



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  黒島天主堂





 G  野崎島の集落跡  旧野首教会

 無人島である。東側の野崎港へは小値賀島から連絡船がある。 近くには集落跡がみられる。 少し山道を登っていくと旧野首教会に着く。西側の野首港が近いが、ここは凪の時のみの利用となる。



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  旧野首教会





 H  頭ヶ島の集落  頭ヶ島天主堂

 入城制限をしている。 ヨットの訪問は可能である。 アンカ−を打ち槍付けになりそう。



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  頭ケ島天主堂





 I  久賀島の集落  旧五輪教会

 陸上から行くことは難しいという。

 


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  旧五輪教会



 J  奈留島の江上集落  江上天主堂

 樹に埋もれているように見えるので海からは近寄らなければ見えにくい。 予約をしておかないと、内部は見られないかもしれない。

 

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  江上天主堂



K  大浦天主堂

 

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  大浦天主堂






    2022-12-13




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2022年12月11日

横瀬浦   南蛮船渡来地





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 横瀬浦



 五島の奈良尾より横瀬浦にヨットで寄港する。
 ここで潮待をし、西海橋を抜け大村に向かった。

 平戸で貿易をしていたポルトガル人が平戸で暴動が発生したのでそこでの貿易を拒絶した。大村純忠と交渉して、ここ横瀬浦での対日貿易を再開することになった。

 銅像が建っているルイス・フロイスはここに上陸して布教活動をした。 大村純忠はこの地で入信しキリシタン大名になる。 その後、横瀬浦は大村の家争いで後藤貴明により、ここは焼き討ちにあう。 ここより長崎に貿易港は移ることになった。



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 南蛮船渡来地 石碑

  



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  ルイス・フロイス像  「日本史」を著作






   横瀬浦   ヨット泊地



 佐世保と連絡船が行き来しており、横波を立てるので動揺が大きい。 フェンダ−を十分に用意すること。

 岸壁に階段が2か所ほどあり、そこへ停泊をした。




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  赤丸は停泊地、 青丸は候補地



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  階段付近に係留、      奥には連絡船桟橋がある  





        2022-12-11

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2022年12月10日

防衛増税




  ここに小生は「予算倍増計画」を2年前に掲載している。 ウク露戦争以来に国防予算倍増計画がマナ板の上にのぼり、その予算が実現しそうな現状である。 その内容は一部しか報道されていないけれども。 対艦ミサイルの射程の延進化とかトマホ−クの購入など良いものも見られるが、予算だけ大きく見せようと画策する、港湾施設の費用、海上保安庁の予算の組み込みなども報じられている。 ECの防衛予算の内容に順ずるような透明性のあるものと比較してその内容を精査する必要があるだろう。 名目予算の増大が目的ではない。

 10月にヨットで五島への秋巡航に出かけた。11月末に自宅に帰って、買い物をしたら、何もかもが値上がりしていて驚いた。ここ30年以来の物価の値上がりだ。 その中は便乗値上げもあるでしょう。

 ここで、来年の春までに給与を上げることで、今までのデフレ不況から抜けだせるチャンスの到来である、今は。 この30年の日本沈没の原因の一部は大蔵省・財務省にあるとも言えます。10%の消費税の値上げの分だけ確実に所得を減らして消費を減退させた。ここ30年で欧米は2−3倍の給与を増大させた。そのうち日本は現状維持どころか、給与は10%も減少したという。 ワンコインランチを食しているうちに欧米ではラ−メンが2−3千円もするといいます。 こういう現況を認識して打開する手だてを未だ見出せないのが我々です。

 下記のような最近の報道では毎年1兆円の増税が画策されています。 大蔵省・財務省のポチともいわれる首相が官僚の言うままに、足慣らしの発言をしています。 また、このチャンスを生かせずに再び過ちを繰り返すのでしょうか。



  防衛財源、27年度以降は増税で年1兆円強 岸田首相表明 日経新聞

 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA087RT0Y2A201C2000000/?n_cid=BMSR2P001_202212081815


  自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出

 https://news.yahoo.co.jp/articles/3a165ab7210b8d0da716d59c48c16d958a71247d


  【ぼくらの国会・第442回】ニュースの尻尾「防衛増税 反対で一致」 青山繫晴

  https://www.youtube.com/watch?v=FAF9l_Ly6iQ&t=708s  21分



      2022-12-10


 
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2022年12月06日

世界遺産 黒島天主堂,   ヨット泊地

   

 

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  平戸―黒島



  平戸を出て、いよいよ五島列島の世界遺産の教会を訪ねる航海にでた。 黒島は佐世保市の行政区に属する。 佐世保市相浦―高島ー黒島に連絡船フェリ−が航行している。



 世界遺産は天主堂だけではなく集落も認定されている。 案内所にレンタサイクルがあるので、それで廻るとよい。 今回は徒歩20分ほどで天主堂に着いた。 信者が集まるのに便利なように島の中央部に建てられたという。この天主堂は1879年に建設され、1902年に建て替えられたものです。


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 黒島天主堂

 この黒島は17世紀から平戸藩の牧場があった。19世紀初頭にそれが廃止される。その跡地の開発に外海地方から移住して7つの集落ができた。そのうちの6つが潜伏キリスタンの集落であった。



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  教会内部



  集落は世界遺産の構成要素として認定されている。 しかし、他もそうだが、潜伏していた信徒は目立たない辺鄙なところに住んでいたので、これと言った場所をみつけるのは難しい。 ここは徒歩で行けるところに限って今回は見ることになった。



