2024年01月26日

お遍路6  #84屋島寺, #85八栗寺

   

 



yasima map 10.png
  屋島地図



  #84屋島寺



 JRと琴電屋島からコミュニテイバスが運行されている。 時間が合わなくて利用できなかった。JR引田駅より特急でJR屋島駅に向かい、そこからタクシーで84番八島寺に行く。 まっことに古いお話であるが、60年も前の高校の修学旅行で屋島に来たはずであるが、何も覚えていないのです。 残念。 駐車場で下車して奥の方に八島寺はある。 帰りは屋島城を見てお遍路道を徒歩で下山した。



yasima 20.jpg
  山門


 屋島寺は754年(天平勝宝6年)に、鑑真和上が奈良へ向かう途中に屋島に登り、普賢堂を建て普賢菩薩像を安置したのが始まりと伝わっている。




yasima 30.jpg
  本堂  1618年建立、国の重要文化財

 



   #85八栗寺



 ケーブルカー乗場まではタクシーで行く。 帰りも琴電八栗駅まで呼ぶことになった。

 空海(弘法大師)が、唐へ渡る前に五剣山に登り、8つの焼き栗を埋めたところそのすべてが成長したことから「八栗寺」と命名されたという。



yaguri 15.jpg
  ケーブルカー





yaguri 30.jpg
  多宝塔





yaguri 20.jpg
 本堂



   2024-1-22



posted by 速魚 at 03:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月25日

HP 船中発策 トラブルのため見られません

  
 
 2024年1月22日以降  ホームページがご覧になれません。

  復旧に勤めていますが、知識不測のせいもあり進捗いたしません。

  お詫びもうしあげます。

     今後ともよろしくお願いいたします。


  2024年 1月26日  無事? 何とか復旧いたしました。 ありがとうございました。

    https://hayame.net/index.html










posted by 速魚 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月20日

引田再訪

      


  2019年に引田を訪れたことがあり、今度は徳島からの帰りに再訪しました。東風が強く5日ほど滞在して、ここから香川県のお遍路寺を巡ってきました。


hiketa2-mao 80.jpg
 引田周辺図、  温泉、スーパー、DIYコメリ、コインランドリー、駅



 前回停泊した漁協前のT字桟橋には常時係留漁船がいて手狭になっていたので、コーナーを曲がった空位置に停泊しました。 ここは漁協で経由・ガソリンが補給できます。 スーパー、コインランドリー、DIYコメリは泊地より徒歩7−8分です。 温泉は15分位かかります。

 朝ドラのヒロインであるブギの女王・笠置シズ子さんはこの町の生まれです。

 


hiketa2-30.jpg
  青矢印は前回の停泊地



  馬宿地区には聖徳太子の生誕地といわれ、また。藤原不比等に関する神社・住吉神社(山王宮)がある。




hiketa2  sannnou.jpg
  山王宮



      2024-1-20


posted by 速魚 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月18日

「いずも」の神社を訪ねる


    大御和神社 豊国神社 八鉾神社、賀志波比売神社、生夷神社 津ヶ峰神社



 阿波では山側を「そら」、海側を「いずも」と読んでいた。 島根を植民地として「出雲」と名付けたということは、さておき、その「いずも」の海側の神社(現在よりも海が陸に寄っていた)を訪ねた。 それらは JR牟岐線寄りの地域である。

 大国主神(オオクニヌシノカミ)=大己貴命=大国主命(八千矛神・ヤチホコ)を祭神とする、また事代主命=エビスさんや天照大御神・アマテラス=卑弥呼の生誕地と称する神社が、この「出雲」の地にはある。



tugamine map 15.jpg
  
 
「いずも」 徳島・小松島・阿南の周辺図



    大御和神社


 大御和神社で”国璽(こくじ)の印と国庫の鍵を守護した”と伝わっていて、古代はこのあたりが阿波国の中心地でした。

 御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)で、大国主神(オオクニヌシノカミ)と同神とされます。

 境内の8割余りを民間に売却する計画を進めている。老朽化した社殿を建て替えるのが目的で、県内の神社が敷地を売って資金を捻出するのは異例。「神社を存続させるためにはやむを得ない」と理解を求める河野誉嗣たかつぐ宮司に対し、計画を事後に知らされた氏子は反対している。




oomiwa 20.jpg
  鳥居 




oomiwa 22.jpg
  拝殿






   豊国神社 ・御縣神社・宮方神社


 1614年(慶長19年)に創建。別当として豊林寺も造営された。豊臣秀吉の死後、蜂須賀家政と蜂須賀至鎮が豊臣秀頼より拝領した『木造 豊太閤像』(非公開)を神体としている。

 蜂須賀家三代が取り壊して現社地へ遷座、ひっそりと祀られました。 現在は堀越寺に併設されている。

 境内には式内社の御縣神社が鎮座、宮方神社とも呼ばれる。祭神は大己貴命または事代主命。





toyokuni 30.jpg
  鳥居



toyokuni 32.jpg
  拝殿





   八鉾神社 ・也保古 やほこ


 大国主命(八千矛神・ヤチホコ) 生誕地、 出雲大社の元宮とも云われる。





yatihoko 20.jpg
   鳥居




yahoko 40.jpg
  宝物殿







   賀志波比売神社 ・かしわひめ

 

  賀志波比売は幼少期の名である。ここは賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津乃峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝え、当社が「津峯神社の本宮」であるとしている。


 それにしてもアマテラスの地であるにもかかわらず、住宅街の奥まった見つけにくいところに鎮座する。津が峰神社に移ったからであろうか?それともユダヤの地から船に乗って個々の近くに移って来たからであろうか?



kasihahime 20.jpg
  天照大御神生誕地の石碑




kasihahime 30.jpg
  拝殿





    生夷神社・いくい


  社名の「生夷」は「えびすが生まれた場所」という意味があり、事代主命はこの地で生まれたとする説がある。

 式内 事代主神社は、全国で阿波の二社のみ。

   事代主神社   (徳島県阿波市市場町伊月)


 

ikui  20.jpg
  鳥居



ikui 35.jpg
  拝殿


 

      津ヶ峰神社



 参道入り口からは全長3.7kmの有料道路(軽自動車、普通車:往復600円)「津峯スカイライン」を走ります。



tugamine  20.jpg
 リフト500円で神社へ



 祭り神は賀志波比売大神(かしはひめのおおかみ)大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)である。賀志波比売命を主祭神とし、相殿に大山祇命を祀る。

 津乃峰山の麓の阿南市見能林町柏野22にも、賀志波比売命を祀る賀志波比売神社がある。現在は見能方八幡神社の境外社とされている。社伝では、賀志波比売命が最初に祀られた地であり、その後、賀志波比売命は人々の希望により津乃峰山山頂に遷座したが、元の鎮座地にも祠が残されたものと伝えられる。



  
tugamine 30.jpg
  拝殿



tugamine 50.jpg
  神社から見る絶景

 
     2024-1-18


posted by 速魚 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月16日

徳島城

        



  いつものヨット巡航のメインテーマのひとつは城廻りであるが、今回はお遍路寺と阿波の神社を行きたいので、それにその数も多すぎるので、お城めぐりを封印することになる。 しかし、停泊地のケンチョピアとJR徳島駅との徒歩の往来で、その途中にちょうど徳島城が在りお城を見学することが出来た。

  徳島駅の線路を挟んで向こう側の公園に徳島市城はある。線路を跨ぐ陸橋を渡ると、もう城内である。



tokusimazyo 10.jpg
  徳島城 周辺図  赤丸は泊地のケンチョピア


 1585年、豊臣秀吉の四国攻めにより、戦功があった蜂須賀正勝(小六)に阿波が与えられることになる。 しかし、60歳を過ぎた高齢で、既に隠居の身であったことから、その子の家政が、阿波1国、18万6000石を領する。 

 徳島城は天正14年(1586年)築城で平山城(標高61m)である。築城者は初代家政である。本丸、東二の丸(天守跡)西二の丸、石垣、堀、表御殿庭園等がある。吉野川から分流する、助任川・福島川・新町川・寺島川(現 JR徳島駅と牟岐線)を外堀とし、さらに内側に堀川・瓢箪堀(現 東出来島町東部)があった。

 蜂須賀家は後に淡路も所領とし25万7千石となった。 外様ながら、改易されることもなく、そのまま明治まで所領を維持した。 香川県の山林は開放されることなく現在も国有林であるが、徳島の山林は利用が解放され、藍やその他の特産品の開発を含めて蜂須賀家は善政を牽いたという。



tokusimazyo 09.jpg
  城跡図





tokusimazyo 20.jpg
  徳島駅より陸橋を渡る






tokusimazyo 22.jpg
  数寄屋橋門




tokusimazyo 24.jpg
  下乗橋





tokusimazyo 25.jpg
  復元された鷲の門、曲輪「三木郭」(みきくるわ)に築かれ城門






tokusimazyo 30.jpg
  城山の貝塚





tokusimazyo 40.jpg
  城山の海蝕崖



       2024-1-16


posted by 速魚 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月14日

眉山(いのやま)周辺の神社

宅宮神社えのみや、経塚大権現、蔵元八坂神社、 熔造皇(ようぞうのすらめ)神社, 八人塚古墳、経塚大権現、佐野神社、勝占神社、五王神社、



 宅宮神社を訪ねた時に、溶造皇神社と経塚大権現へたどり着けず、宮司さんにそれらのことを聞きました。ご親切にも調べてくれて自宅まで写真などを届けてくれました。 近春の徳島再訪に是非ともそれらを訪ねたいと思っております。



enomiya map.jpg
  宅宮神社、周辺地図





   宅宮神社・えのみや 
 

御祭神を大苫辺尊、大歳神、稚武彦命とする。主祭神の大苫辺尊は、意富斗能地神(おおとまひめじ)で、神代七代の第五代の神様として、大地が完全に凝固した時を神格化されたとする説があり。「意富(オホ)」は「大(オオ)」を、「門麻(トマ)」は「泊(トマリ)」、つまり港を意味するという。そのため、現在の上八万町にあたる「八萬津」を祀る神であり、昔は「大きな港」があったことを示すともされる。
また「出雲踊」の歌詞に「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」とあり、これは邪馬台国の女王卑弥呼の宗女「壱与」を示すという説もある。
 
