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    <title>船中発策</title>
    <link>http://hayame.sblo.jp/</link>
    <description>ヨット&quot;速魚”で仲間と飲みながらの談義http://www.hayame2.sakura.ne.jp/index.html</description>
    <language>ja</language>
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    <itunes:summary>ヨット&quot;速魚”で仲間と飲みながらの談義  http://www.hayame2.sakura.ne.jp/index.html</itunes:summary>
    <itunes:keywords>財政再建・公務員改革・ヨット改革・古楽・安全保障・ルネッサンス・ノブレスオブリージュ・商船・バッハ・財政破たん</itunes:keywords>
    
    <itunes:author>速魚</itunes:author>
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      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191765226.html</link>
      <title>秀吉の大返し</title>
      <pubDate>Sat, 08 Aug 2026 03:39:31 +0900</pubDate>
      <description>　　中国大返し、　7日間で200㎞を走破 　大河の豊臣兄弟にて「本能寺の変」「山崎の戦い」が放映されました。　最近の研究では秀吉が「山崎の戦い」に遅れたとか柴田勝家が本拠の北の庄城へすばやく帰っていたとか従来の見解が変更になったと云われています。　信長の本能寺への到着が毛利との参戦途上中であったがゆえに、秀吉が京都より前線の備中高松城までの街道上に接待御座所を用意していた。　その兵糧などの貯えが秀吉大返しの補給を支えたのでないかと云われている。　大返しは光秀が驚くほどの進軍速..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br />　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/oogaesi2010.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="oogaesi 10.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/oogaesi2010-thumbnail2.jpg" width="320" height="124"></a><br />　中国大返し、　7日間で200㎞を走破<br /><br /> <br /><br />　大河の豊臣兄弟にて「本能寺の変」「山崎の戦い」が放映されました。　最近の研究では秀吉が「山崎の戦い」に遅れたとか柴田勝家が本拠の<strong><ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/190843203.html?1785380834" target="_blank">北の庄城</a></ins></strong>へすばやく帰っていたとか従来の見解が変更になったと云われています。<br /><br />　信長の本能寺への到着が毛利との参戦途上中であったがゆえに、秀吉が京都より前線の備中高松城までの街道上に接待御座所を用意していた。　その兵糧などの貯えが秀吉大返しの補給を支えたのでないかと云われている。　大返しは光秀が驚くほどの進軍速度であった。光秀は準備不足のまま、」山崎の戦い」に臨み三日天下と云われる敗北を受けることになった。<br /><br /> <br /><br />　6/6　備中高松城発<br /><br />　6/7　<strong><ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/188179925.html?1785372393" target="_blank">沼城</a></ins></strong>発<br /><br />　6/9　姫路城発<br /><br />　6/10　明石発<br /><br />　6/11　兵庫発<br /><br />　6/12　尼崎発<br /><br />　6/13　山崎の戦<br /><br /><br />　　　<strong><ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/186913415.html?1785372327" target="_blank">秀吉の備中高松城攻め布陣</a></ins></strong><br /><br />　　　<strong><ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/186861613.html?1785372242" target="_blank">備中高松城</a></ins></strong>　<br /><br />　　<br /><br />　　　　　　2026-8-8<br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
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      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191762948.html</link>
      <title>50代はヨット天国</title>
      <pubDate>Wed, 05 Aug 2026 10:31:34 +0900</pubDate>
      <description>　　　　　　　　　　バブルの末期に欲しかったヨットHR42ケッチ、今でも手に入れたいと思ってはいるけれども...... 　7月中旬に岡山の母港へ行く、そこにタダでもらえる良いヨットがあると友人からの知らせがあり駆け付る。　その艇には修理箇所があったので、オ－ナ－が修理工事の見積もりを取り、その結果が予想の10倍もした。　オ－ナ－は艇を廃船すること決めた。　このヨットの件はお流れになり、残念ながら無料で手に入れるということはそんなに簡単なことではなかった。　現在のクル－ザ－ヨッ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　　　　　　　<br /><br />　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/hr42.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hr42.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/hr42-thumbnail2.jpg" width="320" height="116"></a><br />　バブルの末期に欲しかったヨットHR42ケッチ、今でも手に入れたいと思ってはいるけれども......<br /><br /> <br /><br />　7月中旬に岡山の母港へ行く、そこにタダでもらえる良いヨットがあると友人からの知らせがあり駆け付る。　その艇には修理箇所があったので、オ－ナ－が修理工事の見積もりを取り、その結果が予想の10倍もした。　オ－ナ－は艇を廃船すること決めた。　このヨットの件はお流れになり、残念ながら無料で手に入れるということはそんなに簡単なことではなかった。<br /><br />　現在のクル－ザ－ヨットを楽しんでいる世代は70代であろう。　若い時にデインギ-を楽しみ、中年になってクル-ザ－を楽しんだ世代だ。小生は団塊の世代であるけれど。その楽しみに続いた世代は、せいぜい10年下の人々まででしょう。　従い現在は６５歳位の人を最後にして、この「老後の楽しみ」のひとつは途絶えてしまったようだ。<br /><br />　ヨットは圧倒的に欧米が盛んで、日本のヨット人口は少なくヨットでは後進国のひとつだ。　生産面でもヨットを作れる業者はあのヤマハすら撤退して少数の造船所しかない。<br /><br />　西欧でもクル－ザ－を楽しんでいるのは中年以降の世代である。ここで「<strong><span style="color:#0000FF;"><a href="https://hayame.coolblog.jp/custom.html#spb-bookmark-120" target="_blank"><ins>中流階級はもうヨットを買う余裕がない、もう終わりだ!　</ins>」</a></span></strong>を採り上げて、　欧米でも所得の格差が広がりハハイレベルの新艇を買うのは困難になってきています。けれども、ヨットは車と違い20－30年落ちの中古艇でも現役でバリバリ楽しめる。日本ではそれが主流でしょう。<br /><br />　我々が後進を育てていかなかったことがその衰退の原因のひとつであろう。現在50代でそろそろ定年後のことを考えている世代にとってはチャンスがひとつあります。　ゲ－トボ－ルをしたり、孫の世話ばかりが老後の楽しみではありません。　車中泊やキャンピングカ－も注目されていますが、自然に親しみ楽しく旅行できる手段の一つがヨットクル－ザ－の巡航です。宿賃は無用です。<br /><br />　老生はヨットを2隻も所有することが出来ないので、先走って自艇の見込める譲渡先に2人ほど連絡したが、こちらも快諾してくれる人は見つからなかった。　最近はヨットの嫁入りは難しいそうだ。　自分も含めて現在ヨットに乗っているオ－ナ－たちは、ここ数年で引退を余儀なくされる。　従い無料や安価なクル－ザ－が大量にマ－ケットに出てくると思われる。　そうです、それに備えて50代の世代はヨットを始めるべきであろう。　新しい楽しみにチャレンジしよう。　　ヨット体力を必要とするものではありません。一人で学べるものでもあります。　隣のヨットマンに手ほどきを受けてください。　世話焼きヨットマンは多い。勇気をもって近くのヨット乗りに話しかけてください。　<br /><br />　悩みを抱えて生活に忙しい50代の世代には、なかなかこの話が届かないでしょうが、考えようによっては新しい広大な海が貴方を待っているのです。<br /><br /> <br /><br />　　　　　　　　　2026-8-5<br /><br /> <br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
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      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191760669.html</link>
      <title>水毒 　　水戸藩の悲劇</title>
      <pubDate>Sun, 02 Aug 2026 10:20:38 +0900</pubDate>
      <description> 徳川斉昭　1800-1860 　水毒とは体内の水分の代謝障害が起こった状態を指す用語である。水の過剰摂取で起こるものだと云う。　ここでの「すいどく」とは幕末の水戸藩で起こった悲劇的な藩論の対立による殺し合いで2500人程死んだ云う。多くの人材を失ったが故に幕末で活躍できず、明治以降の発展に大きく乗り遅れた。　同じようなことが、尾張藩の青松葉事件　福岡藩の乙丑の獄（いっちゅうのごく)が起こった。　横井小楠は松平春嶽の政治顧問をしていたころに水毒を起すなと福井藩をまとめたが、そ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /> <br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/mito2010.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="mito 10.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/mito2010-thumbnail2.jpg" width="215" height="255"></a><br />徳川斉昭　1800-1860<br /><br /> <br /><br />　水毒とは体内の水分の代謝障害が起こった状態を指す用語である。水の過剰摂取で起こるものだと云う。　ここでの「すいどく」とは幕末の水戸藩で起こった悲劇的な藩論の対立による殺し合いで2500人程死んだ云う。多くの人材を失ったが故に幕末で活躍できず、明治以降の発展に大きく乗り遅れた。<br /><br />　同じようなことが、尾張藩の<span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/182875113.html?1785296508" target="_blank">青松葉事件</a></span>　福岡藩の<span style="color:#0000FF;"><a href="https://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-440" target="_blank">乙丑の獄</a></span>（いっちゅうのごく)が起こった。　<span style="color:#0000FF;"><a href="https://hayame.coolblog.jp/custom13.html#spb-bookmark-615" target="_blank">横井小楠</a></span>は松平春嶽の政治顧問をしていたころに水毒を起すなと福井藩をまとめたが、その小楠は明治の初めに誤解により暗殺された。　<br /><br />　最近でも最近でも安倍さんがそうなるのだから、日本の悪弊はいつまで経っても無くなることが無い。<br /><br /> <br />　　　<strong><span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/163277335.html?1785632379" target="_blank">幕末からの暗殺事件</a></span></strong><br /><br />　　　<span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/167158116.html?1785631947" target="_blank">幕末志士　　悲運の志士たち</a></span><br /><br />　　　<br /><br /> <br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　2026-7-2<br /><br /> <br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