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  本村集落

 本村(ほんむら)集落は移住前の最初に出来た集落である。ここの庄屋屋敷において潜伏キリシタンの取り締まりが行われたという。

 1865年の信徒発見の後、黒島から600人の信徒がいると分かった。





   黒島 ヨット泊地



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 赤丸は実際の係留地、  青丸は候補



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 赤丸 写真    階段付近



  入港して左側にフェリ−になる前の旧連絡船の係留場所がある、階段もあるようなので予備の係留地になれると思われる。 今回係留した前の青丸の候補地は空いているように思えるが、尋ねる必要がありそう。



      2022-12-6

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2022年12月05日

渡辺昇を訪ねて

    


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 渡辺昇 1838-1913


  来年(2023年)の春まで、大村港にヨットを越冬することになった。 その係留準備作業を終えて、自宅にかえるまでの数日に大村城周辺を友人から自転車を借りて散策した。 大村城や五小路武家屋敷通りを見学。

 鞍馬天狗として描かれたのではないかと云われた渡辺昇について興味を持ち、地元に何かないかと尋ね歩いた。彼については下記のように取り上げている。



   渡辺昇と大村藩

   http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-567



 渡辺昇について観光案内所では何も知らないようである。 図書館と歴史資料館の人に尋ねても詳しくはないようだ。 旧楠木正隆屋敷の前の案内板に渡辺昇と兄・清 兄弟の屋敷跡の図があった。 そこらあたり訪ねる。 しかし、地元の人に尋ねた、80歳になるおばあちゃんにも聞いたが、確かな記憶は無いようだ。 役所の作った案内板も存在せず。 明治になって昇・子爵と清・男爵になった兄弟であるが、維新の成就とともに東京に行って栄達し、地元への貢献が少なかったのであろう、地元では忘れられてしまったようだ。

 個人的には彼は剣豪で、幕末には多くの人を切った。栄達して、それを思い出し、眠れない夜を過ごしたと云うので、むべなるかなとも思われるが。



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 楠木正隆邸と渡辺昇邸  案内図



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  上図にある渡辺昇・清邸跡と思われる交差点





 渡辺清の娘・石井筆子 (1861-1944)は女子教育や知的障碍者の施設の維持・発展に尽くし、ここ大村に銅像が立つ。オランダ、仏で2年間学び英語・仏語・蘭語が話せ鹿鳴館の華とも云われたという。


 

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  石井筆子 銅像、  父や叔父さんのものは地元にはない



    2022-12-5



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2022年12月03日

宗像大社





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 3度目の宗像大島です。 今度はフェリ−にて神湊へ行き、 バスでJR東郷駅近くのス−パ−にて買い物をし、タクシーで宗像大社を訪ねた。


 宗像大社はさすがに大きな神社で参詣客も多い。 帰りはフェリ−の待ち時間が長く、近くを散策する。 リゾ−ト風のホテルが見られおしゃれな雰囲気があった。 海の見える景色はこのような建物が似合います。 結婚式にどうでしょうか?
 

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 宗像大社

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 エ−ゲ海にあるような リゾ−トホテル

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 左の島は宗像大島



 ここの本宮は沖ノ島にあり、立ち入り禁止のようでヨットで凪のときに行ってみたいきがしていますが、どうでしょうか? 信仰の深くない人間が云ってもバチ当たりなだけかもしれません。 宗像大島には沖ノ島を望む遙拝所や中津宮があります。




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 大島に帰るとボランテイアガイドの方がヨットに訪ねてくれて、龍馬が立ち寄った旅館跡を教えてもらう。 夕暮れだったがすぐそこを訪ねた。 その場所には案内板も無くパンフレットも無いので、教えられなければ気が付かないだろう。 考えてみればここ大島は長崎と下関の良い中継地であり、何度も龍馬は訪れたものと思われる。


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  龍馬が泊まった旅館跡



  2022-12-2



    宗像大島
   http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-507






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2022年12月02日

大村城・玖島城   久原城、三城城


   大村城・玖島城


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 2の丸にある再現された板敷櫓



  大村城は玖島城(くしま)とも言う。 明治まで存続した大村氏・2万7千石の居城である。 大村神社のある本丸と2の丸、3の丸で構成されている。三方を海に囲まれた海城であり、お船倉跡などが残る。 3万石の城なので大きな城ではないが、石垣や桝形で構成された虎口などがよく見られる。

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  船倉



  本丸には西に虎口門、南に台所門、北に搦手門の3つの虎口を持つが、天守は建造されなかった。



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  本丸虎口門



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  本丸 台所門



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  本丸 搦手門

 

  大村氏は時代と供に久原城、三城城から大村城へと移転してきた。 どちらも訪ねたが面だった痕跡を見つけられなかった。



    久原城



  案内板はあるが内部は民家なので入ることはできなかった。



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 久原城跡





    三城城



 大村純忠が1564年に築城、この喜前が玖島城に移る1599年までの居城。 現在は長崎県忠霊塔がある。 石垣の無い土塁の城ゆえか城跡らしさが感じられなかった。 案内説明板は見つけられなかった。



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 三城城跡



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 本丸とおもわれるところにある長崎県忠霊塔


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        2022-12-2


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2022年12月01日

的山大島 神浦(こうのうら)街並み保存地区

        