 神代文字の版木がある。


enomiya 10.jpg
  山門





enomiya 20.jpg
  拝殿





  経塚大権現



 天若日子の神陵である。 「天若日子」は葦原中国平定の際に「天穂日命」の次に遣わされ、天孫族から大国主神に寝返ったとみなされたことから何らかの形で処刑(神話では弓矢で射殺)されています。

 下写真のように途中で草で道が鮮明で亡くなったので断念しました。 その下の写真は宅宮神社の宮司さんが送ってくれました。


kyoutuka 10.jpg


 





kyoutuka 20.jpg
  送付されたもの1





kyoutuka 22.jpg
  送付されたもの2





    蔵元八坂神社



  京都の八坂神社のように、祇園まつりがおこなわれるという。



kuramotoyasaka 20.jpg
  拝殿



  下の熔造皇 (ようぞうのすらめ) 神社はここに移設されていたが、現在は元の場所に返されている。



 

  熔造皇(ようぞうのすらめ)神社



 ここもグーグルマップで近くまでタクシーで行ったが。探せなかった。 宅宮の宮司さんが写真を送って頂いた。

 卑弥呼・大日孁神命(おおひるめ)により近代化された米作に加え、素戔嗚尊(すさのお)によって初めて鉄の生産が伝えられた。スサノウの命を祀る。


 五角形の祭壇が在ると云う。八倉姫比賈神社と似ているのであろうか? ユダヤの影響とも云われるが残念ながら見ていない。今春再訪の時には訪ねたいものだ。

  

  https://www.youtube.com/watch?v=zsKxnETQFqs     4分   「神社ねこ」さんによる



youzou 20.jpg
 送付されたもの3

 

 

   佐野神社


 神武天皇のゆかりの神社。神武天皇の東征の起点であるといわれている。

  


sano 20.jpg
  鳥居



sano 22.jpg
  拝殿





  勝占・かつら神社


 古代この神社の付近一帯は海であり、出雲系海人の豪族が支配していました。その大祖神である大己貴命を、海に突き出た中山の東端で展望の良いこの地に祀ったということです。元暦元年(1184年)3月10日に源義経が屋島へ向かう途中に参拝したと伝わる。



katura 20.jpg
  鳥居


 



katura 22.jpg
  拝殿





   五王神社


 例祭は昔から神輿などを出さずに地芝居や人形浄瑠璃などを奉納している。阿波人形浄瑠璃を演じる犬飼農村舞台があり、国の重要有形民俗文化財に指定されてす。 主祭神は水波能売神・埴山比神・豊受姫神・久々能智神・草野比神。創建年代は不明。



gou 20.jpg
  拝殿



   八人塚古墳  


  この日はツイていないのか居場所塗明が続きます。 ゴルフクラブの中にあるようなので、危険も伴うし入り口も判明しないので諦めた次第です。

 スサノヲの墓?とか言います。 古墳時代初期の積石塚古墳としては日本最大級の規模。 先に見た萩原2号墳と同じようなものでしょうか?




8ninzuka 20.jpg
  ゴルコ−スへ行くスロ−プから見た古墳?



         2024-1-14



 
posted by 速魚 at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月12日

 お遍路5 #86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺



     
  

kagawa 88 map 10.jpg
  香川県88ヶ所地図 



 徳島ケンチョピアより鳴門海峡を通峡してヨットにて引田に入港しました。 徳島で19ヶ所をお遍路して、今度は香川県を廻ります。


   #86志度寺



 JR志度駅かあるいは琴電志度駅から近く徒歩で行ける。 また、ヨットでも近くの志度港に停泊して行くことが容易です。 藤原不比等の海士伝説ゆかりの寺という。 山一つ越えれば藤原氏の阿波の発生地があり、ここに藤原氏由縁の寺があるのには納得です。 お遍路の寺でも5重塔があるのは大きな勢いのあった寺であろう。

 


sidozi 30.jpg
  仁王門   大きな草鞋



 


sido 50.jpg
  本堂 




shido 20.jpg
  五重の塔







   #87長尾寺


  志度寺からタクシーを使ってしまったが琴電長尾駅からも近いようである。歩き遍路も可能である。

 長尾寺は739年(天平11年)年行基が本尊の聖観音菩薩を刻んで安置した。源義経の側室の静御前が出家得度したお寺と言われる。

 


nsgao 50.jpg
  大師堂




nagao 20.jpg
  本堂






   #88大窪寺  


 八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島からヨットを引き返したので逆回りになち最後の大窪寺へお参りすることになりました。後で気が付くことになりましたが、杖が多く立てかけてあるところがあり、ここで巡礼に使用した金剛杖を返還するための物のようです。

 古くから女性の参拝を許していたので、「女人高野」と言われている。



 


ookubo09.jpg
  山門



ookubo 30.jpg
  本堂

 

        2024-1-11



posted by 速魚 at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月10日

邪馬台国は阿波にあったのか? 阿波・邪馬台国と日神子・卑弥呼


                           香川宣子さんによる



  



himiko map 10.jpg
  ひみこ地図


 黄泉の国を脱出したイザナギは、橘湾の海岸で同胞の卑弥呼(ヘフシバ・ヒゼキア后妃・日神子)、スサナウエ(スサノヲ)、ツアクヤン(後のシャル・ヤシュブ・月読命(つくよのみこと)たちと遭遇した。

 彼らはイザナギにアークの隠し場所にするところを尋ね、ここにスサノウを残して剣山に向かうことになる。 鮎喰川をさかのぼって船盡神社・ふなはて・歯ノ辻神社あたりで陸路に変えて剣山の鍾乳洞に聖櫃を隠した。下山して卑弥呼は高根山にある悲願寺一帯を拠点とした。

 卑弥呼・日神子は予言者イザヤ時代に実在したヒゼキア王朝の后妃ヘフシバのことです。大日簍命・おおひるめ(死後の名)、大宣都比賈・おおげつひめ、八倉比賈・やくらひめ、と呼ばれたりお稲荷さんになったり、伊勢神宮の豊受大神・とようけおおかみ で祀られた。

 卑弥呼はスサノウと結婚し多くの子を産みます。  スサノウの浮気が重なり卑弥呼は天岩戸に立てこもる。スサノウはこの騒ぎに2度と卑弥呼の元に帰ってこなかった。 スサノオは神山町須賀山に櫛名田比賈・くしなだひめ と新しい生活を始め、大国主命をもうけます。

 大国主伊命も絶倫で多くの子をもうけます。 その中にニニギ命と事代主命・エビスさんがいる。 やがて、大国主命軍(海人族)と卑弥呼軍(高天原軍)との大戦争に発展する。卑弥呼は敗れて気延山の一角で死に高根山にあった墓を聖徳太子が気延山山頂に移す。

 

 


    天石門別八倉比賈神社 ・あめのいわとわけやくらひめ


  卑弥呼の死後名の大日靈女命(おおひるめのみこと) - 天照大神を祭神とする。  残念ながら奥の院にあるユダヤを思わせる5角形の台座(磐座を見逃してしまう。今春予定の再訪時には見てきます。




himiko mao 20.jpg
  気延山 周辺地図





yakurahime 20.jpg
  「天石門別」「八倉比賣神社 」の記がある鳥居





yakurahime 30.jpg
 拝殿




yakurahime 40.jpg
 この柏手紋様はイスラエルの神から指示されたメノーラ(燭台)象った神紋といわれている





   船盡神社・ふなはて・歯ノ辻神社 

 

 歯ノ辻神社のバス停のすぐ近くにあり。 鮎喰川のすぐ近くなのでここまで船で登ってきたのに納得する。

 



hanosuzi 10.jpg
  鳥居





hanotuzi 20.jpg
 拝殿

 



 


   船盡比賣神社



 船盡神社・歯ノ辻神社の対岸にある。 小さな祠が見えるのみなので、ここかなと思う程である。 テレビ?で見たようなきがするが、ここに神代文字の幟があるというのは本当でしょうか。



funahatehime 10.jpg

 


 


funahatehime 20.jpg
  むくのきの標識と左の三柱鳥居


 3柱鳥居の原型かともいわれる。 ユダヤに関する物とも云われる。

 


  天岩戸別神社



  天照大御神が石屋戸隠れをした時、八百萬神が集い神楽などで大神を誘い出し、この時手力男命が大神の手を取りて引き出した。

  その手力男命をお祀りしています。



amanoiwato 10.jpeg






 

    天岩戸立岩神社



 立岩神社の御神体の巨岩は古事記や日本書紀に登場する天岩戸とする説がある。 鳥居をくぐり200mほど進むと神社の御神体である天の立岩があり、神社の後ろにある大きな岩が二つに割れている様子は岩の扉のように見える。



tateiwa 20.jpg
  拝殿




tateiwa 30.jpg
  ご神体、天の立岩  岩の扉のようです





       2024-1-9


posted by 速魚 at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月07日

 新宮神社、白人神社、神明神社、三木家、東宮御所神社



 下記地図にあるようなJR穴吹駅より穴吹川に沿って新宮神社、白人神社、磐境神明神社、三木家、東宮御所神社を訪ねた。 それをするのに年金暮らしには身に過ぎた支出であり、人生最大のタクシー料金2万6千円の支払いになった。  昨年は入院を余儀なくされたこともあり、今回の徳島県訪問総額では15万以上にもなり、先行き不安の焦りが生じた老生にとって焼けっパッチ消費になった。

 穴吹川は四国一の透明度を誇る清流で四万十川を凌ぐものだそうです。川沿いの山間地も狭く人家はほとんど見られなかった。わずかに山の中腹の小さい平坦地に家が建っているのが散見された。古代にはそれゆえに何をして暮らしていたのかと思わされた。

 ユダヤの民でないかと云われる忌部族は天皇家の祭祀を司る民である。 悲眼寺に卑弥呼・天照大御神がいたということから,祭祀にしようする大麻や麻を栽培してこのような山地で暮らしていたのであろう。



mikike map 10.jpg
  三木家周辺地図



 

    新宮神社



 新宮神社の元社といわれる。訪ねてみればただの村社としか思えないたたずまいである。 すぐ近くに白人神社や磐境神明神社があるので、それとの関連地域ということで重視されているのではないでしょうか?




 singu 10.jpg



  

   白人神社・しらひと  

 

  24代仁賢天皇の時代にこの地に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされる。 狛犬ではなくうさぎが置かれている。



sirahito 20.jpg
 本殿



sirahito 30.jpg
  灯籠の上にウサギがのっている



 