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      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191758186.html</link>
      <title>ホルムズ海峡の掃海</title>
      <pubDate>Thu, 30 Jul 2026 04:48:46 +0900</pubDate>
      <description>　　　　　　　イラン・アメリカ・イスラエル戦争は２か月の停戦合意のあと、再び攻撃が始まり,その第2期に入ったようです。　最近は紅海でイエメンのフ－シ派による商船の攻撃があり、バベルマンデブ海峡の封鎖が起きるのでしょうか？　イランはホルムズ海峡での機雷の散布を発表しています。　わが国では海上自衛隊のそこへの派遣が戦争継続中ゆえに憲法の制約により、それが出来ないとオ－ルドメデイアの報道があります。　下記の小生のブログでも採り上げているように、現憲法のもとでも朝鮮戦争で掃海艇を派遣..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　　<br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/soukai2010.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="soukai 10.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/soukai2010-thumbnail2.jpg" width="320" height="318"></a><br /><br />　<br /><br />　　イラン・アメリカ・イスラエル戦争は２か月の停戦合意のあと、再び攻撃が始まり,その第2期に入ったようです。　最近は紅海でイエメンのフ－シ派による商船の攻撃があり、バベルマンデブ海峡の封鎖が起きるのでしょうか？<br /><br />　イランはホルムズ海峡での機雷の散布を発表しています。　わが国では海上自衛隊のそこへの派遣が戦争継続中ゆえに憲法の制約により、それが出来ないとオ－ルドメデイアの報道があります。　下記の小生のブログでも採り上げているように、現憲法のもとでも朝鮮戦争で掃海艇を派遣して戦った過去の先例があるので、ペルシャに行けないわけではありません。　偏向メデイアが自分の願いにかなうべきそのような報道をしているばかりです。　　政府は掃海艇の派遣を戦況により最も効果的時期に決定していただきたい。　間違った報道や野党の追及に指導者は影響されてはならない。<br /><br />　2つの海峡が封鎖されることになりタンカ－の往来が途絶えて、石油備蓄が減少してきた事態になれば、独自の判断で掃海部隊を派遣することもありうる選択肢を、正しい事実により政府が決断しなければならない。<br /><br />　昭和の時代、小生は若く船乗りであった時に乗った商船の上司に、朝鮮戦争の時の掃海艇の乗組員であった人がおられた。戦時中でも掃海艇を派遣した事実は事実として正しく認識しなければならない。　「イラク戦争の時に自衛隊の在るところは平時である」と誤魔化し発言をした現防衛大臣の父親がいたが、その先例には、ならうこと無く、現況に正しい判断をしなければならないと小生は思う。<br /><br />　　<br /><br />　　　　　　<ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/101821358.html?1785037733" target="_blank">戦後の掃海作戦</a></ins><br /><br />　　　　　　<a href="http://hayame.sblo.jp/article/191645424.html?1785037843" target="_blank"><ins>存立危機事態になるのか、　ホルムズ海峡　　</ins><br /></a><br />　　　　　　<ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/190850389.html?1785037996" target="_blank">映画　ゴジラ　ー1.0　　 GODZILLA MINUS ONE　　　<br /></a></ins><br /><br /><br />　　　　　　　　　　　　　2026-7-30<br /><br />　　　　　 追伸<br /><br />　　2026年（令和8年）7月31日に国家情報局が正式に発足<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
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        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191755251.html</link>
      <title>犬塚是重　上海特務機関長の３年</title>
      <pubDate>Sun, 26 Jul 2026 10:34:01 +0900</pubDate>
      <description> 犬塚海軍大佐新明きよ子・犬塚きよ子著　　高市さんが首相になっていらい。スパイ防止法案や情報機関が実現できそうだ、それに関連したものを再掲いたします。　ウラが取れていませんが、杉原さんは後のイスラエルの行状に不満を憶え、こんなことなら助けなければよかったのにと述べたとか。後のことなどは神様でなければ分からないので、その都度の最善・最適を求めるしかないのかもしれません。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2026-7-26　海軍の唯一のユダヤ研究家であり、上海特務機関長..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /> <br /><br /><a href="http://hayame2.sakura.ne.jp/sblo_files/gby/image/inuzuka2010.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="inuzuka 10.jpeg" src="http://hayame2.sakura.ne.jp/sblo_files/gby/image/inuzuka2010-thumbnail2.jpeg" width="180" height="206"></a><br />犬塚海軍大佐<br /><br /><br /><br /><a href="http://hayame2.sakura.ne.jp/sblo_files/gby/image/inuzuka2020.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="inuzuka 20.jpeg" src="http://hayame2.sakura.ne.jp/sblo_files/gby/image/inuzuka2020-thumbnail2.jpeg" width="138" height="189"></a><br />新明きよ子・犬塚きよ子著<br /><br /><br />　　高市さんが首相になっていらい。スパイ防止法案や情報機関が実現できそうだ、それに関連したものを再掲いたします。　ウラが取れていませんが、杉原さんは後のイスラエルの行状に不満を憶え、こんなことなら助けなければよかったのにと述べたとか。後のことなどは神様でなければ分からないので、その都度の最善・最適を求めるしかないのかもしれません。<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2026-7-26<br /><br /><br /><br /><br />　海軍の唯一のユダヤ研究家であり、上海特務機関長として、大戦前の３年間にわたりユダヤ工作に従事し、ユダヤ人から感謝されました。<br />　<ins><span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/163412849.html?1784851826" target="_blank">明石元二郎</a></span></ins>は国の豊富予算で動きましたが、犬塚はこのために昇進をあきらめて現役を退き私財・退職金の１万円をこれに使いました。<br /><br /><br />　ドイツ・ナチ派の軍人や総選挙で最高票で代議士に当選した四天王陸軍中将にナチ同様に、ユダヤ人排除・殺戮をするようすすめられましたが、人道・武士道に反すると断固拒否しました。　結局は、犬塚を追い落とすために、根も葉もないデマで嫌疑を受けたり、人事に陥入されて、最後は現役復帰でこの職を辞すことになった。　<br /><br /><br />　敗戦後に戦犯容疑で逮捕されましたが、上海のこともあり不起訴で釈放されました。<br /><br />　<ins><span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/169419141.html?1784851921" target="_blank">杉原千畝</a></span></ins>のビザ発行が有名ですが、それよりも前に犬塚大佐はユダヤの神学生２００人の日本通過ビザの発給をリトアニアの杉原千畝に合法的にさせました。　それを聞いてユダヤ人がますますリトアニアに殺到することになります。<br />　杉原千畝はこの先例があり、人道上の個人的な判断からその後に起きたビザ発給です。　犬塚大佐の場合は、上海で実務的にユダヤ問題に実行対処してきたことからの判断・考えによる違いがあります。<br /><br />　　本書の著者・新明きよ子さんは戦後結婚して犬塚きよ子になるのですが、新聞記者をしていてユダヤ人のことに興味を持ち、海軍軍令部を訪ねて犬塚大佐に会います。その時にナチスのように排斥一本鎗ではなく、ユダヤ禍への対策を立てるとともに、彼らをまつろわせて救う道を講じるのが日本の解決策であると彼の話を聞きました。<br /><br /><br />　　　　　　　　　　<br /><br /><a href="http://hayame2.sakura.ne.jp/sblo_files/gby/image/inuzuka2030.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="inuzuka 30.jpeg" src="http://hayame2.sakura.ne.jp/sblo_files/gby/image/inuzuka2030-thumbnail2.jpeg" width="170" height="178"></a><br />　右から著者、犬塚海軍大佐、、安江陸軍大佐、<br /><br />　陸軍の安江仙弘大佐と海軍の犬塚是重大佐、この両人しか旧軍にはユダヤ専門家はいなかった。どちらも戦後のイスラエルから尊敬を受けています。　ナチと同じようにならなくて幸いでした。<br /><br />　犬塚大佐は連合艦隊司令長官の山本五十六とラバウルでしんみりと語り合うことがあり、戦局を案ずる長官に、持論のアメリカ・ユダヤを動かしての和平工作案を進言したという。それは名案だ、帰京して軍令部に提案してくれと。その上申案の作成中に長官戦死の報があった。ついに日の目をみることはなかった。惜しまれます。<br /><br />　　戦後に彼を日和見主義者であったと非難する人もいます。ユダヤ工作の一番の目的は国益です。どこにも行くところがなくなったユダヤ人に対して、英国はパレステイナに上陸しようとした避難民に機関銃掃射さえしています。今の欧州に殺到している避難民の状況とは比べようもない状況です。米国もほとんど受け入れしていません。　上海にしか安住の地はなかったでしょう。そこでユダヤ人を３万人ほど保護しました。<br /><br />　この書を読めばそのような人柄でないとわかるはずです。著者のきよ子さんは、いわばユダヤ研究の同志というような方です。奥さんが亭主のことを書いた文と勘違いなさらぬように。まぎれもない１次資料です。　おすすめいたします。<br /><br /><br /><br />　　　　　　　2015-11-19. 　　2026-7-26再掲・加筆<br /><br /><br /> <br /><br /><br />　　<a href="http://hayame.sblo.jp/article/163692667.html?1784851599" target="_blank">根本博　陸軍中将の決断</a><br />　<br />　　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom18.html" target="_blank">石光真清</a><br />　　<br />　　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom13.html#spb-bookmark-322" target="_blank">松江豊寿　　坂東俘虜収容所</a><br />　　<br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191753463.html</link>
      <title>やばい日本史　　本郷和人</title>
      <pubDate>Thu, 23 Jul 2026 22:28:13 +0900</pubDate>
      <description>　　　　　　　　　　ダイヤモンド社　高校の世界史は好きになれなあかったけれど、日本史の先生の授業は大変に面白く漫談のようで、ここに書かれている「やばい」おはなしであったのであろう。その時に笑っただけで今は覚えていない。　受験科目で日本史を選択したので、後で勉強をしなおした。　東大史料編纂所の教授であった本郷さんはテレビでお見かけしても固いイメ－ジを抱いていたが、それを覆した。　この本は中学生が読むと良いように思われる。　　ここでは具体的に書かないけれど、目次をご覧になり、興味..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　　　　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/homgo2010.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="homgo 10.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/homgo2010-thumbnail2.jpg" width="220" height="320"></a><br />　　　　　ダイヤモンド社<br /><br />　<a href="https://hayame.net/custom8.html#spb-bookmark-149" target="_blank">高校の世界史</a>は好きになれなあかったけれど、日本史の先生の授業は大変に面白く漫談のようで、ここに書かれている「やばい」おはなしであったのであろう。その時に笑っただけで今は覚えていない。　受験科目で日本史を選択したので、後で勉強をしなおした。<br /><br />　東大史料編纂所の教授であった本郷さんはテレビでお見かけしても固いイメ－ジを抱いていたが、それを覆した。　この本は中学生が読むと良いように思われる。　<br /><br />　ここでは具体的に書かないけれど、目次をご覧になり、興味をもたれたところからお読みになればよいでしょう。<br /><br /> <br /><br />　　　　2026-7-23<br /><br /> <br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