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  平戸より大島行きのフェリ−に乗り神浦(こうのうら)に行く。 ここは離島にも拘わらずに古い町並み保存地区になっている。 フェリ−乗場の的山港は新しくできたものらしく、そこに役場はなく、神浦にそれは在る。

 フェリ−を降りるとすぐコミュニテイバス(100円)が待っている。これで往復の交通手段が確保されている。山間の急カ−ブの道を20分ほど走ると保存地区へ着く、 次の時間までの間に見学して、次のフェリ−で平戸に帰ることが出来る。

 今まで好きで訪ねた街並み保存地区は江戸時代にあった特産品の生産地であったり、交通の要になる場所が多かった。 この離島に保存地区があるのは江戸時代に栄えた捕鯨によるものであった。 当時の捕鯨の力は、後で見ることになった福江城は捕鯨による多額の寄付があってできた築城であり、生口島にも捕鯨の大きな組織が存在したことによりその力の大きさを知る。 江戸時代の捕鯨は大きな富を生み、各地に遺産を残したものであったようだ。



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  神浦伝統的建造物群保存地区案内板




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 街並み その1




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 街並み その2



     2022-12-01


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2022年11月29日

下蒲刈  ヨット泊地

 
 下蒲刈(呉市)  3か所のヨット泊地

 弓削から上関に至るヨットハイウエイがある。 この間に大きな潮流にぶつかる来島海峡、船折れの瀬戸、鼻繰りの瀬戸などが存在する。 ちょうど中間地に下蒲刈島があり、昔からの風待ちの湊としての歴史がある。 ヨットマンにはあまり利用されていないようだが、ここの3つの停泊地を探訪したので報告いたします。 ここを出てクダコ水道を抜け上関に向かう。 その水道は先のものより潮流は強くなく潮時は調べなければなりませんが本船も少なくより容易なものとなるでしょう。下蒲刈の3つの停泊利用を考えられてはいかがでしょう。


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 3か所の泊地


 1.  丸谷


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  クル−ズ船用 ポンツ−ン、 観光地近い。 クル−ズ船のスケジュ−ルを把握する。



 2.  見戸代

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  旧連絡船用 ポンツ−ン   ここはいつでも空いている模様



 3.  向


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  上蒲刈島にあり蒲刈大橋の近く、 潮流のある時は着岸しにくい。 食料品店あり。



    2022-11-29



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2022年11月28日

世界遺産のヨット泊地  その1  五島


  赤丸は今回 実際にヨットで訪問した係留場所です。
  念願のヨット訪問できました。


1.  黒島  黒島天主堂



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 赤丸の階段付近

 天主堂は島の中央にある。 小さい食料品店があるが、買い物不便





2.  野崎島  野首教会



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 野首港

 野崎島西部にある。 風浪に晒されるので、凪の時の利用。 旧野首教会には近い



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  野崎港

 小値賀島(おじか)より連絡船あり、ポンツ−ンに着けるので、もう1方のポンツ−ンを利用。 10隻余のヨットで訪問した例があり他のスペ−スもりようできそうである。 補給は一切無理である。 野首協会へは20−30分の徒歩で行く。





3.  頭が島   頭が島天主堂



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 アンカ−を打って槍付けした。 浅いところが多いので着岸は難しいと思われる。 訪問には予約がうるさいところであるが、ヨットでの訪問には問題がない模様。自動車を想定しているようだ。 4年前には有川より路線バスで訪ねた。



4. 久賀島   旧五輪教会



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 写真では観光船が着岸しているがここへ着けた。2隻ほどのスペ−スがある。

 吹きさらしの場所ゆえに天候には配慮がいると思う。



5.  奈留島  江上天主堂


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 江上天主堂は樹に隠れているように見えるので。近くに行くと現れる。

 コロナのせいか施錠されていて内部は見られなかった。管理している神父さんの意見で対応は様々である。 ここは予約をしておいたほうが良いようである。 4年前に観光ツア−で訪問したので中は見ているのでガッカリはしなかったが、せっかくヨットで訪ねたのなら世界遺産の堂内は見たいと思うことでしょう。



  五島の世界遺産の4つの教会

  http://hayame.net/custom11.html#spb-bookmark-466

      2022-11-28


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2022年11月27日

2022年 秋巡航  九州一周 その1

  



 台風の本土接近が遠のいたと思われる10月17日に秋巡航を始めた。 春巡航の隠岐諸島行きが3か月近くになり7月末までかかってしまったので、いささか、気持ち的にはもう少し休養が欲しいところであったが、老骨に鞭打つ形で家を出た。

 越すに越されぬ玄界灘というところで、冬将軍の北風を恐れていた。 いつも新門司マリ−ナで4−5日の風待ちの停泊を余儀なくさせられるが、幸いにも待つことも無く関門海峡を抜けた。  11月の五島諸島は、意外であったが、晴天が続き北風に悩まされることも無く良い巡航日和であった。

 4年前に五島の世界遺産の教会をヨットで巡るべき有川まで訪れたけれど、北風の強風が5日ほど続き、そこで滞留してしまったヨットで訪れることが出来ずに、路線バス、レンタサイクル、観光ツア−で4つの世界遺産教会のうち3つを訪れることになってしまう。 今回は悲願がかなって世界遺産の黒島や4つの五島の教会をヨットで訪れることができた。 上五島の教会も全て訪ねることができ満足のゆくものであった。