    磐境神明神社・いわさかしんめい



  白人神社の横の駐車場の奥に鳥居と階段があり、奥宮といわれる磐境神明神社がある。 1740年代に発見された。竹内文書で5社3門の史跡とある。 古代ユダヤの神殿に似たつくりであると云われている。




sinmei 20.jpg
  ここの階段を登っていく




sinmei 10.jpg
 5社3門の石造りの祭壇





 

    三木家


 すれ違う車に充分に注意を払う細い山道を登りながらたどり着く。 まあ、限界集落という言葉があるけれど、当てはまりそうな山間の土地である。 ここに天皇の代替わりの大嘗祭に必須の麻の麁服(あらたえ)を制作・献上する忌部氏の三木家が存在する。

 訪ねた時には人影が見当たらずに母屋を見学することも無く立ち去った。




mitui 10.jpg
  三木家  300円で中を見学できる

 

 栽培された麻は別の場所で麁服を製作されるようだ。

 



mitui 15.jpg
  麻栽培畑  



 忌部の三木氏は忌部御所神社を奉斎した。

 



 


  東宮御所神社 と春宮神社



 近くを訪れた美智子様がここのことをお尋ねになったというが、舗装されていない山道を登りつめたところにあり、秘境中の秘境と呼ぶようなところである。 ぽつんと一軒家という番組のようなところである。

 



touguu 10.jpg
  この案内板の赤矢印方面に行く




  祭神は、天照大神、国常立命・くにとこたちのみこと です


 



touguu 12.jpg
  東宮御所神社





touguu  15.jpg
  本殿






    春宮神社


  東宮御所神社とほぼ同じ位置と思える場所にある。 祭神は、土御門天皇,後嵯峨天皇です、


touguu 20.jpg
 


  春宮神社の鳥居と下奥に見える本宮



    2024-1-7



posted by 速魚 at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月05日

倭建命・やまとたけるのみこと・日本武尊

   

  老生の小学校の時代に夏休みの蝉取りなどの遊び場として、生まれ故郷の名古屋市熱田区にある断夫山古墳へよく行ったものだ。 それはヤマトタケルの妻の古墳という。 また、すぐ近くにヤマトタケルの古墳・白鳥古墳もある。 しかし、断夫山は6世紀ごろの築造というから時代が違い、今ではどちらも尾張の有力豪族の古墳と云われている。

  倭建命「やまとたけるのみこと」は阿南市橘町で12代景行天皇の子として生まれた。 成長して吉野川上流の脇町に住んでいた熊曽建「くまそたける」を殺害し国府町観音寺に住んだ。その後にも兄を殺害し、その猛々しさゆえに景行天皇はヤマトタケルを東方遠征に命じる。その勝利祈願に東道神社に向かう。丸木舟の軍団を従えて吉野川を東へと下っていったが、ヤマトタケルは生きて帰ることはなかった。 その子である14代仲哀天皇は「父の魂は白鳥になった」と言うて白鳥陵・白鳥神社を作った。 その神社は讃岐の白鳥町にも分祀されてある。



yamatotakeru3 map.jpg
 倭建命ゆかりの地図


 
  東道神社


 川島城近くの川島神社横にひっそりっとたたずむ。 東征だから東道なのであろうか。



yamatotakeru 40.jpg
  東道神社  



 

   白鳥神社

 、東国を征定の帰途に毒に触れて亡なった日本武尊が白鳥となって天昇し、この地に舞い降りたとされている。仲哀天皇が建てたとされる。

 讃岐白鳥神社の元社である。

 

yamatotakeru 50 siratori.JPG
  白鳥神社



     2024-1-5

posted by 速魚 at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月03日

阿波にある元宮と 元寺

     


 675年の「吉野宮での会盟」四国を隠蔽する策略があったというが、その盟約とは天武天皇と皇后の持統天皇がその子の草壁皇子を次期天皇にする盟約で知られている。壬申の乱の頃に阿波を隠蔽する何かの必要があったのであろう。 吉野宮は下図9の倭大國魂神社あたりの地区にあったというので、また、持統天皇は下図の神山町広野にゆかりの人であるゆえに、まったくその隠蔽も間違いでは無いでしょう。 奈良にある吉野宮の前に阿波にその元の宮があったのかもしれない。

 伊勢神宮や他有名大社の阿波にある元宮を下記に上げます。

 

9 motomiya.jpg
 阿波の元宮・元寺図



   阿波の元宮・元寺

 1. 八倉比賈神社・国府町矢野      伊勢神宮・三重県 

 

 2  鴨神社・三好郡東みよし市      下加茂神社と上加茂神社・京都府



 3. 松尾神社・名西郡神山町      松尾神社・京都府

 酒造の神様を祀っている。 「天岩戸神楽」が新年に奉納される。

matuo 10.jpg
 松尾神社



 

 4. 稲荷神社・阿波市市場町     伏見稲荷大社・京都府

 稲荷神社なので赤い鳥居。養蚕業が盛んな地ゆえに、蚕の神として信仰をあつめる。ゆえに



inari 10.jpg




 5. 住吉神社・藍住町住吉       住吉大社・京都府、博多、下関

  航海の安全を祈願する。 義経が屋島の戦いにむけて祈願した伝承がある。



sumiyosi 10.jpg




 6. 諏訪神社・多祁御奈刀弥(たけみなとみ)・名西郡石井町      諏訪大社・長野県



 事代主命と(多祁御奈刀弥神社の祭神)建御名方命は兄弟神である。



suwa 10.jpg




 7. 熊野大明神・板野郡熊野庄      熊野神宮・奈良県

 8. 樫原神社・阿波市土成町      樫原神宮・奈良県

 9. 倭大國魂神社・美馬市美馬町    大和神社・奈良県、大国魂神社・東京

 10. 法谷寺・徳島市南庄町       法隆寺・奈良県  



   2024-1-3


posted by 速魚 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2024年01月02日

2024年 新春



能登半島地震の被災者の皆様へ 心からお見舞い申しあげます。





  明けましておめでとうございます。

  本年も宜しくお願い致します。

   
2024 nenga7.jpg


   昨年はクル−ジング中に入院することになり、大変でしたが。 最悪の場合になることは避けられた。
 秋には恒例の巡航にも行くことができました。 それらは、皆様方に大変にお世話になった結果だと感謝しております。 ありがとうございました。



 昨春にせっかくコロナが明けたと思いきや、中東で戦争が始まりました。ウクライナと中東への戦力投入で、力を削がれた形となった東アジアに、新しき紛争が懸念されます。 先行き暗い予想ばかりですが、乗り切りたいものです。





 そんな訳で、お屠蘇気分ゆえに許されるのかと「深刻なお話」、「とんでも話し」等をお送りいたします。



   伊藤貫×水島総「アメリカの偽善主義外交の破綻が露呈した2023年!!

  https://www.youtube.com/watch?v=LOSWGf3my9w    90分



   2024年度予算 難しい財政状況

  https://www.youtube.com/watch?v=c2cQum73xKM



   門田隆将】中国から日本を守るのは「高市早苗総理」しかいない

  https://www.youtube.com/watch?v=FxfNolltxUY     27分




    東京ホンマもん教室】新春スペシャル 藤井聡×泉房穂 藤井聡×高市早苗

  https://www.youtube.com/watch?v=5KDCYXfUDl8


 林千勝が説く! 日本再生の道しるべ

  https://www.youtube.com/watch?v=VJ7hY_iZMnk    20分


   最後に願いを込めて

  ロ短調ミサ曲– Dona nobis pacem  我に平和を与え給え (Bach Collegium Japan)

  https://www.youtube.com/watch?v=ffrsc3wdBt4    3分  いいね



    2024-1-1


 


 
posted by 速魚 at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月31日

直島とヨット泊地

  



 直島は近くの倉敷を母港にしている割には訪れたことが無かった。 それは瀬戸内芸術祭の時はもちろん、ヨットの停泊地を探すのに苦労させられると感じていたからだ。

 案の定11月にもかかわらず、バースの予約を入れると空が無かった。 それで宇野海の駅に停泊した。 そこからフェリーにて直島へ行くことになった。 コロナ明けで観光客は多く、外人客が半分ほどいた。 瀬戸内の孤島でも外国から来るのかと思わされ、広報に成功したのでしょう。

  島内バスで島を廻った。 平坦地が多いようなのでレンタサイクルも良いようです。 目玉と思われる地中美術館は予約が取れず見られなかった。 他のものはこじんまりしている。 その展示作品の質は、個人的感想ですが、感動を得るものが少なかったように思う。





naosima 10.jpg
 誰もが知っている水玉模様



naosima 15.jpg
 野外展示物



  直島は天領であったので、他所と比べると税も安く規制も緩やかだったようで、小島でも文楽が許されていてその伝統が残った。当時はその公演の際には、他島から船で押し寄せる状況であったという。

 

naosima 20.jpg
  幕府直轄領であった





naosima 25.jpg
  直島女文楽



     2023-12-31

 

 

 

   直島ヨット泊地



  宮ノ浦港と本村港のヨット泊地がある。 訪ねた時には西風が強い時であったので、共に注意が必要です。  穏やかな時が良いように思われる。宇野からのフェリーの便も多いので、宇野停泊も考慮するべきであろう。


  直島 宮ノ浦港

naosima 60.jpg
 青丸は候補地





naosima 50.jpg
 赤矢印は候補岸壁側





  直島本村港

naosima 80.jpg
  青丸は候補地





naosima 55.jpg
  赤矢印は候補岸壁側



posted by 速魚 at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月30日

阿波にある古代天皇出身地


       香川宣子さんによる


 阿波には、天皇や主たる部族王の父母兄弟、祖父母に至までの出身地が残っているという。最近の市町村合併で名前が変わってきているが。




awa tennou map 10.jpg
   古代天皇ゆかりの地




番号 天皇・命 阿波の所在
1 初代 神武天皇 徳島市 渋野町 佐野
2 大国主命 佐那河内村 狭布能・さふの 城
3 手力男命・たじからおの 佐那河内村 不能山 字大入小屋・うしこや
4 事代主命・ことしろぬしの 勝浦郡 上勝町 生比奈沼ゑ・いくひなぬえ
5 5代 考昭天皇 佐那河内村 中峰、御間都比古神社(みまつひこじんじゃ) 祠
6 8代 山下䕃比賈・かげひめ 考元天皇 后 鳴門市 瀬戸町 堂浦山下䕃浦
7 武内宿禰  山下䕃比賈の子 徳島市 応神町 久岐・名方郡川内吉川村
8 12代 景行天皇 徳島市 矢野 神領 気延山 麓海城
9 倭建命・やまとたける 景行天皇の妾の子
10 14代 神功皇后  仲哀天皇の皇后 徳島市 川内町 住吉村 字神蔵、 現・住吉大明神社
11 15代 応神天皇 板野郡 応神町
12 16代 仁徳天皇 板野郡 応神町
13 19代 允恭天皇・いんぎょう 鳴門市 大麻町
14 21代 雄略天皇 大毛島の竜宮伝説
15 23代 顕宗天皇・けんぞう 鳴門市 大毛島
16 24代 仁賢天皇・にんけん 鳴門市 大毛島
17 31代 聖徳太子  用明天皇の子 徳島市 南蔵元町  (常厳寺) 祠
18 41代 持統天皇・高天原広野比賈 名西郡・みょうざい 神山町 広野