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      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191749767.html</link>
      <title>10年のヨット総括　　　②　メンテナンスと装備</title>
      <pubDate>Sun, 19 Jul 2026 11:34:18 +0900</pubDate>
      <description>　　　　　　　　　丸亀に係留していた購入前のヨット 　今思えば衝動買いだったのかもしれない。これまでの2隻はいずれもロングキールのクルージング艇であった。　上の船を見た時にはデイセ－ラ－であったけれども、こういうレースヨットに一度は乗ってみたいと思った。　パイプバースに寝て、シンク、コンロの無い艇であったがクルージング艇へ改造を加えた、　持ち込んだ荷物はどんどん増えていき、喫水が10センチも下がり、直系1メートルもある大型俵フェンダー2個も積んでいる。今では難民船と云われ生活..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　　　　　<br /><br />　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/hayame99.jprg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame99.jprg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/hayame99-thumbnail2.jprg" width="200" height="150"></a><br />　　丸亀に係留していた購入前のヨット<br /><br /> <br /><br />　今思えば衝動買いだったのかもしれない。これまでの2隻はいずれもロングキールのクルージング艇であった。　上の船を見た時にはデイセ－ラ－であったけれども、こういうレースヨットに一度は乗ってみたいと思った。　パイプバースに寝て、シンク、コンロの無い艇であったがクルージング艇へ改造を加えた、　持ち込んだ荷物はどんどん増えていき、喫水が10センチも下がり、直系1メートルもある大型俵フェンダー2個も積んでいる。今では難民船と云われ生活感が一杯のヨットになってしまう。<br /><br />　クルーズも沖縄以外の大きいところは終えたので、今後は瀬戸内の小さいものになるであろう。近くマリーナへ行って少しすっきりと整理したいと思っているが、性格もあってどうなることでしょう。<br /><br />　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/20262006-4a5cf.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="2026 06.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/20262006-4a5cf-thumbnail2.jpg" width="218" height="320"></a><br />　2026年5月の亘理にて、　　大きなフェンダー2個積み<br /><br />　<br /><br />　以下はこの10年間で1万円以上の費用のかかった修理・機器・備品です。<br /><br />　<br /><br />　　1.　スタンチューブ　ＰＳＳシャフトシ－ル　交換<br /><br />　　2.　ホ－ルデイングプロペラより3翼の固定<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom16.html#spb-bookmark-9" target="_blank">プロペラ交換</a><br /><br />　　3.　ヤンマー2GM冷却水ポンプ交換　、5年おきに2回した<br /><br />　　4.　サ－モスタットと関連ゴムホース交換<br /><br />　　5.　オ－トパイロット2000　交換<br /><br />　　6.　ミキシングエルボ交換<br /><br />　　7.　機関ストップワイヤー交換　<br /><br />　　8.　メンセ－ルのフットをドジャーとの触れ止めのためにカット<br /><br />　　9.　ジブセ－ルの日焼け止め部分の交換<br /><br />　　10．ドージャー修理<br /><br />　　11.　前部丸ハッチ取り外し修理<br /><br />　　12.　バウスプリット船内への水漏れ修理<br /><br />　　13.　ブ－ムバング修理・自作新調<br /><br />　　14.　両舷灯、船尾灯の交換<br /><br />　　13.　中国製発電機、ヤマハ発電機からホンダ携帯発電機900ｗへ交換<br /><br />　　15　　1000ｗポータブル電源故障廃棄より2000ｗへ買い替え<br /><br />　　16　　ホンダ予備2馬力空冷船外機、水に漬けて修理。　　2度使用して助かる<br /><br />　　17　　ゴムボート　電動船外機付き。　まだ使用していない<br /><br />　　18.　　100ｗと50ｗのフレキシブルソーラ－パネル固定、　他に100ｗと120ｗを購入<br /><br />　　19.　　リチウムバッテリー100Ａ、2000ｗインバ－タ－、30Ａ充電器<br /><br /> <br /><br />　　来年は大台の80ゆえに残り少なく時間も金も無いので、ヨットの買い替えは無理だと思う。<br /><br />　出来ないけれども、モノハルなら35ｆまでのロングキ－ル、カタマランなら住み家も兼ねて40ｆが欲しい。<br /><br /> <br /><br />　　今後にもう無理だけれども欲しかったものは、レーダーです。　北海道に行く予定のある人には必須でしょう。<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom.html#spb-bookmark-104" target="_blank">霧中航法</a>でニューペックスマートのAIS機能で代用できるときもありますが、表示に時間差があり、内航船の小型の船にはＡＩＳを積んで無いガット船などがあり、霧が晴れた時にはその存在にびっくりする。　携帯発電機には2000w級のものがあれば電子レンジが動かせる。大容量のポタ電を載せなくても良い。どちらを選ぶか好みに寄るでしょう・<br /><br />　　<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　2026-7-19<br /><br /><br />　<a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191742283.html</link>
      <title>横井小楠　　幕末に国家をデザインした男</title>
      <pubDate>Thu, 09 Jul 2026 16:08:47 +0900</pubDate>
      <description>　　1809-1869 　田口佳史　　到知出販 　上を読み終えたけれども、老人故の集中力が続かないせいか頭に入ってこない。　これから他書を何冊か読まなければ理解できないのでしょう。　熊本藩に生まれて、福井藩の松平春嶽が幕府政治総裁になった時の指南役となる。「五か条の御誓文」を起草した由利公正（ゆりきみまさ）、「教育勅語」の起草に尽力した元田永孚（もとだながざね）、「大日本帝国憲法」の草案をつくった井上毅（いのうえこわし）吉田松陰、勝海舟。坂本龍馬と会談をし影響を与えた。　小楠..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br />　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yokoi2015.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yokoi 15.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yokoi2015-thumbnail2.jpeg" width="236" height="320"></a><br />　1809-1869<br /><br /> <br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yokoi2010.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="yokoi 10.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yokoi2010-thumbnail2.jpg" width="222" height="320"></a><br />　田口佳史　　到知出販<br /><br /> <br /><br />　上を読み終えたけれども、老人故の集中力が続かないせいか頭に入ってこない。　これから他書を何冊か読まなければ理解できないのでしょう。<br /><br />　熊本藩に生まれて、福井藩の松平春嶽が幕府政治総裁になった時の指南役となる。「五か条の御誓文」を起草した由利公正（ゆりきみまさ）、「教育勅語」の起草に尽力した元田永孚（もとだながざね）、「大日本帝国憲法」の草案をつくった井上毅（いのうえこわし）吉田松陰、勝海舟。坂本龍馬と会談をし影響を与えた。<br /><br />　小楠は「国是三論」を献策し、以下のように福井藩の藩政改革を実行。<br /><br />・倹約で得た資金を貿易や商品開発に投資し、利益を確保<br />・殖産興業としての養蚕を奨励。絹、生糸の増産に取り組む<br />・商人を集めて物産商会所を作り、生糸、茶、麻などを藩が長崎で販売して利益を農民に還元<br /><br />　　「国是七条」にて幕府の政策を変えた<br /><br />① 将軍は上洛して、これまでの無礼を帝にわびる<br />② 大名の参勤交代などの無駄を廃し、その費用を各藩の国力増強にあてる<br />③ 大名の妻を国に返す<br />④ 外様・譜代の区別なく、有能な人材を登用する<br />⑤ 自由な言論の道を開いて、天下と「公共の政」を行う<br />⑥ 海軍力の増強<br />⑦ 自由貿易をやめて官貿易とする　<br /><br />　岩倉具視に高く評価され、明治新政府の参与となった。　日本の悪弊であるが、最後は事実無根の理由で京都で暗殺された。明治政府が発足したばかりの明治2年1月のことであった。<br /><br /><br /><br />　　　　　　　　　2026-7-9<br /><br /><br />　　　<br /><br /><a name="more"></a>

]]></content:encoded>
            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191738818.html</link>
      <title>海の武士道・騎士道　まとめ</title>
      <pubDate>Sun, 05 Jul 2026 04:16:03 +0900</pubDate>
      <description>　　　  工藤俊作　提督　もうウイキや検索でも調べられない。小生がまだ、若い船員であった昭和の時代に、積荷の自動車が多数、時化て損壊した。敗戦から20年以上建った平和の時期であったのに、事故の責任をとりその船長は切腹した事件があった。船が沈没したわけではない。その船長は亡くなられた。当事はまだ戦前の船長は船と共に命をささげた記憶が残っていたせいであろう。　その当事の日本では、船員法第12条で船長の最後離船が、同法で罰則規定も定められており法的な義務として定着していた。1969..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/busido2020.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="busido 20.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/busido2020-thumbnail2.jpeg" width="92" height="104"></a><br />  工藤俊作　提督<br /><br /><br />　もうウイキや検索でも調べられない。小生がまだ、若い船員であった昭和の時代に、積荷の自動車が多数、時化て損壊した。敗戦から20年以上建った平和の時期であったのに、事故の責任をとりその船長は切腹した事件があった。船が沈没したわけではない。その船長は亡くなられた。当事はまだ戦前の船長は船と共に命をささげた記憶が残っていたせいであろう。<br /><br />　その当事の日本では、船員法第12条で船長の最後離船が、同法で罰則規定も定められており法的な義務として定着していた。1969年から1970年にかけて「ぼりばあ丸」事故、「波島丸」事故、「かりふぉるにあ丸」事故と立て続けに3件の遭難事故が発生する中で、それぞれの船の船長が離船を拒否して殉職する例が見られた。<br /><br />　他に、1980年、LNG船が関門海峡の投錨地で座礁した際にアメリカ人船長がピストル自殺した例、1997年、福井県沖でナホトカ号重油流出事故が発生した際にロシア人船長が救出を拒否して後日、遺体となって発見された外国人の例も起きた。<br /><br /> <br /><br />　　海の武士道・騎士道を以下にまとめてみました<br /><br /><br />　　1.　<a href="https://hayame.net/custom32.html#spb-bookmark-19" target="_blank">高橋伊望　・　竹内一　・　工藤俊作の責務　<br /></a><br />　　2.　<a href="https://hayame.net/custom32.html#spb-bookmark-490" target="_blank">工藤俊作のお墓を訪ねて</a><br /><br />　　3.　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom13.html#spb-bookmark-614" target="_blank">自衛隊のいじめと工藤俊作</a><br /><br />　　4.　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom13.html#spb-bookmark-612" target="_blank">海の騎士道　米国海軍</a><br /><br />　　5.　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom13.html#spb-bookmark-18" target="_blank">東慶丸による難民救出</a><br /><br />　　6.　<a href="https://hayame.net/custom7.html#spb-bookmark-302" target="_blank">陽明丸の４人の男たち</a><br /><br /> <br /><br />　　　　　　　　　2029-7-5<br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