 来春まで大村に係留して、まで訪れていない、原城と天草の崎津教会を訪ねるつもりだ。 12の世界遺産を全てみることができるでしょう。



    2022年 秋巡航 日程



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  児島−平戸


 10/17  サンライズ瀬戸 夜行寝台で東京発

 10/18  サンライズ瀬戸 児島着

 10/19  UW1にて上架  船艇塗料 塗り

 10/20  上架

 10/21  上架

 10/22  下架 船艇塗料終了

 10/23  メ−ンセ−ルセット

 10/24  バッテリ−交換  シ−デルコMF31 3個

 10/25  出発準備

 10/26  児島発 弓削着

 10/27  弓削発 下蒲刈着

 10/28  下蒲刈発  上関着

 10/29  上関発  姫島着

 10/30  姫島発  新門司着

 10/31  新門司発  宗像大島

 11/1  宗像大島泊  宗像大社へ行く

 11/2  宗像大島発  糸島船越着

 11/3  糸島船越発  平戸着

 11/4  平戸泊  

 11/5  平戸泊  生口島一周、 中江の島、春日集落 見学


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   平戸−大村


 

11/6  平戸発  黒島着   黒島教会 見学

 11/7  黒島発  小値賀島着

 11/8  小値賀協会 見学  小値賀島発  魚目着

 11/9  魚目発  奈良尾着 上五島教会巡り その1

 11/10 奈良尾発 久賀島・五輪教会と奈留島・江上教会経由  福江着

 11/11 福江島一周 友人の案内ドライ 荒川温泉

 11/12  福江泊 

 11/13  福江泊  福江城 武家屋敷 見学

 11/14  福江発  奈良尾着  

 11/15  奈良尾泊  上五島教会めぐり その2

 11/16  奈良尾発  横瀬浦着

 11/17  横瀬浦発 西海橋  大村着

 11/18  大村泊  

 11/19  大村泊  大村城見学

 11/20  大村泊  武家屋敷通り 見学

 11/21  大村泊  JRにて佐世保行き  自衛隊記念館 見学

 11/22  大村泊  冬係留整備

 11/23  大村泊  友人のドライブにて 外海の大野教会、出津教会、黒崎教会 見学

 11/24  長崎空港よりジェットスタ−にて成田着、 自宅に帰り秋周航を終える



     2022-11-27

  2022年 秋巡航  リンク付き
    http://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-931


2023年  春巡航   九州一周  その2

  http://hayame.net/custom41.html#spb-bookmark-1047






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2022年10月03日

22世紀の民主主義、 成田悠輔さんによる



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 友人から勧められて成田悠輔著「22世紀の民主主義」を読んだ。こちらにITの知識が不足しているので、それを眠気と戦いつつ読み飛ばしただけであった。

 アルゴリズムはこの本では重要なタ−ムであるが、小生には読む前にも読後にも身についていないのであるから、この本について何かを述べる資格はないようである。 ここから得るものが少ないのは、受け取る小生に問題があるのでしょう。

 YouTubeで見かける作者は飄々として「一皮」むけた人物のように見受けられる。彼が何かを持っているような印象を小生は受けた。 作者は東大の卒論で賞を受け、米国の有名大学の教諭をしている。 勉強をしなくて東大に入った天才肌の人物のようである。

 著者が云うような「22世紀はAIの判断で政治家の役割や政策を代替えさせる」考えには大いに不安を覚えます。 AIは受験秀才の知識のように効率よく巨大な知識により最適解を求めたものであると、小生は考えているが、必ずしもそれが最善なものではない。それを抜けた突飛な解は得られるものであろうか。

 大衆は常に間違うものであり、原理原則もせいぜい10年くらいしか賞味期限が無いということを我々は知ってしまった。 柔軟な認識から現状の変化をとらえて、それを修正していくことが大事だと思う。良かれと思っていたことも、常に検証して、時には今までの逆に見えることさえ行わねばならない。

 自分に振り返って、小生は「フリ−、フェア−、グロ−バル」を唱える大前研一さんの会に所属した。それは世の中に何も貢献することはなく、会の名称は政党にパクられ、派遣社員が増大し主力となる社会を創生しただけであった。

 大前さんによる発信が聞こえてこなくなり、今では精彩を失ったように思える、ひとつの時代が終わったと思っている。今となっては残った標語「フェア−」な社会を望むばかり。
 

 民主主義はギリシャのアテネに起きたものである。民主制はローマの時代とは違い短い期間のものであった。 それも奴隷制度のもとで限定されたアテネ市民で構成された。最後はソクラテスを死刑にするようなデマゴ−グに支配されるような不完全なものであった。 ちゃんと機能していた時はペリクレスの戦没者追悼演説のような高らかな時代であった。
 塩野七生さんの「ギリシャ人の物語 3巻」を読んで欲しい。

 そこで小生が学んだのであるが。
 民主主義には衆愚の問題を解決できないものとし、良きリ−ダ−を持つのは民主主義には必須と思う。それは独裁とは紙一重であるので、それを弁える指導者が必要となる。

 その指導者の登場の背景はどのようなものになるのかは分からない。ただ、教育の大きな目的のひとつにリーダ−の養成を掲げて時間をかけて待つしかないのか。 専制による成果は短期に実現できるであろう、しかし、すぐにも腐りはじめるものと知り。 愚昧なわれわれの効率悪い成果を積み上げ、また、改良していくしかないものとしよう。