   



      2023-12-30

 

posted by 速魚 at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月29日

お遍路4   #18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺


  

18-20 henro 10.jpg
 小松島―阿南 周辺図



 #17井戸寺より17q程度あるので徒歩のお遍路は大変です。 小生はJR牟岐線で中田駅下車して豊国神社に立ち寄り恩山寺まで歩きました。



   #18恩山寺


18-1 onzani 10.jpg
  山門と遍路道



 仁王門・山門の前の道はお遍路道になっており、横の近代的な道に沿って本堂まで雰囲気のある古道が続いていた。



18-2 onzanzi.jpg
  恩山寺

 

   #19立江寺



  恩山寺より立江寺mでのお遍路道は醍醐味がある。義経がこの近くの海岸に上陸して屋島に向かった道はお遍路道とは別に義経ロードとして整備されている。 ここで平家に備えて弓の弦を張った場所とか解いた場所の表示板などが見られた。



19-01 tatue.jpg
  お遍路道





19-2 tatue.jpg
  入り口





19-1 tatue.jpg
  本殿





 #20鶴林寺
 

 23ある阿波の霊場のうちで、一に焼山(12番焼山寺)、二にお鶴(20番鶴林寺)、三に太龍(21番太龍寺)といわれる難所の一つだそうです。

 それゆえに、いささか頑張りの無い老生は立江寺にタクシーを呼びここに向かった。 阿波の今年のお遍路はここで打ち止めとした。 来年にまた来るつもり。 ヨットで帰路につく。香川の引田と高松にに立ち寄り、そこから88番大窪寺より逆回りすることになる。




20-1 kakurin.jpg
  山門と六角地蔵堂





20-2 kakurin.jpg
  三重塔



   2023-12-28

 
posted by 速魚 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月26日

聖徳太子生誕地・馬宿と法谷寺





umayado 10.jpg
 引田 馬宿周辺図  一山越えれば吉野川北部の古代に栄えた地に続がる


  学校で習った聖徳太子が最近はそうに呼ばなくて厩戸皇子と云う。 歴史は絶え間なく変化してくるもののようです。  新説であろうけれども、聖徳太子の生誕地ということで、今度のクル−ジングで香川県引田を再訪しました。 さっそく、その生誕地という馬宿川周辺を見に行きました。 最新すぎるのか、とんでもすぎるのか分かりませんが、当然の如く、そのことを表示する案内板はありませんでした。

 引田の地は朝ドラで急に少しは知られる地になりました。 笠置シズ子の生誕地です。それよりも聖徳太子のそれなら、いっそう観光客を呼び込めるでしょう。 そこは江戸時代では、瀬戸内航路の風待ちの港として栄ましたので、古代もそのようであったでしょう。

  


umayado 20.jpg
  馬宿川





umayado 40.jpg
 河口にある山王宮神社と小船溜まり


  

umasyado 30.jpg
  馬宿風景




umayado map2.jpg
  眉山・以乃山 周辺図


  徳島の眉山には、聖徳太子の廟跡もあります。 蘇我氏に聖徳太子の一族は抹消されたので、飛鳥に行き活躍し、阿波に帰って亡くなったのでしょう。また、聖徳太子は上宮太子とも呼ばれていました。上宮は、聖徳太子の居所を表しています。鮎喰川を挟んで対岸の気延庄に、聖徳太子の上宮があったという。聖徳太子は眉山の西端に遍照寺・法谷寺(元法隆寺)を建立した。  聖徳太子廟は常厳寺(現在は廃寺となり民家)の横から登ったところにある。

  
     常厳寺



  聖徳太子廟は常厳寺(現在は廃寺となり民家)の横から登ったところにある。 


  

umayado 50.jpg
  このお墓横の山道を登ると廟がある 


      法谷寺



 徳島大学の蔵元キャンパスに近いところにある。 平日であったが参詣者があり、信仰を集めているお寺さんとお見受けした。



houkokuzi 50.jpg
  縁起



 縁起に推古天皇が法隆寺より前にここを建立した。「秦河勝」に命じ「以乃山(眉山)馬峰に醫王善逝薬師如来を作らしめ」とある。法隆寺の元寺と云われる由縁である。大御和神社 あたりに聖徳太子のお屋敷の門があったと云います(法谷寺の縁起に聖徳太子当山の対岸気延庄、上宮にて詔り)。




houkokuzi 30.jpg
 本堂




houkokuzi 40.jpg
 十六紋の菊




   2023-12-26




posted by 速魚 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月24日

忌部・いんべ氏 ゆかりの神社

    
    大麻比古神社 忌部神社、山崎忌部神社、御所忌部神社 、種穂忌部神社



inbe map 20.jpg
 忌部氏関連地図



 学校教育で小生は忌部氏の名前を見知っているばかりで習った記憶がない。 大化改新に中臣氏・後の藤原氏が貢献した。忌部氏は中臣・藤原氏と共に天皇家の祭祀に従事していたのが、藤原氏が忌部氏を排除したことにより歴史から消え去ったのだという。

 天皇の代替わりの大嘗祭の時に、三木家から儀式に必須の麻の麁服(あらたえ)を制作・献上する。その特別な家が天津神・忌部氏末裔の三木家である。

 卑弥呼は高馬原忌部族であったと云われ、かってはイスラエルから来たのであろうと証言された方もいる。  天の岩戸事件のまとめ役は布刀玉命・ふとだまみことで、忌部氏の祖・天日鷲命・あめのひわしの遠祖にあたる。(阿波)忌部氏は阿波國を開拓したばかりでなく、讃岐・香川、出雲・島根、紀伊・和歌山、伊勢・三重、安房・千葉、その他越前,淡路、備前、隠岐、を発展させた。

日本各地で忌部氏とのトラブルも無かったのは、今のイスラエルの民と違い下記の精神で日本民族に同化していったのであろう。

  忌部の口伝   (香川宣子さんによる)

 民族や宗教を超えて共に生きる

 万物があるから自分がある。

 慈愛利他の精神


  

  大麻比古神社

 忌部氏始祖である天日鷲命・あめのひわしのみことの子とされている大麻比古神を主祭神としている。 現在の徳島一宮である。 七五三の子供たちでにぎわっていた。

 中世以降に所在が不明となる。複数の忌部神社がそれを主張したため明治18年にここに新たに遷座した。



ooasahiko 30.jpg
 由緒書き



ooasahiko 10.jpg
 拝殿

 近くに萩原1号墳は大麻比古神の陵墓と云われている



 



  忌部神社


 眉山の北東端二軒屋町に忌部神社がある。 長い階段を登ることになる。中ほどには金刀比羅神社もある。 



kibe all 20.jpg
  この階段中央左には金刀比羅神社がある








kibe all 10.jpg
  山崎忌部神社 (吉野川市)


 後背に忌部山・忌部山古墳群をひかえる。 令和元年(2019年)の大嘗祭においても、美馬市木屋平の三木家で栽培した麻を境内で麁服に織り上げ、調進している。

 


kibe 10.jpg
 拝殿



kibe aratae 10.jpg
 麁服(あらたえ)記念碑







  御所忌部神社 (美馬郡つるぎ町)

 忌部氏の後裔氏族、三木氏(みき)が奉斎したもので、同氏が式内名神大社の忌部神社を分祀したものではないかと考えられている。山崎忌部神社と論争が続いた。


kibe yamazaki 10.jpg
 御所忌部神社



 


   種穂忌部神社(吉野川市山川町川田忌部山) 未訪問

 車では行けないと聞いています。スレ違いできないようです。 種穂山の頂にある。



       2023-12-24



posted by 速魚 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月21日

お遍路  #11藤井寺、#13大日寺、#14常楽寺、#15国分寺、#16観音寺、#17井戸寺



 #13番大日寺より#17井戸寺へはお遍路道を歩くことができる。 途中ですれ違う地元の人にお接待ですと云われお菓子をいただきました。徒歩だとこのような醍醐味を味わうことができる。「娘が小生の近くに住んでいる」などとの会話があり。地元の人とのふれあうことも出来ます。



osettai 20.jpg
 頂いたなつかしいグリコのビスコ





   #11藤井寺・ふじいてら

 #10切幡寺とここ藤井寺とは距離はあるので、#10で一区切りをつけ別の日にこの寺へ行った。川島城よりタクシーでここに来ましたが、最寄りのJRは鴨嶋駅になる。
 815年に空海が薬師如来像を刻んで堂宇を建立。ここも戦国期に長曾我部により焼失している。 残念ながら小生が訪れたのは11月になってしまいました。今年は炎暑が続いたせいか紅葉を見ることが少なく、やはり、春の藤の季節がオススメのようである。



11-10 hujii.jpg
 山門



11-15 hujii.jpg
  本堂


  #12焼山寺へは山越へのお遍路道になり、次春まで楽しみを残した。そこへは神山町から近道で行くことになるだろう。





   #13大日寺

 #4大日寺と同名である。 順番に巡ることになるので、間違えないと思う。 徳島駅からバスで神山方面で一宮札所前で下車すぐである。 今回はお城めぐりを封印したので、訪ねなかったが、一之宮城跡がすぐに在る。