]]></content:encoded>
            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191735227.html</link>
      <title>大友宗麟・義鎮よししげ　と　薩摩、　　アテネとスパルタ</title>
      <pubDate>Tue, 30 Jun 2026 12:04:37 +0900</pubDate>
      <description>　大友宗麟　1530-1587　最初に述べなければならない。表題のようにすすめようとして、調べてみたが田舎老人の思い付きに過ぎないと分かる。未だにアテネの民主制が世界に根ずかないように、ギリシャ文明・風土で起きたアテネ・スパルタの文化と大陸の端の孤島に起きた戦国時代の大名を並べようとは。わが身に過ぎたものであった。　スパルタで少年を親から離して兵営のようにする教育と薩摩の郷中教育とは違いがあるけれど、似てはいる、　アテネの交易を中心として栄えた文化はアジア全域に交易をしていた..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br />　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/ootomo2011.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="ootomo 11.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/ootomo2011-thumbnail2.jpeg" width="200" height="266"></a><br />大友宗麟　1530-1587<br /><br />　最初に述べなければならない。表題のようにすすめようとして、調べてみたが田舎老人の思い付きに過ぎないと分かる。未だにアテネの民主制が世界に根ずかないように、ギリシャ文明・風土で起きたアテネ・スパルタの文化と大陸の端の孤島に起きた戦国時代の大名を並べようとは。わが身に過ぎたものであった。<br /><br />　スパルタで少年を親から離して兵営のようにする教育と薩摩の<ins><a href="https://hayame.net/custom45.html#spb-bookmark-1065" target="_blank">郷中教育</a></ins>とは違いがあるけれど、似てはいる、　アテネの交易を中心として栄えた文化はアジア全域に交易をしていた大友氏と重なるところがある。　スパルタとアテネは政体が違うが民会の決定が左右する基礎の上にできたものである。残念ながら小生仁は突き詰めることができなかった。<br /><br />　　　ギリシャ人の物語　　塩野七生<br />　　　<a href="https://ameblo.jp/yacht-hayame/entry-12818181357.html" target="_blank">https://ameblo.jp/yacht-hayame/entry-12818181357.html</a><br /><br />　さて、大友宗麟であるが、戦国時代のよくある跡目相続から出発する。　信長は弟と信玄は弟や親と争い家督を得た。　　宗麟の最大の版図は北九州6か国になり、<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom1.html#spb-bookmark-554" target="_blank">100万石の大大名</a>となる。九州における最大版図を築き上げた。　さらに対立していた周防の国の大内氏に弟の大内善長を送り影響を強めた。 　また、熱心なキリスト教信者であるキリシタン大名としても広く知られ、海外貿易を通じて西欧文化を積極的に導入し、領内の文化発展に大きく寄与した。1570年代までに東アジア諸国に加えてカンボジアやポルトガルの国王とまでも単独での外交関係を保持する。それゆえに<ins><a href="https://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-550" target="_blank">三浦按針・ウイリアム・アダムス</a></ins>が豊後を目指したのがよくわかる。<br /><br />　1551年に豊後を訪れたフランシスコ・ザビエルと会見して以来、キリスト教に対して深い理解を示し、宣教師を保護して領内での布教を認めた。1578年には自らも洗礼を受け、ドン・フランシスコという洗礼名を名乗った。彼は領内に日本初の西洋式病院や育児院を設立したほか、南蛮貿易を奨励して医学、音楽、料理などの西洋文化を積極的に取り入れ、豊後を国際色豊かな土地へと変貌させた。大友宗麟は、天正遣欧少年使節の派遣にも関与し、欧州にその名が知られていた。<br /><br />　薩摩氏の台頭で勢力を減じて秀吉の協力を仰ぐ、豊後1か国になるが、この大友 義統（おおとも よしむね）は1592年の朝鮮出兵に際して、義統は消極的出兵をした大名の一人であった。秀吉は、そうした義統を改易した、<br /><br /> <br /><br />　　　<ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/186213934.html" target="_blank">臼杵城・丹生島城</a></ins>　　島津軍を追い返したフランキ砲<br /><br /> <br /><br />　　大友宗麟　戦国時代をグローバルに生き抜いたクールな武将　　　　　　15分<br /><br />　　<a href="https://www.youtube.com/watch?v=T7KYJot8VPU" target="_blank">https://www.youtube.com/watch?v=T7KYJot8VPU</a><br /><br /> <br /><br />　　　　　　　　2026-6-30<br /> <br /><br /><a name="more"></a>

]]></content:encoded>
            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191731297.html</link>
      <title>10年のヨット総括　　①　課題と航海目的</title>
      <pubDate>Thu, 25 Jun 2026 04:36:30 +0900</pubDate>
      <description>　　　　 　2016年の春に2代目速魚を購入してから10年になります。沖縄以外の全国をこれまで巡ることができました。　残生も限られてきたことから、この10年をまとめてみました。　　2026年の速魚2 　その都度の思い付きで関心に関心を持ったことについてその巡航計画を立ててきた。その項目は後に書くことして、これまでの航海は下記になります。  　　　2016年より2026年まで 　2016年3月　香川県丸亀にあった中古のヤマハ31フェスタを購入。坂出のマリ－ナに係留。旧オ－ナ－の..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　　　<br /><br /> <br /><br />　2016年の春に2代目速魚を購入してから10年になります。沖縄以外の全国をこれまで巡ることができました。　残生も限られてきたことから、この10年をまとめてみました。<br /><br />　<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/20262006.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="2026 06.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/20262006-thumbnail2.jpg" width="218" height="320"></a><br />　2026年の速魚2<br /><br /> <br /><br />　その都度の思い付きで関心に関心を持ったことについてその巡航計画を立ててきた。その項目は後に書くことして、これまでの航海は下記になります。<br /><br /> <br /><br /> <br /><br />　　　<strong><span style="font-size:large;"><span style="color:#0000FF;">2016年より2026年まで</span></span></strong><br /><br /> <br /><br />　2016年3月　香川県丸亀にあった中古のヤマハ31フェスタを購入。坂出のマリ－ナに係留。旧オ－ナ－の今田さんと練習クル－ズを行う。<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22030.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 30.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22030-thumbnail2.jpg" width="320" height="212"></a><br />　①　2016年　練習クル－ズ　<br /><br /> <br /><br />マリ－ナ探しのために坂出から玉野と三原へクル－ズした。<br /><br />　<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame2202032.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2  32.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame2202032-thumbnail2.jpg" width="320" height="135"></a><br />　　②　2016年　夏　　マリ－ナ探し<br /><br /> <br /><br />　半年の坂出を離れて広島・廿日市のマリ－ナへ移る。　　2017年み旧オ－ナ－今田さんと愛媛県かわうそ村海の駅までクル－ズした。　　香川県坂出市を中心としたクル－ズ　　まとめ<br /><br />　<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22035.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 35.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22035-thumbnail2.jpg" width="228" height="320"></a><br />　③　2017年　夏巡航<br /><br />　<br /><br />　2018年　北部九州へ行き長崎を訪れた。<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22037.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 37.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22037-thumbnail2.jpg" width="320" height="177"></a><br />　④　2018年　長崎へ<br /><br /> <br /><br />　今度は九州東岸を目指したがホンダワラのペラ巻きに悩み、延岡で断念する。<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22040.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 40.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22040-thumbnail2.jpg" width="305" height="320"></a><br />　⑤　2019年　延岡へ<br /><br /> <br /><br />　2019年秋には東瀬戸内を周航した<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22042.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 42.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22042-thumbnail2.jpg" width="320" height="174"></a><br />　⑥　2019年　秋　東瀬戸内<br /><br /> <br /><br />　⑦　2020年春　笠岡諸島へ<br /><br />　　<br /><br />　2020年　秋　　四国中部北岸へ<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22045.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 45.