  
     2022-10-3

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2022年09月22日

航海計画

    

 台風14号が日本列島を縦断した。 935mbの非常に大きい台風であったが、予想されたほどの大きな被害を受けなくて済んだようだ。
 今年の巡航は、2019年に九州一周を半ばで中断したのを再挑戦するプランを立てた。時間的な余裕を持つために、その航程を2つに分け、天草付近のマリ−ナて秋まで短期係留をして、春と秋に実行しようと計画をした。
 しかし、岡山の母港に向かう行きの新幹線の中で、台風時期の保管に不安を覚えて急に考えを変え、隠岐クル−ズを行うことにした。 無事にそれを終えて現在は自宅にいる。 今回の台風は予定していたマリ−ナのすぐ近くを通過したようだ。 このことを恐れてプランを変えたのであるので、結果的には大いなる心配から避けることができた。
 それでも、この決断が遅くなったことによる大変さを、小生は今回のクル−ジング中に味わされることになる。 事前の航海計画が十分に練られていないので、その日その日の行動は、行きあたりばったりのものになった。 その反省のひとつとして「山陰の主要港と補助港」をまとめた。 突発的な出来事による入港予定地の変更には今後に山陰に行かれるヨットマンがこの港リストが参考になれば幸いです。

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 山陰地方の主要港

 山陰地方の人にとっては、冬の強い北西季節風に悩まされていこると思われますが。 ヨットマンにとっては、その寒い時期にそこを航海する人は、まず、いないと思われる。
 山陰地方の春と秋には、北東と南西方向の風が、連続的一方的に山陰の地形に沿うように収れんして吹くようである。 従い、その風向の交替が起きる時期を知ることは、向かい風を避ける航路を選びたいヨットにとって重要なものとなる。九州の北岸・玄界灘もその影響下にあるので平戸方面に向かう時も同様である。間違うと新門司マリ−ナでの長期の滞在の結果が起きる。
 Windyは先の4−5日の天気を知るには必須のものである。それでも航海計画に使用する機能はそれには無いようである。
 昔の古い古い時代であるが、チャ−トのみでクル−ズしていた時には、本船用の水路誌を購入して読んでいた時があった。それには気象傾向が述べられている記事があり、おそろ恐ろしい内容でそれを読めば行く気が失せるような時代があったのである。 今は気象に関してはWindyが十分に役に立つ。
 海外のロングクル−ズではパイロットチャ−トを参考にして大洋横断の時期など検討したことがある。 日本付近のものがあれば役に立つのではないかと思わます。
 過去の気象を長期に渡って見られるものがありそうであるが、私の努力が足りないのであろう、見つかっていない。 また、最近の気候変動で今までの例年パタ−ンが役に立つ時と立たないときがあり、そのことの考慮も必要とされる。 役立つ資料が見つかったとしても、難しいことに、それゆえに個々の艇長判断が重要なものとなる。


     2022-9-22


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2022年09月18日

山陰の主要港と補助港  詳細

 

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 今回の隠岐巡行では、ホンダワラがプロペラに絡み、毎日のように老体に鞭打って潜るさんざんなめになった。春から夏の時期しか問題がないのかもしれません。 シングルハンドでは航海中に潜る作業をするわけにもいかず、近くの港をさがすことになる。 小生の年では、残り少なくて、もう一度この方面に来ることは無いと思われる。 実際に訪ねた港の報告とはいかないので、今後の参考になればと思いここに取り上げました。


 主要港とは諸風を防ぐ安全と思われる港

 補助港とは北風系や南風系のどちらか一方に対して安全と思われる港

  (注、個人的な見解なので、ご自身でご判断・検討してください)

  下図において 停泊場所 赤丸は実際の係留場所 青丸は候補地  x印は係留にふさわしくない場所   ? は注意

  漁港サイズ LL 巨大、 L 大きい、 M 中ぐらい、S 小さい、 SS 小さい船溜まり

  避ける風向  諸  諸風を防ぐ港、  N  北風系を防ぐ港、(北風で入港) S  南風系を防ぐ (南風で入港)



 港名   港域図   港サイズ ・    各論   ・   避風方向

 は実際に入港した港


    港域図をクリックすると停泊位置が示される


 1. 関門海峡から角島



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 関門海峡から角島



 関門海峡

 南風泊  港域図 、 L ・ 漁期により混雑か? ・  諸

 六連島  港域図   S ・           ・ N            

 安岡   港域図   SS ・  ・ N                         

 吉見   港域図   M ・  水産大学校の泊地もある  ・ N   

 吉母   港域図   S ・ 槍付けになるかも  ・  N 

 蓋井島  港域図   M ・           ・  N      

 室津下  港域図    S ・ 旧フィシャリ−ナ  ・  S

 涌田・黒井  港域図  S ・ 余地がなさそう  ・  N

 川棚     港域図  S ・ 凪のときに利用  ・  S  

 小串    港域図   S ・         ・  N   

 湯玉    港域図   S ・          ・  N

 二見    港域図   S ・ 大雨は不適    ・   N

 矢玉   港域図   S ・  大雨の時は不適  ・  N  

 和久   港域図   SS  ・           ・ S

 特牛   港域図   M ・ 港域は南北2つあり広いが適当なもの少ない  諸 西風弱し

 角島        L  ・              ・   諸





 2. 角島より仙崎、萩



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 角島より仙崎、萩へ



 島戸   港域図    S   東寄りの陸風が適   ・ S

 大浦   港域図    S              ・ N

 伊上   港域図    S              ・ S  

 黄波戸  港域図    S   西風 適      ・ S       

 湊(仙崎) 港域図   S   東風 適      ・ S

 通     港域図   M             ・ 諸  

 仙崎    港域図   LL              ・ 諸  

            M  萩マリ−ナなど    ・  N





  萩より温泉津まで  詳細


 3.  より江崎



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 大島   港域図    M           ・ N