 大日如来のお告げを受けて空海がそれを彫像して堂へ安置したという。

13-20 dainiti.jpg
  本堂



13-40 dainiti.jpg
 県道21号線・バス道より眺める、 一宮神社と向かい合わせ







   #14常楽寺

 13番大日寺より徒歩2.3kmで14番常楽寺に向かった。 88ヶ所で弥勒菩薩を本尊とするのは当寺のみである。山門はない。 境内は起伏のある流水岩でできている。



14-10 zyouraku.jpg
 本堂



14-50 zyouraku.jpg
 境内







  #15国分寺

 14番常楽寺よりは徒歩圏である。阿波国分寺跡に建つ。七重の塔を持つ大伽藍であったが、ここも長曾我部の兵火で焼けた。その後廃寺であったが1741年再建された。

   

15-10 kokubunn.jpg
 山門





15-15 kokubun.jpg
  本堂





    #16観音寺



  15番常楽寺より徒歩圏。 JR府中駅へ徒歩16分。

 816年(弘仁7)頃に空海がこの寺を訪れ、本尊として千手観音像、脇待(きょうじ)として不動明王像と毘沙門天像を自らの手で彫り、安置したという。



16-20 kanon.jpg
 山門



16-60 kanon.jpg
 本堂





   #17井戸寺  



 JR府中駅より1.2kの徒、16番観音寺より3k弱。  名称のごとく空海が掘った井戸がある。そこを覗き込んで自分の姿が写らなければ、3年以内に災いがあるという。それで小生はで覗かなかったのではない。 夕方になり先を急いていたのだろう、存在を気が付かないで通り過ぎてしまった。

 お遍路に慣れたこの頃は、 御朱印をもらうことばかりに気が入ってしまう。その欠点が露呈したかな。 どこの納経所でも午後5時以降は御朱印がもらえないので注意しなければならない。


17-10 ido.jpg
 山門





17-20 ido.jpg
 本堂





    2023-12-21


posted by 速魚 at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月19日

神武天皇とイザナミ・イザナギに関する阿波の神社

 葦稲葉神社、
 事代主神社、 
 樫原神社、
 建夫津神社、
 熊野神社、
 鴨神社、
 伊邪那美神社、
 倭大國魂神社


 

  神武天皇ゆかりの神社とイザナミとイザナギゆかりの神社を訪ねた。それらは野川の下流から上流に沿って在る。

 
kamo all 10.jpg
  JR徳島線沿線の神社



 
   葦稲葉神社・あしいなば

 全国に1社しかない。 イザナミとイザナギの子である葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀する。

 

asiinaba 10.jpg
  蘆稲葉神社



  神武天皇東征の出発地は徳島市渋野町にある佐野神社と云われる。その東征に関わる神社として、樫原神社、事代主神社、建夫都神社、熊野神社がまとめて近在する。その東征は神武天皇が関東や東北に行ったことではなく、徳島の下流南部勢力が北岸勢力を支配した話である。事代主がが進軍していくのを建布都が助けた。熊野の地・樫原付近でこの戦いが行われたという。 
 

  事代主神社・ことふつ

 大国主命と徳島県那賀郡勝浦町の矢盾比賣との子が事代主です。えびすさんとも呼ばれています。

 一説によると安寧天皇の伯父にあたる多臣の子孫が出雲族を率いて当地の阿波国伊月にたどり着き、祖神である事代主命と祖母の五十鈴依媛命を奉斎したと伝わる。 出雲は山陰の出雲ではなく



kotosiro 10.jpg
 事代主神社




  粟島神社 阿波市市場町八幡

  事代主命・えびすさん の妻・天津羽命がここ近在に在る。粟島・善入寺島に在ったという。



 



    建夫津神社・たけふつ



tatehutu 10.jpg
 建布都神社

 近くに建夫都神社・西宮神社がある。神武東征に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡と祀られた神社と推定される。





   樫原神社

 神武天皇を祀る。奈良県橿原市の橿原神宮が創建される以前から、阿波国に樫原神社が存在し、樫原の地名があったことは確かな事実である。樫原神宮の元宮と云われる。




kasiwara 10.jpg
  鳥居





kasiwara 20.jpg
 樫原神社

 

 

   熊野神社


 神武東征に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社と推定される。熊野とは樫原神社付近のことを云う。





kumano 10.jpg
 熊野神社







  鴨神社

  JR三加茂駅よりタクシーにて加茂の大クスを見てここへ向かった。

 賀茂別雷神社の元宮であるとする見方もあるようです。あわせて三好市三野町加茂野宮の下加茂神社が賀茂御祖神社の元宮であるという



kamo 10.jpg
  鴨神社



kamo 50.jpg
  加茂の大クス






  伊邪那美神社 ・いざなみ

 古事記や日本書紀では、イザナミの体中から多くの神々が生まれる。



izanami map 05.jpg
  2つの伊邪那美神社 地図



 上図のように日本で唯一という伊邪那美神社ですが、2つあったのです。小生の浅薄な知識のせいか、奈良や飛鳥の地にそれが在るわけでは無いのですが、吉野川上流地の美馬市と近くの吉野宮があったという三好市にあったのです。

 そのことに小生は気が付かずに三好市の伊邪那美神社を訪ねた。 穴吹では列車の時刻待ちで2時間ほど滞在したのに美馬市のそれには行くことが出来ませんでした。 後で調べてみると、美馬市のものが歴史的にイザナギとイザナミの居住地に近いことから、重要なもののようです。史書にあるオノコロ島は今の舞中島のことで、そこは今は埋められて中洲の島ではないけれど、この島に伊邪那美神社は在ったと云います。

  ちなみに、イザナミは古代ヘブライ語で(イシュアナミ・守りたまえナミの家系を、ナミはダビデの祖母)の意味だと云う。また、イザナギは(イシュアナギ・守りたまえダビデの王統を)の意です。

 私が訪ねた三好市のそれは、神社は元々吉野川の中鳥島にあり、治水工事のため住人と神社は移転しました。 三好市三野には吉野宮があったというから中鳥島にあった元宮も由緒のある神社でどちらが正統かという分けでもないでしょう。

 グ−グルマップの説明や写真には混同が見られるようなので注意が必要でしょう。



izanami 10.jpg
  三好市の伊邪那美神社は中鳥島より移転 



 

izanami mima 20.jpg
 伊邪那美神社 穴吹町 (参考) 今度訪ねてみよう





   倭大國魂神社・やまとおおくにたま


 三好市の伊邪那美神社の近くの八幡神社に隣接している。大国魂命・大己貴命を主祭神とする。確認していないが大國魂古墳3基が境内にある。。

 全国で唯一倭大國魂を冠する神社である。


 

yamatoookunitama 10.jpg
 拝殿



 
yamatoookunitama 20.jpg
  メノラーに似ている神紋、現在のイスラエルの国章に似ているという




         2023-12-19






posted by 速魚 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月17日

坂東捕虜収容所とドイツ館

 


horyo 10.jpg
  案内板



 JRの坂東駅から徒歩10分位でドイツ村公園・坂東捕虜収容所跡へ行くことができる。 ちなみに、そこへ行く途中にお遍路一番札所の霊山寺へ立ち寄ることができます。

 ここで以前に 「松江豊寿  坂東俘虜収容所」 採りあげている。 そこが、今回の2023年秋巡航において是非とも徳島で見たい場所のひとつであった。 念願が叶ったと云えよう。 実際にここへ来てみると、意外にその施設跡はこじんまりとしたものであった。 1000人のドイツ兵捕虜が暮らしていたとなると、尚更らであろう。 これまでの世界史上で、ここ以外に未だに実現していない捕虜の人道的処遇の跡地である。 ドイツ人俘虜はこの地域の人々と様々に交流し、その結果、日本においての年末恒例行事となったベートーベン第9交響曲の初演の地となったのも当然のことである。

   



horyo 20.jpg
 兵舎第5棟跡





horyo 25.jpg
 俘虜慰霊塔



horyo 30.jpg
  古写真によると、敷地内の小さな湖であるが、ヨットを作って捕虜が楽しめたのかと思われる。



 

   ドイツ館



  付近にある鳴門ドイツ館ではこの収容所の展示がされていて、宿舎の模型などもあり当時の生活を詳しく知ることが出来る。



horyo 50.jpg
  ドイツ館



horyo 55.jpg
  展示 第9の演奏



      松江豊寿  坂東俘虜収容所



    2023-12-17

posted by 速魚 at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月15日

小鳴門通峡

 
konaruto 10.jpg
 小鳴門海峡図


 鳴門海峡を通航する機会は今までに4−5回あり慣れてきたつもりである。 しかし、小鳴門は通ったことが無いので一度通ってみたいと思っていた。

 小豆島の坂手より小鳴門に向かう。 その入り口へは小鳴門新橋が遠くから良く見えて良い目標になる。 そこへは、入り口付近の定置網やトロールタイプの引き網の漁船の進路を避けながらの航海になる。 通峡時間は流速の大きくならない連れの時間を選べ場良い。 その時間は本当の鳴門海峡の通航時間と同じものになるであろう。

 今回の通航は川を航行するのと変わらなかった。 シングルハンドでは周囲を見張りながらのハンドでの舵取りで、オートを使うことも無かったので余裕が少なく楽しめ無かった。 狭い川であるのに余り通航を意識していない位置に網が設置してあり、それらの障害物が散見されるので、あまり気が抜けない。 地元の漁船は南北の片方へ行くのみなのであろう、通して全て通り抜ける発想がないので、このような抜けがたい状況になったのであろう。 

 小鳴門の最大の難関は下図の鳴門競艇場付近であろう。 小生はここを想定してこなかったので土壇場で悩んだ。それは小鳴門橋(23m)と撫養橋(23m)の下を抜ける時に、競艇場の近くを通るのか、それとも大毛島(淡路島方面)に向かうのかの直前での選択を迫られた。 狭く見える競艇上に接近して通航することにした(下図赤線の航路)。 正解であった。 後で詳しい人に聞くと反対側は浅いところがあり年に何艇かが乗り上げるのだそうです。 どうしてこの位置に競艇場を作ったのかとクレームしたくなる位置、小鳴門に1/3程突出して造られた位置にそれはある。 案外に近寄っても水深はあるのだが。

 また、後で聞いたのだが、小鳴門にはホンダワラが群生する場所があり注意を要するとのことである。 小生は今までに、春の時期にさんざんこの海草がペラに絡まり難儀をした。 秋の時期にはそれを目にすることも無く安心して航・好走していた。 撫養で1泊し翌朝に徳島へ向かう途中でホンダワラが詰まりオーバーヒートを起こしエンジントラブルになった。 これも通峡の注意事項の一つであろう。



konaruto 20.jpg
 故鳴門南入り口付近




konaruto 50.jpg
 鳴門競艇場付近の航法



     2023-12-15
posted by 速魚 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月14日