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22045-thumbnail2.jpg" width="320" height="261"></a><br />　⑧　2020年　秋　四国中部北岸へ<br /><br /> <br /><br />　2021年　春巡航は休み<br /><br />　<br /><br />2021年　秋周航は　愛媛県伊予、内子町、卯之町へ<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame2202047.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2  47.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame2202047-thumbnail2.jpg" width="320" height="248"></a><br />　⑨　2021年　秋　瀬戸内中部へ　内子町と卯之町へ<br /><br />　<br /><br />　2022年　春　　隠岐の島へ<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22050.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 50.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22050-thumbnail2.jpg" width="320" height="243"></a><br />⑩　2022年　春　島根県隠岐へ<br /><br /> <br /><br />　<br /><br />　2022年　秋　長崎県　五島列島から大村へ<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22052.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 52.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22052-thumbnail2.jpg" width="320" height="246"></a><br />⑪　2022年　秋　五島列島、　大村に翌年春まで係留<br /><br />　<br /><br />　2023年　春　大村より南九州、　宮崎日南で3週間入院、倉敷へ<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22054.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 54.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22054-thumbnail2.jpg" width="320" height="296"></a><br />　⑫　2023年　春　大村より南九州へ<br /><br /> <br /><br />　<br /><br />　2023年　秋　　四国88ヶ所を開始、　徳島へ<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22056.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 56.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22056-thumbnail2.jpg" width="320" height="222"></a><br />⑬　2023年秋　　お遍路寄港開始<br /><br />　　<br /><br />　2024年　春　　四国88ヶ所　お遍路再開<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22058.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 58.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22058-thumbnail2.jpg" width="320" height="264"></a><br />　⑭　2024年　春　　お遍路寄港図<br /><br />　<br /><br />　2024年　秋　　忽那七島へ<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22060.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 60.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22060-thumbnail2.jpg" width="196" height="320"></a><br /><br /><br />　⒂　その2　　忽那七島<br /><br />　 　<br /><br />⑯　２０２５年　春　石巻へ　　４８年ぶりに日本１周を達成、宮城県亘理に来年の春まで係留<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22062.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 62.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22062-thumbnail2.jpg" width="194" height="320"></a><br />　初代速魚の48年前の　宮崎日向から石巻へ<br /><br /> <br /><br />　2025年　秋　亘理より田代島へ、　陸路で奥州を観光<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22064.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 64.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22064-thumbnail2.jpg" width="320" height="311"></a><br /><br /><br />⑰　2025年　秋　亘理から田代島へ、　赤行程は陸路の訪問地<br /><br />　<br /><br />　2026年　春　　塩釜より倉敷へ<br /><br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22080.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="hayame2 80.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/hayame/image/hayame22080-thumbnail2.jpg" width="320" height="253"></a><br />⑱　2026年　春　　塩釜より母港倉敷児島へ<br /><br /> <br /><br /> <br /><br />　小生の主な関心ごとは歴史に関する物である、下記に興味を持ってヨットで訪ねた事項を書いた。<br />  　　　クリックで詳細へ<br /><br />　<br /><br />海賊<br /><br />　　<a href="http://hayame.sblo.jp/article/182094807.html?1782261369" target="_blank">塩飽海賊と人名政<br /></a><br />　　 <a href="https://ameblo.jp/yacht-hayame/entry-12817759622.html" target="_blank">村上海賊</a><br /><br />　　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom10.html#spb-bookmark-307" target="_blank">忽那海賊</a><br /><br />　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom5.html#spb-bookmark-305" target="_blank">四国巡礼88ヶ所</a><br /><br />　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom7.html#spb-bookmark-77" target="_blank">隠れキリシタンと世界遺産</a>、　<br /><br />　　　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom7.html" target="_blank">五島列島の教会</a><br /><br />　<a href="http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank035.html" target="_blank">維新英傑</a>　<br /><br />　　　　<a href="http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank039.html#%E5%8A%9F%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E6%8C%99%E5%85%B5" target="_blank">高杉晋作</a><br /><br />　　　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom12.html" target="_blank">坂本龍馬</a><br /><br />　　　吉田松陰<br /><br />　　　<a href="http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank037.html" target="_blank">筑前勤皇党</a>、　　<a href="http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank040.html" target="_blank">幕末芸州藩</a>、　<br /><br />　　<a href="https://hayame.coolblog.jp/custom30.html" target="_blank">歴史的町並み</a><br /><br />　　　<a href="https://hayame.net/custom43.html#spb-bookmark-880" target="_blank">萩城下町　1と2</a><br /><br />　　　<a href="https://hayame.net/custom43.html#spb-bookmark-1165" target="_blank">徳島阿波の神社巡り<br /></a><br />　　城廻り：<ins><a href="https://hayame.net/custom27.html" target="_blank">1</a></ins>　と　<ins><a href="https://hayame.net/custom42.html" target="_blank">2</a></ins><br /><br />　　　　<a href="https://hayame.net/custom43.html#spb-bookmark-1048" target="_blank">薩摩　麓（ふもと）武家屋敷12　　日本遺産　　　<br /></a><br /><br />　　　<strong><ins><span style="font-size:large;"><span style="color:#0000FF;"><a href="https://hayame.coolblog.jp/custom4.html" target="_blank">全国ヨット泊地・　　　ヨットマンのための海の駅と泊地　</a></span></span></ins></strong><br /> <br /><br />　　　　　　　　　　　2026-6-26<br /><br /><br /><br /><br /> <br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191727723.html</link>
      <title>羽柴秀吉の四天王</title>
      <pubDate>Sat, 20 Jun 2026 15:57:52 +0900</pubDate>