 長戸大井  港域図   S  東風 適      ・ N

 大井浦   港域図   S            ・ S   

 奈古    港域図   M   陸風東 適   ・  N

 宇田郷   港域図   S             ・ N

 尾無公  船溜まり   SS  凪の時       ・ N

 須佐          L            ・ 諸

 江崎         L              ・ 諸  



 4. 江崎より浜田へ 



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 江崎より浜田へ



 飯浦  港域図   SS                ・ S   

 戸田小浜  船溜まり  SS             ・ S    

 益田  港域図   M  川港でお勧めできない、混雑   ・ S 

 石見津田  船溜まり  SS              ・ S

 大浜    港域図   S  西風 不適      ・ 強風はどの風向でも 不適

 三隅岡見   港域図   M   西風 不適       ・  S  

 三隅    港域図    L  顕著な発電所        ・  S

 浜田         LL   広大な港域を持つ      ・ 諸


 5. 浜田より温泉津



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 浜田より温泉津





 浜田国分  船溜まり   SS    西風 不適      ・  N

 波子    船溜まり   SS   西風 不適 槍着け    ・ N

 江津   港域図     s   大雨注意         ・ N

 黒松   船溜まり   SS   西風 注意        ・ N

 福光   船溜まり   SS  西風不適  槍着け     ・ N

 温泉津         S   西風系ウネリ入る      ・ S  

 
  山陰の主要港と補助港 その3   詳細


 6. 温泉津より十六島



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 温泉津より十六島へ





 仁摩   港域図   S           ・ S

 宅野   船溜まり    SS          ・ N

 五十猛  港域図   S   港は狭いが諸風を防ぐ  ・ 諸

 太田   港域図   M  内港は満杯か      ・  N

 久手   港域図   S              ・  S

 久手羽根   船溜まり  SS                ・ N

 田儀     船溜まり     SS・  S 

 多伎     船溜まり   SS  小さすぎる    ・ S

 出雲小田   船溜まり   SS  小さすぎる     ・ S

 出雲大社   港域図    S  槍着け覚悟      ・ N

 日御崎    船溜まり   ss  小さい       ・ S

 宇龍     港域図    S   余地が少ない     ・  諸

 鷺浦            SS              ・ 諸

 十六島           LL              ・ 諸





 7.  十六島から七類



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 十六島から七類へ





 釜浦    船溜まり    SS   小さい         ・ S

 塩津   船溜まり    SS    小さい        ・ S

 三津    港域図    S                ・ S

 小伊津   港域図   S                ・ S

 板浦   船溜まり   SS  時化て他に逃げ場のない時  ・ S

 地合   船溜まり   SS   翌日も凪のときのみ   ・ S

 魚瀬   船溜まり   SS                ・ S

 恵雲    港域図   L   大雨注意          ・ 諸

 片旬   船溜まり  SS                  ・ S

 島根原発             接近禁止

 御津   港域図    S                ・ S

 加賀   港域図    M   ウネリ注意         ・ S

 瀬崎   港域図    S                 ・ S

 笠浦東・西  港域図   S  東西の風向により洗濯   ・ S

 稲積   船溜まり   SS   西風不適         ・S

 菅浦   船溜まり  SS    北風注意     ・ S

 片江   港域図    M  空き少ない、 槍着け  ・ 諸

 七類





 8.  隠岐諸島



     島後


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 西郷         LL  南西風 ウネリ入る      ・ 諸  

  中村、 布施、 福浦、 都万、 蛸木 





   島前


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  島前のヨット泊地



    中の島  

  菱浦         L  風は抜けるがウネリは入らず   ・ 諸

  諏訪         L  北風注意            ・ 諸



    西ノ島

  別府      S   ウネリが入る           ・ N
  浦郷         M  使用されていないフェリ−岸壁   ・ N


    知夫里島  

  来居      S   南西風ウネリが入る        ・  S
  知夫漁港    M                    ・ N 

 





  

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2022年09月10日

ヴァイキング22

  
 弓削にて停泊中に、懐かしのヴァイキング22・敷島号に出会いました。 そのヨットは50年程も前に小生が初めて購入したクル−ザ−です。 今は亡き明石ヨットがそれを15隻ほど製造したと聞いています。 そのオ−ナ−は関西の方で、元従業員の山崎さんからアドヴァイスを受けながら、彼がリフォ−ム復元されたヨットに出会ったのです。

 製造されたそのひとつのヨットが岡山県玉野にあり、道路わきに展示されているように放置されていて、無残な状態を小生は見ています。 私が同僚に手放した艇は他の人に渡り、それを昔の仲間が見て、私に見ないほうがよいと言ってくれました。そのことは半世紀余りも経たことなので、しかたがないのかもしれません。

 私が所有していた時でもそのヨットは木部が多く、3か月ごとにニスを塗っていないとメンテナンスが大変でした。 自分がヨットを置いているいる現在のハ−バ−には、オール木造ヨットが2隻あります。 それらは大変に良い状態でメンテされております。 いずれもフルカバ−をしています。 従いヴァイキング22もそれをしていれば、長く保たれるのではないかと今は思っています。

  建造時の昔の話です。 当時はマーメイド号の堀江さんの太平洋横断の本に書いてあった影響でしょうか、ヨットを作るときは造船所に泊まり込んで作るのだという話がありました。 当時は長距離フェリ−の乗組員でしたが、会社に願い出て、2週間ほど臨時休暇にしてもらい、兵庫県高砂の船員保険施設に泊まって、造船所に毎日通って作った最初のヨットを手に入れました。


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 建造中、 速魚と小生(若くて別人かとおもわれるのか....)