24瞳 映画村



24hitomi 30.jpg
  24の瞳 銅像



 小豆島へはコロナ前に航ったことがある。 その時は行くことが出来なかった24の瞳施設に、今回はヨットで坂手に停泊したので訪れることが出来た。

 映画24の瞳と云えば小学生の時にでも見たのであろうか。 それは映画村の映画館の中で上映されていた。 主演の高峰秀子さんは今でも通用する女優さんである。 現在の子供たちは、当時の子供と比べると随分とイケメンイケ女になったものである。 確かに小生も鼻たれで袖が光っていた子供もであった。

 戦後になって、戦中の時代を島の子供たちと先生から描いた作品であるように思う。 戦後っ子の小生には戦前のことは知る由もないのであるが、子供の時に感じた戦前が描れていた。

 

24hitomi 10.jpg
 撮影で使われた分教場



24hitomi 20.jpg
 映画村にある 懐かしい映画館


 作家の坪井栄は坂手の町に生まれた。 役所の支所の方に生家を尋ねた。 漁村はどこも家が立て込んでいるので探すのは難しい。

24hitomi 50.jpg
   原作者の坪井栄の生家跡


     2023-12-14


posted by 速魚 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月13日

阿波神社、天皇神社、天河別古墳、萩原2号古墳

     阿波神社、天皇神社、天河別古墳、萩原2号古墳

  
awazinzya 10.jpg
  JR池谷駅周辺 遺跡・神社・寺の地図


 行程は JR徳島駅ーJR池谷駅ー徒歩ー阿波神社―徒歩ー天皇神社―徒歩ーJR立道駅ーJR池谷駅―徒歩ー天河別古墳―徒歩―萩原2号古墳―

 徒歩ーJR池谷駅ーJR徳島駅 になります。 池谷駅は高徳線と鳴門線の分岐駅で特急の停車駅ですが時間に1本程度の鳴門線が運行しています。

 坂東方面には本数が少ないが鳴門―板野市のバス便もある。




  阿波神社

 御祭神は第83代土御門天皇。82代後鳥羽天皇の第一皇子

awazinzya 20.jpg
  拝殿




awa zinnzyz 30.jpg
  神門



  土御門天皇火葬塚



 承久の乱後(1221年)土御門天皇は土佐から阿波に流された。ここで1231年に崩御した。



awa zinzya 22.jpg
  宮内庁管理  土御門天皇火葬塚







  天皇神社、・允恭天皇神社


  社殿は取り払われ鳥居が残るのみ。古墳と思われる山頂にあります。 雑草が茂っていて地元で丁重に扱われている感が見えない。

 近くの阿波神社・土御門天皇と混同されているのかもしれない。 允恭天皇は仁徳天皇の子供です。 少し近くに仁徳橋の名称で地名が存在するのでこの地の古墳と神社は歴史で云われていることと違いがあるのでしょう。



awa ingyou 20.jpg
  鳥居  

      允恭天皇(いんぎょうてんのう、          https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%81%E6%81%AD%E5%A4%A9%E7%9A%87






awa ingyou 10.jpg
 天皇神社と忠魂碑



awa ingyou 30.jpg
  天皇神社と護穀神社の額









  天河別神社と古墳群
 

awa amakawabetu 60.jpg
 案内板  1−6号墳があるようです。



 阿波忌部氏に関わるという。 ご祭神の天河別命に関しては天石門別命と同神とする説が有力。また、「古語拾遺」には忌部氏の太祖、天太玉命の御子神と記されています。


awa amakawabete 10.jpg
 天川別神社、  裏に古墳群がある  


  天河別古墳群 1号―3号


 これらの古墳群は神武天皇の兄、稲飯命(いない)と三毛入野命の蔡場です。


awa amakawabtu 30.jpg
  1号墳

 標高約20mの尾根上に立地。直径約25mの2段築成の円墳で、埴輪は確認されていない。墳頂部に構築された結晶片岩類の板石積みによる竪穴式石室から珠文鏡や鉄剣、鉄斧、刀子などが出土した。3世紀末頃の築造。


 


awa amakawabetu 40.jpg
   2号墳

 直径約26mの円墳で、葺石を備える。墳頂部で竪穴式石室の天井石と思しき石材が確認されている。出土した土師器片から4世紀前半の築造と推定されている。



awa amakawabetu 50.jpg
 3号墳

 全長約41mの前方後円墳。後円部径約24m・前方部復元長17m、2段築成で葺石を備える。埴輪は確認されていない。埋葬施設は不明。出土した土師器片から4世紀中頃の築造と推定されている。



  4号墳  (個人的に未確認) 参考情報

 直径20〜25mの円墳もしくは長さ15〜20mの前方部が付く前方後円墳とされている。埋葬施設の上部は失われていたが、礫敷きの床面が確認されている。出土品は銅鏡片や鉄槍、鉄鏃など。3世紀後半の築造。





  萩原2号古墳


 ここは前方後円墳の成立に阿波地域が大きな影響を与えたことを示す貴重な古墳となる。阿波や讃岐の墳丘墓が奈良盆地東南部での前方後円墳の発生に大きな影響を与えたと云われる。欠史の卑弥呼の時代の墳墓でもある。阿波より奈良へ移った証拠のひとつとも考えられる。

 萩原墳墓群は4基があるというが。この2号墳の南側に1号墳があるのですが、民家に隣接していて1号墳はハッキリとは見られなかった。

   

awa hagiwara 10.jpg
  案内板




awa hagiwara 30.jpg
  測量図より前方後円墳の初期というのがうかがえる





awa hagiwara 20.jpg
  円丘部の石積み



    2023-12-13

posted by 速魚 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月10日

 #4大日寺、#5地蔵寺,#6安楽寺,#7十楽寺,#8熊谷寺,#9法輪寺,#10切幡寺


 JR坂東駅で下車して#1霊山寺から#3金泉寺まではお遍路道を歩く。この後も車の行きかう道路以外に昔のお遍路道が丁寧な案内板を見ながら進むように整備されている。獣に出会うような狭い山道や田んぼのあぜ道もあるけれど。 また、徒歩だと地元の人から「お接待です」といわれいろいろなお気持ちをいただける機会がある。

 #3金泉寺へタクシーを呼び#10切幡寺までは車で参詣した。 老体ではそれ以上は歩けなかった。



 #4大日寺、黒巌山・遍照院         注)#13大日寺 大栗山・華蔵院

04 dainiti.jpg
  大日寺 入口

 本尊の大日如来は空海が彫造したというが、15世紀に再建された。

 

04-2 dainiti.jpg
 本堂





  #5地蔵寺


05  zizou.jpg


 本尊が勝軍菩薩像ゆえか義経や蜂須賀家から大事にされていた。



05 -2 zizou.jpg
  本堂工事中





 #6安楽寺,   



06 anraku.jpg



 天然温泉を備えた宿坊がある。(未確認) 



06-2 anraku.jpg
 多宝塔 







  #7十楽寺



07 zyuuraku.jpg
 

 苦しみを除き10のたのしみを得られるように名をつけられた。



07-2 zyuuraku.jpg
  本堂





  #8熊谷寺(くまたにじ)



 近くの谷で空海が修業していたところ、熊野権現が現れ、金色の観音像を授けられて、自ら刻んだ千手観音菩薩にそれを収めて本尊とした。昭和になって本堂とともにそれは焼けた。


08 kuatani.jpg
 多宝塔  四国最古にして最大



08-2 kumatani.jpg
 大師堂





  #9法輪寺



09 hourin.jpg
  山門

 ここも長曾我部により焼失したという。 空海は仏の使いとされる白蛇を見つけた。釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基した


09-2 hourinn.jpg

 





  #10切幡寺


10 kirihata.jpg
 本堂

  空海が、着物がほころびた僧衣を繕うため機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切りさいて差し出した。父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことであった。そこで、その場で千手観世音菩薩像を刻んで娘に灌頂を授けたところ、娘はたちまち七色の光を放ち即身成仏して千手観音の姿になったという。

 

10-02 kirihata.jpg
 大師堂





     2023-12-10

posted by 速魚 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月06日

徳島・阿波  神社めぐり

    


awa zinnzya 10.jpg
 阿波神社地図



  2023年秋巡航88か所のお遍路さんを開始する。ヨットで徳島へ行き、女医の香川さんの本に導かれて、日本のルーツを探るべき、阿波の神社を訪ねました。

 阿波には式内社という古くからの神社が50余りもあるといいます。 古事記も日本書記、旧約聖書も読んだことが無いニワカ知識の老生ですが、これから勉強しながら、現地を紹介していきます。

 現段階ではウンチクを語ることもできないので、道案内程度になるでしょう。 失われたアークの剣山は来年のお楽しみに残しました。 現地交通もJRやバスが利用できれば良いのですが、レンタカーやタクシーになるケースが多い。関東の方なら、フェリーにオートバイを徳山まで載せる手も有りです。安く便利な方法かと思われる。





   徳島県神社庁

   八百万の神

   神社記憶

【徳島・阿波】阿波説観光ルート・吉野川編 (古事記・聖地






                    下線青字は神社詳細へクリック(順次作成)