      <description>　　　　　秀吉が長浜城主になったころに250貫文（500石？）の所領を下記の四天王に与えられた。　秀吉には古くからの家来は少なく、親類にあたる福島正則と加藤清正位しか小生には記憶が無い。　ウィキ的な知識になるが調べてみた。　　神子田 正治　・みこだまさはる　　不詳-1587　　 　織田信長が尾張国を統一した際に、父とともにその配下に入ったといわれる。永禄3年5月19日（1560年6月12日）の桶狭間の戦いや永禄10年（1567年）までつづいた美濃国の斎藤氏攻めで功績を上げ、木..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　　　<br /><br />　秀吉が長浜城主になったころに250貫文（500石？）の所領を下記の四天王に与えられた。　秀吉には古くからの家来は少なく、親類にあたる福島正則と加藤清正位しか小生には記憶が無い。　ウィキ的な知識になるが調べてみた。<br /><br /><br />　　<strong><span style="color:#0000FF;">神子田 正治</span></strong>　・みこだまさはる　　不詳-1587　　<br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/sitennou2012.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="sitennou 12.jpg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/sitennou2012-thumbnail2.jpg" width="256" height="320"></a><br /> <br /><br />　織田信長が尾張国を統一した際に、父とともにその配下に入ったといわれる。永禄3年5月19日（1560年6月12日）の桶狭間の戦いや永禄10年（1567年）までつづいた美濃国の斎藤氏攻めで功績を上げ、木下秀吉に請われて家臣となる。秀吉の長浜城時代、　天正元年（1573年）に近江国に250貫文の所領を与えられ、黄母衣衆となり、後に腰母衣衆に転じた。中国攻めに従軍して、三木城攻め（三木合戦）などで活躍。天正5年（1577年）、宮田光次、戸田勝隆、尾藤知宣と同時にそれぞれ播磨国で5,000石を加増された。1582年）の本能寺の変後も秀吉に従い、山崎の戦いに参加。賤ヶ岳の戦いでは一軍を率いた。その後に備中庭瀬城主として1万2,000石に加増された。小牧・長久手の戦いにおいて（敵前逃亡）を問うとして、所領を没収した上で高野山へ追放とした<br /><br /> <br /><br />　<strong><span style="color:#0000FF;">　尾藤 知宣</span></strong>　・びとう とものぶ　　　不詳-1590　<br /><br />　織田信長の家臣である森長可に仕えていますが、羽柴秀吉が近江国長浜城主になる頃より羽柴秀吉の家臣になります。　墨俣に一夜城を築いたときに駆けつけて、秀吉の家人となった。（1577年）近江国長浜で250貫を与えられ、秀吉が長浜城主となった知行配分のときに1,800石を宛がわれている。羽柴秀吉が中国方面の司令官になるとともに加増されて5000石になります。（1584年）の小牧・長久手の戦いでは小牧山攻めを提案した森長可の意見を承認し、軍監（軍目付）として共に出撃したが羽黒で徳川氏家臣の酒井忠次、榊原康政らの奇襲を受けて敗走．（1585年）、播磨の高砂で2,600石を加増された。6月、羽柴秀長を大将とする四国の役に参加　1586年）に讃岐国宇多津5万石に封ぜられ、同年、讃岐丸亀城主（18万石）になった[　1587年）、九州の役では、戸次川の戦いで失態を演じて改易された仙石秀久の後継として軍監に就任し、秀長の下で3,000名を率いて九州征伐に従軍。日向国高城攻略中、宮部継潤の守る根白坂砦が島津氏の援軍に攻め込まれた際に救援をさせなかったことを秀吉が激怒し、その咎を受けて、7月2日、知宣は（丸亀の）所領を没収され、追放<br /><br /><br /><br />　　<strong><span style="color:#0000FF;">宮田光次</span></strong>・　みやたみつぐ　不詳-1578　<br /><br />　羽柴秀吉が近江国長浜城の主になったのが1573年。宮田光次は、その頃から羽柴秀吉に仕えたと考えられています。<br />長浜近辺で250貫の所領を与えられた。秀吉が織田信長の命令で毛利氏攻めの中国方面総司令官に任命されると、中国遠征に従軍し、播磨国内で5,000石を与えられた。別所長治の三木城攻めで討ち死にした（1578年）、<br /><br /><br /><br />　<strong><span style="color:#0000FF;">　戸田勝隆</span></strong>　・とだかつたか　　不詳-1594　<br /><br />　はじめ織田信長に仕え、その後は織田氏の臣・羽柴秀吉（後の豊臣秀吉）の家臣となった。長浜で250貫文を与えられ、（1577年）、秀吉が播磨姫路城主となった際に、5,000石に加増された。　その後も順調に出世をし、1587年には伊予国のうち7万石を与えられます。文禄・慶長の役に際して、帰国の途中に病死をしています。<br /><br /><br /><br />　　別説もあるようです。<br /><br />　　　　<a href="https://www.youtube.com/shorts/Y8otidih4Xk" target="_blank">https://www.youtube.com/shorts/Y8otidih4Xk</a><br /><br /> <br /><br /> <br /><br />　　　<strong><span style="color:#0000FF;">矢部家定</span></strong>・やべいえさだ　　不詳―1590以前<br /><br />　尾張に生まれ若い時より信長に仕えて奉行5人衆となる。本能寺の変までは秀吉とは縁が無かったようだ、織田信孝の四国攻めに同行していたが淡路に居て本能寺の変後の軍の散逸を免れて、秀吉の中国大返しの軍に合流する。山崎の戦いに参加。以後は秀吉に従う。<br /><br />　子が無く養子の定家は1万石を領したが関ケ原で西軍に属して改易された。<br /><br /> <br /><br />　　　<strong><span style="color:#0000FF;">青木重短</span></strong>・あおきしげのり　　生没不明<br /><br />大政所の妹を娶った[6]ことで、秀吉の叔父となり、豊臣家の一門衆に列した。禄高、所領などについては不明であるが、武将として特に活躍したという記述もない。賤ケ岳の戦いでミスして消えたとある。<br />　<br /><br /><br />　　　　賤ヶ岳７本槍　その後　　<br /><br />　　　　　　<a href="http://hayame.sblo.jp/article/174483255.html?1781403302" target="_blank">http://hayame.sblo.jp/article/174483255.html?1781403302</a><br /><br /><br />　　　　秀吉の備中高松城攻め布陣　　　<br /><br />　　　　<a href="http://hayame.sblo.jp/article/186913415.html?1781937977" target="_blank">http://hayame.sblo.jp/article/186913415.html?1781937977</a><br /><br /><br />　　　　　　　　　　　2026-6-20<br /><br /> <br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191724767.html</link>
      <title>源範頼 　まとめ</title>
      <pubDate>Tue, 16 Jun 2026 17:21:11 +0900</pubDate>
      <description>　2026年のNHKの大河は秀吉の弟・秀長をやっています。　秀長が先に死なねば豊臣は滅びずに、徳川になることは無かったであろうと云われるのとは違い、範頼は最後は兄に疎まれ、追手により殺される悲劇の人となりました。　　10年余になる自分のHPやブログにある範頼をまとめてみました。　　　　　　2026-6-16 　　　源範頼　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　1150-1193？　　源範頼は義経と同様な運命になった割には知られていません。地元にゆかりがあると言われるので調..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><br />　2026年のNHKの大河は秀吉の弟・秀長をやっています。　秀長が先に死なねば豊臣は滅びずに、徳川になることは無かったであろうと云われるのとは違い、範頼は最後は兄に疎まれ、追手により殺される悲劇の人となりました。<br /><br />　　10年余になる自分のHPやブログにある<ins><a href="http://www.hayame.sakura.ne.jp/99_blank057.html" target="_blank">範頼をまとめ</a></ins>てみました。<br /><br /><br />　　　　　　2026-6-16<br /><br /><br /><br /><br /><br />&nbsp;<br /><br />　　<strong><span style="color:#0000FF;">　源範頼</span></strong><br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />　　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2010.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 10.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2010-thumbnail2.jpeg" width="150" height="135"></a><br />　1150-1193？<br /><br />　　源範頼は義経と同様な運命になった割には知られていません。地元にゆかりがあると言われるので調べてみました。<br /><br />　範頼は頼朝の異母弟で、義経の異母兄です。　遠江国蒲御厨で生まれ育ったので蒲冠者，蒲殿と呼ばれる。　兄の頼朝の代官として源義仲（木曽義仲）追討の大将軍となり、上洛して弟の義経軍と伴に義仲を滅ぼす。　一の谷合戦では３万と言われる主力大手軍を率いて戦い、また義経軍は１万の搦手軍を率いてその奇襲により平家に勝利した。　その後中国と九州の平氏側の御家人を味方につけ平氏を長門国に孤立させる。そのせいで義経は屋島の戦いで勝利する。続いて壇ノ浦の合戦で平氏を滅亡させた。<br /><br />　義経と頼朝が対立した、義経は藤原泰衡の襲撃により自害する。頼朝の奥州藤原氏を滅ぼした軍に参戦する、これが最後の出征となる。　曽我兄弟の仇討事件をきっかけにして謀反の疑いを受ける。伊豆の修禅寺に幽閉され謀殺されたという。<br /><br />　平家滅亡までは主力を率いて勝利し貢献大です。義経が有名ですが範頼が平家の主力を押さえていたからこそ、義経の奇襲が成功したともい云えます。<br /><br /><br />　頼朝は封建制の常で兄弟はいつもライバルです。うまく弟たちを使ったともいえますが、３代で鎌倉幕府が滅びる原因にもなりました。<br />&nbsp;<br /><br /><br />&nbsp;<br /><br />　<br /><br />　　　　<strong><span style="color:#0000FF;">　範頼ゆかりの地　その1</span></strong><br /><br /><br />　　　　　　　<br />　1.　蒲さくらは、範頼の杖についていた種が成長して、蒲冠者のいわれから名がついた樹齢８００年以上の桜です。蒲桜の根本にある墓石は逃れ住んだ範義のものといわれています。<br /><br />　　 　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20101.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 101.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20101-thumbnail2.jpeg" width="240" height="180"></a><br />　北本市　石戸蒲さくら　天然記念物<br /><br />　　　　　 　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2061.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 61.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2061-thumbnail2.jpeg" width="268" height="201"></a><br />　東光寺　範頼創建といわれている<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />2.　範頼の妻、亀御前は範頼の死を知り、荒川に薙刀を持って身を投げて、その薙刀が常勝寺に残されているといいます。（ここはシナ駐屯第１歩兵連隊供養地の寺でもある）<br /><br />　　　　　　　　　<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2062.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 62.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2062-thumbnail2.jpeg" width="281" height="211"></a><br />　常勝寺　　<br />&nbsp;<br /><br /><br />　3.　北本市にある高尾阿弥陀堂は亀御前を供養するために建てられたといわれて高尾さくら公園隣にある。　亀御前の石塔と薙刀は常勝寺にここより移されたといいます。<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2063.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 63.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2063-thumbnail2.jpeg" width="205" height="154"></a><br />　高尾阿弥陀堂　鐘楼<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />　　4..　石戸神社は１１９９年に亡くなった範頼の息女・亀御前の供養のために建てられたといわれている。遺跡堀之内館の中に神社はある。堀之内館は源範頼の住居の地と伝えられている。<br /><br /><br />　　　　　　　　　　　　　　 　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2064.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 64.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2064-thumbnail2.jpeg" width="292" height="219"></a><br />　石戸神社　　　　　　　　　　　　　　　　<br />　　<br />　 　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2065.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 65.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2065-thumbnail2.jpeg" width="320" height="240"></a><br />　石戸神社入口<br /><br />　　　　　　　<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2066.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 66.