 その愛艇を4年間ほど九州の日向市に置いて楽しみ、最後は日本周航するために、会社を辞職して、周航を終えて会社の同僚に手放しました。

 小生はデインギ−しか乗ったことが無く、ヴァイキング22。「初代速魚(はやめ)」は初めてのクル−ザ−ゆえに苦労もし、楽しみもしたヨットでした。 2隻目は友人と共同で52fのケッチ「PING906」を買いましたが、それよりも思い入れの深いヨットに「初代速魚」はなっています。 さらにヨットの信頼性という点では、今乗っているヤマハ31フェスタ・「速魚U」よりも、小さいながらも頑丈で時化ても安心して乗れます。

 欠点は腰が弱いことでブロ−が吹くと速やかに傾くこと、長さがないので波やウネリの中に入ってしまうこと位でした。  長所は、機走で現在のヨットとほぼ同じ5ノットで走ります。 また、停泊地の心配はありません、喫水が1.2m強なのでどんな小さな漁港でもスペ−スはあります。 クル−ジング中は、夕方まで走り、それから近くの停泊地を探せば良いことになります。 加えて、ハルの形状はロングキ−ルでしたので、今悩んでいるホンダワラがペラに絡まることは無かった。

 当時は、オ−トもファ−リングもGPSも無い時代でしたが、チャ−トと簡易港湾案内とラジオを聞いて天気図を書くことでクル―ズできました。 そのような、古い時代ではありましたが。


 予期もせずに敷島号に出会えたことは老生にとっては懐かしく嬉しいことでした。その夜は彼と話がはずみ、楽しいお酒が飲めました。

 

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  敷島号




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 初代 速魚


   




         2022-9-10



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2022年09月07日

濃霧

  


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  上関からクダコ水道までの予定航路、  白線に囲まれる範囲に濃霧発生


  2022年7月17日に隠岐巡航の帰りに濃霧に会った。 いつものように朝5時に上関を出港してクダコ水道を経由して下蒲刈を目指した。6時頃になって、平郡島に差しかかる付近より濃霧になり先が見えない。 レ−ダ−は無い。 古い話になるが、北海道を周航した時、さんざん濃霧に悩まされて「レ−ダ−の無いヨットでは北海道には行きたくない」と肝に命じていたのであるが、この時期は瀬戸内でも霧が発生することがある。巻き込まれてしまった。

 たしかWindyにはそのような霧の予報は無かったと思う。 知っていれば出港は取りやめにしたと思う。 また、平郡島の前方で霧の気配がしていたように見えたので、それを感知して、引き返す決断をすべきであった。 そのことは後になって振り返っての話になるので。事故が無くて良かったが、そのような決断はなかなか出来ないのが実状であろう。


 ここまで書いて気が付いたのである、霧情報としてはWindyは役立たない予感。他に何かあるかと言えばラジオ・テレビの天気予報である。これは欧米のものと違って、海のことが意識されていない「洗濯干し情報」のようであるのでこれも役立たない。 そうそう、あったではないのか、それはVHF16チャンネルの海上保安庁の航行警報である。 残念ながら怠慢な小生はVHFの電池切れを放置していて聞くことができない状態であった。 クル−ズに出る時にはこれをメンテしておくべきと知らされた。


 平郡島の北側は小型船、南側は大型船の本船航路である。 従い今回の濃霧中では小型本船との行き会いになった。 レ-ダ−は装備いていないけれどNewPeckスマ−トを持っている。それにはAIS機能があり他船の位置と進航(船首)方向が表示される。霧のなかでも他船を避けるのに、それは役に立った。 

 元本船乗りであったので、昔にレ−ダ−を霧中に使っていたのを思い出した。 それは、ダ−マ−トグラフの鉛筆でレ−ダ−画面に他船の位置をプロットして描き、その位置の変化で他船の動向を把握して避航動作をしていたことである。(今の商船はもっと近代化したレ−ダ−を備えていると思われる) ニュ−ペックでも船首方向は矢印で表示されるので、ヨットの場合は、他船と衝突の恐れがあるとの判断を待たないで、早めの大きな避航動作で他船にこちらの意図を知らせる必要がある。他船は霧中ではそのまま進路と速力を維持したまま航行してもらうのである。 ブイ近くでは他船は次の針路に転舵する予想が重要でその方向を考慮して、こちらも対処しなければならない。 

 幸い10時頃には霧が晴れた。 しかし、行き会い状態のガット船が反航してきた。 それはニュ−ペックでは確認されていない、ということはAIS装備していない本船であった。 霧中でなくて幸いであった。 本船はすべて装備していると今まで思われてきたが、法令で任意になっている船舶もあるのかと知った次第である。 調べてみると。