徳島の神社・寺・古墳  所在 由緒
八倉比売 、気延山 徳島市国府町西矢野 伊勢神宮元宮、卑弥呼の祠、天照大命・卑弥呼、卑弥呼墓
熊野大明神
阿波市土成町 熊野庄 熊野大社元宮
樫原 阿波市土成町 橿原神宮元宮、 神武天皇の唯一の式内社
稲荷 阿波市市場町稲荷 伏見稲荷元宮
倭大國魂 美馬市美馬町 大国魂命・大己貴命  大和・奈良神社元宮、 メノラー
鴨 三好郡東みよし町加茂 下鴨神社、上加茂神社の元宮、  炭田古墳が本宮
神明・ 白人 美馬市 穴吹町 古代ユダヤの祭祀場と同じ
栗枝渡八幡 三好市東祖谷下瀬 キリスト、安徳天皇、 剣山の前に参詣
諏訪・多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社 名西郡石井町浦庄字諏訪 諏訪大社・長野 元宮
大御和 国府町府中 阿波国総社  2つの鍵の神紋
住吉大明神 徳島市 川内町平石字神蔵 神功皇后、住吉大社・大阪元宮
船盡神社・歯ノ辻神社 神山町阿野歯の辻
船盡比賣神社 神山町 神代文字
白鳥 名西群石井町 ヤマトタケル
伊邪那美 美馬市中鳥 徳島にしか無い
伊邪那美原社跡 美馬市中鳥・オノコロ島
八面 竹ケ谷 竹の灯籠
湯谷 那賀郡那賀町阿井湯谷 手水鉢
天若日子命神領古墳 経塚古墳 徳島市渋野町入野 動物園近く、
佐野 徳島市渋野町佐野 神武天皇陣営
宅宮 徳島市 上八万町
阿波 鳴門市大麻町池谷 土御門天皇火葬塚
葦稲葉 板野郡 上板町 葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀
川島
宅宮 上八万町 意富門麻比売神社(おおとまひめ)、盆踊りの発祥の地・出雲踊り
新宮神社 美馬市穴吹町口山智野 木花咲夜比賣
松尾 名西郡神山町阿野福原525 松尾神社・京都元宮
熔造皇 徳島市八万町海の宮40 八坂神社、  スサノヲ命
剣山 三好市東祖谷見ノ越
川島城・東道神社 吉野川市川島町川島城山  倭建命 東方遠征の祈願
法谷寺 徳島市南庄町2-3-2 法隆寺元社,タタリ谷常厳寺
八人塚古墳 徳島市名東町眉山ゴルフ内 スサノヲの墓?
蔵元八坂神社 徳島市蔵元町 病院前 熔造皇神社の分祭
鴨神社
藤原京跡 吉野川市鴨島町上下島 持統天皇  位置不明
五王 佐那河内村寺谷? 、徳島県徳島市八多町
天河別神社 古墳群 徳島県鳴門市大麻町池谷 神武天皇の兄
応神町 徳島市応神産業団地 応神天皇のふるさと
仁徳橋 徳島市応神町西貞方
仁徳天皇のふるさと
允恭天皇神社 鳴門市大津町大代 允恭天皇
吉野宮 美馬郡三野町 倭大國魂神社、 伊射奈美神社  

建布都神社 阿波市市場町字郷社 川入城
事代主神社 阿波市市場町伊月宮ノ本 伊月城、 えびすさん
粟島 阿波市市場町八幡 えびすさんの妻あわしま、八幡宮となり
手力男命古陵 佐那県府能大小小屋山?
若杉山辰砂採掘遺跡 阿南市水井町 水銀
津乃峰神社 徳島県阿南市津乃峰町東分 賀志波比賣
高根山悲願寺 名西郡神山町 阿波邪馬壹国説の中心地で卑弥呼の居城した所
葦稲葉神社 板野郡上板町神宅字宮の北 葦稲葉神(倉稲魂命)を主祭神に鹿江比売命(草野姫命)を合祀する
萩原古墳 鳴門市萩原 最古の古墳群
矢野遺跡 徳島市国府町矢野 考古資料館が近い、西日本最大級の縄文遺跡、 八倉比売神社近く
坂東捕虜収容所 鳴門市大麻町板東字桧尾山谷6番1他
生夷 勝浦郡勝浦張沼江田中 事代主神社、 えびすさんが生まれた
勝占 徳島市勝占町中山 事代主命、須勢理姫命、少名彦命、玉櫛姫命、大山祇命
八鉾 阿南市長生町宮内 大国主命(八千矛神・ヤチホコ) 生誕地、出雲大社元宮、
御縣・豊国 小松島市中郷町字豊の本 式内社。別称は宮方神社。祭神は大己貴命または事代主命
天村雲 吉野川市山川町村雲 大神主、伊勢神宮外宮、天村雲命、近く山崎忌部神社
三木家 美馬市木屋平貢 阿波忌部氏当主、即位の儀、大嘗祭に献上される麁服(あらたえ)の栽培地
高越山 イザナミの墓所
賀志波比売 阿南市見能林町栢野 天照大御神生誕地、賀志波比売は幼少期の名




和歌山の神社

丹生都比売神社 伊都郡かつらぎ町上上野 丹生都比売神を祀る神社の総本社






                            2023-12-6


posted by 速魚 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月04日

ヨットで航くお遍路  同航2人



   ヨットで航くお遍路88ヶ所のHP    
   http://hayame.net/custom43.html#spb-bookmark-45



 ヨットで訪ねるお遍路を計画してみました。 徳島で#1から#20まで行き、香川に戻って#88から#71までは今年に達成です。最初と最後は押さえました。

 来春には逆回りで四国を一周して徳島へ行くつもりです。来年は何年かにひとつの逆回りにふさわしい年にあたるそうです。 その際には空海さんに会えるのチャンスがあると聞く。 しかしヨットの海上まで空海さんはは来てもらえないでしょう。



   #1霊山寺、#2極楽寺、#3金泉寺

 ケンチョピアからバスに乗り徳島駅に着く。JR高徳線・鳴門線に乗って池谷駅で下車。そこから徒歩で#1霊山寺#2極楽寺#3金泉寺を訪ねた。

 同行の外国人が多いのに驚く。彼らと信仰の無い・薄いのは爺とて同じであるが、それにしても3−4割ほどが外人でないかと思われる。 徒歩の人は少なく日本人は車の人が多い。外人は観光バスでもなく徒歩であった。 


 お寺の配置は本堂、太子堂、多〈2−5〉重搭が基本的な造りになっている。納経所がありそこで300円で御朱印がもらえる。 宿坊を持つお寺もあるようだ。

 

 #1霊山寺

 ここは発願の寺になる。四国のお寺によくあるケースであるが天正年間に長曾我部の四国制圧の戦乱で多宝塔を残し焼けた。



01ryouzan.jpg
 霊山寺入り口



01-2 ryozanzi.jpg
  多宝塔





 #2極楽寺

 安産にご利益があるという。

02 gokuraku.jpg
  極楽寺山門



02-1 gokuraku.jpg
 本堂への石段





   #3金泉寺・こんせんじ



 空海がここを訪れた時に井戸を掘り霊水が出て水不足を解消したので寺号を金泉寺にした。

 

03 konnsenzi.jpg
 本堂



03-1 konsenzi.jpg
 多宝塔



   2023-12-4


posted by 速魚 at 05:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年12月02日

2023年 秋巡航

     2023年 秋巡航  

              徳島の遍路寺と神社

 

23-12.jpg
  2023年 秋巡航 航程図



 初めは小豆島、小鳴門、徳島、和歌山、淡路島、明石海峡経由で巡航するつもりであった。小鳴門を通峡して撫養に停泊する。徳山へ出端に機関オーバーヒートで停止、2ノットの帆走で徳島は向かった。ホンダワラの吸い込みが原因であったが気力が失せ、和歌山を断念して、今度は鳴門海峡を航行して帰ることにした。

 徳島では19か所の遍路寺と天照とえびすさんの誕生地など天皇家のル−ツとされる30余の神社に行くことが出来た。お遍路さんはその後に香川県で17か所を訪ねトータル36か所で徳を積んだ。 昨年の五島の教会といい、カソリック・仏教・神道と多くを訪ねたので、巡航中に入院しても最後には救っていただいている。 アリガタヤ。



      青字はお遍路寺                       下線クリックして詳細へ (適宜挿入)



 10/13 倉敷・児島到着

 10/15(日) ドージャー補修製作開始

 10/16 下津井の名曲喫茶へ行く

 10/18 オイル交換、燃料とオイルヂトレーナー交換

 10/20 ドージャー製作終了、 宇野へ練習帆船・海王丸を見に行く

 10/22(日) 縄梯子の塗装

 10/24 ドメステイッグ・予備リチウム電池へ2000wインバーター取付

 10/25−27  UW1に上架、 船艇塗料、ペラクリン塗装

 10/28 着岸も失敗して船首ポールをぶつけて船首キャビン水漏れ発生

 10/29(日) 燃料漏れ点検修理

 10/30  ヨット仲間・片岡さん帰京

 10/31 ヤンマー部品到着、燃料ポンプ交換

 11/1 秋巡航開始  児島―小豆島・坂手

 11/2 24の瞳館・映画村へ

 11/3 坂手ー撫養・鳴門

 11/4 ホンダワラの吸い込みにより機関冷却不足、 撫養―徳島・ケンチョピア

 11/5(日) ケンチョピア泊、 阿波神社、天皇神社、天河別古墳、萩原2号古墳

 11/6ー11/13 ケンチョピア泊、  銭湯、コインランドリー

 11/7 ケンチョピア泊、 坂東捕虜収容所、徳島城、#1霊山寺、#2極楽寺、#3金和泉寺、#4 大日寺、#5 地蔵寺、#6 安楽寺、#7 十楽寺     #8 熊谷寺、 #9 法輪寺、#10切幡寺

 11/8 事代神社、樫原神社、鴨神社、建夫津神社、大楠神社、熊野神社、伊邪那美神社、倭大國魂神社

 11/9 新宮神社、白人神社、神明神社、三井家、東宮御所神社

 11/10 忌部神社、徳山忌部神社、山崎忌部神社、御所忌部神社、加茂神社、東道神社、#11藤井寺 (#12焼山寺を除く)

 11/11 #13大日寺、#14常楽寺、#15国文寺、#16観音寺、#17井戸寺、 大御和神社、歯の辻神社、船盡神社、矢野古墳、蔵本八坂神社、

     八倉比売神社

 11/12 (日)法谷寺、常厳寺、熔造皇(ようぞうのすらめ)神社, 八人塚古墳、経塚大権現、佐野神社、宅宮神社、勝占神社、五王神社、

 11/13 豊国神社、#18恩山寺、#19立江寺、#20鶴林寺、八鉾神社、賀志波比売神社、津ヶ峰神社

 11/14 徳山―鳴門海峡―引田

 11/15 引田泊  馬宿・聖徳太子生誕地

 11/16 引田泊、 JRで徳島板野行き、天村雲神社、 芦稲葉神社、稲荷神社

 11/17 引田泊 JRで徳島勝瑞駅行き、住吉神社、応神町、仁徳橋、藍の館

 11/18 引田泊 JRで志度駅行き、#86志度寺 #87長尾寺 #88大窪寺

 11/19(日) 引田泊、JRで屋島駅行き、 #85八栗寺、 #84屋島寺 

 11/20 連れ合い引田着 温泉

 11/21 引田―高松

 11/22 高松市立ヨット競技場泊、JRで八十場と国分行き、#79天皇寺、#80白峰寺、 #81國分寺、 #82根香寺。#83一宮寺

 11/23(祭) 高松―宇野、 たまの湯

 11/24 宇野伯 直島へフェリーで行く、たまの湯

 11/25 連れ合い帰る。 宇野ー母港児島着

 11/26 メインキャビン後片付け

 11/27 後片付け、 フェンダー修理

 11/28 下津井船具屋行き、 船外アース金物変更製作

 11/29  フォクスル漏水修理

 11/30  JR宇多津、多度津、金蔵寺、善通寺駅へ、 #78郷照寺、#77道隆寺,#76金蔵寺、#75善通寺,#74甲山寺、#73出釈迦寺、

      #72曼荼羅寺、#71弥谷寺

 12/1  秋巡航終了、埼玉自宅へ帰る



        2023-12-2



 
posted by 速魚 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年10月08日

消費税とインボイス



invoice 10.png
 
 防衛費の倍増を決めたときに,その財源が無いのでどうするかの議論がありました。口を濁してはっきりと増税とは言わなかったように聞こえた。 不足する毎年1兆円余りを税金と呼ばない社会保険料の増額などで何とかするということではなかったのか?