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2066-thumbnail2.jpeg" width="192" height="144"></a><br />　神社の奥にある2つの小さな社この後ろに土塁と堀の遺構がある<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　<br />　<br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2067.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 67.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2067-thumbnail2.jpeg" width="198" height="149"></a><br />　土塁と堀の遺構<br /><br />　　<br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2068.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 68.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2068-thumbnail2.jpeg" width="320" height="242"></a><br />　　石戸神社由来<br /><br />　　　　　　　　　　<br /><br />　　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2069.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 69.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori2069-thumbnail2.jpeg" width="320" height="320"></a><br />　　　　　　　交通<br /><br />　　　北本駅西口から北里メデイカルセンター行きバスで１５分・１９０円<br />　　　　蒲桜行も少数あります。<br /><br /><br /><br />　　　　　　　　　　　2015-7-14<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />　<br />　　　　　<strong><span style="color:#0000FF;">&nbsp;源範頼　ゆかりの地　その2</span></strong>　　<br /><br />　<br />　　源範頼の居館跡は北本にある石戸神社を含む堀之内居館跡と吉見にある現在は息障院というお寺に居館跡の2つです。<br /><br />　吉見にある居館跡を訪ねてみました。住所は吉見町御所374で御所という地名を今でも残しています。　落ち着いた境内のたたずみです。　庭もよく手入れされています。　南東部にある幼稚園を経営されているようで、財政的に安定しているお寺だとうかがわれます。<br /><br />　近くに安楽寺があり、範頼が平家の追及を逃れるため稚児僧として隠れ住んだ地と言われています。安楽寺も訪ねました。吉見観音とも呼ばれています。息障院から徒歩で二〇分ほどです。<br /><br />　ここの本堂と三重の塔は範義が建てたといわれています。戦国の争いで近くの東松山城の戦いのときに焼失しました。現在の建物は江戸時代の再建です。ここは義経の鞍馬寺と同じ立位置にあるお寺ということになります。風情のある良い寺院です。<br />　<br /><br />　　　<strong>範頼居館跡・息障院</strong><br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2020.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 20.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2020-thumbnail2.jpeg" width="320" height="240"></a><br />　息障院の門<br /><br /><br />&nbsp;<br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2020.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 20.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2020-thumbnail2.jpeg" width="320" height="240"></a><br />　息障院の本堂<br /><br /><br /><br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2022.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 22.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2022-thumbnail2.jpeg" width="320" height="240"></a><br />　　息障院の長屋門<br /><br />　<br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2023.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 23.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2023-thumbnail2.jpeg" width="320" height="240"></a><br />　北西角の空堀と水堀<br /><br /><br />　　<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2024.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 24.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2024-thumbnail2.jpeg" width="320" height="240"></a><br />　南側の空堀　塀は息障院のもの<br /><br /><br />　<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2025.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 25.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2025-thumbnail2.jpeg" width="320" height="239"></a><br />　南西部から南側空堀を望む<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />　　<strong>安楽寺・吉見観音</strong><br />&nbsp;<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2030.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 30.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2030-thumbnail2.jpeg" width="320" height="240"></a><br />　安楽寺・吉見観音<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2031.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="yosimi 31.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/yosimi2031-thumbnail2.jpeg" width="240" height="320"></a><br />　安楽寺　三重の塔<br /><br /><br />　　<br /><br />　　　　　　2015-9-22<br /><br />　　<br /><br />　<br /><br /><br /><br /><br /><br />　　　　　　<strong><span style="color:#0000FF;">源範頼のお墓　その1</span></strong><br /><br />　<br />　範頼のお墓は伝説により8か所あります。まだまだありそうです。<br /><br />　有名なものは伊豆の修善寺にあるものです。範頼は、ここに幽閉され梶原景時に包囲されたとありますので、ここで亡くなった可能性は高いと思います。　その遺骸は家臣のものではないかということで、日本中のあちこちにお墓ができるようになりました。<br /><br />　後世には地元以外には忘れ去られた人物ですが、これらのお墓の数より、　当時では人望もあり評価された人物であったのでしょう。<br />　源範頼の子孫・吉見氏が能登や広島・安芸郡に領地を構えたところから、逃亡伝説もそこにはあり、お墓もあります。生きていてほしいとの願望・希望が伝説として伝えられたました。<br /><br />　　　　　<span style="color:#0000FF;">青字</span>は訪れたところで詳細ペ－ジあり<br /><br /><br />　　1.　埼玉県北本市　東光寺蒲桜下の石塔<br />　　　　東光寺には範頼の位牌が保管されている<br /><br />　　2.　伊豆市修善寺<br /><br />　　3.　横須賀市金沢区　　横浜金沢区　大寧寺の墓<br /><br />　　4.　<ins><span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/177985153.html?1546720041" target="_blank">伊予市上吾川　称名寺・鎌倉神社　鎌倉塚　（その4）</a></span></ins><br /><br />　　5.<span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/177006533.html?1541825030" target="_blank">　広島市佐伯区三宅　観音神社　 （その2）</a></span><br /><br />　　6.　鳥取市河原町の霊石山中腹　<br /><br />　　7..　浜松市南区飯田町　稲荷山龍泉寺　<br />　　<br />　　8.　　<ins><span style="color:#0000FF;"><a href="https://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-850" target="_blank">長門市　三隅中の生島山中　　その5</a></span></ins><br /><br />　　9.　　<span style="color:#0000FF;"><ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/177451913.html?1541824716" target="_blank">広島市西区古江上　福蔵寺　（その3）</a></ins></span><br /><br /><br />　　　　　　　　　2015-11-3　　2016-10-23<br /><br /><br />　　<ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/177006533.html?1541825030" target="_blank">源範頼のお墓　　その2</a></ins><br />　<br />　　<ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/177451913.html?1541824716" target="_blank">源範頼のお墓　その3<br /></a></ins><br />　　<ins><a href="http://hayame.sblo.jp/article/177985153.html?1546720041" target="_blank">源範頼のお墓　その4</a></ins><br /><br /><br /><br /><br />　　<strong><span style="color:#0000FF;">源範頼　　お墓　その5</span></strong><br /><br /><br />　　ヨットで隠岐へ行く途中に仙崎に立寄りました。　近くの三隅に範頼の供養塔とお墓があるということで訪れました。<br /><br />　ネットで調べてみるが詳しいことは分かりませんでした。<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20110.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 110.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20110-thumbnail2.jpeg" width="275" height="320"></a><br /><br /><br />　長門三隅八幡宮の親切な宮司さんに地図を書いてもらい行くことができました。<br /><br />　なぜ、ここに範頼の供養塔とお墓があるのかというと、伊豆修善寺で梶原景時に襲われて範頼は亡くなった。部下の当麻三郎と小太郎が首を持って逃れてここに供養したと云われています。<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20111.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 111.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20111-thumbnail2.jpeg" width="320" height="241"></a><br />　三隅八幡宮<br /><br /><br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20112.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 112.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20112-thumbnail2.jpeg" width="320" height="213"></a><br />　範頼供養塔<br /><br /><br />　お墓は案内板にたどり着けましたが、そこへ行く経路が分からずに見ることはできませんでした。