   AIS 設置義務船

 1. 国際航海に従事する300トン以上の船舶

 2. 国際航海に従事する旅客船

 3. 国内航海の500トン以上の貨物船


  航行中にニュ-ペックを見ていると上の義務よりもっと多くが設置しているようには感じていますが、ヨットにとっては内航船・漁船にもっと多く設置してくれればなあと霧を体験すると願望するものです。




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  AIS位置情報  下記のオケラネットによる

   http://www.okeranet.com/AIS/ais.html

   https://www.bouken-asobi.com/map_ais.html   AISライブ船舶マップ




    2022-9-7


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2022年09月05日

境公共マリ−ナ

  




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  境公共マリ−ナ




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 赤丸は3つの桟橋の先端部分に着けられる



 七類に停泊中にバスにのり境港へ行った。 観光案内所で自転車を借りて、境港を散策した。 ヨットの停泊地を探す。ここは本当に大きな港でどこへ着けたらよいのか分からないほどである。 境水道の両脇は島根側と鳥取側に区分される。 鳥取側にはフェリ−と大型漁船が付ける。島根側は空スペ−スが見られるが着けても不便のようである。




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  境水道大橋、  境港側(鳥取県)から島根県側を写す



 境公共マリ−ナ(0859-45-4151)へ着けることができればヨットにとってはベストであろう。 しかし7月の繁忙期であったのか3回トライしてもいずれも満杯であった。 そのうち1回は、台風が来る恐れもあり是非ともそこで避難したいところであったが、無理であった。結局は七類からも逃げて十六島へ行くことになった。

 公共マリ−ナの近くには大きなガソリンスタンド、DIYセンタ−、ス−パ−がある。  観光としては「水木しげる」が有名である。



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   ポンツ−ンの先端はゲストバ−スになっている  





      2022-9-6
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2022年09月04日

上蒲刈向




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  赤丸はヨット係留地



 上蒲刈島のヨット係留地は向港の他に県民の浜に[かまがり海の駅]がある。そこはむき出しの地形ゆえに風浪の問題があり、天候の良い時にしか利用できない。 最近はそこを避けて下蒲刈に着けることが多い。今回は新しいチャレンジで上蒲刈島向港に停泊した。 ここは安芸灘大橋が架橋される以前の連絡船が運航していた時のポンツ−ンである。 今回は南系の風が吹いていた時で、それが収まるまでは係留していてもウネリが入りヨットは動揺していた。



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  ポンツ−ンに着けた


  小さな食料品店があり総菜を買うことができた。 給油、銭湯は不明です。


          2022-9-5



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門司城、 丸山城



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  門司城と丸山城


 新門司マリ−ナではいつものように5日も風待ち待機となった。 その間マリ−ナの自転車で門司城と丸山城を見に行く。 門司までは時間もかかる行程で、トンネルを3つほどくぐることになる。 トンネルにサイドに歩道が設置されていないものを抜ける時にはハナハナ危険な走行になった。


   丸山城


 門司へ行く途中にある丸山城を先に訪れる。そこは白野江植物園の近くにあるということなので、園内で作業をしている地元の人に丸山城のことを尋ねた。 すぐ隣のはずなのに「ご存じない」ようだ。小生は付近を探索したが、残念ながら案内板などを見つけることができなかった。 うむ、断念した。


 丸山城は門司城の支城であったという。




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  白野江植物園


 下は無事に丸山城へたどり着いた熱心な方です。


     丸山城、  福岡県の城  ピグの部屋


  https://ameblo.jp/fukuokakennosiro/entry-12478525943.html




    門司城


 続いて門司城をめざす。途中に田ノ浦のヨットを係留している場所を通った。


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 田ノ浦ヨット泊地


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  門司城 遠景





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  門司城の地図



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  案内板



 門司城は関門橋の近くにある。和布刈第2展望台を目指して登って行き、そこで関門海峡の景色を眺め、さらに少し行くと門司城跡の案内板がある。



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  門司城跡石碑


 門司城は平知盛が築かせたという。大内氏、大友氏、毛利氏がこれを争い、最後は毛利氏に属した。関ケ原の戦いが終わると、細川忠興が城代をここに置き1617年に廃城となった。

 帰りは、また、トンネルを抜けるのかと気力を無くして、タクシ−を探した、折り畳み自転車でなかったので,載せてくれるタクシ−が少なく、何台目かのタクシ-に乗ってマリ−ナまで帰った。


       2022-9-4

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2022年09月03日

丸谷城 再訪





 
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  隠岐巡行で再び下蒲刈を訪れたので、丸谷城を再訪した。 




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  銚子に置いている仲間と着岸した



 前回は本丸跡を訪れただけであったのでそれから続くと思われる天神鼻まで行ってみる。

  ヨットは天神鼻のある半島状の土地(丸屋城域)東側に着けた。ここはここ10数年前に整備された港域である。 昔は西側に大津泊・湊がありそこは地乗りの航路・沿岸よりの航路の風待ち湊として栄えた。また、水軍城の船隠しもあったという。



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  大津泊、現在は面影なし、養殖設備が浮かぶのみ。  右には安芸灘大橋



  尾根伝いに歩いてゆくと曲輪と曲輪の間には堀切が散見されるのですが、詳しくは分かりません。


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  堀切 1



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 堀切 2と土塁



     丸谷城・丸屋城     2021-12-10

   http://hayame.net/custom27.html#spb-bookmark-792



    2022-9-3



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