 増税項目のアドバルーンが続々と報道されています。 退職金、交通費、給与所得控除など増税に続がる改悪化、それゆえに庶民は先行きを懸念している。 一部の人は首相を「増税めがね」とか「財務省のポチ」と呼ぶようになった。


 小生は遅まきながら、消費税の目的や構造を知ることになる。 長い期間を財務省からダマされてきたことになる。直間比率の税金の変更ではなかった。

 財務省の目的が、経費のコントロールにより法人税を払わない赤字企業へ課税するために消費税を創設した。 それゆえに、消費税の支払当時者は消費者ではなく企業である。 課税売上より仕入れを差し引いて、残りの10%を消費税として企業が払うという第2法人税である。 おまけに輸出企業はその分を差し引きできるので、より消費税は少額になる。 もし、マイナスになれば還付される。 輸出企業への還付金は6000億円になるという。 この輸出振興補助金になる制度を止めればその分を減税にあてることができる。 今の150円にもなる円安状況で消費税を還付される大企業はウハウハです。 また、大企業はそもそも消費税を払うのが少ないのだそうです、おまけに正社員でなく契約派遣社員を雇うとそれは経費になりさらに消費税が少なくて良いと云います。  最近の経団連のトップが消費税の値上げを言い出す理由が分かったような気がする。

 消費税を聖域にしないで状況により下げることを考える議論を歓迎します。減税を選挙対策で云うのなら、是非とも消費税を下げるようにしてほしいものだ。





  インボイス


  10月からインボイス制度が始まった。 これは消費税のステルス増税策で、現在の非課税業者を課税業者にさせる状況を作り、増税を計るものである。現在非課税業者の平均売り上げは600万だそうです。その経費が480万だとすると、残り120万円の生活費の中から10%12万円を税金としてさらに負担させるというインボイス制度である。 これは生活保護でも受けないと生きていけないレベルになる。 実際はそれでは生活できないので、もっと経費の少ない零細業種の方もいることでしょう。 インボイス制度は貧者への大増税の制度であることには間違いがない。
 
 しかし、先日見た西田昌司さんのYouTubeで、現在は3年間の猶予で消費税の申告には、その詳細を問わないという税務署当局との申し合わせがあるそうです。 従い、その期間は課税業者への登録はしなくてもよいそうです。

 

 登録ナンバーのない請求書・領収書でも大目にみてもらえるそうです。こんな大事なことを早くチャント知らせて欲しい。意図的に知らせていない陰謀かと疑う。 すでに廃業倒産した業者も出ています。廃業してしまった業者はどうするのでしょうか。

   https://www.youtube.com/watch?v=NnN3idMtWD8 16分   西田昌司がズバッと答える


  インボイスのテレビ報道も大事なことは報じなくて財務省の意に沿った情報がなされており、注意して充分吟味する必要があります。



               2023-10-8


posted by 速魚 at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年10月07日

「不都合な真実」奇跡の薬か。知られたくないイベルメクチンのすべて




イベルメクチンが キター
  小生の過去ブログ  2021-9-17




小生はインドからの輸入のこの薬を所持しています。 昨年に友人がコロナ入院中に亡くなりました。入院していることも知らなかったので、彼に手持ちのイベルメクチンを渡すことも無く、大切な友人をなくしてしまい、残念な気持ちを持っています。 政府はいまだにこの薬を検証することもなく黙止しています。

 北里大学へコロナ中に整形外科で入院することがあり、外科の先生にこの薬のことを探りを入れてみましたが、院内で共有されている情報もないようでした。 ネットではこの薬のことを聞いていましたので小生は購入して備えていました。 世間では陰謀論一つとしてこの薬を捉えいたようだ。 しかし、コロナやワクチンのことを述べると明らかな言論統制がみられる世の中だ。

 今では、ワクチンのこともいろいろ云われるようになり、最後の無料ワクチンを小生は打たないと決めました。すでに打ってしまって体内に残っている抗体は悪さをしていて、これを除去するのにこの薬が有効だという治験すら目にしている。

 どんな高貴薬でも一定の害があるのも事実である。 本人が幅広く意見を聞いて薬の自己判断・決定をするべきであろう。ご注意のこと。

 

           奇跡の薬?知られたくないイベルメクチンのすべて

                 10月4日  Total News World より転載
  
wakutin 10.jpg



 イベルメクチンはCOVID-19を効果的に治療するだけでなく、他のいくつかの病気も治療する。

 1970年代後半にメルク社によって開発されたイベルメクチンは、動物の回虫に対する動物用医薬品として最初に使用された。ヒトにおいては、オンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症などの寄生虫によって引き起こされる疾患の治療に主に使用されてきた。これらの病気に対する有効性から、世界保健機関(WHO)はイベルメクチンを必須医薬品リストに挙げている。

 イベルメクチンの開発は、医学分野での飛躍的な進歩であっただけでなく、ウィリアム・C・キャンベル博士と大村智教授という2人の傑出した科学者の忍耐と革新の証でもあった。


 ワクチンに続き、またも陰謀論者は『正しかった』/ペルーでイベルメクチンの使用により超過死亡が74パーセント減少:査読済みの研究により明らかにペルーでは最も集中的なイベルメクチンの使用により超過死亡が74パーセント減少した:新たな研究 査読済みの新しい生態学的研究によると、ペルー政府が新型コロナウイルス感染症のパンデミック中にイベルメクチンが最も集中的に使用された10州で超過死亡が74パーセント減少したことが判明した。研究者らはペルーの25州にわたるデータを分析したところ、超過死亡のこうした減少が2020年の4か月間におけるイベルメクチンの使用と密接に相関していることを発見した。

 イベルメクチンが制限なく利用可能になったとき、全国的な超過死亡は 14 分の 1 に減少した。イベルメクチンへのアクセスが政府によって制限されると、その使用制限後の 2 か月間で超過死亡の 13 倍の増加が観察されました。この調査結果は、 ペルーにおける同期間の世界保健機関の概要データと一致しています。

イベルメクチンは、寄生虫症に対する安価な治療法として広く知られている。科学者らは、この薬は SARS-CoV-2ウイルスのスパイクタンパク質にも結合し、罹患率と感染力を制限できると考えている

 新たな研究査読済みの新しい生態学的研究によると、ペルー政府が新型コロナウイルス感染症のパンデミック中にイベルメクチンの使用を認可した際に自然実験が行われ、その結果、薬剤の有効性と超過死亡を減らす能力の証拠が得られたという。


大村智: 日本の著名な微生物学者であり生物有機化学者である大村教授は、主に土壌から自然界に存在する微生物を分離することに重点を置いて研究を行った。これらの微生物の潜在的な治療への応用を信じる彼は、ストレプトマイセス・アベルミティリス*と呼ばれるユニークな菌株を同定し培養した。この菌株がイベルメクチン創製の基礎となった。

最近では、イベルメクチンは寄生虫疾患以外の議論にも加わっている。一部の実験室研究では、イベルメクチンが抗ウイルス作用を持つ可能性が示唆されている。このため、COVID-19の原因であるSARS-CoV-2ウイルスを含むウイルスに対する使用の可能性に関心が寄せられている。

 まだ初期段階ではあるが、がん治療におけるイベルメクチンの潜在的な応用に対する関心が芽生えている。特定の細胞プロセスを調節するその能力は、悪性細胞を標的とする手段を提供する可能性があり、腫瘍学の広範な分野に希望の兆しをもたらす。

 

 http://totalnewsjp.com/2023/10/06/covid19-997/

  http://totalnewsjp.com/2023/08/20/covid19-943/





      2023-10-7


posted by 速魚 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2023年10月06日

アヴェマリアのヴァイオリン  香川宣子

  

ave maria 10.jpg
                


 まもなく2023年秋クル−ズに出発します。 今回は徳島・和歌山を予定しています。 特に徳島では見てくるものが多くありそうです。 そのひとつの坂東捕虜収容所を調べています。

 香川さんの「アヴェマリアのヴァイオリン」を読みました。 映画「バルトの楽園」でこの収容所を描く作品は見ている。 日本でベートーベンの第9を初めて演奏した地であるとか。

 世界の捕虜収容所のなかで人道的な待遇をしたところはありません。これからもあるかどうかは見込めませんね。 第1次大戦までの日本軍は(先の大戦の極めて初期にも例がある)国際法を守ることには人一倍考慮をしていた。

 本作では坂東収容所とその対極のアウシュビッツ収容所をヴァイオリンで繋いで描く良い作品になっています。 今度のウクライナの戦争においても、子供、老人に対して殺戮が行われました。 いつになったら解決できるのでしょうか?

 年に何回かはアベ・マリアの曲を聞きたくなることがあります。落ち着くことができる曲ですね。


  高松あい     https://www.youtube.com/watch?v=yToqJM87Jxw  5分

  加羽沢美濃 Ave Maria Caccini  https://www.youtube.com/watch?v=3DtCp0Mwe_s  4分  いいね


   YouTube  アヴェマリアのヴァイオリン

  はやめのアヴェマリア


       2023-10-6

posted by 速魚 at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記