<br />案内板のすぐ後ろに獣道のような登り口があって途中まで行くが不安になり戻りました。他の道も探りましたが行くことが出来ません。　案内の説明不足でしょうか？　<br /><br />　範頼はこの地では大事にされていないようですね。　せっかく大河ドラマで登場しているので殺されるシ－ンが過ぎてしまうと、　ますます、ここを訪れる人は少なくなってしまうでしょう。<br /><br />　隠岐のクル－ズを終えて自宅に帰って大河の録画を見ると、範頼はもはや殺されてしまっていた。範頼の復権は遠いようです。<br /><br /><br />　<a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20113.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 113.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20113-thumbnail2.jpeg" width="320" height="213"></a><br /><br /><br />　<br />　<br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20114.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="noriyori 114.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/noriyori20114-thumbnail2.jpeg" width="320" height="213"></a><br />　範頼お墓　案内板<br /><br /><br />　　　　　　　　　　2022-8-4<br />&nbsp;<br /><br /><br /><br /><br />　　　　　<strong><ins><span style="color:#0000FF;"><a href="http://hayame.sblo.jp/article/175133566.html?1541822866" target="_blank"> 源範頼の子孫</a></span></ins></strong>　　　<br /><br /><br /><br />　　　　　　　2026-6-16<br /><br /><br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

]]></content:encoded>
            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191722535.html</link>
      <title>全国ヨット泊地　　最新の更新　　2026-6-13</title>
      <pubDate>Sat, 13 Jun 2026 08:58:28 +0900</pubDate>
      <description>　　    2026年の春巡航　塩釜・宮城から倉敷・岡山を終えて、全国ヨット泊地を更新しました。        全国ヨット泊地　　最新の更新　　2026-6-13 　　　　 関東以北のヨット停泊事情　 更新　　　2026-6-8/ 　　　　　　2026-6-13</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<br /><br />　　    2026年の春巡航　塩釜・宮城から倉敷・岡山を終えて、全国ヨット泊地を更新しました。<br /><br />  <br /><br />     <ins><strong><a href="https://hayame.coolblog.jp/custom4.html" target="_blank"> 全国ヨット泊地　　最新の更新　　2026-6-13<br /></a></strong></ins><br /> <br /><br />　　　　 <ins><strong><a href="https://hayame.coolblog.jp/custom.html#spb-bookmark-494" target="_blank">関東以北のヨット停泊事情　 更新　　　2026-6-8/</a></strong></ins><br /><br /> <br /><br />　　　　　　2026-6-13<br /><br /><br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
          </item>
        <item>
      <link>http://hayame.sblo.jp/article/191720477.html</link>
      <title>ドミトリー・ドンスコイ</title>
      <pubDate>Wed, 10 Jun 2026 09:41:41 +0900</pubDate>
      <description>　　 　　　　軍国少年の海と空のものがたり　その1　　　　　　　大幡 　　 　　　  　　”海と空”は昭和7年創刊の、文字通り艦船と航空機を主題とするミリタリー誌で、当時、満州事変以降風雲急を告げ、シナ事変を経て第２次大戦に突入する時期に可成りレベルも高く，成年層に支持された雑誌である。　ドミトリー・ドンスコイはバルチック艦隊に編入された装甲巡洋艦であり、その艦名の由来は、１３８０年クリコボの戦いで始めてタタール軍を破って、ロシア史上の一大英雄として讃えられるドミトリー・ドン..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
　　 　<br /><br />　　　<strong><span style="font-size:large;"><span style="color:#0000FF;">軍国少年の海と空のものがたり　その1　　　　　　　大幡 　<br /></span></span></strong><br />　 　　　<br /><br /><br /> <a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/donskoy2010.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="donskoy 10.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/donskoy2010-thumbnail2.jpeg" width="200" height="134"></a><br /><br /> <br /><br />　　”海と空”は昭和7年創刊の、文字通り艦船と航空機を主題とするミリタリー誌で、当時、満州事変以降風雲急を告げ、シナ事変を経て第２次大戦に突入する時期に可成りレベルも高く，成年層に支持された雑誌である。<br /><br />　ドミトリー・ドンスコイはバルチック艦隊に編入された装甲巡洋艦であり、その艦名の由来は、１３８０年クリコボの戦いで始めてタタール軍を破って、ロシア史上の一大英雄として讃えられるドミトリー・ドンスコイ（モスクワ大公）である。 　<br /><br />さて、本題は”海と空”誌上に紹介された日本海海戦の一挿話であり、所は、バルチック艦隊をむかえ撃とうと、鎮海湾にたむろす一艦の艦内である。　「敵を知り己を知らば百戦あやうからず」の教えがあるが、これから立ち向かうロシア艦隊のそれぞれを認識するために、個々の艦形を示すシルエットをかかげて，之は何艦かと水兵たちに問うていた。<br /><br />　「アリョール」「ボロジノ」辺りはともかく、「オスラービア」「シーソヴェリスキー」「ドミトリー。ドンスコイ」ともなると、当時の水兵レベルにとっては，舌をかみそうな上、憶えにくい名前である。そこで、語呂の似た日本語に置き換えることにして「ドミトリー・ドンスコイ」を「ゴミ取りゴン助」とした。　その他にそれぞれふさわしいあだ名を付けたことになっているが、資料を紛失した今は、「ゴン助」以外は全く憶がない。話の趣は、戦いが始まりそれぞれのあだ名が、いみじくも、その艦のなりゆきを暗示したことである。<br /><br />　「ゴン助」は沈没する僚艦の水兵をひろい集め、最後に蔚山沖で、村上艦隊に捕捉され、「ニコライ１世」「アリヨール」「アブラクシン」「セニャーウイン」等と共に、２８日午後１０時に降伏したと記憶していたが、　この辺りを確認する為一誌をひもとくと、「ドミトリー・ドンスコイ」は２８日夜半沈没とある。エッ！集めたゴミ共々かつ乗組員も一諸に、あわれなこと、助けたのは無駄だったのかと大きな疑問が生じた。<br /><br />　そこで今回、いろいろと関係書を拾い読みすると、次々に「どうしてそうなるの」「そんなことないよ」と思う事柄に出会うことになった。　小生の記憶違いかもしれないが、いくつかとりあげてみよう。正誤の程は読者の判決を期待しながら。<br /><br />○バルテイック艦隊は２０ノットで対馬へ向かって北上しつつ.........改めて記載箇所を探したが所在不明！<br /><br />○秋山真之が「司令塔の中に入ってください」..........東郷はかぶりをふった......司令塔はそれを囲んでいるぶ厚い装甲１４インチとある。（坂の上の雲６巻292頁）１４インチといえば３６センチである、こんなことをしてはトップヘビーとなって転覆しやすくなる。後世の諸戦艦においても聞いたことがない。<br /><br />○下瀬火薬を詰めこみ伊集院信管つめこんで細長かった.......旅順艦隊の連中は「鞄・チェダモン」とあだ名をつけ..........目撃すると........薪がクルクルと空中でまわりながら飛んでくる.........６-３１４頁。まさか、旋条を施された砲弾は射線方向にしか旋回しようがない。　まだいろいろあるが、あら探しは後にして先に進もう。<br /><br />シルエットで艦名を探索するように、バルチック艦隊における索敵風景に（６-２５６頁）三隊の巡洋艦隊が左舷にあらわれた.............「鎮遠がいるな」..............「松島・厳島・橋立がいます........」とある。この風影付図-1のとうり。資料と記述がピッタリ合った。 　<br /><br /> <br /><br /><a href="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/donskoy2020.jpeg" target="_blank"><img border="0" alt="donskoy 20.jpeg" src="http://hayame.sakura.ne.jp/sblo_files/endyachts/image/donskoy2020-thumbnail2.jpeg" width="320" height="244"></a><br /> <br /><br />　 ここで取り上げるのは「鎮遠」である。多少艦艇史をかじった人なら知らないはずはない。「鎮遠｝は清国海軍の主力艦であり、かの、黄海海戦（日清戦争）の唱歌にある「まだ沈まずや「定遠｝はの兄弟艦である。「定遠」はたしかに沈んだが「鎮遠」は生き残って、今、バルチッキ艦隊の目の前に現われた。しかも、日本艦隊の一隻として。これには訳がある。事のなりゆきは次の通りである。<br /><br />日清戦争の結果「鎮遠」「高陛」の２隻は日本海軍の手にわたり、旧名のまま就役することになった。世界にはままあることで、くしくも、ロシア艦隊にも「レトヴィザン」があり、スエーデン艦が捕獲されてそのままの名前で、ロシア海軍に就役して。日露開戦の直前新鋭艦にその名が受け継がれ，さらにくしくも、我が国に分捕られて「肥前」となった。この話「海と空」第３巻６１頁、すべての資料を廃棄した筈、この話との再会は別の項にゆずる。<br /><br />　そろそろ本題の「ゴン助」に戻ろう。明治３７年５月２７日午後１時５５分、Ｚ旗があがり、東郷ターンによって火蓋が切られた。しばらく「ゴン助」の記述がない、ようやく現れた（６－３８６頁）正に名前の通り（ゴミ取り）である。<br /><br />　戦いが始まって、たちまち、旗艦「スワーロフ」之の一弾により、ロジェスト・ウインスキーは重傷を負い，乗艦も沈没をまぬがれず、駆逐艦「ベドーウイ」に移乗、さらに、この艦も痛手をおい再移乗のはめになった。そこへ、装甲された６２００トン1７ノットの巡洋艦「ゴン助」と駆逐艦「ベドーウイ」が現れた。どうしたことかロ・ウインスキーは駆逐艦「ベドーウイ」に移ると「ゴン助」はふられてしまった。役立たずめ！それっきり記述が現れない、何をしているんだ。<br /><br />　ようやく見つかった、しかも、戦いは済んで２８日午前１０時蔚山沖で、先の４艦が村上艦隊に降伏する現場に居合わせていた。しかも「ゴン助」その名にふさわしくなく、優速を利かして逃亡を企てたのみか、行きがけの駄賃とばかりに打ちまくり、「浪速」「音羽」にそれぞれ１弾を命中させたが、衆寡敵せず多くの命中断を受け、もはやという状況になり夕闇迫り、鬱陵島沖にて、乗員全てが上陸，その后、キングストン弁を開いて水没した。健げなり「ゴン助」とは申し訳ない。　余談だが、半藤一利・日露戦争史第３巻で忘れてしまった諸々のあだ名にめぐりあった。列挙しよう。<br /><br />　クニャージ・スワロフ　　　　　故郷（くに）の老爺座ろう<br /><br />　アレクサンドル３世　　　　　　呆（あき）れた三太<br /><br />　オスラービア　　　　　　　　　　押すとピシャー<br /><br />　アリヨール　　　　　　　　　　　蟻寄る<br /><br />　ボロジノ　　　　　　　　　　　　　ボロ出ろ<br /><br />　ドミトリー・ドンスコイ　　　　　塵取り権助<br /><br />　更に、訓練風景の中に「呆（あき）れた三太」に命中。つぎの照準「押すとピシャー」。下士官たちにはこの日本語訳（？）評判がよかったのは事実とある。結構役に立ったのかな。　しめくくりに司馬さんの名誉のためにも一筆加えたい。<br /><br />　歴史を課題とした物書きは、多くの資料に取り囲まれて、個人的な思い入れの強い日記・戦記の記述に、愛着を感じあえて誇張気味を承知の上で採用したものだろう。「そうに違いない」。　又、半藤氏の参考資料に「海と空」はなかった。<br /><br />　かなり前になるが、思い立って国会図書館に照会したが全く所蔵されていなかった。でも有るところには有るんだよ。それはどこ、それは今度！<br /><br /> <br /><br />　　　　　 　　　　2015-4-29　　　2026-6-10　再掲<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>日記</category>
      <author>速魚</author>
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